「僕、天丼がいいです」
 空港を出てしばらく走ってから、義隆が「ここがいい」と言って入った店で席につくなり、歩が言った。軽いものとか言っていたはずが。
「ロンドンでも天ぷらのお店はあるんだけど、連れて行ってもらえないから」
「高いの?」
「さあ、行ったことないから」
「ああ、そうか」
 義隆と歩は車の中からずっと、和やかに話を弾ませている。時おり歩は、チラチラと三好の顔色をうかがっている。注文を済ませた後、思い切ったように歩が言った。
「常隆ちゃん、あんまりしゃべらないね。前からそうだった?」
「え?」
 ジッと見つめられて、三好が返答に困っていると
「いや、いつもはよくしゃべるよ。今日は歩くんと久し振りに会うから緊張しているんだよ」
 義隆が口を挟んだ。
「だから、何で俺がコイツと会うのに緊張しなきゃなんねぇんだ」
 三好は険悪な声を出した。
「つ、常隆ちゃん、何か、怒ってる?」
 歩はビビって、大きな身体をすぼめた。
「怒ってなんかいない」
「でも、さっきからあんまりしゃべらないし……」
「お前がずっとしゃべってるから、俺の口を挟む隙が無いだろ」
 それに、大概は、義隆が相手になっている。
「ああ、そっか」
 歩はうなずいて、ニコッと笑った。
「じゃあ、ちょっと黙ってるから、常隆ちゃんの話して」
「……その『常隆ちゃん』は、やめてくれないか」
 確かに昔は、そう呼ばれていたかもしれないが、この年になって『ちゃん』も無いだろう。
「え?」
 歩は顔を曇らせて瞳を揺らした。そう、ちょっとしたことですぐ表情が変わるのだ。
「ダメ?」
 ションボリ……歩は肩を落とした。
「あ…いや、その…」
 いかにも悲しそうな顔に三好がちょっとばかり焦ると、義隆がたたみ込むように言った。
「いいじゃないか、常隆ちゃんで。別に変なあだ名を付けられたわけじゃなし」
「まあ、そうだけど」
「ほら、歩くん、常隆ちゃんって呼んでいいって」
「ホント?」
 やった! と、顔を輝かす。
 三好は、諦めることにした。
「メールで写真もらってね、常隆ちゃんが想像したとおりだったから、すごく嬉しかった」

 天丼が届いてからも、歩はしゃべり続けた。
 ポロポロと汁の染みたご飯粒が落ちる。
「落としてるぞ。ほら」
 三好は見かねて、自分のおしぼりを押しやった。
「うん」
 それを受け取り適当に拭きながら、歩はまだしゃべる。
「写真じゃ背とかわからなかったけど、きっと高いだろうって思ってたら、本当に高かった。僕も大きいからひょっとして抜いちゃってたらって思ってたんだけど」
「だから、ボロボロこぼれてるって」
 箸の間からご飯粒が落ちてジャケットの胸元にくっついている。よく見ると箸の持ち方もかなりおかしい。
「スプーンもらおうか」
 義隆が気を利かせると、
「ううん」
 歩は首を振った。
「郷に入れば郷に従え、って」
 郷を『GO』と発音して笑う。その笑った口許にも、ご飯粒がついている。
 義隆は苦笑して
「難しい言葉、知ってるね」
 三好に『取ってあげてよ』と目で合図。
 隣に座っている三好が、仕方なく
「弁当つけてる」
 指先でそのご飯粒を拭ってやると、
「あっ」
 歩はビクッと震えて、そして顔を真っ赤に染めた。
(な、なんだ?)
 その反応に、三好の方も驚いた。指先にご飯粒をつけたまま固まる。 歩は、端を握り締めたまま固まっている。
 固まった二人を見て、
「あれれ〜」
 義隆が、間の抜けた声を出した。
「歩くん、赤くなってるよ。真っ赤」
「あ、えっと、だって……常隆ちゃんが突然、触るから」
「触ったんじゃねえ」
 三好は、指先のご飯粒をぐりぐりとおしぼりになすり付けた。
「ご、ごめん」
 うつむく歩に、三好は焦った。
(この反応は、まるで……)
 チラリと兄を見ると、なんだかものわかりの良さそうな顔でニコニコと微笑んでいる。
「馬鹿なこと考えてんなよ」
 ボソリと兄に釘をさす。
「海堂くんの例もあるし、僕は気にしないよ」
「ざけんな」
 歩は頬を染めたまま、兄弟の会話に首をかしげた。

 お昼を食べ終わって車に乗り込むとき、
「後ろのシートの方がゆっくりできるから、歩くん、今度は後ろに乗ったら」
 義隆が言った。
「じゃあ、俺が助手席な」
 三好がドアに手をやると、義隆がそれをガシッと押さえた。
「常隆も後ろ」
「なんで」
「歩くんに、いろいろ教えてあげなさい」
「何を教えるんだよ」
「日本のこととか、自分のこととか」
 日本と自分を並列にされても困る。
「僕、高校のこと聞きたいです」
 歩がすかさず口を挟んで
「ほら、受験生にアドバイス、アドバイス」
 義隆は楽しそうに運転席に乗り込んだ。
 三好が後部座席に乗り込むと、待ってましたとばかりに歩が質問攻めにして来た。
 三好は、答えながら、
(変に黙られて妙なムードになるよか、マシか……)
 そう考えてぞっとした。
 何で、男同士で『妙なムード』になるんだ。
 さっきの歩の反応がいけない。人前であんな反応されたら、誰だって誤解するというものだ。しかし、なんであんな反応をするんだ。
(ヤメロ、これ以上考えるな、俺)
 自分はホモじゃないと海堂たちに宣言したばかりで、何でこんなことになっているんだか。


 そして、家が近づくにつれ、歩と適当に会話しながら、三好は別のことを考え始めた。
 どうやって、歩のことを海堂と高遠に隠し通すか。
 ロンドンに住む初恋の相手の話、今さら『男の子でした』などど、言える訳が無い。あの二人がその話を忘れるまで、歩のことは隠しておきたい。
 とりあえず月曜日は二学期の終業式で、それが終わったら冬休みだから、そうそう会うこともないだろう。いや、今までの休みではしょっちゅう会っていたのだが、それはわざわざイベントを作って会っていたわけで、さすがに受験を控えた冬休みはそれも無い。
(まあ、冬休み終わったらすぐに試験だし、バタバタしてアイツらもそれどころじゃなくなるよな……)
 何とかなりそうな気がして、肩の力を抜いた三好だったが、
「着いたよ。お疲れ様」
「ここですか、うわあ」
「荷物降ろすから、トランク開けろよ」
「あ、僕、出しますから」
 車から降りて、三人でゴソゴソやり始めた時、
「お帰りなさい。遅かったわね」
 玄関から出てきた母親の後ろに、まさかの姿を見て仰け反った。
「海堂っ?!」
「ちぃす」
「何で、お前がここにいるんだ」
 海堂はいつもの顔で、三好を見上げる。
「ちょうど良かったぜ」
「いつ来たんだ」
「今さっき、来たばっかだよ」
 玄関で三好の母親と話をしていたらしい。どうりで母親の出てくるのも早かった。
「で、何で」
「三好のいとこがロンドンから来るって麻里絵に言ったら、これ渡して来いって」
 海堂は、上着のポケットから大きめの白い封筒を取り出した。
「何?」
「麻里絵の教室の、クリスマス会の招待状だってさ」
 海堂麻里絵は、海堂の母親だ。教室というのは、麻里絵が講師をするカルチャースクールのこと。英語とフラワーアレンジメントを同時に教えるその教室は、麻里絵の明るいキャラクターも幸いして、若いOLや奥様に人気がある。
「何で?」
 その教室のクリスマス会に、会ったことも無い歩が招待されるのだと、三好が尋ねると
「そのパーティーが英語しか使っちゃいけないらしくってさ。英語しゃべれる人に来てもらいたいんじゃねえ?」
「は?」
「普段日本語で話してる同士で英語しゃべるのって、恥ずかしいんだろ? だから面識の無い英語しゃべれる人にたくさん来て欲しいって」
「お前も行くのか?」
「何でだよ。俺、英語しゃべれないぜ」
「自分が行かないのに、招待状だけ届けに来たのか」
「だから、麻里絵が持って行けってったんだよ」
 と、海堂はその招待状を渡すべき相手を探してキョロキョロとした。
その歩は、海堂を見て愕然としていた。
(か、可愛い……)
 大きな瞳、長いまつ毛、目立たないけれど低くない鼻、薄桃色の唇まで、全てが造られたように理想的な形。母親が大切にしている西洋人形がこんな顔だった。生身の人間でこんなに綺麗な顔を、歩は初めて見た。
(天使みたいだ)
 空港の売店でお土産に買おうとしたクリスマスカードに描かれていた天使を思い出す。
 その天使が歩を見て、露骨に表情を変えた。
「何だよ」
 海堂には、見知らぬ他人がぶしつけに自分の顔を見つめているとしか思えない。この高遠とも変わらないほどの長身の男が、中三の歩とは思わずに
「人の顔ジロジロ見んな」
 三白眼で睨んでみせて、歩をビビらせた。
「お前こそ、招待状持って来た相手にガンつけてどうする」
 三好にポカリと叩かれる。
「へっ?」
 海堂は、目を丸くして
「えっ? 何? コイツが、そのいとこ? うそっ、何でこんなにデカイんだ」
 大声で叫んだ。
「うるさいんだよ」
 もう一度叩かれる。
「信じらんねえ」
 海堂は、上目遣いで歩を見上げた。
 身長が低いことは、海堂のひそかなコンプレックスだ。いや、コンプレックスというほど常日頃悩んでいるわけではないが、高遠と三好が同じくらい背が高いのに、自分だけがそれより十五センチも低いというのを、たまにひがむことがある。そんな海堂は、中学生のくせに背の高い歩を単純に羨ましいと思い、ついでにちょっと憎らしいと思った。
(いいなあ、このヤロウ)
 ガンつけられた歩は、訳がわからずうろたえた。
 何故、この綺麗で可愛い人が自分を睨むのか。
 しかし、従兄にはわかっているようだ。
「ったく、お前は……」
 三好が、海堂の頭をクシャリと撫でる。
「だってよぅ」
 海堂が頬を膨らます。
 それは、歩にはひどく仲睦まじげな光景に見えた。
(あっ…)
 まさか。
(ひょっとして、この二人……)
 歩は、勝手な勘違いをした。しかし、勘違いだとは勿論思っていないから、ショックを隠せない。ヨロッとよろめくと、あろうことか海堂がはっしと受け止めて、その大きな身体を支えた。
「大丈夫か?」
 外見に似合わず、男らしい。歩は間近にせまった海堂の顔に見惚れて、そして胸をキュッと痛めた。
(こんな綺麗な人がライバルじゃ、かなわない……)

 定食屋での言動どおり、歩は三好のことが好きだった。好きだったのだけれど、小さな頃に遠く海を挟んで離れ離れになってしまっては、初恋の思い出として半分諦めていた。ところが日本に帰れることになって、諦めきれない思いに火がついた。三好と同じ学校に行きたいと親にわがままを言ったのも、なんとかして三好のそばに行きたかった為。
けれど――−。
「どうしたんだ?」
 暗い顔をした歩を見て、海堂は眉を寄せた。その時になって初めて三好は、隠すべき歩と海堂が異様に接近していることに気がついた。
「ああ、ほら、疲れてるんだよ」
 三好は、海堂の腕から歩を引き剥がして、
「荷物、持って行ってやるから、早く家に入れ」と背中を押すようにして、急かした。
「あ、おい」
 海堂が三好の腕をつかむ。
「何だよ」
 立ち止まった三好は、目で歩を促がす。
『さっさと、行け』
「じゃあ、お部屋に案内するわね」
「疲れてるなら、少し休んでから、お風呂に入るといいよ」
「はい」
 三好の母に迎えられ、スーツケースを持った義隆と一緒に、歩はノロノロと玄関に入った。
 三好は、まだ海堂と話している。
 チラリと振り返った歩の目には、二人の姿は美男美女(いや、男)のお似合いのカップルに映った。


「せっかく来たのに、紹介くらいしろよ」
「お前が、ビビらせたんだろ」
「別に、ビビらせてねえだろ」
「ビビってた。絶対」
 言い切る三好の言葉に、海堂は頬を膨らませて、
「だって、アイツがデカイからさぁ」
 思わずガンつけてしまったことを認めた。
「でかいヤツ全部に喧嘩売ってたら、キリ無いだろ、お前」
「俺の周りはみんな俺よりデカイ、って言いたいんだな」
「俺にも、売ってきたか」
「買うなら高く売ってやるぜぇ」
「あいにく金は無いんだ」
「身体で払ってくれても、いいぜ」
「高くつきすぎる」
 海堂と本気で喧嘩したら、身体がいくつあっても足りない。
 海堂と三好の会話に、車を車庫に入れるのに戻ってきた義隆が割り込んだ。
「常隆、歩くんにお風呂の使い方教えてやってよ」
「あ、ああ」
「歩ってのか」
 初めて名前を聞いた海堂が繰り返す。三好はギクリとした。あの時は、アユミと言ったが、海堂が結び付けてしまったら、そして、義隆に何か尋ねられてしまったら―――。
「ああ、じゃあ、海堂、またなっ」
「あ、ちょっと、待てよ、その招待状」
「ああ、わかったから」
「わかったって」
「また電話する、じゃ」
 三好は、海堂をさっさと追い出した。
「どうしたの?」
「何でも」
「身体で払うとか、アブナイ話していたじゃない」
 ふふふ、と義隆は笑う。
 そして家の中でも面白がってその会話をリピートした時に、運悪く聞いてしまった歩は、
(身体で……)
 決定的に、勘違いした。









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