「少しの間、辛抱しておくれ」
 白雪太夫にそう言われ、俺が押し込められたのは、旅芝居の衣装箱。人ひとり丸々入る大きさだけれど、後ろ手にしばられて猿轡まで噛まされた状態じゃあ、きつくて苦しくてしょうがない。
 ギッと睨みつけてやったけれど、白雪太夫は知らん顔してパタンと蓋を閉めた。
「それっ」
 男の掛け声とともに、ぐらりと身体が揺れた。
 いや、俺の入った衣装箱が持ち上げられたんだ。
 グラグラ揺らしながら、衣装箱が運ばれる。俺の身体は、衣装の中に沈んでいく。
(どこに、連れて行かれるんだよ…)
 白雪太夫は、男との会話で「夜を待って江戸を出る」と言っていた。
 江戸から連れ去られたら、もう二度と戻って来れないんじゃないか?
(嫌だ)
 国光に会いたい。
 長谷部さん、祐四郎、静さん、源太郎さん、中村座のみんな……。
 たくさんの顔が浮かんで、胸が詰まって、涙が出た。


 ガクン、激しく箱が揺れた。
 何かに乗せられた音。
 湿気った匂い。
 雨が降っているのか?


 初めは荷車に乗せられたのかと思ったけれど、船のようだった。
 化粧くさい衣装に囲まれていて、よく分からないけれど、ほんの少し川の匂いがする。
 この川は、大川に続いているのだろうか?
 国光と二人で乗った渡し舟。川の水を救おうとして、身を乗り出して怒られた。燕が川面を掠めて飛んで、国光が笑ってそれを指差した。
(国光っ…)
 夏の日の思い出に、ポロポロ泣けてきた。

「んんんんっううーっ…んんっううっっ…」
 猿轡をされたまま、ここから出せパカヤロー!と叫んでみたけれど、何の反応も無い。
「んんんんっ!!」
「んーんーんーんーっ!」
 国光の名前を叫ぶけれど、愛しい人には届かない。届くわけない。



 そして、俺を乗せた船は何処かの岸につけられたようで、再びガタガタと衣装箱が揺らされた。衣装箱は、俺を閉じ込めたまま、大八車らしいものに乗せられた。箱に縄を打つ音がした。

 ふと、いつかの夜に火事で焼け出された人が、大きな柳行李を積み重ねて大八車で運び出していたのを思い出した。
 俺は、叫びつかれて、泣きつかれて――ぐったりと横になったまま、江戸から遠ざかろうとする車輪の音を遠くに聞いた。
(さよなら、国光……)


 ガクンと音をたてて、車が止まった。
 なんだか、外が騒がしい。
(何?)
 胸騒ぎがした。
 なにやら争っているような気配に、心臓がドキドキと鳴る。
 衣装箱の中で身体をよじって、少しでも起き上がろうとしたとき、不意に頭の上の蓋が外された。
 雨の粒が、俺の額を打った。
(あっ…)
「ほうら、大したお宝を隠し持っているじゃねえか」
(長谷部さん!)
 火事羽織に、野袴、陣笠。緋房のついた指揮十手で、首の後ろを掻くようにして立つ。
 捕物姿も凛々しい長谷部さんがそこにいる。
 俺は、夢かと、何度もまばたきした。
「大丈夫ですか、梅若さんっ」
 源太郎さんが飛んできて、俺の身体を衣装箱から引上げて、猿轡を外してくれた。
「長谷部さんっ」
 叫ぶと、白雪太夫と睨み合っていた長谷部さんは、俺を振り返って微笑んだ。
「悪かったな、遅くなって」
 ああ、本当に、長谷部さんだ。
 その笑顔に俺は身体中の力が抜けて、源太郎さんが慌てて支えてくれた。

「さあて、そっちの箱には、どんなお宝を隠してるんだ?」
 長谷部さんの言葉に白雪太夫はギリッと唇を噛むと、身をひるがえした。
「待ちやがれっ」
 そして、突然、切り合いが始まる。
 長谷部さんの怒号とともに、同心や目明しの親分たちが、十手と刀を振りかざす。
 和泉座の連中も、何故かみんな手に槍や刃物を持っている。
 芝居の小道具のように見せて、本物を隠し持っていたのか。

 真夜中、雨の中。
 刃物のぶつかる音が、闇に響く。

 俺は、ただ衣装箱の中に座って、時代劇のクライマックスのような騒ぎを見ていた。
 正直、危ないから避難しようとか考えるほど、頭が働いてなかったのだ。
 御用提灯に照らされる長谷部さんの横顔。その鬼のような顔が、二人、三人、と叩き切るのも、なんだかテレビドラマの出来事のようで……。
 でも、ふと我に帰ったとき、雨に混ざった血の匂いに、俺は吐き気をもよおした。


「大丈夫か?」
 心配そうな長谷部さんの声に、俺は顔を上げた。
 幸い吐くまでには至らなかったらしい。
 いつのまにか源太郎さんに抱えられて、雨を避けたどこかの屋敷門の軒下にいた。
「あ、白雪太夫は…?」
「捕まったよ」
「そう…」
 なんだかこの一件が、現実感の無い、それこそ中村座でのお芝居のようで、俺はぼんやりと長谷部さんを見上げて訊ねた。
「なんだか、よくわからないんだ……教えてくれよ」
「ああ、そうだな。……でもその前に、安心させてやりたい相手がいるだろう?」
 長谷部さんは、俺の頭を撫でて微笑んだ。
「……うん」
(国光……)
 また涙が出そうになって無理に笑ったら、長谷部さんはそっと俺を抱き寄せた。
「あ……」
 驚く俺の頭を広い胸に抱えて、
「ついでに俺のことも、安心させてくれ……正直、眠れなかった」
 大きなため息をついた。



* * *


 助け出されて三日のち、ようやく落ち着いた俺と国光のところに、長谷部さんがやって来た。
「元気か?」
「うん」
 国光からはさんざん叱られたけどね、と小声で付け加えると、長谷部さんは笑って、国光は
「当たり前だろう」
 と、眉をつり上げた。
「白雪太夫は?」
「お縄になってからは、そりゃあ素直に全部話したそうだ。むしろ、清々しい様子だとか」
「ふうん」
「良かったら、どうぞ」
 国光が、お茶を持って来た。



 俺が竜閑橋で連れ去られた日にさかのぼると、昼間、様子がおかしいのに気がついて、長谷部さんは、俺のことをそっと配下の人に見張らせていたそうだ。俺はそんなことは知らずに、のこのこと竜閑橋に出かけて行き、そして、白雪太夫に気絶させられ、小船に乗せられた。
 白雪太夫は「上手くまいた」と言ってたけれど、実際のところは逆で、長谷部さんたちは闇に紛れて白雪太夫が行く先をつけ、尾張様の江戸屋敷に消えるところまで嗅ぎつけた。
「しかし、相手が尾張中納言様じゃあ、迂闊に手出しはできないからな。人を使って見張らせていたら、白狐め、意外に早く尻尾を出した」
(白狐……)
「やっぱり、白雪太夫が葛葉小僧だっんだ」
「ああ。まあ、正確にいやあ、大坂と江戸とでは火をつけたヤツは違うがね」
「どういうこと?」
「先に捕まった和泉座の下男、アイツは、葛葉小僧の本当の目的を知っちゃなかった。ただ、白雪太夫にだまされて、江戸での火付けとちっせえ盗みを受け持っていたのさ」
「本当の目的?」
「ああ…葛葉小僧は火付け盗賊じゃねえ。火付け盗賊を装い町方や火盗改方の目をくらまして、武家や寺、あるいは大店から頼まれた荷物を人知れず運び出して、目的のところまで運ぶ、いわば運び屋だったんだ」
「運び屋……」
「関所を手形も無く通れるのは、旅芸人だけだからな。先代の和泉千五郎はそれを利用して、密かに売り買いされるご禁制の品々を上方や江戸へと運ぶ仕事を始めた。ご禁制の品だけじゃなく、持っていながら処分するに困る品々、例えば盗品なんかを売りさばいたりもしてたそうだ。中にゃあ、金に困って、わざと家宝を盗まれたふりして売りたい武家や大店の主もいて、上方じゃそのために火事を出したりしたんだと」
「へぇ。じゃあ、火事をおとりにして……」
「火事のどさくさに紛れて、自分ちのお宝を持ち出さしてたんだ」
 俺は、火事現場の大騒ぎを思い出した。
「上方では、葛葉小僧がその火事の時に持ち出した品を別の好事家に売りさばいては、元の依頼人に金を渡していたんだが、江戸での仕事は主に寺や大名家の依頼で、火事も盗みも、もっぱら役人の目をくらますためだけだったらしい。何も知らない小男が、そそのかされて義賊の真似事をさせられていた時に、白雪太夫は依頼人から高価な品を預かってきてたんだよ」
「ふうん…」
 そして、俺ははっと気がついた。
「依頼人の大名家って、尾張様?」
 白雪太夫が尾張屋敷に居たのだから、間違いないと思う。
「そればっかりは、な。まあ、あの中納言様の性質を考えれば、ご禁制の品にも喜んで手を出しそうだが……。何しろ、天下の尾張徳川家だ。そんな話、認めるわけないだろうよ。白雪太夫も大名家の依頼に付いてだけは、名前を出すのを頑なに拒んでいるらしい」
「それじゃあ、拷問とか受けてるの?」
「いや、火盗の方も、実はあんまり大名とか上の奴らの名前は聞きたくないらしい」
「火盗?」
 俺を助けてくれたのは北町奉行の人たちじゃなかったのか?
「うん、それがな」
 長谷部さんは、頭を掻いた。
「あの時、とにかく人手が欲しかったから、珍しく火盗と手を組んだのさ」
「はあ」

 長谷部さんの話によると、こうだ。
 俺がさらわれてから尾張様の屋敷はずっと見張っていたが、何しろあの広大な敷地。どこに隠し扉があって出てくるかもわからなけりゃ、裏に流れる川やそれがつながる海の方だって見張らないといけない。そのうえ屋敷の周りには、見張り所になるような手頃な場所も無い。
 しかたなく大勢で入れ替わり立ち代り、行商人や芸人や虚無僧や、田舎から出てきた素浪人――ありとあらゆる変装で見張ることにしたらしい。
「……長谷部さんは、何に変装したの?」
「……何でもいいじゃねえか」
 とにかく人手が要るってことで、ところの親分にも頼んだのが、そこから直ぐに火付け盗賊改方に情報が行って、あの長官自ら長谷部さんのところに足を運んできたそうだ。
「ちょうどこの先生が来て大騒ぎしていたもんだから、梅若がさらわれたってのがバレちまってね」
 長谷部さんがチラリと国光を見ると、国光は憮然として言った。
「当たり前でしょう。私がどんなに心配したと思ってんですか。なのに、事情も教えてくれずに、役人だけでコソコソと」
「先生にまで危害が及ばないように、気を使ったつもりだったんですがねぇ」
「大きなお世話ですよ。梅若が助け出された時にも、私だけここに閉じ込めておいて」
 今回、国光は、よくよく監禁されているらしかった。



 白雪太夫と一座の男たちが、俺の入った衣装箱のほかにも江戸から運び出す荷物を船に乗せて尾張様の屋敷を出たとき、見張り番だった源太郎さんが、雨の中、長谷部さんに知らせに走った。
 そして、あの大捕物。
 唇をかんで長谷部さんを睨みつけた白雪太夫の綺麗な顔が浮かんだ。 

「あっ、だから」
 思い出した。何の話をしていたか。
「白雪太夫は火盗改めに捕まって、拷問とか受けてるのかな」
 ひどいことをされた相手なのに、なんだか気になる。
 だって梅若のこと好きだったって言ってたし、梅若だって――
『もう、これ以上悪いことなどしないで…昔の、私の大好きな雪兄さんに戻ってください』
 梅若は、あの時、これが言いたくて俺の中に残っていたんだ。

「ああ、その白雪太夫な…」
 長谷部さんが、もう一度、今度は首を掻いて言った。
「あのタヌキ親父が気に入っちまったらしくて」
「へっ?」
「火盗の犬にするみたいだ」
「は?」
 火盗の犬――って、ヤラシイ意味じゃない(多分)。あの、罪人の、罪を免除してやるかわりに、火付け盗賊改め方の密偵となって働くって奴……二十一世紀のテレビ時代劇『鬼平犯科帳』で見たことある。
「本当に、そんなことできるんだ」
「まあ、ここで白雪太夫を死刑にしたところで、汚いことしていた大名連中がホッとするだけだしな。太夫自身は、先代から引き継いだこの仕事が実は嫌でしょうがなかった、捕まったのは潮時だとサバサバ言ったそうだよ。さっさと殺してくれって態度が、あのタヌキの気に入ったらしい」
「ふうん」
「まあ、まだどうなるかわからねえけどな。タヌキ親父はそうするつもりだと言ってたが、それをアイツが受けるかどうかは、さあて、ね」
「そりゃあ、ずい分、虫のいい話ですね」
 国光が、お茶を飲みながらムッとしている。
「そんな奴は、市中引き回して磔獄門ってのが、本当でしょう」
「国光ってば」
 俺を心配してくれてるのがわかるからあからさまには言えないけれど、白雪太夫が死刑にならなかったのは良かったと思ってる。
 自分でも、不思議なんだけれどね。たぶん、俺の中の梅若がそう思っているんだ。
「ねえ、長谷部さん」
「んっ?」
「白雪太夫、本当は、そんな悪いことしたくなかったって?」
「ああ、聞いた話だが、あの葛の葉の歌は、先代に裏の仕事を仕込まれた奴が、先代へのあてつけに置いたものらしい」
「あてつけ?」
「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉――うらみに、『裏身』と『恨み』を掛けて。和泉の出の先代和泉千五郎に言いたかったのさ。こんな裏の身に落とされて、恨んでますよ、と…」
「へえ…」
(白雪太夫…)
「だったら、やめれば良かったのに……」
「やめられなかったんだろう。何しろ、千五郎は育ての親だからな」
 そうだ。
「子供には、親は選べないもんだね……」
 たまたま、白雪太夫が、小さな雪太郎が、引き取られた先がそうだったというだけ。
 梅若と白雪太夫は立場が逆でもおかしくなかった。
 胸がぎゅっとした。
 うつむいた俺に、長谷部さんが優しく言った。
「白雪太夫、捕まってから妙にさっぱりしていたのは、もう裏の仕事をしなくていいってのもあるらしいが……」
 俺は、顔を上げて長谷部さんを見た。
「江戸でどうしても会いたかった人に会えたから、思い残すことは無いとも言ってたらしい」
「あ…」
 俺の――いや――梅若のこと?
「その会いたかった人ってのが、梅若なんですね」
 国光が不機嫌な声を出す。
「全く、初めて見たときから気に入らなかったんだ。あの目つき」
「そういやあ、先生は、白雪太夫は葛葉小僧じゃない、って言ってましたね、初め」
「あの時は、葛葉小僧が梅若の命を狙ってるって話だったでしょう」
 国光は、ブツブツ言いながらも長谷部さんのぬるくなったお茶を熱いのに替えて
「アレが舞台の上から梅若を見る目は、命狙ってるってぇ目じゃなかった」
 ドンと畳の上に置く。
「ほう?」
「まるで離れ離れになっていた恋人を見つけた目でしたよ。鈍感な梅若は、気がつかなかったようですけれどね」
「そんな…鈍感って…」
 普通そんなことわからないよ。しかも俺にとっては、初めて会った相手に。
「国光が、過敏すぎというか……」
「いいや、お前が、鈍感なんだよ」
 国光は譲らない。そして
「げんに、直ぐ近くにも」
 横目でチラと長谷部さんを見た。
 長谷部さんは、何だ? という顔で首をひねりながら、湯呑を口に持っていき
「あちっ」
 湯呑を取り落としかけた。
「おや、そんなに熱かったですか?」
「い、いいや……」
「江戸っ子は、舌が焼けるくらいのを好まないと」
 ニッコリ笑う国光は、綺麗な顔して怖いと思う。
「……邪魔したな」
 長谷部さんが立ち上がった。
「お構いもしませんで」
(あああ……)
 今更だけれど、国光、やっぱり、かなり怒ってたんだ。
 俺がさらわれてから、捕物の仲間はずれにされていたこと。
「じゃあな、梅若、今度の稽古は明るいうちに帰れるように、早めに来い」
「うん、またね。長谷部さん」
「……または無いよ」
 長谷部さんの背中が消えるのを待って、国光が、俺の後ろから抱きついてくる。
「今度のことでこりごりした。もう、やっとうの稽古もさせないし、一人で外も歩かせない」
「ええっ、そんなの、ひどいよ」
「私に心配かけたお前のほうがひどいだろう?」
「そりゃそうだけど…」
「梅若、こっちおいで」
「んっ」
 そして、この三日間のお決まりのコースをたどる。
 正直、腰が甘だるい。
 でも、二度と会えないって思ったときの胸の痛みを思い出すと、むしろこういうのは幸せって言うかなんていうか。


 不謹慎だけれど、国光の腕の中で、あの窓の無い不思議な屋敷を思い出す。
 俺に触れた、白雪太夫の白い指。
『恋しくば 尋ね来てみよ』
 白雪太夫が、心底恋しかったのは、幼い日に別れた梅若だったんだね。
(そして、梅若も――)
『私の大好きな雪兄さん』
 もういっぺんくらい会わせてやりたいな。中村座の舞台の後とか、ダメかな。
「こら、梅若、何、考えてる」
「えっ?」
「こんなときに、他のこと考えたりするなんて、余裕じゃないか」
「あっ…まっ、待って、まだ、あっ」

 そして、国光にさんざん苛められた俺は、数日起き上がれなかったんだけれど、その気だるい布団の中で白雪太夫が火付け盗賊改め方の密偵になることを承諾したという長谷部さんからの伝言を聞いた。




 まあ、その後のことは、また別の話で。







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