舞台の上で、白い着物を着た少年がひらひらと舞い、唄う。
 俺は、自分の力じゃ舞うのも唄うのもからっきし――舞台に立つ時は、本当の梅若の霊が助けてくれている――なんだけれど、他人
(ひと)を見て上手いか下手かくらいの区別はつくようになった。この少年は、相当、上手だと思う。
「いこう、梅若」
 国光が言う。
「え? もう見ないの?」
「もういいだろう」
「うん…」
 俺は、少しだけ後ろ髪を引かれる思いで、小屋を出た。
 もう少し見ていてもよかったな。
 あいつ、俺の方を見ていた。目が合ってからずっと。
 そう言うと、国光は嫌な顔をした。
「見てたね」
 ぶすっと言う。
「え?」
「踊りながら、お前を見る目が嫌だったのさ」
「何それ?」
 国光と小屋の前で話していたら、
「もうし」
 呼びかけられて、振り向くと、一人の男が俺たちを追って小屋から出てきた。
「中村座の梅若様でいらっしゃいますね」
 男はぺこぺこと頭を下げた。
「うちの太夫が、ぜひお話したいと」
「太夫?」
「もうじき幕間でございます。お待ちいただくわけには参りませんでしょうか」
 ひどく恐縮した顔で言うのが何だか可哀相で、俺はうなずいたのだけれど、
「申し訳ないが」
 国光が割って入った。
「時間がない。太夫には、宜しく伝えてくれ」
「……さようでございますか」
 国光は、俺の肩に腕をまわして、
「さあ」
 俺をその場から連れ出した。



「時間がないって?」
 俺は、国光に買ってもらった水飴を舐めながら、その端整な横顔をチラリと睨んだ。
「だって、明るいうちに帰らないといけないからね。まだ何も見ていないだろう?」
 俺の唇についた飴を指で拭う。
「舐めるなよ。欲しけりゃ、こっちやるから」
 持っていた飴を差し出すと
「こうやって舐めるから、甘くて美味しいんだよ」
 指を舐めて、国光は、からかうように俺の耳元で囁く。
「今度は直接、梅若の口から舐めてもいい?」
「バカか」
 国光はふふふと笑って、前方の小屋を指差した。
「ほら、飛騨の山奥で育った熊女だそうだよ」
「熊女?」
「見る?」
「うーん」
 想像するに『熊のような力持ち』ってヤツかな。
 見世物小屋の一つには、俵をお手玉のように操る大女がいるって前に聞いた。
 力自慢の技なら見てもいいけれど、ただ毛深いだけの女だったらどうしよう。
(いや、そんなん、見たくねぇし)
 と、考えた時、突然
「あぶねえっ!」
「えっ?」
 俺の隣から材木が倒れてきた。
「あっ」
「きゃあああ…」
 叫び声は俺じゃない。
 俺は、間一髪、国光と一緒にその場を飛び退いていた。
 ズズン……と音をたてて倒れたのは、すぐ近くの小屋の看板を支えていた柱がわりの材木だ。ひと抱えもあるのが二本同時に倒れてきた。国光が俺を引っ張って庇ってくれなかったら、押しつぶされていただろう。
「大丈夫ですかいっ」
 その小屋の若者が駈け寄って来た。
「あ、ああ…」
 被害といえば、落とした水飴が材木の下敷きになっているくらい。
「よかった」
 俺は、しばらく国光に抱きついたまま。
「一体、どうして倒れたんだ」
 小屋の主らしい男も出てきて
「柱を支えていた縄が切られている」
 地面に落ちている縄を拾い上げて、大きな声を上げた。
 直径三センチはありそうな太い縄がすっぱりと刃物で切られているのが見えて、俺は国光と顔を見合わせた。
「どうした、どうした」
 俺たちを取り巻いた見物人を押し退けて、着流し姿の浪人が現れた。
 いや、浪人だと思ったけれど――
「源太郎さん」
 北町奉行所同心鈴木源太郎さんだった。
「これは、梅若さん。どうしたんです」
「源太郎さんこそ、その格好、どうしたの?」
「いや、今日は非番なんですけどね、ちょっと変装して見回りなんぞ…」
 源太郎さんは照れたように笑って、それから慌てて真剣な顔になった。
「いや、そんなことはどうでもいいんです。これは、いったい?」

 一体、何? ――って、俺が聞きたい。

 源太郎さんはその後、聞き込みを開始したけれど、当然ながらというか、容疑者は現れなかった。
 柱の縄を切った犯人は、この人込みに紛れて、とっくに逃げてしまったに違いない。



「そりゃァ、間違いなく、梅若をねらったんだろう」
 一刻後、俺たちは長谷部さんの屋敷にいた。
「出歩くなって言ったのに、両国見物とはねぇ」
 長谷部さんの呆れた声に、国光が眉根を寄せた。その顔に、俺は慌てて言った。
「俺が、連れてってくれって言ったんだよ」
「まあ、どうでもいい。それより、その時、本当に怪しいヤツはいなかったのか?」
「う、うん。いたら、すぐに源太郎さんに捕まえてもらってるよ」
 俺が言うと、源太郎さんは頭を掻いた。
「すみません。私がその場にいながら」
「いや…」
 長谷部さんは、目で源太郎さんをいたわって、腕を組んだ。
「昨日の今日で、梅若が襲われたとしたなら、梅若はずっと張られてたってことになるな」
「えっ」
「家から両国に行くまで、つけられていたとか……気がつかなかったか」
「さあ、俺は……ぶらぶら歩いていただけし……」
 国光を見ると、
「私も、特に怪しい人物なんぞは、見てないね」
「そうか。まあ、ばれるような尾行はしねぇだろうがな」
 長谷部さんは、真面目な顔でうなずいた。
「でもさ、俺たち両国に着くまで、結構、寄り道もしているし」
「うん?」
「両国まで行かなくても、襲おうと思ったら、いくらでも機会はあったと思うんだよ」
「確かにね」
 国光も相槌を打つ。
「あの荒縄を切ったのはそうとう立派な刃物だろうけど、そんなもの持ってずっと追いかけてきたとは思えない。両国で私たちを見かけて、突然襲ったってほうが自然だよ」
「突然で、その刃物はどっから出てくるんだ?」
「あそこに小屋かけてる連中なら、みんな持ってるでしょう」
 国光の言葉に、俺ははっとした。
 つけられてたなんて思えなかったけれど、あそこの見世物小屋の中に犯人がいるとも思っていなかった。
「つまり、両国にいる連中の中に、梅若を襲ったヤツがいると」
 長谷部さんは呟いて、そして俺の顔を見た。
「何だ、梅若。何か、心当たりがあるってえ顔だな」
「う、ううん……」
 口では否定しながらも、俺は、あの和泉座の役者を思い浮かべていた。
 舞台の上から俺を見る目が、どこか尋常でなかった気もする。
「梅若、まさか、あの和泉座の太夫のこと、考えてんのかい」
 国光が俺の心を読んだように言うと、
「和泉座?」
 長谷部さんが眉がピクリと動いた。
 源太郎さんも膝でにじり寄って来る。
「あの白雪太夫ですか」
「白雪太夫?」
 そんな名前なのか。
「上方から江戸にきて評判の役者ですよ。それが、なんで」
「あ、ううん、ただ、舞台から、やたらじっと見られていたから…」
「上方から…」
 長谷部さんは呟いて、考え込むようにじっと一点を見た。
「おい、源、おまえその和泉座ってのを、もうちっと詳しく調べて来い」
「はいっ」
 非番のはずの源太郎さんが飛び出していく。
 その姿を目で追って、国光は首をかしげた。
「私は、あの男じゃあないと思いますけどね、梅若を襲ったのは」
「ってのは?」
 長谷部さんが尋ねると
「いえ、ただの勘ですが」
 国光はふっと笑った。
 長谷部さんもそれに応えるように微笑むと、
「で、梅若のことなんだけどな」
 軽い口調で言った。
「先生の家じゃあ、危ねえだろうから、しばらくはうちに泊まるといい」
「はいっ?」
 俺と国光は同時に叫んだ。
「もし梅若を狙ったのが葛葉小僧だとしたら、先生の家だっていつ火ぃ付けられるかわからんぜ」
 恐ろしいことを言う。
「それこそ、寝てる間に忍び込まれてバッサリ…ってのも無いともかぎらねえ。狙われてんのが、梅若一人なら、うちで預かっとけば大丈夫だろ」
「それならここに居ても、危険は同じでしょう」
 国光が顔を引きつらせて言うと、
「八丁堀にか?忍び込んだり、火ぃつけたり? そりゃあよっぽど胆のふてえ」
 長谷部さんがにやりと笑って、国光がぐっと唇を噛んだ。
 確かに、八丁堀の旦那と呼ばれる奉行所の与力にその配下の同心たちが住むこの組屋敷は、江戸のどこよりも治安がよさそうだ。
現代で言えば、警察官や自衛隊員の社宅みたいなもんだ(そんなものがあればだけれど)。
 大声出したら、各屋敷から腕に覚えのあるのが大勢飛び出してくる。
 そんなところに、わざわざ罪を犯しに来る奴もいないだろう。
「国光」
 俺は考えた。俺が国光の家に帰ったら、国光に迷惑がかかるかもしれない。あの家に火を付けられたりするのも嫌だ。
「俺、しばらくここにお世話になるよ」
「梅若っ?!」
「ちょっとの間だけだよ。今度のこと、俺を狙ったヤツがはっきりするまで」
「はっきりしなかったら?」
 国光が怖い顔で俺を見つめる。
「ずっとここに居るのかい?」
「それは…」
「私は嫌だよ。お前と一晩だって離れるなんて……」
 言いながら俺に詰め寄る国光に
「だったら、先生もここに泊まるかい」
 長谷部さんがあっけらかんと言った。
「部屋ならある。や、梅若と同室でいいのかな。先生も、あの家が燃えちゃァ危ねえだろうし」
 長谷部さんの言葉に国光は我に返ったような表情になり、そして、口許に手をやり顔を赤くした。
「いいえ」
 長谷部さんに向き直る。
「失礼、つい……」
 何か言葉を探すように、口ごもって言った。
「私は自宅に帰ります。私のいないうちにあそこに火付けをされたりしたら困りますし。いざとなったら持ち出さないといけないものもたくさんありますしね」
 国光の言う通り、あの家には、燃やされちゃたまらない絵や道具がいっぱいある。
「恥ずかしいところをお見せしました。梅若をよろしく頼みます」
 深々と頭を下げる国光に、長谷部さんは磊落に笑って言った。
「ま、良かったら、ちょくちょく顔を出してくれ。梅若が寂しがらねぇようにな」

 けれども、この後国光と俺は、しばらく会えなくなったんだ。




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