「おばさん、おかわり」 ひよちゃんが茶椀を高らかに掲げると、 「おっ、ひよ子ちゃん、いい食べっぷりだなぁ」 ビールを飲みながら、お父さんが嬉しそうに言った。 「えへへ」 「見ていて気持ちいいわねえ」 これまた嬉しそうにお母さんが、杓文字をふるってひよちゃんの茶碗にご飯をてんこ盛り。 「勝利もこれくらい食べないと大きくなれないわよ」 「……別にいいよ」 いつに無くにぎやかな食卓を前にして、僕は自分の家なのに落ち着かない。それというのも―― 「よくないよ。ショーリ、西高でレギュラー取りたかったら、もう十センチは伸びた方がいいよ。ま、女子のほうでもよければ、十分だけど」 ニヤリと笑うひよちゃんを、僕は無言でにらみつけた。 何かと思わせぶりなひよちゃんの言葉。僕はいつ陸さんの話が出るかとヒヤヒヤしているのだ。 「あら、いくら勝利が女の子顔でも、女子部はマズイわよねえ」 「そりゃそうだ」 あはははと笑う能天気夫婦。珍しくひよちゃんが家に来たので、いつも以上にテンションが高い。年明け早々多津子おばさんが旅行に行ってしまって、ご飯が無いからと突然我が家にやって来た。お母さん達は、夏休みの恩返しと張り切っているけれど、僕としては心の準備くらいさせてほしかった。 「なあに、勝利、いつもより小食じゃない? ずい分、おとなしいし」 「ひょっとして、ひよ子ちゃんが来て、緊張しているんじゃないか」 (違うよ、バカ) まあ、別の意味で緊張はしているんだけど。 「そう言えば、勝利は昔からひよちゃんひよちゃんって、ひよ子ちゃんのお尻を追っかけていたもんねえ」 (追っかけてないっ!!) ひよちゃんが、僕を連れまわしていたのだ。付いて行かないと、あとが怖かったのだ。 「うん。勝利、いっそのことひよ子ちゃんをお嫁さんにもらうか」 ビール一本で酔っ払ったか。お父さんのつまらない冗談に、僕はから揚げを箸からポロリと落としてしまった。 「あ、ダメダメ。だって、ショーリにはちゃんと相手がいるもん」 (な、何を言い出すんだ) 「ああそう、ひよちゃんの同級生なんでしょう。ヒロミちゃんだっけ。どんな子?」 お母さんが興味津々と言う顔でひよちゃんに尋ねる。 (やーめーてーっ) 「美人?」 「美人ですよう。背なんかすらっと高いし」 「ひよちゃん、やめて。お願い」 ひよちゃんの機嫌を損ねないように、僕はできるだけ低姿勢に頼んだ。けれど、女二人は、 「ええ、ひよちゃんに背が高いなんていわれるってことは、かなり高いのねえ」 「高い高い、私と同じくらい」 「ええっ!!うそっ」 まったく無視して、話は進んでいる。 「そんなに背の高い子って、珍しいわね」 「おばさんひど〜い」 「あ、ううん。ひよちゃんはいいのよ。モデルさんみたいじゃない」 「あ、アイツもパッと見は、モデルみたいですよ」 「ほほう、いいねえ、モデルか」 お父さんまでが、身体を乗り出す。 「勝利、一度連れてきなさい」 三人がそろって僕を見る。フラリと僕は立ち上がる。 「んっ?」 見上げるひよちゃんの腕を取って、 「あ、ちょっと何するのよ、ショーリ」 黙って部屋に引っ張っていった。重い。 「ちょっと、まだ食べている途中じゃない」 箸を握ったままの手をブンブン振り回す。うるさい、暴れるな。 「ショーリってばっ」 「もう、ひよちゃん、いい加減にしてよ」 自分の部屋に入って、叫んだ。声が裏返ってしまったのが情けない。 「なんでお父さんとお母さんの前で、あんな話するんだよっ」 「何でって、カムアウトしやすいように」 「勘弁して」 本当は、単に面白がっているだけだ。絶対そうだ。 「言えるわけ無いじゃん」 僕が付き合っている相手が男の人だなんて。 僕は相川勝利。従姉のひよちゃんからはショーリと呼ばれている。去年の夏休みに、事情があってひよちゃんのいる西高女子バレー部にもぐり込んでしまって、そのとき男子バレー部のキャプテン陸さんに一目ぼれ。色々あったけれど、めでたく恋人同士になれた。今は、その陸さんと同じ部でバレーボールをしたいから、西高に合格するために必死に勉強に励んでいる受験生だ。 (なのに……) 「受験生を動揺させるような真似、すんなよっ」 受験まで、あと一ヶ月ちょっとしか無いのに。 「あら、失礼ね。受験勉強追い込みの応援に来たんじゃない」 「えっ?」 「私これでもアイツよりも成績いいのよ。家庭教師してあげる」 「うっ……」 「何よ、その顔。私がセンセイじゃ不服だって?」 「そ、そうじゃないけど……」 「じゃあ、何よ」 「だって、ひよちゃん……」 モゴモゴと口ごもるには訳がある。そりゃあ、ひよちゃんは頭いい。特に、僕の苦手な英語が得意だから、集中して教えてもらったらいいかもしれない。 (でも……) ここでひよちゃんに家庭教師してもらって西高に受かったとする。そうしたら、ひよちゃんは一生言うだろう。 『誰のおかげで、高校入れたと思っているのよ』 ちなみに今までは、ひよちゃんのここぞと言うときの切り札は、 『誰のおかげで、自転車乗れるようになったと思ってるのよ』だった。 十年も前のこと恩に着せられてもって思うけれど、着せるのがひよちゃんで、着せられるのが僕なのだから。 「ショーリ、何考え込んでいるのよ」 「あー」 「西高、入りたいんでしょ」 「うん」 「うち、けっこう偏差値高いよ」 「知ってる」 「じゃあ、勉強しようよ」 「うん」 「はい、今やってるテキスト出して出して」 そして僕はやっぱりひよちゃんには逆らえず、家庭教師をお願いする羽目になった。 まあ、合格できるならいいか。 そうして、一ヶ月。いよいよ来週本番という土曜日、春休み臨時家庭教師ひよちゃんが、 「アイツが電話くれって言ってたよ」 陸さんからの伝言を持ってきてくれた。 「え?」 陸さんとは二日前に話した。もちろん、電話で。お正月には一緒に初詣に行ったんだけど、そのとき受験が終わるまでデートを我慢することと、電話も週に二回だけにすることに決めた。だって、陸さんと話すと楽しくて、ついつい勉強どころじゃなくなるんだもん。 「なんだろう、急用かな」 「さあ、ケータイ使うなら貸すよ」 「あ、ううん。いい」 家電のほうが落ち着く。幸い、お母さんも出かけているし。 陸さんの携帯に電話したら、すぐに出た。 「あ、ショーリ、ごめん」 ちなみに、陸さんも僕のことをショーリと呼ぶ。前は、こずえって呼んでいたんだけれど(女子部に入っていたときの偽名だ)、高校に入ってからのことを考えて変えることにした。 「陸さん、どうしたの」 「あのさ、あんまり時間取らないから、出てこれねえか」 「え」 ドキンと心臓がはねた。そのまま元気良く、血がめぐっていく。あっという間に顔まで来たっていう感じ。 「その、忙しいなら」 「あ、ううん……」 僕だって、本当は会いたかった。でも、お正月に二人で決めたから。 「じゃあ、俺が近くまで行くからさ」 「うん、うん」 思わず、受話器を握り締める。 「あの、でかい駐車場の近くの公園。前、肉まん食ったとこ。あそこに三十分後」 「うん、うん」 受話器を置いて振り返ると、ひよちゃんが、かまぼこ型の目をして立っていた。 「何よ、デートは受験終わるまでおあずけじゃなかったの」 「だ、だって、緊急事態だもん」 「何の緊急よ」 陸さんから呼び出されたから、緊急なんだよ。 「すぐ帰るから」 僕は、急いでそれまで着ていたスウェットを脱ぐと、クローゼットを開いて陸さんが前に似合うって言ってくれた明るい緑のシャツと同系の薄手のセーターを取り出した。それから、かわいいって言ってもらった茶色のジャケット。それに合わせて陸さんが買ってくれたマフラー。 「気合、入ってるわねえ」 ひよちゃんの呆れた声は、無視だ。無視。 「髪も、とかしたら? 寝癖ついてるよ」 無視できずに、洗面所に直行。 「ドライヤーかけたげる」 後ろからひよちゃんがついて来た。 「……ありがと」 「どういたしまして」 そうしてきっちり三十分後、僕は公園に着いた。広い公園の奥のベンチに、陸さんは座っていた。僕の顔を見て立ち上がる。僕は、思わず駆け出していた。 「陸さんっ」 「ショーリ」 思わず胸に飛び込んだ。だって、陸さんが腕を広げてるんだもん。 固く抱き合って、目を合わせて、それがものすごく恥ずかしいという事実に気がついてワタワタと離れた。生き別れになっていた兄弟の再会じゃないんだから。 「ご、ごめんなさい」 「いや、こっちこそ」 陸さんは、両手をグーパー開いたり閉じたりしてごまかしている。 「え。えっと、何?」 聞いてから、なんだかそっけない聞き方のような気がして焦った。 「あ、ちがうの、何って聞いたのは、呼んでくれてありがとうって意味で」 何言ってるんだ、僕。久しぶりの陸さんに、緊張してる。 陸さんは陸さんで、 「いや、俺も、来てもらってありがとうっつーか、なんつーか」 なんだか変な感じ。 互いに一呼吸おいて、顔を見合わせて吹き出した。 「やべー、あがってるよ、俺」 ベンチに座りながら陸さんが言う。僕もその隣に座って 「へへ、僕も」 正直にうなずいた。 「元気そうだな」 陸さんの言葉に、僕は笑った。 「って、いっつも電話で言ってるじゃない」 「ああ、そっか。そうだな」 陸さんも笑って、それから、鼻の頭をかきながらポツンと言った。 「でも、やっぱ顔見ると違うじゃん」 胸がきゅーんとなった。 (陸さんも、僕に会いたいって思ってくれてたんだ) 僕が乙女チックに平坦な胸を押さえていると、 「あ、あのさ」 陸さんが革ジャンのポケットを探って、 「これ渡そうと思ったんだ」 小さなお守り袋を取り出した。 「すっげゴリヤクあるって、うちの兄貴が聞いて来たんだ」 僕の手に握らせて、照れたように唇を尖らせる。 「ほら、人知を尽くして天命を待つって言うだろ。困ったときの神頼みとか」 「うん」 微妙にその二つは違うけど、陸さんの気持ちはすごく良くわかった。 「ありがとう」 「うん。あ、ほかのお守りと一緒にしても別にいいんだって。いくつか別の神社のお守りを一緒にすると神様がケンカするとかよく言うけど、それはちがうって」 陸さんらしくないことを言うので、 「それも、お兄さんから聞いたの?」 「あ、いや、これはオカンから」 ぷふふふと、こらえ切れずに笑ったら、陸さんにヘッドロックをかけられた。 「せっかく自転車(チャリ)飛ばして、もらってきてやったのに」 「うん、ありがとう。僕、お守りはこれだけで十分だよ。だから、神様ケンカしないよ」 「……そっか」 「うん」 陸さんは、そのあともしばらく僕の頭を抱えたままで、僕もそのままじっとしていた。 「本当は、さ」 陸さんが、ゆっくり手を離しながら言った。 「お守り渡すってのは、こじつけで……ショーリの顔が見たかったんだ。正月から会ってないだろ」 「陸さん……」 僕も、ずっと会いたかったよ。 「ショーリ」 陸さんの顔が近づく。唇が触れる。お守りを握り締めたままの手で、陸さんの胸のシャツをつかむ。革の匂いと汗の匂い、そして陸さんの匂い。 背中がぞくっとして腰がきゅうっとなる。 「ん……」 僕の髪をまさぐっていた陸さんの指が、うなじに落ちて、耳の後ろを撫でる。 「ふ…あっ」 たまらず唇を離すと、陸さんがひどく困った顔をして僕を見た。 「マジ、やばい」 「……うん」 僕も男だから、わかる。微妙に前かがみになりながら、そろそろと陸さんから離れた。 「おまえ、その顔は反則だよ。退場もんよ」 「な、何言って」 僕たちは、付き合って半年近くになるけれど、まだエッチはしていない。僕が中学生のうちはしないって陸さんが決めた。でもスレスレのことはしてるんだけれどね。こんな風に。 「とにかく、あと一ヶ月だな」 陸さんが悲痛な面持ちで言う。 「一ヶ月後には、結果が出てる。」 「うん」 「受かったら……覚悟しとけ」 「う、うん」 妙な迫力に押されて、僕は絶対に落ちるわけにはいかないと、気合を入れなおした。 |
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