本屋で佇むその彼の姿を見たとき、高橋は思わず息を飲んだ。
(葵?)
中学二年の秋に偶然会った葵と良く似た儚げな横顔。
じっと見ていると、その少年はゆっくりと振り返って、
「何? 俺の顔になんかついてる?」
ニッと笑った。
(ちがう……)
工藤葵はこんな顔のできるヤツじゃない。
というより、工藤はもう自分と同じ大学二年だ。こんなお子様でいるはずが無い。

 高橋はすっかり癒えかけていた初恋の古傷を心の中で撫でさすりながら、その本屋を出た。
何故か、その少年がついてくる。
「な、何?」
今度は、高橋が聞く番だった。
「ね、お兄さん、お金持ってる?」
「はっ?」
「俺、財布落としちゃって、腹も空いちゃって」
「だから?」
「おごってよ、なんか」
愛らしい顔でケロリと言われ、高橋は唖然として佇んだ。



「お姉さん、白玉餡蜜もう一つ追加ね」
 遠慮なしに食べ続ける少年の名前は、武田幸(ミユキ)と言った。
「女みたいな名前だろ? 親恨むよ」
(葵も女の子みたいな名前だったけれど……)
そこしか共通点は無さそうだ。いや、顔はよく似ているのだけれど、言動があまりに違う。
 偶然にも、葵と一度入ったことのある甘味屋で、高橋は戸惑っていた。
「ええっと、その武田君は、いくつなの?」
話題を探して歳を聞く。
「高二」
「えっ?」
「なんだよ、驚くなよ」
「いや、ゴメン、もっと…いや…」
「チビだから、ガクチュウとか思ったんだろ? いいよ別に」
「いや」
「お兄さんは?」
「えっ?」
「名前と歳、俺にばっか聞くなよ」
「あ、ああ、そうだな。高橋、高橋昭、大学二年ハタチだよ」
「わお、成人じゃん。オメデトー」
ズズッと餡蜜の汁をすすって言う。
「ねえねえ、お兄さん、じゃなくって高橋さん、ひょっとしてホモ?」
「は?」
突然の質問に、焦る高橋。
「な、何で、そっ」
「俺の顔じっと見てたろ? 隠さなくてもいいよ。俺、こんな可愛い顔してるからさ。慣れてんの。結構ホモの痴漢にあったりするし」
「ちょ…」
「ああ、でも慣れてるってもウリとかはやんねえよ。こうやって一緒にメシ食わせてもらった分は、せいぜい俺の顔眺めて後から自分で処理してね、って感じ」
ちらっと顔を上げて、ぺロリと唇を舐めて見せた。
「でも、高橋さんだったら、考えてもいいよ」

ガタン

 高橋は、立ち上がった。
「あれ?」
驚く幸を見向きもせずに、伝票を掴んで会計に向かう。
幸は慌てて最後の皿をかき込むと、後を追った。
「なんだよ、急にどうしたんだよ。怒ったのか」
高橋は、黙っている。
「なあ、何、怒ったの?」
「怒ったっ」
高橋はいきなり立ち止まるとキッと睨んだ。高いところから見下ろされ、幸はビクッとする。
「お前がその顔で、そんなこと言うのがムカツク」
「な、なんだよ……」
幸の顔が、ゆがむ。
その泣きそうな顔は、高橋に葵を思い出させた。
「ホモ扱いして、悪かったよ」
幸が、素直に謝った。
「いや……」
赤くなる高橋。
(実はそうだし)
これは、心の呟き。
呟きは、伝わったのかどうか。
「なあ、高橋さん、携帯持ってる?」
「何で?」
「また会いたい」
「…………」
「ダメか?」
「いや……」
 そして高橋が携帯の番号を教えると、幸は嬉しそうに自分の携帯を取り出してそれを入れた。一回鳴らして
「これで俺の番号もわかるよね」
ニッと笑う。
 
 葵のそれとは全然違うが、魅力的な笑顔だった。

「じゃ!」
 そう手を振って元気よく走っていった幸と高橋は、結局、その後何度も会って食事をしたり、映画を観たり、本屋やCDショップを回ったりと、デートを重ねることになった。
 呼び出すのは、毎回、幸の方からだ。
何度目かの呼び出しのとき、高橋が訊ねた。
「お前、こんなにしょっちゅう俺と会ってていいのか」
「いいよ。何で?」
「学校の友達とか」
「学校のヤツらなんか、つまんねーもん」
「俺だって、そんなに面白くはないだろ?」
「面白いよ」
「どこがだよ」
「色々」
「たかりがいがあると思ってるんだろ」
「ひっでー。俺にたかられてると思ってんだ」
「別に、大した金額じゃないけどね」
「いいよ、そしたら、今度から全部ワリカンで」
「そんなこと言ってるんじゃないよ」
高橋としては、何故この幸が自分に懐いてくるのかがわからなくて言っただけのこと。
「お前さ、まだ俺以外のヤツからおごってもらったりとかしてるのか」
「してないよ」
「本当だろうな」
「うん」
「だったら、いいけど」
高橋が呟くように言うと、幸は高橋を見上げて言った。
「あれ、嘘だよ」
「え?」
「俺、エンコーみたいなこと、今まで一回もやってねえよ」
「そりゃエンコーってのは」
「だからあ、メシおごってもらったりとかもしてねえって、全然」
意外な言葉に高橋は黙る。しばらく間があいて、ゆっくり聞き返す。
「してない?」
「うん」
「だって、最初に会ったとき……」
「そうでも言わないと、話すきっかけがなかったし」
「きっかけ?」
「昭、背高くてカッコよかったから、ナンパしてみたの」
「えっ?」
ますます意外な言葉。
「俺なりに勝負かけたんだけど、あん時、怒っちまうから、焦った」
「ち、ちょっと待て……」
高橋は頭を抱えた。
「ナンパって、お前、俺のこと……」
「好きだよ。だから毎回呼び出してるんじゃん」
直球勝負の幸。
「昭こそ、毎回俺に付き合ってるのは、何でだよ」
「それは……」
自分が行かないと、幸は、別の誰かを呼び出してたかるのだと思った。
そんな援助交際のような真似をさせたくなかった。
しかし、そんなことはしていなかったのだと言う。
高橋が黙っていると、幸は先回りして言った。
「いいよ、いいよ。昭、優しいから付き合ってくれてるんだよね」
「幸」
「それでもいいよ」
 それでも、ちょっとは自分に好感を持ってくれている。
高橋との毎回のデートで、幸のその確信は深まっていった。
わがままも悪戯も、ちょっとした嘘も、結局許してくれる高橋。
(素直に言えないだけでホントは俺のこと、好きなんだよな)

「なっ、今日はどこ行く? そうだ。ゲーセンでこないだの続きやろうよ、なっ」



 なんとなく付き合い始めて一ヶ月にもなろうとするとき、高橋が風邪をひいてしまって、外に出られないと言うと、
「お見舞いに行ってやる」
幸が勢い込んだ。
「やっ、いいよ。もう熱も下がっていて、単に外に出るのはどうかってくらいだから、そんな見舞いとか大げさな」
「行くッ、絶対行く。家は知ってんだから」
「い、いつのまに……?」
そして、幸はミカンを二袋両手に下げてやってきた。
「風邪にはビタミンCだっていうから」
「はあ、サンキューな」
「むいてやろうか」
「いいよ、大げさな」
みかんを受け取り、
「お前こそ、手、洗えよ」
「汚くないよ」
「風邪が流行ってるんだから、外からきたら手を洗って、うがい」
「はいはい」
「洗面所、こっち」
「はーい」
 幸が手を洗っているすきに、高橋はお茶でも入れようと考えた。
幸も自分と一緒で甘いものすきだから、ココアにしよう。
「ココア、作ったぞ」
部屋に入ると、幸は机に向かって背中を向けたままだった。
(そういや、ずい分長い間ほおっていたのに静かだったな……)
「何してるんだ?」
覗き込んだら、幸がゆっくり振り返った。
泣きそうな顔をしている。
「幸?」
ココアの入ったカップを机において、そこにあるものを見て、高橋は焦った。

 高校の卒業アルバム。
それだけじゃない。それに挟んでいた、山梨のペンションで撮った葵の写真。
「あ、これは……」
口ごもる高橋に、
「昭が俺に優しくしてくれたのって、俺がこいつに似てるから?」
「…………」
「なあ、昭、こいつのこと好きだったんだよな」
「…………」
「こんなたくさん、写真持ってて。これなんか、昭、むちゃいい顔してツーショしてるし」
「…………」
「なあ、はっきり言えよっ、昭、こいつが好きだったんだろっ」
「……ああ」
「はっ」
吐き出すように、幸は笑った。
「バッカみてえ、俺、すっかり昭が俺のこと……」
悔しそうに唇を噛んで、
「わかった、あの日、初めて会った日も、俺がこいつに似てるから見てたんだ」
キッと睨む。
「幸……」
「バカにすんなよ、誰かのかわりなんて冗談じゃねえよっ」
 部屋を飛び出す幸を、一瞬、呆然と見送って、そしてハッとして高橋も飛び出す。
 パジャマのままで外に出て、走っていく幸をどうにか捕まえる。
「離せよっ」
「聞けよっ」
 高橋が大声で叫んで、幸は抵抗していた身体をすくませる。
じっと見上げると、高橋が真剣な顔で言った。
「お前なんか、葵とはちっとも似てねえよ」
幸の目が見開く。
「葵はなあ、大人しくって、物静かで、いつもふんわり笑っているようなヤツで、きれいで、儚げで……」
高橋の言葉を聞きながら、幸の顔がゆがむ。
「お前なんか、うるさくて、わがままで、ガキで、ジコチュウで」
「うっ」
幸の喉から嗚咽が漏れた。
「可愛い顔してんのに口は悪くって……全然、葵とは似てねえ……」
「ううっ」
握った拳で鼻の下をこする。
「だから、お前は葵のかわりになんかならないんだよ」
不意に優しくなった口調に、幸は顔を上げた。
「俺が、今付き合ってるのは、武田幸だよ」
「……昭?」
「俺が好きなのは、幸だって言ってんだよ」
「う……」
大きな目が見開かれて、
「ふえええっ」
パジャマの胸にすがりつく。

 小さな身体をすっぽりと包み込んで―――
「ふえっくしょん」
高橋は、大きなくしゃみをした。
「ふあ?」
涙と鼻水でドロドロの顔を上げて、幸が叫ぶ。
「あっ、昭、何で、パジャマでこんなところに出て来てるんだよっ」
(お前が、飛び出したからだろ……)
 高橋の内心の呟きは当然聞こえず、幸は高橋の腕をつかんで、ダッシュで家に連れ帰った。


 結局熱が振り返した高橋の枕もとで、いそいそとミカンをむきながら、
「なあ、あの写真、全部捨てろよ」
幸が言う。
「全部って?」
「アイツの写ってるの、全部」
「……一応、俺の青春のメモリーなんですケド」
「メモリーなら、これから俺が作ってやるから」
チュッとほっぺに口づける。
高橋は熱に浮かされた頭で、
「それでもいいか……」
と呟いた。









いかがでしたでしょうか。
『初恋』の高橋君に素敵な彼を…とのリクエストは前から多かったんですけれど、
 素敵というより、やんちゃな彼になってしまいました。 
私的には、結構お似合いだと思うんですけれど……?

        月花様、素敵なコミック本当にありがとうございました。


ご感想などいただけますと、この二人の続編もあるかも知れません。
よろしければ、一言お寄せくださいませませvv

     




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