その日、透流は夜までをどうやって過ごしたか、はっきりと覚えていない。 いや、言われるがまま若女将としての仕事はこなしていたのだが、頭の中では宗田の言葉が壊れたレコードのように(透流は二十三なのに、たまにこういう例えを使ってしまう古いところがある)繰り返される。 『私のアトリエでモデル兼恋人として暮らしませんか?』 『私だけの透流さんになって欲しい』 (宗田様……) あの後、夕の膳に呼ばれて顔を出したときに、宗田はそっと囁いた。 「今夜、午前二時、駐車場で待っています」 膳に託けて『善は急げ』といったかどうかは定かでないが、宗田はひどく性急だった。 自分の誘いにうなずいた透流を、一日だってここにおいてはおけない。 一度抱いた透流の身体は、 「もう、誰にも、指一本触れさせたくない……」 激しい執着心をかきたてた。 社会的な立場もある宗田としては、旅館の若女将をさらって逃げるというわけには行かないが、若女将が自分から逃げ出したのなら話は別だ。厳しい女将修業、若い透流が耐え切れなくなったとしても不思議ではない。実際のところ、透流は流されるままやっているわけだからそれほど苦にしてはなかったのだが。 しかし、口実としてはそれしかない。 「いいですね、透流さん。もう若女将の仕事に耐えられないとだけ書き置きをして、身ひとつで出て来てください」 透流をどこかに隠しておいて、それからゆっくり宿を出て、自分のアトリエに連れて帰ろうという算段。 宗田の言葉に、いつものごとくうなずいていた透流だったが、落ちついてみればさすがに迷った。男同士だから籍は入れていないとはいえ、雅幸とは結婚したことになっている。養子縁組は色々と手続が面倒だからと延ばし延ばしにしているが、雅幸は年明けにも自分の両親に挨拶に行くなどと言っている。妙に平和な歓迎ムードの宿の人たちを裏切るように出て行くことも気が引ける。 迷い続けて、もう夜中の十二時。 あと二時間しかない。本当なら、今ごろは雅幸の待つ部屋に戻って、あのたくましい腕に抱かれている時間なのだが。 どうしていいかわからない透流は、一階の大浴場の前を通りかかって 「そうだ。温泉入って考えよう」 紺地に白く『男』と染め抜かれた暖簾をくぐった。 旅館の従業員が宿の温泉を使うのはあまり無いことだが、透流に限っていえば、服を脱いでしまったら客もまさか若女将だとは思わない。そういう理由をこじつけて、もう何度か、客の途切れた時間を見計らってそっと温泉に入っている。 透流は、ここ高級旅館『華峰楼』のにごり湯がいたく気に入っていた。 「ふう……」 掛かり湯を簡単に済ませると透流はお気に入りの露天に行った。良質な温泉がこんこんと湧きつづける露天の岩風呂は箱根の山に面していて、近くに建物が無いため遠くまで見渡せる。目隠しに植えられた木々に白い花がうっすらと浮かぶ様子は幻想的だ。 透流は一日の疲れを癒しながら、混乱した気持ちを整理しようとした。 宗田と雅幸。二人の男性から愛されている自分。では、自分は――? 二人のうち、どちらを愛しているというのだろう。 二人のうち、どちらか一人を選べといわれても―― 「……そんなこと、できない」 透流は、長いまつ毛を伏せて小さく呟いた。 ヒロインぶっているわけではない。優柔不断で決断力に欠けるため、選べないのだ。 「ああ…」 今朝から二人に抱かれた身体は、白い肌に赤い花をぽつぽつと咲かせていて、その痕を指でなぞればゾクリとした震えが腰にたまる。 二人のことを比べようとするとどうしてもあのコトを比べてしまう自分にほんの少し呆れながら、それでも誘惑が右手を股間に導いてしまう。 雅幸の手を思い出し、宗田の舌を感じながら、透流は自分のそこをやんわりと握って、ゆっくりと擦りあげた。 「んっ」 感じ易くなっているそこは、自身の与えた刺激でさえすぐに形を変えていく。次第に固くなっていくそれに長い指を絡めて、透流は強く擦りあげた。 「あぅ、う…ん」 喉を反らして両目を閉じると、浮かぶのは雅幸の顔。力強いその手の動き。低くセクシーな囁き声。 『欲しいって言えよ』 「ふ…」 けれども激しい手の動きを止めて優しく揉みしだけば、そこに柔和な声が重なる。 『可愛い人……』 『気持ちいいですか?』 「あ……ぁ」 括れを爪の先で刺激して、先端を親指でこねるように擦ると、お湯の中でもそれとわかる滑りが溢れ出る。 透流は、いつのまにか膝立ちになっていたが、耐え切れずに大きく背中を反らして岩に身体を預けた。 「んっ」 あと少しで達してしまいそうなその時、カタンと二重扉が開けられる音がした。 誰かが露天風呂に入って来たのだ。 はっとして身体を固くすると、湯煙の向こうに雅幸の精悍な顔があった。 「何をしてるんだ、透流」 そう訊ねながらも、全てを見透かした笑いを刻む雅幸に、透流は慌てて背中を向けた。 真っ白なにごり湯だからお湯の中のものまでは見えないが、とても向かい合ってなどいられない状態。 「どうした? んっ?」 裸の雅幸が背中から手を伸ばして透の前をいきなり握った。 「やっ」 悲鳴をあげて、ビクリと身体を震わせる。 雅幸はおかしそうにクックッと笑って、そのまま透流を抱き寄せた。 「誰のことを考えてヤッてたんだ?」 「あっ…」 「俺か? それとも……」 強く握り締められて、透流は首を左右に振った。 「どっちだ?」 「あ…痛い…やめてっ」 小さく抵抗すると、雅幸の指が透流の胸の尖りをピンと弾いた。 「んっ」 「痛いとか言って、感じてるんだろ。ここもこんなに立てて」 「や、あ……」 白い湯の表面に浮かぶ赤い尖りを指先でキュッと摘ままれて、透流は、切ない声をあげた。 後ろに押し付けられた雅幸のモノも、先ほどからの透流の痴態にすっかり固くなっていて、雅幸が腰を動かすたびにグイグイと透流の双丘の谷間を割った。 「あ、ダメ」 固い先が孔に触れると、透流は慌てて腰を引いた。 「何故?」 「だ、だって、ひとが…」 「誰が来たっていいさ。自分でもヤッてたくせに」 「ちがっ…」 違わない。 しかし、湯の花の豊富な真っ白な湯だからこそ、少しくらいならわからないと思ったのだ。 ――結果的には、バレバレだったけれど。 それでも自分一人でやるのと雅幸にやられるのとでは大違いだ。抱かれている最中に他人が風呂に入って来たら、ごまかす術は無い。 「ダメです……雅幸さん」 離れようとしても、片腕で腰を抱かれただけで身動きできない。雅幸の腕は力強かった。 「いいじゃないか、ひとに見られても、俺たちは夫婦なんだから」 耳元に唇を寄せ、いやらしい声で囁く。 「そんな…あっ」 雅幸の片手は透流の感じ易い乳首を弄り、もう一方の手は前を犯し、もう十分に勃ち上がっていたそこが耐え切れずにビクビクと震えたのを確認してから、すうっと後ろにまわった。 「やぁっ」 膝を突こうとした透流をそのまま抱き寄せ、自分の両膝を跨ぐように座らせた。 「あっ」 慌てて立ち上がろうと湯の中で透流が腰を浮かした隙に、二本の指をいっぺんに差し込む。 「うっ」 「今日よく使ったから、まだ柔らかい」 恥ずかしいことを言われて、透流は顔に朱を散らした。 「痛い……」 「嘘をつけ」 クチュクチュと指を交差させながらうごめかすと、透流はすぐに甘い声をあげはじめた。 「ふ……あっ、あっ、あっ…」 赤く染まっていた頬が、ますます赤くなる。 後ろから耳朶をかんで、雅幸は囁いた。 「アイツは、よかったか?」 「はっ、あ」 「言えよ、よかったか?」 透流はうつむいて左右に首を振った。 「本当は、あいつのことを思い出してたんじゃないのか」 「あん…っ」 「なあ、さっきは誰のこと考えて、自分でココいじってたんだ」 胸を攻めていた指で再び前の昂ぶりを握り、同時に、雅幸は後ろの指を増やして激しく動かした。 「あああっ」 悲鳴をあげて透流は、知らず知らずに謝った。 「ごめん、なさ…っ…」 宗田に誘われたことを隠していたのが後ろめたい。 「いや、あ…ごめんなさい…っ…んっ」 透流の言葉に、雅幸のこめかみが痙攣した。 「アイツか」 「あ…許して…だめぇ」 泣きながら懇願する透流は、耐えられないほどの快感に訳もわからず口走っているだけなのだが、雅幸はそうは受け取らなかった。 「アイツのほうなのか」 後ろから指を抜くとお湯の浮力で透流を持ち上げ、そのまま一気に貫いた。 「ああぁ――っ」 甲高い悲鳴が露天に響く。 もう『誰か来たら』などと考える余裕はなくなっていた。激しく何度も貫かれて、透流は間断ない喘ぎを漏らし、すぐにガクガクと己を放った。 ぐったりと岩にすがって身体を支える透流の細腰を両手に掴んで、雅幸はなおも激しく腰を打ちつける。 あの画家に抱かれる透流を妄想すれば、耐え切れないほどの嫉妬にかられるのと同時に、ひどく淫猥な疼きが身体を駆け巡る。 「俺よりもよかったんだな?」 わざと自虐の言葉を選ぶと、 「あ、ち、ちが、う……」 透流が虚ろに首を振る。 その白いうなじに噛み付いて、雅幸はようやく一回目の吐精をした。 それから三度放って、ようやく雅幸は透流を解放した。透流もあれから二回果てた。 「俺も、悪くないだろ」 満足げに囁く雅幸に、透流はこくりとうなずいた。 温泉の中での激しい運動に、息も絶え絶え。 (女将さんに毎晩一回まで、って言われてるのに……) そんなことを思い出す透流は、もっと大切なことを忘れていることに気がついていない。 雅幸は、透流を抱き上げて大浴場の湯上り所に連れて行くと、扇風機の前の竹織りのカウチに横たわらせた。 「少し休んでろ」 「どこに、行くの?」 「清掃中の看板出しておいたのを外しに。女将にバレルとまずい」 ニッと笑った雅幸に、透流は微笑みを返し、 (明日の朝の庭掃除は、休ませてもらえないかなぁ) 自分の朝の清掃を思い、そしてようやくその時間に毎朝会う男の顔を思い出した。 (あ……) 壁にかかった時計を見ると、約束の午前二時を一時間以上も過ぎている。 「はあ…」 結果的には、すっぽかしたことになってしまうのか。 けれども、透流は 「まあ、しょうがないか、こうなったんだから」 とても透流らしい結論を出した。 迷っているうちは結論出なかったが『結果は、結果論として付いてくる』――透流の生きざまは常にこうだ。 「でも、明日…もう今日か……宗田様に会わせる顔が無いなあ」 やっぱり庭掃除は休ませてもらおう、などと考える透流は、その宗田とは別の『第三の男』まで現れるなどとは、夢にも思っていなかった。 早朝、結局諦めきれずに華峰楼の駐車場で夜を明かしてしまった宗田は、物凄い勢いで真紅のアウディカブリオレが飛び込んでくるのを見た。派手なブレーキ音をたて、自分のベンツの横に停められたその車から颯爽と降りてきたのは、髪を金色に染めたアルマーニのサングラスの若い男。 運転席から眺めたその横顔に、宗田は芸術家らしい勘を働かせて、眉間にしわを刻んだ。 by もぐもぐ |
公共の風呂で、出しちゃあイカンよ。教育的指導。
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