「どうしてもって言うんなら勝負だっ」 海堂の雄叫びに 「な、何が勝負なんだ?」 うろたえる高遠。礼紋はしかつめらしい顔でうなずく。 「遺恨を残さない為にも、ここはそうしたほうがいいな」 「だから、何がそうしたほうがいいなんですか」 高遠を無視して、 「しかし、ここじゃ狭すぎるから、闘うにしてもアレだな」 礼紋はなんだか嬉しそうに辺りを見渡した。 フラワーアレンジメントの教室もやっているだけのことあって会場にはたくさんの花が飾られていたが、その中でも手頃な花台になっているテーブルを見つけると、いそいそと花瓶を床に下ろして持ってくる。 「男と男の勝負、アームレスリングといこうじゃないか!」 三好と高遠の目が点。 「アームレスリング……」 要は、腕相撲。 泣いていた歩の瞳がキラリと光った。 「いいですよ。僕、けっこう強いんです」 確かに、大柄な歩は同級生の中では間違いなく力も強い。しかし、この海堂の敵にはならないことは、少なくとも高遠、三好、礼紋は知っている。 「じゃあ、ハンデとしてアユムは両腕使っていいから」 礼紋の言葉に、 「馬鹿にしないでください」 歩はキッと言った。 「両腕でも、足でも使ってみやがれ」 肩をグルグル回して、やる気満々の海堂。 「だからどうして、アームレスリングなんかやるはめになってんだよ」 高遠の当然の質問に、答えるものはいなかった。 三好は、何がなんだかわからないが静観することにした。相手が海堂だとしても、腕相撲なら命に別状は無いだろう。礼紋に事情は聞くとして、その気になってる二人を止めることは 「誰にもできない……」 ふっとクールに呟いてみたが、実はちょっぴり面白いと思っている。 「レディ…」 礼紋が間に立って、二人の腕に手を置いて 「ゴーッ!!」 掛け声と共に離す。歩と海堂が腕に力を込める。歩は礼紋と三好の強い勧めで、もう片方の腕を添えていたのは正しかったことを知った。 「ううっ…」 片手だけとは思えない強さで、自分の腕が倒されていく。これまたハンデでずい分自分よりに肘をつかせてもらっていたにもかかわらず、明らかに海堂優勢。目の前の綺麗な顔は、楽しそうに、余裕の笑みさえ浮かべている。 「くそっ」 顔を真っ赤にして粘ったけれど、 (ダメだっ) あきらめかけたとき、 「龍之介っ、何やってるのっ!!」 甲高い女性の声に、海堂の腕から一瞬力が抜けた。 (今だっ!) 歩が力を入れたとたん、ものすごい勢いで逆に倒された。 「うわぁっ」 反動で歩の身体がふっとんだ。テーブルが大きな音をたてて倒れる。 「たっ」 歩は床に倒れた拍子に、礼紋が床に置きっぱなしにしていた花瓶にしたたか頭を打ちつけた。ガシャンと高そうな花瓶が割れた。 「あっ!」 「歩っ?」 「きゃあっ」 「おいっ、大丈夫か?」 目を閉じたままの歩に、海堂と三好が駆け寄って抱き起こす。 「うーん…」 大きなコブはできていそうだが、幸いにも血は出ていない。 しかし、さすがにまずいと思った三好は、 「俺、つれて帰るわ」 歩を立たせて、肩に背負った。 「わりぃ、つい本気出して」 海堂が困った顔で三好を見上げると、三好は苦笑して 「止めなかった俺も悪い」 それから、麻里絵に謝った。 「申し訳ありません」 麻里絵は、首を振った。 「三好君のせいじゃないでしょう。うちの不肖の息子と、それから」 礼紋をキッと睨む。礼紋は本気で怯えて、肩をすくめた。 「麻里絵が、声かけたからだぜぇ」 海堂が言うと、 「どの口がそんなこと言うの。ああっ? これ? この口っ? この口ねっ」 麻里絵が海堂の頬をつまんで唇をひねる。 「ひゃめろっ」 「このっ、このこのっ」 「せ、先生、やめて下さい」 麻里絵の生徒たちが、普段にない彼女の姿に怯えつつも、止めに入る。 一連の騒ぎを傍観していた高遠は、呆然と呟いた。 「いったい何だったんだ……」 「……常隆ちゃん」 濡らしたタオルを赤い頭の後ろに当て、歩はポツリと呟いた。 「ごめんなさい」 三好は歩を支えていた腕に力を入れて、前を向いたまま応えた。 「電車で帰れるよな」 「うん。僕、一人で帰れるよ」 「バカ」 「……うん」 それっきり黙ってしまった歩に、三好は少し胸がうずいた。 三好の家が近づくと、歩は不意に立ち止まった。 「どうした?」 三好が振り向くと、歩はきゅっと唇をかんで、そして思い切ったように言った。 「僕、常隆ちゃんのことが好き」 三好は、振り返ったままの姿勢で、一瞬、固まった。薄々気がついてはいたのだが、できれば考えないようにしようと思っていたこと。しかし、はっきり告(コク)られてしまっては、無視も出来ない。ゆっくりと向き合って歩を正面から見つめた。 「俺は……」 「わかってる。海堂さんみたいに綺麗でその上強い人、僕なんか、かなうわけない」 (え?) 三好は、顔には出さずに、心の中の眉間にしわを寄せた。 (何のことだ) 歩は、必死の顔で訴える。 「でも、最後にきちんと言っておきたかったんだ。僕、ずっと常隆ちゃんのこと好きだった。日本に帰れるってわかったとき、真っ先に常隆ちゃんのこと思い出して、だから、同じ高校受けたいって言ったし、それで、受験まで一緒に暮らせるって聞いて、本当に、本当に、嬉しかった」 (歩……) 三好は黙ったまま。 「こんなこと言って、もっと嫌われたら辛いけど……海堂さんにも悪いって思うけど……でも、このまま言わなかったら、なんか…僕……だから、ごめんなさい……」 歩の目に涙が盛りあがるのを見て、三好は小さく咳払いした。歩の気持ちも、そして何を勘違いしているのかもわかった。 (しかし、俺には、応えられない) あくまで自分はノーマルだと言い聞かせる。 歩の誤解はそのまま解かずにおいてやろう。 「すまない、歩」 「常隆ちゃん……」 「お前にも、いつかきっと他に良い…」 男が現れる、と言って良いのか。ちゃんと『女がいい』って言ってやった方が良いのじゃないか? 三好が躊躇した隙に、歩はみなまで言わせず三好にすがりついた。 「常隆ちゃんっ」 「うっ」 自分と同じくらい大きな男に、ほとんどタックルのように跳び付かれて、隣家の塀に激突する。 「今だけ、今だけ、こうしていてぇっ」 言っていることは乙女くさいが、見た目は赤い頭の長身ロッカーだ。他人が見たら奇妙に映るだろう。人通り少ないとはいえ、いつ誰が通りかかるかわからない。そして通りがかる人は、間違いなくご近所さんだ。 「あ、歩、とにかくもうそこだから、家に入ろう」 「常隆ちゃん」 イヤイヤと首を振るしぐさも乙女くさいが、見た目は――以下、略。 そこに、茫洋とした声が降ってきた。 「あれ? 何してるの」 「あ、兄貴」 「今日は、海堂くんたちとクリスマスパーティーだったんでしょ」 義隆がケーキの箱を持って立っている。 「い、いや」 三好は気まずそうに、歩を引き剥がした。歩は、今度はおとなしく離れたが、小さくしゃくりあげながら涙に濡れた顔を子供のように擦っている。義隆はそれを見て、三好に菩薩のような顔で微笑んだ。 「こんな寒いところじゃなくて、部屋で続きしなさいよ」 「違うって!」 歩の誤解もそのままだったが、義隆の誤解も解けなかった。いや、誤解だと言うと、 「うんうん、そういうことにしておこうね」 妙に物分かりのいい態度をとられてしまう。義隆は、こういう兄だ。三好は、もう誤解を解くことはあきらめた。とりあえず、歩が自分のことを諦めて、普通に接してくれるようになったのがありがたい。 「高校は、和亀でいいのか?」 「うん、何で?」 「あ、いや」 「ふふ…常隆ちゃんに振られたからって、志望校変えたりしないよ。もちろん、常隆ちゃんの高校だっていうのが最初の理由だったけど、色々聞いて、本当に行きたくなってるもん。和亀高校」 「そっか」 「常隆ちゃんこそ、受験なんでしょう。ゴメンね、僕につき合わせて」 「いや、俺は別に」 「二人とも受かるといいね」 「受かるに決まってるだろ」 「そうだよね」 「年明けたら、初詣、行こうぜ。合格祈願」 「ホント? 一緒に?」 「ああ」 「へへ、嬉しいや」 男同士の恋愛がどうこうと言うのが無ければ、三好にとって歩はこの上なくかわいい存在になった。もともと面倒見のいい気質。身体ばかり大きくて、性格は素直で無邪気な歩のことを、三好は、本当の弟のようにかわいがった。 歩のほうも、それでいいと思っている。 (恋人にはなれなかったけれど、こんなにかわいがってもらえるなら……) それ以上望むのは、贅沢と言うものだ。 (常隆ちゃんには、ちゃんと恋人がいるんだし) 「あっ」ふと気がついた。 「ねえ、海堂さん、あれからこないけど、大丈夫?」 「え?」 三好の恋人のはずの海堂はあのパーティー以来遊びにも来ないし、三好が外で会っている様子も無い。 「僕のことがあって、会いにくくなってる?」 心配そうに訊ねると、三好は大きく首を振った。 「いや、あいつ、実は風邪引いたらしくて」 「風邪?」 これは本当のこと。 「あの後、お前のこと心配して電話あったんだ。見舞いに行きたいけど、自分も風邪引いたって」 パーティー会場で麻里絵とやりあった海堂は、大暴れしようとして、花瓶の水を頭から被らされたらしい。そのまま濡れ鼠で家に帰って珍しく熱を出したと言う。 「声、ガラガラでね。お前の怪我もたいしたこと無かったから、わざわざ来てもらうこともないと思って」 「そうなんだ。でも風邪……だったらなおさら、会いに行ってあげてよ。僕のことは、気にしないで」 「ああ、そうだな」 三好、苦笑い。 しかたなく、 「まあ、今日でも様子見に行ってくるか」 出かけるそぶりをした。 海堂の風邪は心配することは無い。大体、あの健康優良児、二日も寝たら治ったに違いない。その間、高遠にベタベタに甘えているらしいのも電話の感じでよくわかった。三好は、海堂の家には行かず、駅前の本屋に参考書を見に行くことにした。 歩は、三好が出かけた後、自分も気晴らしに散歩することにした。自分のことは気にしないでとは言ったものの、やはり大好きな三好が恋人に会いに行っているのだと思うと落ち着かない。 「この辺はもう探検したからなあ」どこに行こうか迷っていると、 「あら、歩くん、どこ行くの」 三好母が出てきた。 「ちょっと、散歩……どっかいいとこ、ありますか」 「そうねえ、ちょっと遠いけど。武蔵野公園とか、野川公園とか」 「遠い?」 「ああ、自転車あるわよ。義隆の、なんて言うの、マンテンバイク」 満点じゃない。マウンテン。 しかし、歩は顔を輝かせた。イギリスでも公園を自転車で走るのが好きだった。冷たい風に頬を撫でられるのも気持ちいい。 「お借りしま〜す」 義隆のマウンテンバイクに跨って、歩はペダルを蹴った。公園の場所は聞いたけれど、適当だ。三好の家の場所だけしっかり覚えていれば、どこに行ってもいい。探検の幅が広がって、歩は嬉しかった。ビュンビュンと飛ばしていると、それらしい公園が見えた。 (これかな) 近づいてみると、その公園はさほど大きくなく、児童公園に毛が生えたようなものだった。山のふもとにあって、上に続く丸太でできた階段もある。それを登ればそのまま山の上に登れそうだ。 (自転車じゃなければね) その昔、海堂の愛犬トラノスケがさらわれた公園。そう、ここは海堂と高遠の散歩コースだった。もちろん歩はそんなことは知らない。腰掛けるのにちょうどいいブロックを見つけて、そこに腰をおろす。大きく伸びをして、しばらくぼうっとしていたけれど、喉が渇いたことに気がついて、辺りを見渡した。少し離れたところに自動販売機を見つけてポケットの中を探ると、前に出かけたときの小銭が入りっぱにしになっている。 (ラッキー) 走って行って、温かいミルクティーを選んだ。思った以上に熱い缶を両手で握り締めて暖を取っていたら、さっきまで自分が座っていたブロックに近づく人の姿があった。 「あっ」 長身の高遠と一見華奢な海堂、足元には黒い小さな犬がいる。 (何で……) 三好が会いに行っているはずの海堂が、ここにいるのか。 |
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