「そりャ、とんだ災難だったなァ」 翌朝、早くからやって来た長谷部さんが、気の毒そうに俺を見た。 昨夜、帰りが遅くなった俺に業を煮やして、国光は長谷部さんの家まで迎えに行ったそうだ。そして、俺がまだ家に戻っていないということがわかって大騒ぎで捜している最中に、俺は火盗改めの同心松村さん――二人のうちの若い方だ――に送られて帰ってきた。 捕まっていたことを知った国光は激怒したけれど、とにかく俺は疲れていたので、そのまま休ませてもらった。 「全く、濡れ衣着せて縛り上げるなんて、どういう野蛮な連中だか」 国光が言うと、 「火盗改方ってなァ、ひっ捕らえて脅して自白させるしか能のねぇ集まりよ。やってねぇのにやったと言わされるのもしょっちゅうだ」 長谷部さんが答えた。 俺は知らなかったんだが、火盗改めと町奉行所ってのは、あんまり仲が良くないらしい。 あの時、長谷部さんの名前を出したのはやっぱり間違いだったんだな。まあ、何も無くてよかったけれど。 「それにしても、その葛葉小僧ってのは、何者?」 俺が尋ねると、 「ああ…」 長谷部さんは腕を組み直した。 「このところ、付け火による火事が続いてるだろ? その火事の最中に 金品が盗まれるってぇ事件があってね」 「火事場泥棒ってやつか」 「狙われるのは、燃えてる家じゃねえ。そこからほんのちょいと離れたところの大店や屋敷で、盗まれた跡には白狐の絵が一枚」 「それで葛の葉ね」 国光が相槌を打つ。 「それでって? 葛の葉っぱと狐に、何の関係があるんだ」 俺がキョトンと聞くと、国光は片眉を上げた。 「おいおい天下の中村座の梅若が知らないのかい?」 恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉 「蘆屋道満大内鑑。有名な歌だろう」 「知らない」 俺が言うと国光はちょっと笑って、葛の葉という名の白狐が人間に化けて子供を生んで、そして正体がばれて去っていく話を簡単にしてくれた。 「ふうん」 わかったようなわからないような。 「つまり、白狐の絵を残して去る泥棒だから、葛葉小僧ってあだ名をつけたんだ?」 「そういうことだ」 国光の説明の間黙ってお茶を飲んで聞いていた長谷部さんが頷いた。 「でも、それと火事が関係あるって…? 偶然かもしれないだろ」 「偶然はそう何度も起きない」 長谷部さんが湯呑を置いた。 「葛葉小僧は、以前は上方で仕事してたんだよ。大坂でも火事がおきた夜にその近くの屋敷がやられたらしい。そして白狐の絵。葛葉小僧って名前は上方で付いた名前さ。あっちで現れなくなったと思ったら、今度は江戸に現れた」 「ふうん。でも、それって、一人じゃないよね」 「何でだ?」 「だって、火をつける人と、盗みに入る人といるだろう?」 「そりゃ、わからねえなぁ。火が付けられてから皆が騒ぐまで十分な時間がある。付け火してから狙った屋敷に忍び込むってのも、出来なかねえよ」 「そっか、それで昨日、俺が間違われて……」 と、そこまで言ってはっとした。 「じゃあ、俺がぶつかったヤツが、その葛葉小僧だったかもしんないんだ」 「えっ?」 驚く二人に、俺は、火盗改めに捕まる前に、逃げるように走り去る男とぶつかったことを話した。 「顔は?」 長谷部さんが身を乗り出す。 「知ってるだろ? 俺は、暗いと、全然なんだよ」 「ちったあ、わかるだろ?」 「ダメだって。あっちは俺がわかったかも知んないけど、俺は…」 現代人の視力を過信しないでくれ。俺のいた時代は、もっとずっと明るかったのだ。 「ふむ、そいつぁ…ちっとばっかし…」 と、長谷部さんが何か言おうとしたそこに、突然、 「ちょいと、梅若っ」 中村座の座長が現れた。 風呂敷き包みを手にして、庭伝いにすっ飛んで来たその様子は―― (機嫌悪いぞ?) 「座長、どうしたんだ? 箱根の温泉に行ってたんじゃねえの?」 「行ってたよ。行ってたんだけどね。江戸に戻るなりとんだモン見せられて、真っ直ぐここに来ちまったよっ」 渋い外見に似合わぬ女言葉で、ブリブリ怒っている。 (とんだもん?) 首をかしげる俺の前に、座長は紙をヒラリと置いた。 「げっ」 それは、いわゆる江戸の町の新聞というか号外というか――かわら版だった。 江戸に来て三ヶ月、しゃべりは何とかなるものの、江戸文字ってのは、さっぱりわからない。そんな俺でも、イラスト入りのかわら版は、何となく書いてあることがわかる気がする。 特に、今、目の前にあるこれは―― 「梅若、こりゃあいったい何の真似だいっ」 かわら版には、もろ肌脱ぎで桶の中に足を浸した女装の男。わざわざ片足は裾を大きくまくって別の樽の上に跳ねあげてのセクシーポーズだ。同心らしい男が二人ひれ伏している。 これ――昨日の俺かよ? (うそお) 「座長、これ…」 「いつから舞台じゃないところでも、こんな大見栄きるようになってんだい」 「んなこと、やっちゃいねえよ」 大体こんな女形衣装で、外歩かねえっての。 かわら版を見た国光と長谷部さんは、ひどく難しい顔をしている。 国光なんか、怒りで唇が震えている。 (マズイ…) 「だから、こんなことしてないよ? 俺」 おもねるように小首をかしげてすり寄ってみる。 「…ひどい」 国光が呟いた。 「国光?」 「なんてひどい絵だ。こんなもの、梅若とは似ても似つかない。どうだい、この色気の無い足は」 って、そんなこと怒ってるのかい! 「私がその場にいたら、もっとすばらしい梅若を描いてやれたのに」 「先生、あたしゃそんなこと言いに来たんじゃないですよ」 座長の呆れ顔。 「中村座の看板に泥を塗るような真似するなってぇ」 「いや、それどころじゃねえな」 座長の言葉を遮って、長谷部さんが言った。 三人で長谷部さんの顔を見る。 「昨日のことをだれがかわら版屋に漏らしたか知らねえが。まあ、その連れ込まれた旗本屋敷の小者におしゃべりなヤツがいたんだろうが……」 長谷部さんは、おもむろに懐に手を入れて、片手で顎をさすった。 「このかわら版で、昨日、梅若がぶつかった相手にも『お前の顔を見たのは中村座の梅若だ』って知らしちまったことになる」 「顔を見たって……俺、見てねえよ?」 「梅若のほうでは見えてなくても、あっちは見たかもしれないんだろ、そう言ったじゃねぇか」 「あっ」 「自分が見たんなら、自分も見られたと思うわなあ」 長谷部さんの言葉に、国光が唸る。 「それじゃあ、何ですか。梅若が何か危険な目にあうかも知れないということですか」 「何の話だい?」 話が見えない座長が、眉間にしわを寄せる。 俺たちは、顔を見合わせた。 「しばらくは、あまり出歩かないことだな」 長谷部さんの言葉に、俺はうなずけなかった。 「しばらくって、いつまでだよ」 どこの誰に狙われているかわからない。いや、狙われているかどうかもわからないんだ。家にこもって隠れているにも限度がある。 「九月になったら、嫌でも舞台には立ってもらいますけどねえ」 しかし、座長のこれは、鬼だと思う。 「葛葉小僧がとっ捕まるまでって言いてぇが、それがいつとは……なぁ」 「ヤダよ、そんなの」 「梅若」 ぶーっと頬を膨らました俺を、国光がなだめるように抱き寄せた。 「とりあえず、昨日の今日じゃ、何があるかわからない。今日は、大人しく家に居ようじゃないか」 「今日は、両国広小路の見世物小屋に行くって言ってたじゃないか」 「だから、それは今度にしよう」 「その今度が、いつなんだよっ」 暴れる俺を、国光は抱きしめて、片手で頭をポンポンと叩く。 「とりあえず、今日は出かけるのをよそう」 もう片方の手が腰に回ったので、俺は国光の意図を知って、顔に血を上らせた。 「あー」 ゴホゲホと長谷部さんが咳払いした。 「ちょいと先生、イチャイチャすんのは、あたしらが帰ってからにしてくんなさいよ」 座長もかなり呆れている。 「これは失礼」 ニッコリ笑った国光に、長谷部さんは立ち上がって言った。 「ま、大丈夫だと思うが、当分一人では出歩かせねえこったな」 「そうしますよ」 「じゃあ、先生、あたしもこれで。……どうぞごゆっくり」 「お構いもしませんで」 国光が二人を、暗に追い出す。 その間、俺は国光の腕の中にいて、最近ますます大胆になった恋人にため息ついた。 「昨日、帰ってこないから、どんなに心配したか」 「わかってる」 「前みたいなことがあったら、私は、死んでしまうよ」 「うん…」 本当の梅若が、夜道、暴漢に襲われて死んでしまったことを俺は知っている。 その梅若に呼ばれて、俺はここに来たんだ。 やっぱり、少し不注意だったかも。 「夜、一人で出歩くのは、よすよ」 「そう。夜は、いつでも私と一緒においで」 「そう、する……」 とか言いながら、今はまだ昼。 昼なのに―― 「んっ、や、あ…」 明るい部屋の中で、俺たちはエロエロ三昧だ。 「この肌を、お役人の前に晒したんだね」 「してない…っ…」 「嘘つく子は、お仕置きだよ」 「は、あ……んッ」 「ほら」 「あ、やっ。あ、あっ、あぁぁん…」 って、何やってるかは適当に想像してくれよ。 激しいスポーツですっかり腰砕けになった俺は、食事もせずに日がなゴロゴロしていたが、日も落ちかけた頃、ようやく身体を起こして隣に寝そべっている国光に言った。 「なあ、やっぱり明日、両国行こうよ」 「んっ?」 「国光も一緒で明るいうちならいいだろ」 「そうだねえ」 もともと国光は、俺が危険だから外出をしないと決めたわけじゃなく、今日はエッチがしたかっただけだ。――だと、思う。 「まあ、あれだけ賑やかなところで、何かあるってこともないだろうけれど」 「なっ、そうだろ?」 「でも、やっぱり万に一つ、ってこともあるからね」 「えーっ」 「しばらくは、うちの中ですごそうよ」 このエロエロ大魔人。 「両国連れてってくれるって言ったじゃないかぁ」 「そりゃ、言ったけれど」 「俺、一回も見たことないんだから」 「うーん」 「俺の休みももうすぐ終わりだし、国光も忙しくなるし、二人で遊びに行く機会も減っちゃうよ?」 国光の上に乗り上げて、俺は、得意のお願いポーズで迫った。 小首を傾げて困った顔をする。これが面白いくらいに利くんだな。 「ねっ」 「ああもう、梅若っ」 ひっかかった。へへっ。 国光は、俺の頭を胸に抱き寄せて、 「しかたないねぇ」 嬉しそうに言った。 翌日。 「これ、全部、小屋なのか」 両国橋沿いの川原に、ずらりとかかった見世物小屋の数々。 幟の煌びやかさ。賑やかな呼び込みの声。その活気に圧倒される。 「何を見よう?」 「あの六尺五寸の大イタチってのは?」 「ああ、ありゃ大きな板に鶏の血を塗ったものだよ」 「はあ?何それ」 「だから、大板血」 「詐欺じゃねえか」 「鷺じゃなくって、イタチだよ」 全く江戸の奴らの洒落は、わかんねえよ。 「あ、あそこの小屋、なんだかすごい人だかりだ」 「ああ、芝居小屋みたいだね。行ってみようか」 近づいてみると、小屋の入口に人が溢れている。 国光が幟を見て言った。 「これは、最近江戸に来たってぇ、和泉座だ。どうりでね。評判は聞いてるよ」 「和泉座?」 「旅芝居の一座だけれど、お寺やお大名の招きもあるとか」 「ふうん」 興味を持って、ちょっと覗いて見た。 「入る?」 「うん」 「ちょいとゴメンよ」 国光は、俺を連れてスルスルと小屋の奥に入っていった。身なりのいい国光の男ぶりに圧されるのか意外にスムーズに道が開く。 舞台の上で、一人の少年が舞っていた。 背は高いけれど、線が細くて華奢だ。でも、踊りは力強い。 細面の顔は、ぞっとするほど整っている。 「すごい美人」 思わず呟いたら、 「そうかい? 梅若のほうが、美人だよ」 国光が言った。 その時、その舞台の上の少年が俺を見た。 目が合った――と思った。 |
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