「万里は、何時の便なんだ?」
「たぶん、三時に成田に着くヤツだと思うけど、その前から行って来る」
「ああ……俺も店さえなきゃ行くんだけど」
「お兄ちゃんも勇人も何言ってるの。夕方には家に帰ってくるんだから、おとなしく待ってなさいよ」
上村家の朝の食卓。兄弟の会話に、味噌汁を運んできた母親が呆れた声を出す。
しかし、兄弟は、軽く無視して話を続ける。
「で、そのトモダチっていうのは、やっぱりそうなのか」
「わかんね。でも、電話の感じが怪しかった」
「勇人の勘は、大概、当たるからなあ」
上村家の長兄、一弥は心配そうに眉をひそめた。
そこに、一弥の二つ上の姉、長女喜美子が顔を出す。既に食事を終え、化粧バッチリ、颯爽としたスーツ姿で、手には日本経済新聞。
「今日は、私も早く帰ってくるから」
「おう」
「今日じゃなければ、私もNEXに乗りたいところだけど。しょうがないわね、お盆前は日曜だって休めないんだから…まったく」
多忙な会社に恨み言をごちて、
「夏休み中の暇なコーコーセーに任せるから、頼んだわよ!」
ピシリと弟に向かって人差し指を突きつけた。
「わかってるって」
マヨネーズのたっぷり乗ったキャベツを口にかき入れながら、三男勇人が片手をあげる。
今日は、上村家次男万里が、一ヶ月ぶりにイタリアから帰国する日なのだ。



成田空港。
一足早い夏休みを海外で楽しんだ人々でごったがえす入国ロビー。大きなスーツケースと土産物の山を乗せたカートが行き交っている。
上村勇人は、その人ごみの中で目を凝らした。
さっきのアリタリア航空の便には乗っていなかった。
(もともとこっちの便が本命だ。たぶん、この中にいる)
野生の勘が教えてくれた通り――いや、大体の到着時間は聞いていたので――三時過ぎにやや遅れて着いたミラノからの飛行機の乗客の中に、目的の人物を見つけた。
大きな瞳に、困ったようなたれ気味の眉。小さくて整った顔は、イタリアの太陽のせいでよく焼けている。
「万里っ」
思わず大声で呼ぶと、驚いて振り返る。
その兄の隣に、見知らぬ――当たり前だ――イタリア男を見て、勇人は息を飲んだ。
(ハンサム……)
兄より頭一つ、そして自分よりも頭半分は大きいだろう。長身に広い肩幅、着ているものはTシャツに薄いジャケットを羽織っただけなのに、モデルのようにキマっている。
「勇人、どうしたんだ?わざわざ迎えに来てくれたのか?」
万里が嬉しそうに走ってきた。その後ろを、カートを軽く片手で押してイタリア男が続く。
勇人は、言葉を失っていた。
野生の勘が、頭の中で警鐘を鳴らしている。


「ただいま」
最愛の兄の優しい微笑みに、ようやく自分を取り戻して
「おかえり、万里。このひとが、オトモダチ?」
引きつりそうな笑顔で、美丈夫を見る。
「あ、うん…あっちでお世話になった、アンジェロ」
嘘のつけない素直な兄の頬が、その名前を呼ぶときにほんの少し赤く染まったのを、見逃すはずはなかった。
「ハジメマシテ。ドウゾ、ヨロシク、オネガシマス」
万里が教えたに違いない日本語に、もやもやと嫉妬心が湧きあがる。
「はじめまして。英語で結構ですよ。僕ら兄弟は小学校の時から英会話スクールに通っていますからね」
だから何だ?と言う話だが、
「あ、それともそちらが、英語ダメですか?」
挑発するように言ったところ
「そりゃよかった。俺も、慣れない日本語じゃ意思の疎通が難しそうだと思ってたんだよ」
あっさり返され、しかもふてぶてしい笑い付きだったので、勇人の不快指数は跳ね上がった。
(気にいらねえ……)

「あ、ねえ、勇人にもお土産たくさん買ってきたんだよ」
とりなすように間に入った万里が、デューティーフリーショップの袋をカートの前かごから持ち上げる。その重そうな様子に手を伸ばそうとしたら、いち早くアンジェロがそれを取り上げた。
「ここで出さなくてもいいだろう」
「あ、そうだね。早く勇人に見せたくって」
見上げて微笑む万里の、はにかんだような顔がかわいい。
(ヤバイ……)
『男だけど恋人です、なーんちゃって言うんじゃないだろうなあっ!』
四日前に受話器を握り締めて叫んだ言葉がよみがえる。
(まさか、まさか……)
内心の動揺を押し隠す勇人に
「なんか、勇人、一ヶ月でまた背が伸びたみたいだね」
万里が笑いかける。そしてその笑顔を
「ね、似てないって、言ったとおりだろ?」
アンジェロに向ける。
「ああ、確かに似ていない。それに、歳もお前のほうが下みたいだ」
そう言って、さり気なく万里の髪を指で梳くアンジェロの自然な動作にも、勇人はクラクラと目眩がした。
「じゃあ、行こうか」
万里が両手でカートを持った。出口に向かって半回転して、自分の前に万里が立ったとき、勇人は金縛りにあった。
万里のうなじ、本人には決して見えないところに紅いうっ血の痕。
(キスマーク!!)
さっき髪を梳いたのは、これを見せるためだったのか!
ハッとアンジェロを見ると、挑戦的な瞳が笑っていた。
(こいつ!!知ってるんだな、俺の気持ちを……)
勇人は握った拳に力をこめた。
喧嘩上等!



妙によそよそしい会話を無理やり弾ませての二時間の後、上村家の玄関についた頃には、勇人は、このいけ好かない美形が兄の恋人だと言う事実を確信していた。
万里の口からはっきり聞いたわけではないが、まちがいない。
(だから、どうだって言うんだ。予想していた通りだろう。いつものようにやるだけだ)


「ただいま!万里、帰ってきたぞっ」
「ただいまあ」
大声を出すと、裏からバタバタと音がした。
「お帰り、万里ぃ〜〜っ!!」
この暑いのに白の長袖の上下に、腰に当てた紺のエプロンは、彼の職業がシェフだと言っている。
万里の身体をぎゅっと抱きしめる様子に、アンジェロの眉がピクリと跳ね上がった。
「苦しい、兄さん……」
「ああ、ごめん、ごめん」
あんまり懐かしくってねと笑う一弥は、すぐ隣に立つアンジェロが全く目に入っていない。
「痩せたんじゃないか?いや、焼けたからそう見えるのかな。海にでも行ったのか?あっちは日本より暑かっただろう?体調崩したりしなかったか?」
矢継ぎ早の質問に困ったように万里は首を振って、そして側らに立つアンジェロを手で示して紹介する。
「兄さん、ええと、アンジェロ。電話で言った…宿の人で……その、とっても世話になったんだよ」
一弥は、初めて気がついたと言うようにアンジェロを見て、そして、その男前っぷりにのけ反った。
慌てて勇人を見ると、勇人も深刻な顔で頷く。
目と目で、会話する兄弟。

「なんなんだ、この男前は。やっぱり、アレなのか」
「うん。間違いない」
「強敵じゃないか。大丈夫か」
「こうなったら、喜美子ネエにも、協力してもらうしかない!」


突然黙りこくった兄と弟に、万里はきょとんとして、次には困ったようにアンジェロを見上げた。
アンジェロは、いつに無くニコニコと微笑んでいる。
イタリアでは見せなかった、武装の顔。

少なくとも万里よりはわかっていた、この兄弟に歓迎されていないこと。
そう、前々からわかっていたのだ。
過保護な兄とブラコンの弟。
万里と一緒に日本に行くと言ったのもそのため。

(本当の意味でマリを手に入れるには、乗り越えないといけない試練だ)

しかし、この後、アンジェロと万里を迎えるその試練は、予想以上に厳しいものとなる。





上村家の居間。長女の喜美子を除く家族一同が集まっている。
「こちら、僕がお世話になったカメララヴェンナのアンジェロ。フランコのお姉さんの息子で、つまりフランコの甥になるんだけど……」
当たり前のことまで説明しながら、やはり恋人ですとは言えない万里。
アンジェロは、万里から教わった日本語で名前だけの自己紹介。
ここでもさすがに「息子さんとお付き合いしています」などという爆弾発言は出ず、万里はホッとすると同時に少しだけ残念な気もした。
(アンジェロがこっちにいる間に、ちゃんと言ったほうがいいと思うんだけど…でも、言えないよ……)
ちなみに男の長髪が嫌いな上村父のために、アンジェロは若干髪を短めに切り、かなり似合っていた無精髭もきれいにそっていた。
そのため、以前よりは若く見えるのだが、それでも十八歳だと言ったときには、父も母も驚いた。
「まあ、一弥くらいかと思ったわよ」
これは、母親。
「日本人は若く見えるって言うから、世界的には、これはこれで普通なんだろう。グローバルスタンダードだ。うん」
よくわからない、これは父親。
日本語の会話にアンジェロが万里を見る。
「ええと、アンジェロが歳より大人びて見えるって話」
万里の言葉に、アンジェロはニコリと微笑んで見せ、勇人はそのとってつけたような笑いが癇に障った。
愛するの兄の恋人が自分と一つしか違わないというのも、むしょうに腹が立つ。


「それじゃあ、僕たち、部屋に荷物、持っていくね」
お土産の披露も終わり、万里が、スーツケースを持って立ち上がりかけると、
「あ、彼はこの部屋を使ってもらうから」
勇人が言った。
「えっ?ここって、ここ?」
床の間まである八畳の純和風の居間を見渡して、万里は驚いた顔を見せた。
「外国からのわざわざのお客様だから、一番いい部屋を使ってもらいたいからね」
「僕の部屋でいいのに」
「いや!」
と、これは兄一弥。
「お前の部屋は、ベッドの横に布団を敷いたら、それだけでいっぱいだろう?」
何が何でも、万里と同じ部屋には寝させないつもり。
「でも……」
困ったように母親を見ると
「私は万里の部屋でいいんじゃないかって思ってたんだけど、確かにアンジェロさんは大きいから、あの部屋じゃ狭いかもねえ」
頬に手を当て考えるように言う。
「何の話?」
アンジェロが英語で尋ねる。
万里が簡単に通訳すると、すぐに応えが返った。
「マリの部屋でかまわない」
勇人が睨んで
「布団が敷けないんだよ」
「一つあれば十分」
アンジェロも負けていない。
「ま、待って」
万里が慌てて間に入る。
「だったら、僕もこの部屋に寝るよ」
なにっ!と一弥と勇人が目を剥いた。
「お前、まさか、そんなにしてまで、この男と一緒に寝たいのかっ」
一弥が声を震わせる。いや、声だけじゃなく全身震えているようだ。
「な、何言ってるんだよ、兄さん。僕は、日本に来たばっかりで慣れない彼が、こんなところで一人で寝るのは不安じゃないかって…そんな…一緒にって……」
顔を赤くしてうろたえる万里。
それを見て、勇人は叫んだ。
「じゃあ、俺もここで寝る!」
「はい?」
「アンジェロが寂しいってんなら、俺もここで寝る。ついでにカズ兄もここで寝よう!!」
「修学旅行じゃないんだから」
父親からナイスな突っ込み。
「とりあえず、狭くなるから荷物はここに置いといて、寝る場所は好きなほうにしなさい」
父親の大岡裁きに万里はニコリと頷き、勇人は唇をかんだ。
(しまった)
万里の部屋だったらまだ自室の隣だったのに。
(かえって、逆効果だったか……)


「喜美子姉さんは、何時に帰ってくるの?」
「今日は、早く帰るって言っていたから、そろそろじゃないかしら」
「相変わらず忙しそうだね」
「好きでやっていることだからね」
金融系の雑誌の編集をしているという彼女は、いわゆるキャリアウーマンを地で行くタイプ。万里は実のところ、他の誰よりも姉が、アンジェロのことをどう思うかが気になっていた。
その喜美子は、早く帰るといっていたにも関わらず、結局仕事で帰れないとの電話が入った。お盆前の合併号でむちゃくちゃ忙しくなっている上に、彼女の担当するコラムニストがいつまでたっても原稿をあげないというのが理由。
職場からかけた電話で、喜美子は勇人から、逐一報告を受けていた。
「で、万里のほうもまんざらじゃないのね?」
「っていうか、万里のほうがメロメロかも」
「なによ、そのメロメロって、コーコーセーらしくない」
「どうでもいいだろ。とにかく、万里のアイツを見る目が違うんだよ」
「で、そのアイツのほうは?」
「俺たちに挑戦しているっぽい」
「ナマイキ」
「喜美子ネエ、アレ、頼むよ」
「いい男なんでしょうね」
「見た目は、バッチリ」
「気合入れていくわ」
「徹夜すんなよ。くまできるから」
したくてするヤツはいないわよ、と毒づいて電話を切った喜美子は、まだ見ぬイタリア男の顔を想像して、ほくそえんだ。




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