アリエルは、ベッドにうつ伏せて、溢れる涙と嗚咽を枕に吸わせていた。
アルベルトからみっともないと言われた女装を、父親のクレマンスにまで見られてしまった。
アルベルトの母親のイルマも一緒にいた。
その前に、たくさんの少年たちの間で振り回されていたのも、情けなくて悔しい。
(なんて思っただろう……)
もともとクレマンスは、アリエルがギムナジウムに入ることには賛成していなかった。
しっかりしたアルベルトと違って、アリエルに寄宿舎生活はできないだろうと言うのがその理由。今日の出来事で――
「連れ戻されてしまう……?」
小さく呟いて、アリエルは青ざめた。
「嫌だ」
のろのろと起き上がって、ベッドから足を下ろした。
このままここを出て行くようなことになったら、もう二度とアルベルトに会えないかもしれない。アリエルは左の頬にそっと手をあてた。
アルベルトに打たれた頬の痛みはとっくに引いているけれど、

『化粧をしているのか』
『みっともない真似をするんじゃない』

言葉に打たれた心は、ズキズキと痛む。



アルベルトに、謝ろう。
馬鹿なことして、ごめんなさいと言おう。
その前にお父様にも謝って、どうかまだここに、エゼルベルンに居させてくださいとお願いしなくちゃ。

アリエルは涙の痕を拭って、ふと箪笥の上の鏡を覗いた。
まだ薄く口紅が残っているのに気がついて、顔を洗うために引き出しからタオルを出した。
「ホント……馬鹿なこと、しちゃった」
口紅の味が、ひどく気持ち悪い。





部屋を出ると、階段のところでリヒャルトが待っていた。
一番上の段に腰掛け、長い足をもてあまし気味にして、じっと自分の爪を見ている。
「あ……」
アリエルが立ち止まると、
「あ、出てきた」
リヒャルトは立ち上がって、アリエルの傍に寄った。
「僕を?」
待っていたんですかと小首を傾げると、リヒャルトは申し訳無さそうな顔でうなずいた。
「謝ろうと思って」
「…………」
「本当に悪かった」
「……いいです、もう」
アリエルの返事に、リヒャルトは傷ついたような顔をしたので、アリエルは付け加えた。
「リヒャルト先輩のせいじゃないです。僕も考えが足りなくて……」
「アリエル……」
「そんな顔しないで下さい。本当に、リヒャルト先輩のせいじゃないんです」
自分がアルベルトの気を惹きたかっただけ――そう思うとアリエルは、再び、愚かな自分が恥ずかしくて、泣きそうになる。
けれども、ぐっと堪えて言った。
「お父様は?」
「ああ、待っていただいてる。俺が様子を見に来て……あと三十分しても出てこなかったら、ノックしようと思ってたんだけれど、その前に出てきてくれて、助かったよ」
「すみません」
そしてアリエルは、
(アルも一緒にいるのかしら)
と、緊張したけれど、クレマンスとイルマの待つ部屋に、アルベルトの姿はなかった。

「アルは?」
「具合が悪いらしくて、部屋に戻っているの」
イルマが、困った顔で微笑んだ。
「そう……」
アリエルはアルベルトのことを心配しながらも、ひょっとして自分と顔を合わせたくないからではないかと考え、傷ついた。
「せっかく来てくれたのに、こんなこと……」
アリエルは気まずそうに顔を伏せて、
「ごめんなさい」
小さな声で謝った。
「あら、いいのよ。二人の顔が見られて嬉しかったわ」
イルマは、アリエルの気を引き立てるように明るい声で言って、
「泣き顔も可愛かったけれど、やっぱりアリエルは笑顔の方が可愛いわ」
アリエルの頬にキスを落とした。
アリエルは、そっと父親の顔色を窺った。
クレマンスはそれまで黙っていたが、アリエルの瞳があまりに心配そうに自分を見るので、
「バルドゥール家の男は、人前で、そう簡単に泣いたりするものじゃない」
アリエルの髪を撫でて言った。
母親によく似て優しく繊細なこの息子に、『男』という言葉はひどく似合わない。
自分を見上げる大きな瞳、誰からも愛でられるかわいらしい顔。
(女の子に生まれていれば、どんなにか――)
クレマンスは、内心、溜め息をついた。
「僕、ここに居てもいいでしょう」
不安そうに尋ねるアリエルに、クレマンスは言った。
「今日のことくらいで、屋敷に連れ帰ろうとは思わないよ。けれど、何度も同じような事があっては、今後の進路に付いては考えざるをえなくなる」
「お父様」
「しっかり勉強して、良い友達をたくさん作りなさい」
「はい」
コクリとうなずいて、
「じゃあ、僕のお友達を紹介するね」
パウルとフランツに紹介しようとしたけれど、
「いや、悪いがアリエル、もう帰らないといけない時間だ」
クレマンスが時計を見て言った。
「えっ?」
もうそんな時間。
自分がずい分長い間二人を待たせてしまっていたことに気が付いて、アリエルは、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ごめんなさい、僕」
「お前がいない間に、リヒャルト君のご家族ともお話できたし、色々見学もさせてもらったよ」
「そうなの?」
「素敵なところで、良かったわ。また手紙書きますからね。……アルにも、手紙を書いてと、伝えておいて」
「はい」
自分の母親が帰るというのに顔も見せないアルベルトのことは気になったけれど、アリエルは、自分がクレマンスに許されたことが嬉しくて、その夜は安堵した気持ちでベッドに入った。




明日は、アルに会いにいこう。
アルに会って、謝らないといけない。あんなこと、二度としませんって誓って。
そして、許してもらおう。




そっと左手のリングに触れて、アルベルトの顔を思い浮かべる。
嫌われたくない――。
アルベルトに嫌われたら、生きていけない。
「アル……大好きなんだよ……」
そっと呟いて、目を閉じる。


この後、恐ろしい夜の闇が、自分を待っているとも知らず。





HOME

小説TOP

NEXT