「和泉座ってのは、その名の通り、和泉生まれの和泉千五郎が作った旅一座ですが、千五郎が引退して今の白雪太夫が立女形をつとめるようになってから、ずい分と人気が出て、今ではお大名の屋敷にもよく招かれたりしているそうですよ。両国に小屋をかけたのは香具師の元締め大黒弥平の依頼らしいんですが、もともと江戸に入ったのは、江戸にいらしている尾張中納言様のお招きだったとか」
「ほお」
 源太郎さんの言葉に、長谷部さんは口許に運びかけた盃を下に置いた。
 夕餉の最中に、聞き込みから帰ってきた源太郎さんが現れて、そのまま御膳を挟んでの報告となっている。
「たいしたもんだな。それほどの芸だったか?」
「う、うん、上手かったよ……たぶん」
 長谷部さんに訊ねられて返事したものの、自信ない。
 上手いとは思ったけれど、中納言様の前で踊るというのがどれほどのものかわからないから。
「旅役者が、中納言さまの御前にね」
 長谷部さんは、呟いた。何か考えている顔だ。俺はその男らしい横顔をじっと見つめた。
 長谷部さんは、俺の視線に気がついて振り向いてフッと笑った。左手で盃を差し出す。俺は反射的に銚子を取って酒を注いだ。
「それにしても和泉か……葛の葉の縁
(ゆかり)の地だな」
 それに源太郎さんが、すぐさま相槌をうつ。
「そうですよ。和泉なる信太の森のうらみ葛の葉。今まで結び付かなかったのが不思議ですね」
「いや、単に和泉の国と関係あるってぇだけなら、和泉座に限らず沢山ある。いちいち葛葉小僧と結びつけたりしちゃらんねえよ」
「そうですかね」
「今回、梅若が襲われたのが、たまたま和泉座の近くだったってのが、まあ、ひっかかる……」
 言いながら乾した盃を俺に差し出し、突然呆れ顔になった。
「梅若」
「へっ?」
「おめえ、ちったあ女形らしく、酌の時には両手で持たねえかい」
「あ、ゴメン」
 俺は伸ばした右手で持っていた銚子に、取ってつけたように左手を添えた。
 国光にもよく叱られるんだよ。こういう時の俺は風情ってモンがないってさ。
「私なんかお酌されなくっても、梅若さんが隣にいてくれるだけで、酔いがまわりますけれどねぇ」
「あ、源太郎さんも飲む?」
「あっ、催促してしまったみたいですね」
「催促したんだろ」
 長谷部さんの突っ込み。
「兄上」
 襖の外から静さんの声がした。
「兄上、お酒は足りていらっしゃいます?」
「ちょうどよかった。飲兵衛が加わったから、全然足りない。急いで持ってきてくれ」
スッと襖が開いて、静さんの綺麗な笑顔がのぞく。
「三本、つけて参りました」
「こりゃあ、気が利いてるや、さすが静さんだ」
「源太郎さんたら。本当に、調子が良いんだから」
 調子に掛けて銚子を持ち上げてみせる静さんの洒落に、笑い声がおきる。
 俺も一緒に笑いながら、ふっと国光のことを思った。
 今、あの家で、一人なんだよな。
『私は嫌だよ』
 俺と離れたくないと言ってくれた国光。
(俺だって……)
 早く葛葉小僧が捕まって、家に帰れればいい。




「その白雪太夫ってのは、元は江戸の出らしいんですよ」
「ふん」
「八年前に和泉千五郎が江戸で興行していた時に、引き取った子供が今の白雪太夫で、子供の頃は色が白くて雪太郎とか呼ばれていたようです」
 口から米粒を飛ばす源太郎さん。
「食べるかしゃべるかどっちかにしろ」
「じゃあ食べます」
「莫迦(ばか)、最後まで報告しろ」
「じゃあ最初から、食べるなって言ってくださいよ」
「で、その雪太郎が?」
「そうそう、八年前に千五郎が突然雪太郎を連れてきて、自分の子として育てると言って、みな驚いたようです」
「雪太郎の親は」
「わからないそうです。千五郎も何も言わなかったし、まあ、旅役者ってのはそのへん大らかなんでしょうね、驚いたものの、聞かずとも気にすることも無く、って、いつのまにか雪太郎は一座に溶け込んでたようですよ」
「ふうん……しかし、源、お前、それだけのこと、まさか直に聞いたんじゃあねえだろうな」
「そんな、いくら私でも、そこまで間抜けじゃありませんよ」
「そうか」
「和泉屋が葛葉小僧と関係あるなら、探ってることだってバレちゃいけませんからね。そうそう、葛葉小僧との関係で言ったら、和泉座が江戸に出てきたのが先々月の十日。その四日後に初めて江戸に葛葉小僧が現れてます」
「ふうむ」
 腕を組む長谷部さん。
「見張りをつけますか」
「そうだな。源、食べ終わったら、佐久間と森を呼んで来てくれ」
「はいっ」


 長谷部さんは、配下の同心佐久間新三郎さんと森常之進さんを呼ぶと、
「和泉座が江戸で定宿にしている『亀千』に見張りをつけて、和泉座の連中の動きを探ってくれ。相手が大勢だから五、六人は要るだろうな。白雪太夫からは絶対目を離すなよ」
 そして、
「森は和泉座が江戸にきてからの、特に火事があった日の、白雪太夫や一座の連中に怪しい動きがなかったか調べてくれ」
「はっ」
「直ぐに甚五郎と仙三に言ってあたらせましょう」
 長谷部さんの言葉にうなずいて、二人は急いで出て行った。
「そして俺は、大坂での葛葉小僧のことを、もうちっと調べるとするか」
 長谷部さんは独り言ち、俺に向かって微笑んだ。
「早く、帰
(けえ)してやるからな」
「あ、ううん、そんな」
 長谷部さんは、ポンポンと俺の頭を叩いた。
「何かわかったら教えてやるから、心配しないで部屋に戻れ」
「うん」



 次の日もその次の日も、夜になると源太郎さんや佐久間さんが長谷部さんのところに来て色々と話し込んでいた。
 俺は、最初の日こそ同席させてもらっていたけれど、その後は何となく憚られて、そっとのぞき見るだけだった。
 そして三日目になって、いきなり事態が急変した。
「なんだと?」
 長谷部さんの大きな声が聴こえて、俺は、襖の向こうに聞き耳を立てた。
「火盗改め方が、邪魔するってのか」
「ええ、今回の件は、火盗改め方の仕事だから町方は手を引けと」
 佐久間さんの声。
「じきに、上を通じて正式なお達しがあるとも言っておりました」
「ちっ…その火盗改め方が役立たずだから、こうして、俺たちがやってんじゃねえか」
 長谷部さんは吐き捨てて
「で、邪魔が入ったってことは、火盗の奴らも和泉座に目を付けたってことか」
「ええ、まあ……どちらかというと私たちの動きで察したというところでしょうが」
 佐久間さんの苦笑い。
「火盗にばれるような張り込みをしてたのか」
「いいえ。ただ、両国の岡っ引きの中には、うちよりも火盗改め方に通じている者がいますからね」
「意外に人気が出たもんだな。長官があのタヌキ親父に代わってからか」
「どういたしましょう」
「どうするも…しかたねえだろう。火付け盗賊をひっ捕らえるのは、確かにあっちの役目だ。それも上を通してまで出張ってくるってんなら、何か掴んだんだろう。でなきゃまだこっちを働かせて、最後に横取りってのがあいつらだ。ま、そういうことなら俺たちの出番はないさ」
「こちらの調べでは、先日も申し上げました通り、江戸での火事の時には白雪太夫も主だった連中も怪しいところはありませんでしたが」
「ふむ」
「火事の夜、宿からは一歩も出ていませんし、宿にいなかった日は、大名の屋敷に招かれていたり…」
「寺に泊まっていた日もあったな」
「火事の現場とは、離れています」
「……」
 長谷部さんは、しばらく黙って
「まあ、葛葉小僧が捕まるってんならどっちだっていい話だ」
 突然、俺に呼びかけた。
「梅若、聞いたか?」
「あっ、はいっ?」
 からりと唐紙の襖が開いた。
「そんなところに隠れてないで、入って来い」
「ごめん…」
 盗み聞きしていたのが気まずくて下を向くと、
「まだ終わったってわけじゃねえから、もうしばらくは、ここにいろよ」
 長谷部さんは優しい声で言った。


 終わったわけじゃないと、長谷部さんが言った二日後、火盗改め方が葛葉小僧を捕らえたというかわら版を静さんが持って帰ってきた。
 源太郎さんと俺とで奪うようにして見たが
「何て書いてあるの?」
 俺は江戸文字が読めない。
「やっぱり和泉座?」
「ええ、でも」
 源太郎さんの言葉を横取りして
「葛葉小僧は和泉座の下働きの男で、一座とは深い関係がないそうですよ」
 静さんが言った。
「それでも、和泉座の人間なんだろう? 白雪太夫は…」
 どうなるんだ?
 俺は、あの日舞台の上から俺を見つめた瞳を思い出した。
「こっちに来て雇った下男のことで太夫を責めるのは酷だってことで、お咎めなし」
 後ろから長谷部さんの声。振り向くと、
「どうもそうなりそうだ」
 苦虫を噛み潰したような顔。
 長谷部さんの言葉に源太郎さんが驚いた。
「そりゃないでしょう」
「榊原様に聞いたんだが、どうも上からの強い口利きがあったらしい。ひょっとすると尾張中納言様かもな」
「そんな」
 ちなみに榊原様というのは北町のお奉行様のことだけれど、二人の会話を聞きながらも、俺は、今一つピンとこなかった。
 これで事件は解決したのか?
 葛葉小僧が捕まったにしては、長谷部さんの顔色はさえない。
 よくわからないけれど……
「そうしたら、俺、一度国光の家に戻っても大丈夫かな?」

 俺と一晩だって離れたくないと言った国光が、あれから五日、一度も顔を見せていない。
 恋人の不義理を恨んでやろうかと思ったけれど、実は来られないわけがあったんだ。



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