ぐっすりと眠っていたアリエルは、顔の上に何かが落ちてきたことで目を覚ました。 (何?) 自分の顔を覆っているのが分厚い布だというのはわかったが、それを取り払おうとした腕を掴まれて、 「ひっ」 短い悲鳴を上げた。 (誰?!) 自分の部屋に、誰かがいる。 そしてその誰かは、自分の両腕を掴んで―― (嫌っ) そのまま、顔の上の布ごと押さえ込んだ。 大声をあげようとしたのに恐怖が先に立ってしまって、声がでなかった。 その一瞬の遅れが致命的。 「あ……」 次に唇を開いたときには、顔の上の布がそのまま口に押し込まれた。 「う……」 埃っぽい布で口を塞がれ、両腕は捕らえられたまま。 (嫌だ、助けてっ、誰かっ) 「う……うう…んう…っ」 懸命に抗うけれど、もともと同じ歳の少年達に比べてもひどく華奢なアリエルは、見知らぬ誰かの身体の下で身動き取れない。 (助けて…アルッ…) アルベルトの名前を心で叫ぶ。 (助けて、助けて、助けて――――) 「んんっ」 見知らぬ手が、アリエルのシャツの下に滑り込んできた。胸を弄られ、アリエルは鳥肌を立てる。 (やあっ…) 胸の突起を引っかくように愛撫され、アリエルは左右に身体をゆすった。 そんな抵抗も、再び圧し掛かった身体の重みで簡単に封じ込まれる。 胸にピチャリと湿った感触を得て、アリエルは息を飲んだ。 (あ……) 胸の尖りを舌で舐められている。その初めての感覚に、アリエルは身体を震わせた。 嫌だ。気持ち悪い。助けて。 「ん…う…」 歯を食いしばると、口の中の布が鳴った。溢れる唾液を布が吸う。 「う…っ」 目じりからは涙が糸を引く。その涙も顔を覆う布に擦られ、ヒリヒリと痛む。 (嫌だ…っ) 顔もわからぬ誰かに胸を吸われ舌先で押しつぶされ、さんざんに嬲られるうちに痺れるような感覚がアリエルを襲う。その痺れは次第に、甘く重く腰に凝っていく。 信じられない。 気持ち悪いのに、それだけではない震えが走る。 「あ……」 抵抗していた身体中の力がふっと抜けた時、アリエルは侵入者の腕の中に落ちていた。 乾いた冷たい手が下着の中に入り込む。まだ誰も触れたことのなかったアリエルのそれは、ゆっくりと揉みしだかれ、幼いながらに形を変えた。 「あ、あ…あ……」 ずっと開いたままの口から、唾液とともに喘ぎともいえる声がもれる。 直接的な刺激に翻弄され、何もかもわからなくなった頃、不意に下半身にひやりとした空気を感じて、穿いていたものを全て脱がされたのだとぼんやり知った。 そして―― 「ああっ」 両足を高く持ち上げられて、最奥に感じた痛みに、アリエルは悲鳴をあげた。 くぐもった声にしかならないそれは、その後も間断無く続く。 「ああっあああぁ――っ」 いやいやと激しく首を振ったけれど、奥へと押し込まれるそれは、微塵も躊躇することなくアリエルの身体を引き裂いた。 慣らすことなく入れられたそこは、裂けて赤い血を流した。 (痛い、痛い、痛い、やめて、やめて――やめて――――――) 血の滑りを潤滑剤がわりに、男は激しく腰を打ち付ける。 そのたびにアリエルは、声にならない声を絶叫した。 (嫌だ、アル、アルベルト……ッ…助けて――――) 翌朝、気を失っているアリエルを発見したのは、パウルとフランツだった。 朝の礼拝の時間になっても起きてこないアリエルを心配してパウルが部屋に入ったとき、 アリエルは、引き裂かれたカーテンの下で死んだように横たわっていた。 「アリエル?!」 慌てて飛び込んで、その下肢が血だらけになっているのを見て 「ひっ」 パウルは息を飲んだ。 「ど、どうしたの」 フランツが恐る恐ると言った様子で近づいて、 「うわぁっ」 やはり腰を抜かして、その場にへたり込んだ。 「ばッ、馬鹿、ドア閉めろっ」 パウルが叫んだけれども、フランツは動けない。 「チッ」 舌打ちして、パウルは部屋のドアを乱暴に閉めると、鍵をかけた。 「これって…」 フランツが、パウルを見上げる。パウルは青い顔をして、 「ボルグ先生を……」 エゼルベルンギムナジウムの校医を兼ねた養護教諭の名前を呟いた。 大きなお腹をゆすりながら駆けつけてきたボルグ教諭は、アリエルの傷に眉間に不快な皺をよせ、むっつりとしたまま手当てを終えた。 「昨日、この部屋に誰が来たのか、わからないのかね」 「わかりません」 「僕達も、ぐっすり眠っていましたから」 ボルグ教諭の質問に答えられない悔しさに、パウルは唇を噛み締めた。 アリエルは、まだ気を失ったまま。 血の気を失った頬に長いまつ毛が影を落としているのが、ひどく痛々しい。 「ともかく、このことは、まだ誰にも言うんじゃないぞ」 「もちろんです」 うなずいたパウルとフランツだったが、アリエルの悲惨な出来事は、翌日には、密かに皆の噂になった。 その理由は、ボルグ教諭がアリエルの部屋に入ったのを、多くの生徒が目撃していたからではない。フランツが幼馴染みで恋人のライムントにしゃべってしまったことが原因だった。 「信じられないよっ。今日という今日は、もう我慢できない。君とは、絶交だっ」 顔を真っ赤にして激怒するパウルに、フランツは泣きながら謝った。 「ごめん、ごめんよ。だって、僕だって、ライムントが誰かにしゃべるなんて、思わなかったんだもん」 「お前のライムントも、その友だちも、馬鹿ばっかりだっ」 「ごめん、ごめんなさい、パウル」 「謝るのは、僕にじゃないっ」 「ごめんなさい…っ」 エゼルベルン中に流れた噂は、ヴィンター寮の寮長のリヒャルトにはずい分早い段階で知らされた。 「なんだって……?」 思わず聞き返したリヒャルトの脳裏には、天使のようなアリエルの笑顔と同時にその従兄の美貌が浮かんだ。 (あのアルベルトが、このことを知ったら――) * * * 「やっ…いやだ……」 ベッドの中のアリエルが小さく呻いた。パウルが振り返ると、 「あ、あっ、あああぁ――っ」 叫んで身体を起こし、ハアハアと荒い息を吐く。 「大丈夫? アリエル」 パウルがそっと近づくと、アリエルはビクリと身を縮こまらせた。目はシーツを見つめているが、焦点は合っていないようだ。 パウルは、用心深く距離をとって、 「まだ寝ていていいよ。食事は、僕が運んでくるから……少しは、食べたほうがいいよ……」 優しく囁いたのだけれど、たぶん、アリエルには聴こえていない。 ゆっくりと倒れるように再び横になったアリエルは、すうっと瞳を閉じたが、どうせまたうなされるのだと思うと、パウルは辛かった。 痛々しそうに顔を顰めて、アリエルの小さな白い顔を見つめる。 (いったい、誰が……) あんな酷いことをしたのだろう。 あの日は、十月祭の夜。エゼルベルンの生徒以外も大勢いた。 まさか、夜中までここに隠れていた部外者がやったなんて思えないけれど、エゼルベルンの中に犯人がいるとも考えたくない。 疑い始めれば、切りが無い。 あのジークベルトのお茶会だけでなく、いつでもアリエルは上級生たちの注目の的だったのだから――少年しかいないこの学校で、少女以上に愛らしい、性的興味の対象として。 (それにしても……) と、パウルは思う。 アリエルがこんなときに、アルベルトはどうして駆けつけてこないんだろう。 (噂、届いてないのかな?) アリエルにとっては、その方がいいことだけれど。 そんなことは、ありえない。 パウルは何度目かの溜め息をついた。 そのころ、リヒャルトは校長室で、派手な言い争いをしていた。 「これは犯罪ですよ。学校内でこんなことがあったことを、荒立てる気はないとは、どういうことですか」 「落ちつきたまえ、ヴァンスヘルム君」 「落ちついてられるか」 「こらっ、校長に向かってなんて口の利き方だ」 諭すのは、ボルグ教諭。 「まあまあ…ヴァンスヘルム君の気持ちもわかる。だがね」 校長は、デスクの上の両手を組みなおして言った。 「こういうことは、被害を受けた彼自身の気持ちをはっきりさせてからでないと、安易に動くことはむしろ彼を傷つけることになるんだよ」 「それは…」 そうだけれど……と、リヒャルトは、口ごもる。 「騒ぎ立てないことが、彼のためということもある」 校長の言葉にうなずきかけたけれど、 「あの日、彼は、女の子の格好をして上級生たちとふざけていたというじゃないか」 「なっ」 十月姫の話に、キッと顔をあげた。 「自らそんなことをした結果、こういうことを呼び込んでしまったのかもしれない」 まるで自業自得といわんばかりの言葉に、リヒャルトは激怒した。 「あれはアリエルが自分から進んでやったことじゃない。俺がやらせたんだ」 校長の机をバシッと両手で叩く。 「なんだね」 「こら、リヒャルト」 「もういい。どうせ本気で何かしようとは、思ってないんだろっ」 捨て台詞を残して、リヒャルトは校長室を出て行った。 「まったく……」 イライラと爪を噛みながら、リヒャルトは大股にアルベルトの部屋に向かった。 今のアリエルの支えとなるべき彼は、まだ部屋に閉じこもったままだ。 「あいつもいい加減にしろよ」 アリエルが誰にも会えない状態だというのは、パウルから聞いている。 一日二日は、それでもいい。 けれども、もう三日目だ。 今日という今日は、首に縄をつけてでも、アルベルトをアリエルの部屋に連れて行く。 ショック療法かもしれないけれど、その方がいい。 そして、リヒャルトは校長の言葉を思い出して、顔を曇らせた。 『あの日、彼は、女の子の格好をして上級生たちとふざけていたというじゃないか』 アリエルが、あんな目にあったことの理由が、あの十月姫の女装にあったのだとしたら―――。 だとしたら、自分は、アリエルに対して (取り返しのつかないことをしてしまった……) リヒャルトは、一瞬、その大人びた顔に似合わぬ泣きそうな顔になり、そして、頭を振った。 とにかく、自分にできることをしよう。 許してもらうのは、それからだ。 |
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