四月の最初の土曜、僕は陸さんの家に泊まりに行く。
 陸さんのお兄さんが急に大阪に転勤になってあっちに住むことになったから、ご両親は新しい家の様子なんかを見に行くことにしたらしい。
「ついでに関西旅行を楽しんでくるとか言ってっから、日曜の夜まで帰って来ねえよ」
「陸さんは、行かなくていいの?」
「何で俺がアニキの心配とかしないといけないんだよ。ってか、こんなチャンスは逃せないだろ」
 陸さんの言葉に僕は、ゆでられたタコみたいに赤くなった。

 西高に入学したら一番にやろうと思っていることが、部活を始めるとか、友達百人作るとかじゃなくて、陸さんとエッチすることだなんて、親が知ったら泣くだろう。
 でも僕たちには重大な問題だ。
 実を言うと、合格発表の次の日に陸さんと会って例のラブホテルに入ろうとしたんだけれど、前回は秀志さんがいたのと何だか興奮していて周りが見えていなかったから入れたわけで、実際に二人きりでその前まで行っても、そのまま通り過ぎてしまうのがオチだった。
「やっぱり自分ちのほうが落ち着くからな」
「う、うん」
 と言うわけで、僕たちはその土曜日をXディと定めて、四月を迎えたのだ。



「なあ、相川、今度の土曜日買い物行かないか」
 服部が休み時間にやって来て言った。
「買い物?」
「シューズとかさ、せっかく高校のバレー部に入ったんだから、新しいの買いに行こうかと思って」
「ああ、そうか、でもゴメン、土曜はちょっと……」
「んじゃ、日曜は?」
「ゴメン、日曜も……」
 陸さんの家に泊まっているんだから。
「何だよ、付き合い悪いでゴザルなあ」
「ゴメン、先に予定が」
「いいよ。じゃあロココ誘ってみ」
 服部の言葉が終わらないうちに、
「行かないよ」
 僕の背中から、間髪いれずに返事が返った。
「バレー部用のシューズはもう買ってあるしね」
 茶色の巻き毛を人差し指の先でクルクル弄びながら、鈴木は言った。
「ちぇーっ」
 ホントみんな付き合い悪いぜ、と服部はブツクサ独り言のように呟いて、
「あ、そしたら先輩誘ってみようかな」
 いいことを思いついたというように手を打った。
「えっ」
(先輩?)
「どこの店のどんなのがいいとかさ、やっぱ先輩に聞くのが一番じゃん。安い所とか知ってるかもしれないし」
 服部は自分の言葉に、満足そうにうなずいた。
「今日の部活で、陸先輩に聞いてみよう」
「ダメだよ」
 とっさに応えてしまった。
「へ?」
 服部が目を丸くして振り返る。
「何で?」
「あ、その、都合悪いんじゃないかな」
 バカバカ、違う言い方あるだろう。これじゃあまるで――
「相川、陸先輩の予定知ってんの?」
 ほら、そう思われる。
「ううん、そうじゃなくて……ホラ、三年生だし、何かと忙しいんじゃないかなって」
「はあ、なるほど」
 服部があんまり物事に頓着しないタイプでよかった。僕のこのあやしい発言にも、あっさり納得してくれたようだ。
「でもまあ、とりあえず、忙しいかどうか聞いてみよう」
「そう、だね」
 服部は、バレー部に入って、キャプテンの陸さんをえらく尊敬している。もちろん尊敬されるだけのプレイを陸さんが見せてくれたからだけど。服部が心の底から陸さんを崇拝している様子をみると、まちがっても僕とのことはバラしちゃいけないって思う。
 僕と陸さんが恋人同志だって知っているのは今の三年生のごく一部だけで(その他の先輩たちは、僕が女装していた間だけ陸さんが騙されていたと思っている)、もちろん一年生は誰も知らないから、陸さんも部活では僕と距離をおいている。
 ちょっと寂しいけど、まあ、部活でベタベタするわけにはいかないもんね。




* * *

 そして、あっという間に週末がきた。僕はバレー部の合宿だと言って、多津子おばさんに外泊の許可をもらっていた。
「ショーリ、まだいるの」
 鏡に向かって一生懸命寝ぐせを直していたら、ひよちゃんが顔を覗かせた。
「合宿なんでしょ。早く行かないと練習始まっちゃうんじゃないの」
 ひよちゃんは、人の悪い顔で嫌味を言う。
(知ってるくせに)
 僕は、鏡ごしにひよちゃんを睨んだ。
(絶対、ナイショだからねっ)
「はいはい」
 ひよちゃんは肩をすくめてリビングの方に消えていった。ひよちゃんは僕が陸さんとエッチすることには反対していたけど、僕が高校に入るまで我慢した陸さんに免じて「見逃してあげる」と、今回の嘘の片棒を担いでくれた。
(嘘……かあ)
 お父さんやお母さんや、多津子おばさんや、服部にも、いろんな人に嘘ついている。そう思うとちょっと胸が痛い。でも、本当のことは絶対言えないし。
 男同士じゃなくても、恋人とエッチするなんて、普通、親にも言わないよね。ということは世の中の恋人同士は、いつも初めは誰かに嘘ついているのかなあ。
 恋愛は嘘や秘密の上に成り立っている。――By相川勝利
 と、何だか気分に浸っていると、洗面所のオルゴール時計の鐘が鳴った。
「わわっ」
 もう十二時だ。
 陸さんとは、お昼を一緒に食べることにしている。
 急いで髪を梳かして、最後にもう一度全身チェックして、僕は玄関に急いだ。


 待ち合わせの時間ギリギリにお店に行くと、陸さんはもう座っていた。
「ごめんなさい、待たせて」
「待ってないよ」
 まだ注文もしてないんだと、陸さんは笑ってメニューを開いた。
「何にする? またカレーか?」
 カレーは僕の好物だけど――
「どうした?」
「……カレー臭くなっちゃうよ?」
 心配して聞いたら、
「えっ、あ……はは、何だよ、やる気マンマンだな」
 陸さんは赤くなって言った。
「そ、そそ、そうじゃないけど」
 僕はブンブン首を振った。でも、そういうことも気にしている。だって今日はとっても大事な日だもん。
「じゃあ、俺もニンニクはよすわ」
 ふざけたように言ってるけど、額にうっすら汗かいてるよ。
「じゃあ、同じ物食べればいいのかも」
「あ、そうだな」
 そして二人して、ハンバーグランチを頼んだ。
「晩飯は、冷蔵庫に色々はいってるから」
「うん」
 夜の話になって、また二人してビミョーに緊張。
「じゃ……行くか」
 食べ終わった陸さんが、ユラリと立ち上がる。
「はいっ」
 続けて立つ僕は、討ち入り行く武士に従う下っ端のような、なんとも変な感じだった。



 陸さんの家が近づいてくると、心臓がドキドキ鳴り始めた。
(家についたら、すぐやるのかな)
 陸さんのことだから、あんまり雰囲気作りとかは考えてないような気がする。でもいきなり始めるのも、いかにもそのために来ましたって感じだし。
 あ、そのために来たのか。
「おい」
 やっぱり初めにシャワーとか借りるのかな。出る前に念入りに浴びたけど、やっぱりまた洗った方がいいよね。
「おい、ショーリ」
 あ、しまった、歯ブラシ忘れちゃったよ。どうしよう。やっぱり、キスとかされるんだから――
「ショーリ」
「は、はいっ?」
 声が裏返った。
 陸さんがものすごく困った顔で僕を見ていた。
「お前、顔真っ赤だぞ」
「そ、そう?」
 ああ、恥ずかしい。
 恥ずかしくて、穴掘って入りたい。

 そして陸さんちに着いて、その気分はますます強くなるのだった。


 案の定、陸さんはムード作りのかけらも用意してなくて(まあ別に僕もそんなものは望んでないけど)、部屋に通されて目の前に差し出されたのは、サラダ油とオロナインだった。
「何これ?」
「潤滑剤。本当は薬局でそれ専用の買えばよかったんだろうけど、まあ、これでもいけるって言うから」
(言うから??)
「誰が?」
「え? あ、まあ、誰でもいいだろ」
「秀志さん? まさか、また会ったりしたの」
「会ってないって、ちょっと電話でわからないこと聞いただけで」
「そんな、宿題の答え聞くみたいに」
「いいじゃんか、お前のためなんだから」
「僕の、ため?」
「最初だから、失敗したくないんだよ」
「……うん」
 陸さんの真剣な目に、身体の芯がジンと熱くなった。
「で、どっち使おうか」
 うーん。
「リノール酸も身体に良さそうだけど、やっぱり傷薬もかねているからオロナインの方がいいのかな」
「よし」



 そして僕たちは交互にシャワーを浴びて、陸さんのベッドに向かい合わせに座った。腰に巻きつけたバスタオルが未練がましい。
「それとって、うつ伏せになれよ」
「う、うん」
 僕は言われるまま、バスタオルを取ると、前を見られないようにさっと横になった。
「足曲げて尻上げろ」
「ええっ」
「じゃないと、入んないだろ」
 腰を抱え上げられ、オロナインを付けた陸さんの指が肛門に押し付けられて、思わず悲鳴をあげた。
「や、やめて」
「塗んないとダメなんだよ、それでよく解さないと大変なことになるって」
「で、でも、ダメ」
 陸さんの指を僕のお尻の中に入れるなんて。恥ずかしいにもほどがある。
「ダメって言っても」
「じゃあ、自分でするっ」
「え?」
「僕が、自分でするから」
「で、できるのか」
 陸さんの念押しに、コクコクと肯く。
 陸さんにされるよりは、自分の指の方がマシだと思った。
「じゃ、はい」
 オロナインが手渡される。僕はそれを人差し指と中指ですくうと、陸さんに背を向けて
「んっ」
 膝立ちになって、自分の後ろに塗りこんだ。
 わあ、こんなトコ触るの初めてだよ。すごく熱い。
「つ…っ」
 どれくらい塗ればいいんだろう。
 解すって、どうやって?
 とりあえず入り口と中にも塗りこんだけれど、こんな狭いところに陸さんのアレが本当に入るのかな。
(もうちょっと奥まで塗った方がいいのかな)
「うう…っ、んんっ」
 グッと指を奥に入れたら、思わず声が出た。
「ゴクッ」
 大きく咽を鳴らす音が聞こえてハッと後ろを振り返ると、文字通り固唾を飲んだ陸さんがじっと僕を見ていた。
「ギャ」
 僕は慌てて指を抜いた。

 恥ずかしい! 恥ずかしい! 恥ずかしいっつ!!

 僕は陸さんの前でなんて格好をしていたんだ。
「もう、やだぁ」
 半泣きで言うと、
「あ、じゃ、続き俺がするから」
 陸さんが四つんばいに這って近づいてきた。
(ううう……)
 エッチするって、こんなに恥ずかしいことなんだろうか。

 前途多難。










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