混乱する頭を整理すると―――
(歩は男だったのか……?)
「アユ…って、女の子みたいだったよな」
 アユムなのかアユミなのかまだ自信が無くて名前の最後をぼかしながら、何気なさそうに尋ねてみた。
「そうねえ、真理子さんが、女の子が欲しくて女の子の服ばかり用意していたのよね」
 真理子さんとは歩の母親。
「アユちゃんも可愛い顔してたから、違和感なかったね。僕なんか、ずっと女の子だと思っていたよ」
 タクワンをつまみながら、義隆が笑う。
(俺は今日までそう思ってたよ)
 三好の内心の突っ込み。
「で、いつからこっちに来るの?」
「敏明たちは年末年始の休暇で来るらしいが、歩くんはもう学校が休みに入っているから、うちの方がよければ来週から来たいそうだ」
「うちはかまわないわよねえ」
 三好家の歓迎ムードに
「うちにも受験生がいるって言うのに、安易な家族だな」
 ついつい横槍を入れてしまう。
「あら、受験生って」
「そういえば、常隆も受験だったな。まあ、大丈夫なんだろう?」
「常隆なら大丈夫ですよ。模試も全部A判定だったし」
「なんで兄貴が知ってんだよ」
「机の上に置いてたじゃないか。見てくださいって」
「見てくださいなんて、言ってない」
 何で自分の机の上に置いていたものが、そう受け取られるのか。
「あら、お母さん、そんなのずっと見てないわ」
 頬に手を当てる母親に
「まさかどこを受けるかも知らないとか言うんじゃないだろうなぁ。はははは……」
 自分も知っているのかどうか甚だ疑問の父親。
 三好家はとても平和だ。



 数日後、三好は、廊下で斎藤と高遠が立ち話をしているところに居合わせた。当然海堂の姿もある。
「あ、三好、ちょうどよかった」
「なんだよ」
「恒例のクリスマスパーティー、今年どうするかって」
「あ…」
 去年のクリスマス、いや正確にはその前の日曜日、海堂の家で派手に騒いだ。ちなみにその夜高遠と海堂が一線を超え、後日海堂がその話を聞かせようとして三好は辟易したというおまけもあった。
「おめでとう。スィートメモリー、一周年」
 高遠に言うと、顔を赤くした。
 海堂は、天使の顔に似合わないニヤけた口許で、
「一周年記念は、本番のクリスマスにちゃんとやるもんな、なっ」
 高遠の腕にぶら下がる。
 斎藤だけが、訳がわからず首をかしげる。
「何のことだよ」
「何でもないよ。なあ、それより、今年もやるかって斎藤に聞かれてんだけど」
「ああ、まあ」
 受験生とはいえ息抜きも必要。
 パッとやるのはやぶさかではないが――
「あ、ダメだ」
 三好は思い出した。
「今度の日曜日は、いとこが家に来んだ」
「えっ?」
「いとこが来るからって、お前が、出かけられないのか」
 斎藤の問いかけに、ついつい
「何年ぶりかでロンドンから帰って来るんだよ。だから、成田まで迎えにいくんだ」
 言ってしまってハッとした。
「ロンドンからのいとこって、まさか」
「あっ、あの?!」
 高遠と海堂が目を輝かせる。
(マズイ)
「い、いや…」
 まずい。ひたすらまずい。
 この二人には、初恋の想い出として歩の話をしている。男だということを知られたら何と思われるか。いや、何とも思わないかもしれないが、それは三好のプライドが許さない。男が初恋の相手だったと言うことを知られるのも、男なのにずっと女の子だと信じていたことも――知られてしまっては、死ぬほど恥ずかしい。
 絶対に、知られるわけにはいかない。
「違う」
 キッパリと否定。
「へ?」
「違うのか」
「ああ、来るのは、いとこっても男だから」
「そうなのか」
「お前のいとこって、ロンドンに何人いるんだよ」
「何人いてもいいだろう」
「いや、いいケド」
 とたんにがっかりする二人。またまた斎藤だけが話題についていけずに憮然とする。
「何だよ、教えろよ」
「実は、三好の初恋の」
「ああ、うるさい黙れっ」
 ペラペラとしゃべろうとする海堂の口にふたをして、
「まあ、そういうわけだから、俺はパスな」
 三好が言うと
「三好が来ないんじゃなあ」
「ああ、まあ、他のヤツらも勉強とかしたいだろうし」
「じゃあクリスマスはやめといて、受験終わったらパァッとやるか」
 話はまとまってしまった。
「じゃあな」
 教室に戻る斎藤。
 海堂の口から手を離すと
「何だよ。照れることねえじゃん」
 海堂は悪びれずに言って、唇を尖らせた。
(照れてんじゃねえ)
 海堂の口から歩の話が出たら、うちに来る歩と自分の初恋相手を結び付けられる可能性がそれだけ高くなる。
「あれは、お前ら二人にだから話したんだ。ペラペラしゃべっていいことじゃない」
 真剣な顔で言うと、
「そうだよ、海堂」
 高遠が真面目な顔でうなずく。
(いいヤツ…)
「……ゴメン」
 高遠にたしなめられて、海堂はシュンとした。その顔は、叱られた子犬のようで可愛らしい。
「いや、まあ、そういうことだから、いっそあの話はなかったことに」
「は?」
「いやいや、またな」
 
 二人と別れてから三好は、これから三ヶ月あまりもの間、どうやって歩のことをごまかし続けるか頭を悩ませた。





 日曜日。
 三好は兄の運転で成田に向かった。
「思ったより渋滞ひどくないね」
「ああ」
「この分だと予定より早く着けるな」
「ああ」
「常隆、どうしたんだ?」
「ああ?」
「さっきから、ナマ返事ばっかで」
「あ?いや、別に?」
「アユちゃんに会うから、緊張しているとか」
「はいっ?」
 三好は目をむいた。
 助手席から義隆に詰め寄る。
「何で俺があいつに会うからって緊張しなきゃなんないんだよ、ああ?」
「いや、緊張って言うか、なんだかいつもと違う気が」
「朝早くから起こされたから、調子が出ないんだって」
 三好は憮然として腕を組んで窓の外を見た。
 人は図星を指されると、うろたえたり怒ったりする。実のところ、三好は多少緊張していた。ずっと女の子だと信じ、初恋とまで思っていた相手に会うのだ。
(どんな男になってんだよ……)
 できれば――醜くなっていては欲しくない。
 海堂ほどとは言わないけれど、それなりに、自分があの当時、女の子だと間違えたのは仕方なかったといえるほどには可愛くいて欲しい。
(たのむぜ)
 三好は、とりあえず祈った。


「ロンドンからの便、遅れてるみたいだ」
「ああ、コーヒーでも飲んでるか」
 時間をつぶして入国ロビーに行くと、大きなスーツケースをカートに乗せた人々がゾロゾロと出てきた。三好は
(来るぞ)
 気合を入れた。そして、
「そういや、顔はわかるのか?」
「この間メールで写真送っておいたから」
(いつの間に!)
「だったら、俺たちも写真もらっとけばよかったじゃないか」
 そうしたら、無駄な緊張はなかったのだ。
「間に合わなかったんだよ、きっと」
 とか話していると、
「常隆ちゃんっ」
 叫び声と共に飛びつかれて、三好は危うくその場に押し倒されるところだった。
「だっ、なっ」
 慌てて自分を襲った犯人を見ると、赤い髪をツンツンに逆立て、耳には銀色のピアス。いかにもバンドやってますといった青年が嬉しそうに頬を摺り寄せてくる。
「やっ、やめろ、離れろ、こらっ」
「歩くん?」
 義隆が驚いて自分より高い位置の顔を見上げる。そのブリティッシュロッカー青年は、弟とほとんど変わらない長身で、自分よりも五センチは背が高い。
「おっきくなって……」
 これは言葉のままの意味だ。
「あ、義お兄ちゃん? こんにちは〜。はじめまして、じゃないや、オシサシブリです」
 三好から離れて、人懐っこい笑顔を見せる。
「歩?」
 三好は、目の前の顔を呆然と見た。


 これは予想外だ。
 なんでこんなにデカイんだ。確か中三じゃなかったか?
 自分も中三の時にはそれくらいの身長だった三好だが、記憶の奥にあるあのアユちゃんが、こんなに大きくなっているとは――
「信じらんねえ」
 思わず呟くと、
「僕も信じられないよ。また常隆ちゃんと会えて、その上一緒に暮らせるなんてっ」
 歩は再び三好に抱きついた。
「だから、離れろって」
「ええと、歩くん、荷物は?」
「えっ? あ、どうしたんだろう?」
 歩はキョロキョロとあたりを見渡す。
「なにっ?」
 三好と義隆も慌てた。
「あ、あった!」
 走って行って、はるか遠くにポツンと置いてあったカートを押して戻ってくる。
 どうも、三好の姿を見つけて、嬉しさのあまり荷物を投げ出して飛んできたらしい。
「じゃあ、駐車場に行こうか」
「はい。ヨロシクおねがいしマス」
 カートを押す腕も、中学生のものとは思えない逞しさだ。
 かろうじてまだ三好の方が体格で優っていると言えるが、義隆なんかは負け負けだ。
「いや、でも、ビックリしたよ」
 並んで歩きながら、その義隆が言う。
「あんなに小さくてお人形みたいだったのに、こんなに大きくなるんだねえ」
 三好も内心で大きくうなずいた。
「むこうに行ってすぐサッカー始めたんです。そしたら、なんだかグングン伸びちゃって」
「いくつ?」
「十五歳です」
「いや、身長」
「あっ、5フィート10インチ」
(わかんねえって)
 黙ったままの、三好の突っ込み。
「まあ、常隆と同じくらいだから百八十弱ってところかな」
 義隆の言葉に、歩はキョトンと首をかしげた。
「食事はどうする? お腹すいてる?」
「あ、食べたいです。僕、機内食、ほとんど食べられなくって」
「あんまり美味しくないもんねえ」
「そうじゃなくて、飛行機揺れたから、気持ち悪くなって食べられなかったんです」
「そりゃあ、お気の毒。じゃあ、東京に戻る前にどっか寄って、美味しいもの食べにいこう」
「やったーっ」
「家でもたくさん作っているだろうから、軽くね」
「はいっ」
 はしゃぐ仕草は、やはり中学生の子どもらしい。しかし、ルックスはやっぱりオトナと変わらない。

 三好はチラチラと横目で観察した。長身に、染めているんだろう赤い髪。ファーの付いたジーンズ地のジャケット、細いパンツ。サッカーボールよりもギターの方が似合いそうだ。けれども肝心の顔は、印象の薄いこじんまりと整ったものだった。
 目も鼻も口もこれと言って大きくも小さくもなく、バランスが取れているのだろうが、取れすぎて「どんな顔」と表現できない。ただ、表情がよく動く。インパクトのない顔を補うようにコロコロと変わる表情は、ちょっと見ていて楽しい。
 笑った顔に一瞬、昔のアユちゃんの笑顔を重ねてしまって、三好は頭を振った。






HOME

小説TOP

NEXT