「アイツから誘われても、もう、行くなよ」
アンジェロの言葉に即答出来ずにいると、不機嫌そうに睨まれた。
「食われたいのか?」
「まさか、違うよ」
慌てて否定して、
「でも、その、何ていうの?西本さんが仮にゲイだとして」
「仮じゃない」
「うん、だから、そうだとしても、それって個人の問題で、それによって彼の人間性まで否定することは誰にも出来ない、って言うか……」
ああ、英語で難しい話をするのは、これが限界かもしれない。
単語を選びながら、頭を抱えていると、
「アイツがゲイでも……気にしないってことか?」
アンジェロが、静かに訊ねた。何だか含みのありそうな声色。
でも、僕は思っている通りに答える。
「シンプルに言うとそういうこと。だって、人を好きになるのに、男も女もないよ」
僕の返事に、アンジェロはわざとらしいため息をついた。
「人が心配してやってるのに、大きなお世話か」
「違うよ。だから、心配するようなことなんかないって」
だいたい、アンジェロを口説いたって言うなら、西本さんは相当の面食いだ。
僕なんか眼中に無いに決まっている。
冗談めかしてそう言うと、アンジェロは変な顔をした。
しばらく黙った後で、
「お前、わかってないな」
呆れたように言って、立ち上がった。
僕は、せっかくアンジェロとの距離が縮まった気がしていたので、ここで置いていかれては大変とばかりに一緒に立ち上がった。
「あっ、ねっ、ねえ」
「何だよ」
「その、厨房見せてもらってもいいかな」
アンジェロを引き止めたくてとっさに呼び止めたのだけれど、その後の言葉がすんなり出てきて、自分でもびっくりした。
「何で?」
そんなもの見たいんだ?という訝しげな表情。
「ええと、なんとなく」
「いいけど」
アンジェロは、ついでにテーブルの上の皿を持って、階段ではなく奥へと向かった。僕も、その後に続いた。



「わお、広い」
食堂からは見えなかった奥の扉のむこうは広い厨房で、以前ここがリストランテだったことは容易にうかがえた。
「あ、この鍋」
壁にかかっていた大きな両手鍋を抱え下ろして、ひっくり返してみたりした。
「これ、うちにあるのと同じかもしれない。懐かしい」
記憶の中ではもっと大きかったそれを、眺めていると、アンジェロが小さく笑った。
「そんなに珍しいものじゃないだろう?」
そう、僕の家もレストランだからね。
(でも……)
「僕は、ずっと厨房には入れてもらってないんだ。だから、昔見たきりで懐かしい」
僕の言葉に、アンジェロは片眉を上げて疑問の意を唱えた。
なんとなく今度は僕が話す番のような気がして、僕はゆっくりと話し始めた。
「僕には姉と兄が一人ずついるんだけど、一番仲が良かったのは三つ下の弟で、小さい頃はいつも一緒に遊んでいたんだよ。二人でかくれんぼとかしちゃって。わかる?かくれんぼ。片方が数をかぞえている隙に、もう一人が家の中のどこかに隠れて、見つかったら交替。そんな単純なゲームでも、けっこう真剣に隠れるところをさがして、面白かったんだ」
僕の話を、アンジェロは黙って聞いている。
「で、ある日、僕は隠れる場所を探して、厨房に入ったんだよ。親からは厨房で遊ぶことは固く禁止されていたんだけどね。ちょうどランチが終わって、夕方までの仕込みと休憩の時で、珍しく誰もいなかったから、つい――。で、いつ弟が来るかってドキドキしながら隠れる場所を探していた時、こんな鍋に肩を引っ掛けてね」
目の前の大きな鍋の取っ手にぶつかる真似をする。
「中で沸騰していたお湯がこぼれて、肩を火傷したんだ」
アンジェロが眉をひそめて痛々しそうな顔をしたので、
「そんなに酷くは無かったんだよ。でも子供だったから、十歳だった、だから、もうびっくりして火がついたように泣いてさ。今思うと、ばかな子供の極めつけだけどね」
僕はクスクスと笑った。
「家中の人間がとんできたんだよ」
そう、両親はもちろん、当時まだ健在だったおじいちゃん、遊びに来ていた隣のおじさん、何故か家にいた喜美子姉さんまで、ものすごい顔してやって来た。
弟の勇人は一緒になってギャアギャア泣くし、あれは大変だった。
僕が笑い続けているので、アンジェロもちょっとだけ笑った。
「僕が大泣きしていたから、救急車は呼ぶし、同時に誰かが兄さんに知らせて、兄さんは学校から飛んで帰ってくるし、家中、大騒ぎで。それで、僕はその日以来、厨房立入禁止」
僕の言葉に、アンジェロは呆れたように首を振った。
だよね。僕も、当時の自分に呆れるよ。
ところが、アンジェロは心配そうに顔をしかめて、
「火傷はどうなった?」
と、訊ねた。
「え?」
僕は、目を見開いて、そして笑った。
「ああ、大丈夫。もちろん、ちょっと痕は残ったけどね」
Tシャツの首のところを伸ばして、右肩を出して見せた。
「ほら、ここがちょっと引きつれているだろ?あ、ちょっとじゃないかな?」
火傷の痕をよく見せてやろうと近づけたら、アンジェロの指がそっと撫でて来て、びっくりした。
「バカなこと」
「う、うん、まあ、ね」
アンジェロの指が優しくて、落ちつかなくなって、僕はモソモソと肩を戻した。
「でも、マリは、家族に愛されているな」
「そう?」
こういう会話、最近もした。
家族と離れるとありがたみがわかるって言うけれど、僕の場合は何かにつけこんな風に人に指摘されることが多い。本当に、甘やかされているってことなんだろうな。
この場所が場所だったからか、厨房に立つ兄さんの姿が浮かんだ。
僕は、ふと思いついて言った。
「ね、お昼は、ここで作らないか?」
「作る?」
「そう、パスタを茹でて、ソースを作って」
厨房立入禁止の身の上では、一度もさせてもらったことなど無い。
けれど、兄さんが作る様子は見ていた。大きな鍋を片手で器用に扱う様子がカッコよかった。
「マリ、やったことあるのか?」
「無いから、やってみたいんだけど?」
僕の返事に、アンジェロは黙って背中を向けたので、またもやダメだったのかと思ったら、
戸棚を開けてパスタの入った缶とポルチーニとホールトマトの缶詰を取り出した。
「他に使いたいもの、ある?」
「あ、うん……ええと」
アンジェロの性格も、なんとなくわかってきたぞ。
「エプロン、二人分ね」
僕がニッと笑っていうと、アンジェロは黙って部屋を出て行った。
そして帰ってくる。洗いざらしのエプロンを二つ持って。
そして、黙って一つを僕に放り投げて、自分もエプロンをつけるんだ。淡々と。





その日、アンジェロと一緒に作った昼食――地中海風パスタ、トマトとモッツアレラのサラダ、チーズ色々と白ワイン――を、ことさらゆっくり時間をかけて食べて、のんびりとした午後を過ごしていたら、突然、日本から電話があった。
思い出話をした日に。なんて偶然。
取り次いだアンジェロが、何が起きたのかといった様子でこっちを見ている。
僕も、わざわざの国際電話に一瞬慌てたのだけれど――
「兄さん? どうしたの? 何かあったの?」
「いや、元気にしているかと思って…」
「はい?」
「フランコがいないんだろう? 一人でちゃんとやれているか?」
「ちゃんと、って…」
がっくりと力が抜けた。
僕はまた、親が倒れたから至急帰って来い! ――くらいの電話かと思ったのだ。
「大丈夫だよ。子供じゃあるまいし」
「いや、でも慣れない土地で」
「たかが旅行だよ。戦地に赴いているってわけじゃなし」
僕のあからさまにムッとした様子に、日本語のわからないアンジェロが眉をひそめたのがわかった。ちょっと恥ずかしくなって、急いで話題を変える。
「元気にしているし、別に一人ぼっちってわけでもないよ。観光もしているし。今日の昼は地中海風パスタを作って食べたんだよ。ここの宿の人と」
アンジェロって言おうとしたのが、何故か、宿の人とかいう表現をしてしまった。
「お前が?」
「おいしかったよ」
実際、作ったって言えるのはパスタくらいだったけれど。
「ケガしなかったか?」
「しないってば、もう、本当に……」
「いや、だったらいいんだ」
心配性の兄と会話をしながら、突然ひらめいた。
さっきアンジェロに、和食を食べさせてやりたいって思ったこと。
だって、普段ぶっきらぼうなアンジェロが、僕の味付けしたパスタを食べて
「なかなか、いいんじゃない」
って言った時、自分でも意外なほど嬉しかったんだ。
「ねえ、兄さん、こっちの人に、何か和食を食べさせてあげたいんだけど、こっちでも買えるもので何が作れるかな」
「お前が、作るのか?」
まだ言うか。
「そうだよ。食べさせてやりたいって言ってんだから、作ってもらうんじゃないよ。僕が作るの」
「うーん」
兄さんは、電話口で考え込んでいる様子だったが、突然言った。
「よし! 俺が作って、送ってやる」
「は?」
「冷凍して、航空便で」
「何言ってんの? 馬鹿じゃない?」
僕が! 作ってやりたいって言ってるんだってば!
と、内心叫んで、何をそこまでむきになってるんだと、自分でも不思議になって首をかしげる。
僕が黙ってしまったのをどう受け取ったのか、
「宿の人にもお世話になっているんだし、そうだ、日本からのお土産も」
と、兄さんはブツブツ呟いている、そこに
「もういいだろ、代われよ」
勇人の声がした。
「もしもし、万里? 元気か?」
「元気だよ。って、まだ何日も経ってないだろ?」
なんなんだよ、うちの兄弟は。
アンジェロにはわからないと思っても、恥ずかしい。なんだかんだと心配してくる勇人に、
「ホントに楽しく過ごしているから、心配するなよ」
と言ったら、ほんの一瞬、間があいて
「俺も一緒に行けばよかったな」
ため息のような言葉が聞こえた。
「勇人?」
「私にも、話させなさいよ」
突然、姉、喜美子の声。
「ちょっと、万里、生きてる?」
「姉さん」
なんと、受話器の向こうで勢ぞろいしていたのか。
その後、もう一度兄が出て、家族の電話から解放されたのは、三十分も経ってだろうか。
(電話代、どうなっているんだろう…)
来月の請求書を見て、母親が卒倒しそうな気がした。

「何か、あったのか?」
アンジェロが心配そうに訊ねてきた。
「なんでもない。ちょっと、心配性なんだ、うちの家族」
僕が笑うと、アンジェロは安心したように眉を開いて、そして言った。
「まあ、わからないでもないけどな」
むっ?どういう意味だよ。
僕の視線に察したらしく
「マリは、危なっかしい。アイツについていったりして」
また西本さんのことだ。
「だから、そういうんじゃないよ」
アンジェロの誤解がおかしくて、僕はちょっとだけムッとさせていた口許を緩めたのだった。





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