日曜はバレー部のみんなと買い物に行く日だった。
 駅前の本屋で待ち合わせをしていたけれど、足が重い。陸さんとあんな別れ方したばっかりだし、ひよちゃんが言ってたことも気になるし。 でもドタキャン電話を入れるのはもっと気がひけるから、しぶしぶ出かけた。
「お、相川」
 僕の顔を見て、白石先輩が片手を上げた。
「お前、最後だぞ。珍しいな」
「すみません」
 チラと陸さんを見たら、やっぱりどこか気まずそうだ。
「じゃあ、行きましょうよ。遅くなりますよ」
 鈴木が僕を責めるように言って、みんな――鈴木と服部、白石先輩、陸さんそして僕――は、ぞろぞろと歩き始めた。
 僕に一言も話しかけず、前を歩く陸さん。その隣に鈴木がまとわりついている。服部は鈴木に陸さんをとられたから、白石先輩と昨日のテレビの話なんかしている。
 僕はみんなの後ろをついて歩きながら、やっぱり断ればよかったかなと思った。
 だんだん歩くスピードが遅くなって、前の四人と距離が開く。白石先輩が気づいて、立ち止まった。
「何だよ、お前たちケンカでもしたのか」
 近寄ってきて、服部に聞こえないように耳元でささやく。
「え、いえ、別に」
「何だよ、相川」
 服部が仲間はずれを嫌がるようにやって来る。
「何でもないよ」
「なんか元気ないな」
「そんなこと無いって」服部には笑って応えて
「すみません、先輩、ほら、行きましょう」
 陸さんと鈴木も立ち止まってこっちを見てしまったので、慌てて二人の背中を押した。
(なんだかな……)
 これからもこうやって白石先輩とかに気を使わせていくのかなと思ったら、悲しくなった。こんなはずじゃなかったのにな。


「ここが、西高御用達のフジスポーツだ」
 駅前商店街の突き当たり、大道路との交差点に立つ二階建てのビルを指す。僕は去年陸さんに教えてもらってから何度か来ている。その頃は、陸さんと一緒にバレーボールできるっていうのが、楽しみでしょうがなかった。
「ここのおばちゃんは、昔実業団でバレーやってたから、色々親切にしてくれるんだ」
「あ、俺、ここ来たことあります。そのおばちゃんは知らないけど」
「僕も、入ったことはあります」
 服部と鈴木が応えたけれど、僕は口を開くタイミングを逃して黙ったままだった。陸さんがチラッと僕を見たけれど、つい目を逸らしてしまった。
「西高バレー部だって言ったら、値引きしてくれるぞ」
 陸さんは僕のことなんか気にしていないように、さっさとドアを開けて入った。
「こんにちは」
「あら、陸くん、いらっしゃい」
 背の高い女の人が、奥から出てくる。この店のオーナーのおばちゃんだ。
「うちの新人連れてきました」
「あら嬉しい、よろしくね」
「マケてやってください」
「いいわよ、陸君の後輩なら喜んで。あら、白石君も一緒? 相変わらず髪茶色ねぇ」
 白石先輩の髪を指でつまんで引っ張る。
「おばちゃんも赤いよ」
「私のは白髪染めてんのよ、仕方ないの」
 気さくなおばちゃんは白石先輩とも仲良しだ。僕に気がついて、
「あら、この間の」
「あ、はい」
 春休み、陸さんと一緒にここで新しいシューズを買った。
「どう、アレ」
「あ、すごくいいです。ありがとうございました」
 ずい分オマケしてくれたことも思い出して、お礼を言った。
「何だよ、相川、もう顔なんじゃん」
 服部が唇を尖らす。
「ちがうよ」
 陸さんと一緒だったから、覚えてもらっているだけだ。
「三人とも一年生なの?」
 おばちゃんは僕たち三人の顔を交互に見て、
「なんか可愛いねえ、バレー部って言うよりアイドル事務所じゃないの」
 大きな口を開けて笑った。
「いや、こいつだけはどうかな」
 白石先輩が服部の頭を叩くと、
「ひっ、ひどいでゴザル」
 服部が大げさにわめいた。
「あら、お猿さんみたいでかわいいじゃないの、ねえ」
「おさる〜っ?」
「ああ、そっち系か」
 白石先輩と服部とおばちゃんが笑い合っていると、鈴木が
「陸先輩、僕、靴選びたいんですけれど、一緒に見てください」
 さりげない素振りで陸さんの腕を引いた。
(ムッ…)
 陸さんは、一瞬僕のこと気にしたみたいに見えたけれど、よくわからない。結局、鈴木に呼ばれるままナイキの棚に行って、二人で見ている。

 僕はまたひとりになった。
 なんて、こんなんでウジウジするくらいなら、僕も割り込んで一緒に見ればいいんだけどね。でも、もう、何だか面倒。先週からのことと、陸さんに言われたことで、何だか本当にバレー部辞めたほうがいいんじゃないかって気になってきた。やばい。投げやり?

 そんな感じでついフラフラとバレーコーナーから離れて、ピカピカのバスケットシューズに目を留めて、何の気なしに手を伸ばしたら、
「お前」
 僕が手に取るはずだったシューズは、大きな手がさらっていった。
 頭の後ろから、聞き覚えのある声がした。
「バスケットシューズ、買うのか?」
 振り返ると、
「あっ」
 入学式の日に会った、それからいつかの放課後に陸さんと三人でなんだかんだあった、バスケット部キャプテンの後藤先輩だった。

「バスケやる気になったか」
「あ、いえ、そういうわけじゃ」
 曖昧に笑って言葉を濁すと、後藤先輩は手にしたシューズを僕に渡して、
「バスケ始めろよ、面白いぞ」
 白い歯を見せて笑った。
(あ……)
 こんな風に笑うと感じいい。
 陸さんはこの先輩とは仲が悪いみたいだけれど、嫌な人じゃないみたい。陸さんみたいにハンサムじゃないけど、はっきり言うとオヤジっぽいけど、あったかそう。
 じっと見つめていると、
「バスケすると、背も伸びるぞ」
 ポンポンと大きな手のひらで頭を叩かれた。お父さんみたいだ。
「ふふ……」
 さっきまで落ち込んでたからか、こんなことでも嬉しくなってしまう。
「スラムダンク貸してやるから、読んでみろよ」
 なんてこと言う後藤先輩がおかしくて笑った。
「スラムダンクは小学校のときに読みました」
「おっ、読んだのか。それでなんで、バスケ始めなかった」
「だって、怖そうでしたもん」
 よく憶えてないけど、主人公が不良みたいだった。
「かあっ、小学生にゃわかんなかったんだな、もう一度読んでみろ。今読むと違うから」
「持ってないです。クラスの子に借りただけだから」
 首を振ると、
「じゃ今度は俺が貸してやる、うちに取りに来い」
 僕の腕をつかんだ。
「えっ、あ、ちょっと」
 身体がよろけた。そこで、
「何のまねだよ」
 低い声とともに肩を後ろに引かれた。
 陸さんが怖い顔で立っている。
 後藤先輩も瞬時に険しい顔になる。これって、あの日の放課後と一緒だ。
「うちの部員に、気安くさわんな」
 陸さんが、僕のもう一方の腕をつかんだ。
「先輩風吹かすなよ。俺はただ漫画貸してやるって言ってるだけだ」
「漫画?」
 陸さんが、僕を見る。
「何の漫画だよ」
 すっごい不機嫌そう。今日初めての会話がこれか。
「スラムダンク」
 僕が応えると、
「今頃そんな古い漫画読んでどうする」
 陸さんは呆れたように言った。
「古くても良いものは良いんだよっ」
 後藤先輩が、僕の左腕を引く。
「引っ張るな」
 陸さんが僕の右腕を引っ張り返す。
「お前が引っ張ってるんだろっ」
「てめえがその汚い手を離せ」
「いた、いたたた……」
 両方から引っ張られて、思わず声を上げたら
「あ、すまん」
 後藤先輩が先に手を離した。
 陸さんは勝ち誇ったように、僕をグイッと引き寄せたけれど
(ガーン……)
 僕はショックを受けた。
 
 その昔、一人の子供を「自分の子だ」と主張して譲らなかった二人の母親に、大岡越前は「それではその子の腕を引き合って、勝ったほうの子とせよ」と言ったそうだ。二人の母親は思いっきり引っ張り合って、とうとう子供は泣き出した。その時、先に手を放した母親を大岡様は「子供のことを愛している本当のお母さん」と認めたとかなんとか。
 時代劇ファンの母親に散々聞かされた大岡裁判がいきなりよみがえって、僕は陸さんの腕からすり抜けた。

「僕が痛いって言ってすぐに手を離した後藤先輩のほうが、本当のお母さんだ」
「は? 何言ってる」
 陸さんが、変な顔して僕を見た。
 何言ってるかなんて、僕もわかんないよ。

 なんだか胸が、ムカムカするんだ。
 陸さんのこと好きなのに、えっちまでしたのに、ずっとすれ違っている。高校に入ったら、もっとそばでラブラブできると思っていたのに、中学のときのほうがよっぽとマシだった。せっかく入ったバレー部では、陸さんのよそよそしい態度。他の一年と仲の良いところを見せつけられて。今日だってずっとほったらかしだったくせして、こんなときだけやってきて自分のものみたいに。

「痛いって言ったら、先に手を離してよ」
「はあ?」
 陸さんが目をむく。
「先に手を離せよ、僕のことホントに好きなら、そうするんだよ」
 ああ、本当、何、言ってるんだよ、僕。
 でももう止まらない。
「陸さん勝手だよ」
「お、おい……」
「もういいっ、陸さんなんか嫌いだ。僕、バレー部やめる。バスケ部に入るっ!!」
 陸さんと後藤先輩が同時に叫んだ。
「何言ってるっ」
「本当かっ」
「もう、わけわかんないっ」
 かんしゃく起こす僕。





「わけわかんなかったのは、陸だと思うよ」
「うん……」
 その夜。大好きな大河ドラマも見ないで、ひよちゃんは僕に付き合ってくれた。
「もうだめだ」
 抱えた枕に顔を埋めた。
「陸さんに嫌われた」
「いや、嫌っちゃいないとは思うけど」
「もう陸さんに会わす顔無い」
 陸さんだけじゃない。服部にも鈴木にも、もちろん、後藤先輩にも。
『僕のことホントに好きなら』
 誰が聞いても、痴話喧嘩だ。
 鈴木なんか、目をまん丸にしていた。
 せっかく陸さんや白石先輩が秘密にしていてくれたのに、自分から暴露しちゃって。
「もうだめだ」
 今日何回目かの台詞を繰り返したとき、ひよちゃんが言った。
「で、バスケ部に入るって言ったのはどうするの?」
「え?」
 顔を上げて、
「まさか、入らないよ。売り言葉に買い言葉じゃないけど、なんか勢いで言っただけだもん」
 僕は首を振った。
「あーあ」
 ひよちゃんも首を振る。こっちは「ダメだこりゃ」という感じの頭の振り方。
「後藤の前で、いったんバスケ部に入るって言っちゃったんでしょ」
「うん、でも、本気には取らないと思うよ」
 それより僕と陸さんの痴話喧嘩のほうが強烈だったと思う。
「バカね、あんた。あの後藤ってヤツは、常にマジよ。本気と書いてマジと読む。後藤修司と書いてもマジと読む。魚に青ではアジと読む」
「魚に青はサバだよ」
「変なところで、冷静ね」
「アジは、魚に参る……みたいな字だよ」
 昔、寿司屋でお父さんに教わったのを僕は指で書いて見せた。ひよちゃんは、うなずいて、
「そう、魚も参るけど、ショーリもマイッたことになるかもね」
「ええっ?」
「バレー部とバスケット部は、そうじゃなくても、過去何度も部員を取り合ったり、体育館の使用権争いでモメたりしているから。後藤も、意地になってあんたをバスケ部に入れようとするかもね」
「そ、そんな」






 






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