お礼SSでした。題して「眠れない男たち」
「少しお休みになったらいかがですか?」 「ああ」 妹静の言葉にそう返事しながらも、長谷部は文机に向かったままじっと考え込んでいた。 佐久間の報告では、尾張屋敷にはまだ特に変わった様子は無いとのこと。けれども、梅若は間違いなく 「あそこにいる」 長谷部は呟き、眉間のしわを深めた。 今になって思うのも遅いが、竜閑橋には自分が行けばよかった。 いや、見張りを命じた源太郎も密偵の正次も信頼するに十分足る人物だが、まさか白雪太夫が尾張中納言の江戸屋敷に入っていくとは――。 自分がその場にいたなら、先に感づいて、屋敷の中に入る前に梅若を助け出した。いや、万が一、助け出せないまでも、そうしようとはした。少なくとも、あの屋敷の中に連れ去られていくのを、黙って見送ることだけはしなかった。 白雪太夫の動きを探る為に梅若をおとりに使ったようで、長谷部の胸は痛んだ。 「今ごろ、どんな思いをしているのか」 そう考えると居ても立ってもいられず、今すぐにでも尾張屋敷に向かいたい気持ちになるが、確かな手がかりも無いまま動くことは、却って梅若の身に危険が及ぶことになる。 殺されるなどとは思いたくないが、白雪太夫が梅若をさらった理由がわからないだけに、長谷部の胸にも不安が募る。 ただ、あの大きな屋敷の中から、梅若が出てくるのを待つだけ。 とても眠れる状況ではない。 そして、眠れない男がここにも居た。 五日ぶりに帰ってきた梅若を激しく抱いて、それまでの睡眠不足を補うかのようにぐっすりと眠って起きた朝。 隣に当然あるべき愛しい顔が無い。 布団を触ってみたらひやりと冷たく、ずい分前から居ないことを伝えてくれた。 「梅若?」 呼んで捜してみたけれど、家の中にはどこにもいない。 昨夜のことは、まさか、夢? 「ばかな」 急いで着替えて、八丁堀に向かった。 何故、梅若が自分の前から消えたのかわからない。わからないが、理由(わけ)を知っているとしたら、長谷部しかいないという気がした。 行ってみたら案の定、見知った顔の同心たちが慌しく動いてい、自分の顔を見てギョッとされ、国光は梅若に何かあったと確信した。 「一体どういうことです。梅若はどうしたんですか」 出てきた長谷部に開口一番噛み付くと、 「落ちついてくれよ、先生」 長谷部は困ったように国光の肩に両手を掛けた。 国光は、その手を振り払う。 「理由も知らされず、落ちつけと言われても無理な話です」 「とにかく、後でちゃんと話すから」 「後でとはどういうことです?梅若は、どこにいるんですか」 普段は優男ともとれる端整な面を、鬼のようにして喰いつく国光。 静がはらはらと見守っている。 「梅若がいない訳を知ってるんでしょう?」 「ああ」 「一体、どこに」 「とにかく落ちついてくれ。その勢いで動かれたら、先生の命もあぶねえ」 そのひと言に、国光の顔色が変わった。 「私の、も、って…?」 呟く国光に長谷部は、しくじったと顔を顰めた。 「梅若の命にかかわることなのか?」 「う、いや」 「おい、どうなんだっ!はっきり言えっ」 口調も変わってつかみかかる国光に、長谷部は観念した。 「全部ちゃんと話すから、約束してくれ。落ちついて聞いて、絶対、そこに乗り込んでったりしないでくれよ」 「そこ?」 眉をつり上げ睨む国光に、長谷部は低い声でひと言、答えた。 「尾張藩江戸屋敷」 そして、今、国光は、自分の部屋に監禁されている。 話を聞いて形相変えて、尾張屋敷に走ろうとしたのを、同心四人がかりで押さえ込まれた。 夜になって、ようやく怒りは収まったものの、そうなると今度は梅若の身が気になってしょうがない。 無体なことはされていないだろうか。 「梅若…」 名を呼ぶと、つい昨夜抱いたすべらかな肢体が浮かんでくる。 仰向いて白い肌を晒し、長いまつ毛を震わせて、薄く開いた紅い唇から甘い声を漏らして、切なくすすり泣いた――。 「うっ…」 いかがわしい妄想が、次第に膨らんでいく。 あんなこととか、こんなこととか、されていないだろうか。 梅若はあんなに可愛いのだから、あの、舞台の上から執着した目で見つめていた白雪太夫が手を出さないはずがない。 (ああっ、梅若っ) 自分の妄想で気が狂いそうな国光。 修行時代に師匠の描いた閨中四十八手の模写に勤しんだだけあり、その妄想の数も中身も並じゃない。 「ああああっ…」 苦しげに喚いて頭を抱え机に顔を伏せる国光を、北町同心は襖の陰から気の毒そうに見つめたが、その頭の中までは覗けなくて幸いだった。 ちなみにそのころ、松平二万五千石の若殿様祐四郎も眠ってはいなかった。 「あれ、ぬし様、そりゃ、そこに」 「おお、こっちにも、そっちにも。そなたの胸でも光っておるぞ」 「あれ、まあ」 「取ってやろう、ふふ…」 「あ、そりゃ、蛍じゃないでありんす…」 吉原一と評判の夕霧太夫の部屋に蛍を放し暗闇でふざけるという、風情があるんだかただいやらしいんだかの遊びに興じていた。ちなみにまだ十六歳。 「夕霧…」 「ぬし様…」 「太ったか?」 「まっ」 太った女は嫌いかと甘えて訊ねる吉原一の人気太夫を抱きながら、祐四郎はぼんやり梅若のことを考える。 先日、たまたま竜閑橋で襲われて、血を見て震える梅若を支えて歩いた。その身体の細かったこと。 間近で見た白いうなじにかかる後れ毛が、色っぽかった。 しばらく会っていないが、今ごろどうしているだろう。 同時に絵師のすかし顔も思い浮かんで、今ごろはその腕の中で可愛く鳴いているんじゃないかと思うと、 (くそっ…) 夕霧を抱く腕に力がこもった。 「あぁっ、ぬし様…」 まさか、その同じ竜閑橋でさらわれた梅若が、遠く遡れば親戚筋の尾張徳川家の屋敷牢に囚われているなどと、露とも思わない祐四郎だった。 そして、眠らずに番をしている男。 「あっ、あすこで何か光りましたぜ」 正次の声に、同心鈴木源太郎は暗闇に目を凝らした。 折からの雨に視界は暗いが、却って、傘もささずに灯された明かりは良く目立つ。 「船か」 「運び込んでやがる」 「長谷部様に知らせてくる。途中で、火盗の奴らをよこすから」 「へい」 「見失うなよ」 「がってん」 びしゃびしゃと跳ね上がる泥をものともせずに、源太郎は長谷部のもとに走った。 雨夜の捕物が始まる。 【おまけ】 「梅若っ」 「国光っ」 助け出されて国光の家に送り届けられ、無事再会を果たした二人。 周りにいる長谷部、同心、その他の面々の視線など気にもせず、熱い抱擁を交わす。 「大丈夫だったか」 「うん」 「何も、されなかった?」 「う、うん…」 白雪太夫に襲われかけたことをふと思い出し、少し気まずくうつむくと、 「やっぱりっ」 「へっ」 国光の悲痛な叫びに、梅若は顔を上げた。 「いいんだよ、梅若、お前に何があったとしても、こうして戻ってきてくれたんだからね」 「国光…」 「私が、全て忘れさしてやるからね」 「あっ」 抱きしめられて、下からするりと手を差し入れられる。 白い太腿の内股があらわになって、周りの同心が目を剥いた。 「ほら、帰(けえ)るぞ」 長谷部がくるりと背を向ける。 「あっ、は、はい」 返事だけはしつつも、未練たっぷりに、熱い恋人達を見つめる北町のデバ亀たち。 「だ、だめだよ、国光…まだ、みんな…」 「いいよ……見られてるほうがもえるだろ」 「莫迦…」 ほんとに莫迦。 そうして、勘違いの妄想にたぎってしまった国光と、よくわからないけれど助け出された安堵と興奮にいつも以上に熱くなった梅若の、眠れない長い夜が始まった。 完 |
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その三に続く |