「んっ…んん……」 次第に深くなる口づけの合間に、アンジェロのいたずらな指先が、僕の胸をさぐる。 シャツの上から尖りを探す動きに、 「まっ、待って、くすぐったい」 唇を離して言うと、 「くすぐったい?」 ドキリとするほどの至近距離で、アンジェロのブルーグレーの瞳が僕を見据えた。 「うん……」 「それだけ?」 「やっ」 アンジェロの舌が、シャツの上から胸の突起を舐めあげる。 唾液で濡れたシャツの絡みつく感触。与えられる刺激に僕の腰に痺れが走る。 「っん……」 その甘い疼きをやり過ごそうとして、ぎゅっとシーツを掴むと、アンジェロが顔を上げた。 「マリ、本当に今まで恋人いなかったのか?」 「……いない、けど?」 突然何を言うのだろうと、ため息とともに応えると 「こんなエッチな身体しといて」 胸の尖りを指先でつねられた。 「たッ」 痛いのにゾクリと感じている。そんな自分に、我ながら呆れる。 僕は、まだ疑い深そうな目をしたアンジェロを見て、もう一度言った。 「今まで女とも男とも、こんなこと、したことないよ」 高校時代に、同級生の女の子と軽く触れるだけのキスをしたことがあるくらい。 「家に連れて来るくらい仲良くなると、何故かその後は自然消滅してしまうんだ」 僕の言葉に、アンジェロは考える風に首を傾げた。 「そういえば、最近、お前のうちからよく電話がかかってくるけど、あれ、何だ?」 「ああ」 もともと僕のイタリア旅行は、一ヶ月の予定だった。けれど、アンジェロとこういうことになってしまうと、当然だけれど別れがたくて、飛行機のチケットを払い戻して大学が始まるぎりぎりまでこっちに居ようかと思った。 そのことを、いや、アンジェロのことは置いておいて、もう少しイタリアに居たいということを数日前の電話でポロリと言ってしまったところ、連日連夜の『カエレコール』にあっているのだ。 そう告げると、アンジェロは嬉しそうに僕を抱き寄せた。 「俺がいるから、イタリアにいたい?」 「……うん」 「俺も、帰したくない。……離さない」 「……うん」 はずかしー。 恋人同士になってから、たまにこういう会話がある。 アンジェロは、相変わらずぶっきらぼうだったり、素っ気なかったりするけれど、最近じゃ、赤面モノの甘い言葉を囁いてくれたりもする。 それがまた、嫌じゃなかったりして。年下の男に言われて喜んでいる僕も僕だ。 赤面する顔を隠すように、アンジェロの胸に鼻を埋めると、アンジェロが突然言った。 「俺が、日本に行くよ」 「へっ?」 日本に行って僕の家族に挨拶するってアンジェロが言ったときは、冗談だと思ったのだけれど、本気だったらしい。 その夜、早速、アンジェロはマリアに話をしていた。 八月はどうせ休みだから、好きにしろといわれていた。 そして僕に向かってマリアは、 「ご迷惑かけるけれど、宜しくお願いします」 と頭を下げてくれて、僕は、ひどく恐縮してしまった。 航空券の手配は、西本さんがしてくれた。 僕が自分のチケットの払い戻しの件で相談したら、代理店に勤めているラウーロに頼んで、アンジェロの分まで全部やってくれたのだ。 「アンタが、協力してくれるとは思わなかった」 「相変わらず、口が悪いな」 「そうだよ、アンジェロ、西本さんには、色々やってもらったんだから」 「その優しさに下心があるとか、思わないのか、マリは?」 「そんな」 「まあまあまあ」 何故か、西本さんが間に入ってとりなす。 「僕は、万里くんが純粋にかわいいから、困ってたら助けてあげたいだけだよ」 ねっと僕の顔を見る。僕はどうしてよいかわからず、あいまいに頷いた。 「どうだか」 「大丈夫、僕は去るものは追わない主義」 確認したチケットを封筒にしまって渡しながら、西本さんが言う。 「障害はあったほうが燃えるけれど、相手の気持ちが自分に無いってはっきりしてからも待ち続けるような男じゃないよ」 アンジェロにウィンクして 「君のときだって、そうだったろ?」 と、微笑んだ。 アンジェロは、小さく舌打ちして横を向いた。 そんな失礼な態度も気にしない様子で西本さんは、砂糖二杯入れたエスプレッソをすすって言った。 「一つの恋に破れても、立ち止まっている暇は無いんだよ。人生は一度っきりだからね」 「西本さん……」 (身も心も、イタリア人になっているんですね……) そして、いよいよ出発の日。 西本さんの車でミラノ空港まで送ってもらうことになっていたのだけれど、マリア、マウロ、クララ、エリザ、みんなが見送りに空港まで行くというので、西本さんは、わざわざ九人乗りのバンを借りてきてくれた。 空港までの四時間も、ドライブのようで楽しかった。 途中のバールで最後の記念写真。デジカメのメモリーもいっぱいだ。 空港で、皆に一ヶ月間のお礼を言ったときには、さすがに胸に迫るものがあって、恥ずかしいけれど泣けてしまった。 「バカ、どうせ、またすぐ戻ってくるんだから」 「そうだよ、次の休みも来いよ」 「チケットは、こっちで取ってあげるからね」 「お部屋はいつでも使っていいのよ」 みんなの言葉に、ただ頷くだけしかできない僕を、アンジェロがそっと抱き寄せた。 「じゃあ、また……」 見守られてチェックインした後になって、気を取り直した僕は、免税店で日本へのお土産をこれでもかといわんばかりに買い込んで、アンジェロに呆れられた。 明日の今ごろには、日本にいるんだ。 飛行機の中で、僕は呟いた。 「キンチョー」 何?と隣からアンジェロが目で訊ねる。アンジェロの手には、日本語会話の本。 これから日本に帰って、アンジェロを家族に紹介するのだと思うと――― 「緊張する」 アンジェロは、ふっと笑って言った。 「それは、俺のほうだろ?」 そして、僕の肩に手をまわして、ぐっと引き寄せてキスをする。 「あ、バカ」 いくら三人掛けの端の席で隣がいないからって、スチュワーデスさんからは丸見えなんだから。 顔を見られないように背けると、窓に自分の顔が映った。 三日前の電話がよみがえる。 僕が日本に帰ることにしたというと、兄さんも勇人も大喜びした。 でもその後で、友だちを一人、一緒に連れて帰りたいと言ったら―― 『友だち?』 受話器を奪い取ったらしい勇人が叫んだ。 『まさか、女?』 『まさか、ちがうよ。男だけど……』 『男だけど?』 『いや、何でも……』 『男だけど、恋人です、なーんちゃって言うんじゃないだろうなっ』 『…………』 『何黙ってんだよっ』 『あ、じゃあ、急だけど今度の土曜に帰るから、そっちに着くのは日曜の夕方だけど。布団だけ、用意しておいてね』 『おい、万里っ』 『ヨロシク』 ガチャ! 『恋人です』 そう紹介できるのだろうか。 アンジェロは、どう挨拶するのだろう。 ああ、やっぱり緊張する。 ぐったりと窓に頭を預けようとしたら、窓ガラスにアンジェロの顔が映った。 (あ……) 僕のことをじっと見つめる。心配そうに、わずかに眉をひそめて。 (アンジェロ) 鏡になった窓の中で目があった。ブルーグレーの瞳が優しく細められた。 僕はゆっくりと振り向いた。 毛布の下の手を伸ばすと、大きくて暖かな手が握り返してくれた。 「ダイジョウブ。ボクガ、ツイテイル」 片言の日本語。 ボク、だって。 僕の中で、アンジェロの一人称は『俺』だったよ。ずっと。 クスッと笑って、そのままアンジェロの胸に頬をつけた。 相変わらずスチュワーデスさんからは、丸見えに違いなかったけれど、もうどうでもよくなってた。 ラヴェンナの夏は終わったけれど、新しい夏が待っている。 日本の夏も暑いだろう。 |
HOME |
小説TOP |
続編 ニッポンの夏 |