「寒いな」 「まさか雪なんか降らないよな」 「まさか」 十月祭といいながら実際は十月も終わりの時季に行われるそれは、しばしば冷たい雨や雪に見舞われることもあったが、今年はその心配は無さそうだった。 「風は冷たいけど、何か降ってくる気配は無いよ」 「お祭り日和だ」 「なあ、リヒャルトはどこだ?」 「実行委員を集めて何かやってるらしい。講堂のほうだよ」 「ふうん」 「何で?」 「氷の薔薇の君が、さっき捜していたからさ」 「なあ、そういや、俺、チラッと聞いたんだけどさ」 「何?」 「今年の十月姫……」 * * * 「リヒャルト」 「ああ、アル」 「アリエルを知らないか?」 「えっ?いや?」 わざとらしく目を瞠ったリヒャルトに 「何を隠してる」 アルベルトは柳眉をつり上げで詰め寄った。リヒャルトは真面目な顔を作って応える。 「何も、全く」 「嘘をつくな。君がアリエルを連れて行ったのはわかってるんだ」 「そんな怖い顔をするなよ。綺麗な顔が台無しだ」 「ふざけるな」 真剣に声を尖らせるアルベルト。 「お砂糖ちゃんならそのうち会える。心配するな」 「やっぱり知っているんだな」 「まあまあ、それより中庭に行かないのか。自分の家族にエゼルベルンの薔薇の君を紹介したいって連中が待ちかねてるぞ」 薔薇の君とか氷の薔薇とか、そういう呼び名をアルベルトがひどく嫌っているということを知った上で、リヒャルトはまぜかえした。 「俺の家族も来てるんだ。弟が来たがってね。会ってくれよ」 「あ、ああ、そうか、今年はいらしてるのか」 リヒャルトの実家には、過去に二度も遊びに行ったことがある。長い休みの間、家に帰ろうとしないアルベルトを気遣って、リヒャルトがしつこく誘ったもの。 「挨拶させていたただくよ」 「そうそう」 「それで、アリエルはどこにいるんだ」 「だから、待ってろって。しかし、お前、実はむちゃくちゃ独占欲が強いんだな」 「何だって」 「意外だったよ、色んな意味で」 「どういう意味で? だいたい君が」 中庭に続く道を歩きながら、アルベルトがリヒャルトに文句の続きを言おうとしたところ 「アルベルト」 突然呼びかけられ、アルベルトはギクリと肩を震わせた。 振り返ると 「ああ、アルベルト、信じられない。こんなに大きくなって」 母親イルマが抱きついてきた。 言葉も出せず呆然と固まったままでいるアルベルトに、別の声が話しかける。 「久し振りだね。本当に立派になって」 アルベルトは、頭を動かすことも出来ずに、盗み見るようにその声の主を見た。 (おじ様……) 「四年ぶりになるのか」 頭に若干白いものが混ざっているけれども相変わらず若々しい美丈夫の姿に、突然、十四の夏がよみがえった。 (この二人が――) 突き飛ばすように、母親を身体から引き離す。 気持ち悪さに身体が震える。 「アルベルト?」 イルマが青ざめた顔でアルベルトを見上げた。 「あ…」 ふらつきそうな身体を支えて、アルベルトは隣に立つリヒャルトに助けを求めた。 「何だよ。俺がいるからって恥ずかしがることないだろ」 リヒャルトは、よく上級生ぶるときに演出する、大人びた顔で笑って 「はじめまして、リヒャルト・アルフレート・フォン・ヴァンスヘルムです」 クレマンスに右手を差し出した。 「アルベルトのお父さん」 「あ、ああ、いや、私は叔父だよ。クレマンス・リヒター・フォン・バルドゥールだ」 しっかりと握手して、クレマンスは白い歯を見せた。 「あ、ひょっとしてアリエルの?」 「ああ、アリエルもお世話になっているようだね」 「やっ、いえ、その…」 愛息を女装させてしまったという後ろめたさ。 クレマンスが紳士なだけに、リヒャルトは柄にも無くうろたえてしまった。 「ごめんなさい、突然お話中に飛び込んで。アルベルトの母です」 イルマも自分の行動が思春期の息子を恥ずかしがらせたのだろうと思い当たり、リヒャルトに改めて挨拶した。リヒャルトはアルベルトの親友として、立派に挨拶に応えた。 その間に、アルベルトはどうにか自分を取り戻すことに成功した。 「どうしたんです。突然」 母親に向けた言葉に、叔父が応えた。 「アリエルから招待状をもらってね。仕事の都合がつきそうに無いと思って諦めていたんだが、偶然、時間ができて」 「クレマンスが行くと言うので、私も連れて来ていただいたのよ」 イルマは嬉しそうに笑った。 その花のような笑みも、息子に会いに来られたからではなく、クレマンスと一緒に旅行できた喜びからだとアルベルトは思った。 「お父様は…」 「えっ?」 「…お元気ですか」 知っているのかと続けそうになった言葉を、言い換えた。 「ええ、相変わらずお仕事の鬼よ。最近じゃ、ドイツにいることはほとんど無いわ」 「そうですか」 「アルベルトは、お元気でした?」 「はい」 「何度お願いしても、帰ってきてくれないから」 「すみません」 リヒャルトは、アルベルトとその母の会話がひどくよそよそしいことに違和感を覚えたが、上流階級とは得てしてこういうものだと納得した。 貴族の称号を戴きながらすっかり庶民の暮らしに馴染んでいる自分の家の方が珍しい。 「アリエルは、どこにいるのかな」 クレマンスの言葉に 「あっ、と」 リヒャルトは、額を押さえた。 何だいと訊ねるようにクレマンスが振り向いた。 「ええと、実はですね……」 リヒャルトが、言葉を選びながら説明し始めた。 「十月姫?」 「ちょっとした遊びです。パフォーマンスっていうか。その、深い意味はありません」 申し訳無さそうに頭を下げるリヒャルトの隣で、アルベルトがこわばった顔を隠しもせず低く叫んだ。 「アリエルは、どこに」 「あ、講堂」 舞台裏で準備中だという言葉を最後まで聞かずに、アルベルトは駆け出した。 「あっ、おいアルッ」 「アルベルト?」 十月姫の舞台が準備された講堂は、まだ関係者以外立入禁止となっていたにもかかわらず、噂を聞きつけた生徒達でごったがえしていた。 その中をアルベルトが掻き分けるようにして進む。 アルベルトだと気がついた生徒たちは自然に道を明けた。 舞台裏に飛び込んだアルベルトは、そこに、少年たちにかしずかれる様にして立つアリエルを見た。 金色の柔らかな巻き毛が背中まで覆い、ベルベットの赤いコートの上で煌めいている。スカートこそ穿いていないけれど、Aラインのたっぷりしたボリュームのコートは、そう見えるように狙ったものだ。 驚いたように振り向いた顔は、いつもにまして艶めかしい。 アルベルトはつかつかと歩み寄った。 「化粧をしているのか」 「あ、口紅、だけ……」 アリエルの顔が恥ずかしそうに赤く染まる。 ひどく嗜虐心をそそるその表情に、周囲の生徒の視線が集まるのを感じて、アルベルトはカッとなった。 パンッ アリエルの頬が鳴った。 「みっともない真似をするんじゃない」 「あ……」 アリエルが頬を押さえて、アルベルトを見上げる。その瞳にみるみる涙の粒が盛り上がる。 (みっともない……?) アルベルトをビックリさせてやれと、そうリヒャルトに言われて、その気になってしまった。 鏡の中の自分を、一瞬でも、自分で可愛いと思ってしまったから――アルベルトにもそう言ってもらいたくて―――。 「みっと、も……」 呟いて、アリエルはその場から逃げ出した。 羽織っていた赤いコートを脱ぎ捨てて。 「アリエルっ!」 (みっともない) アルベルトの言葉が、頭の中で繰り返される。 舞台裏から講堂に飛び出したアリエルを、その場にいた多くの生徒が取り囲んだ。 「可愛いっ」 「よく顔を見せて」 「シュガーベイビ、こっちにも来てよ」 「放して、どいてください…っ」 アリエルは生徒たちをかき分け、外に出ようとするが、誰もそれを許してくれなかった。 瞳を潤ませた可憐なアリエルは、その場にいた少年たちの嗜虐心を煽り、みなアリエルを捕まえようと本気になった。 「やめてっ、離してください」 「捕まえた」 前に回った上級生が、アリエルの身体を胸で受け止める。 「やめて」 「そうだ、ハンス、独り占めは良くない」 別の生徒がアリエルの腕を引いて、ダンスのようにターンさせた。 「やっ、やめ……」 「お前こそ、独り占めするなよ」 別の少年がダンスに割り込む。 「いやだ。やめて下さい。離して」 「こっちにもよこせ」 知らない誰かに抱き締められていた身体を、強く引っ張られ、また別の誰かに引き寄せられる。 「こっち」 「次は、俺」 クルクルと講堂の中を、小さなアリエルの身体が舞った。 少年たちは、面白がっている。 「お願い、外に出してッ」 アリエルが、悲鳴をあげた。 追いついたアルベルトはその様子を見て動けず、ただ、その場に固まったまま。 「やめろっ、お前ら」 講堂にリヒャルトの怒声が響いた。 一瞬、しんと静まって、再びざわつく。 「なんだよ、冗談じゃないか」 「そうそう、だってこんなに可愛いんだから」 笑って返した一人の少年を、きつく睨んでリヒャルトは言った。 「彼のお父上の前で、同じ言葉を言えるか」 「えっ」 少年たちの後ろから、長身の紳士が現れ、みな一斉に道を開ける。 「アリエル」 「お、父…様……」 アリエルは、恥ずかしさと居たたまれなさに、その場にペタリと座り込んでしまった。 「ふっ…うっ…う」 下を向いて泣き出した息子を、クレマンスはやれやれといった顔で抱き寄せる。 「イルマ」 「ええ」 クレマンスがアリエルを抱き上げ、イルマがその長い金髪のウィッグを丁寧に外した。 アリエルは恥ずかしくて顔を上げられず、顔を父親の胸に埋めたまま、泣き声が出ないように両手の拳で口を押さえていた。 そして三人は、そのまま講堂を出て行った。 リヒャルトがひどく恐縮した顔で、その後ろを追いかける。 アルベルトは、講堂の隅でその一部始終を見た。 顔は死人のように青ざめている。 気がついた下級生が、慌てて声をかける。 「だ、大丈夫ですかっ」 アルベルトは、貧血を起こしたようにその場にうずくまった。 「本当に、申し訳ありません」 リヒャルトが、身体を二つに折るようにしてクレマンスに謝る。 「いや、君のせいじゃない」 「いいえ。僕が、アリエルに十月姫の舞台に出てくれと言ったんです。僕が、始めたから」 「すんだことだよ。それよりアリエルは……」 「自分の部屋のベッド。もぐりこんで小さくなっているわ。大丈夫、もう落ちついているから。単に顔をあわせるのが恥ずかしいだけみたいよ」 イルマが応えた。 「そうか」 クレマンスは、ふっと笑った。 「久し振りに会ったというのに、話もできないのかな」 「どうかしら、後でまた様子を見てみましょう」 イルマも微笑んで、そして綺麗に箱にしまわれたウィッグを見てポツリと言った。 「あんまりヒルデに似ていたから驚いたわ」 クレマンスはわずかに眉をひそめて、何も言わなかった。 |
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