「なあ、見た? 中等部の外部からの転入生」 「一人、むちゃくちゃ可愛い子がいただろ?」 「金髪に水色の瞳の、だろ?」 「そうそう、詩的に言うなら、蜂蜜色の巻き毛、澄んだ夏の空の瞳」 「はっ、どこが、詩的だよ」 「なんだよ」 「なあ、名前、知ってる?」 「アリエル・フォン・バルドゥール」 「えっ?」 「バルドゥール?」 「バルドゥールって…」 「十一年生のアルベルト・ヴァルター・フォン・バルドゥールの従弟だってよ」 「嘘だろ?」 * * * 「よう、アル」 講堂に向かう途中、親友のリヒャルトに肩を叩かれ、振り向いたアルベルトはその秀麗な面をほんの少し歪めた。 「リック(リヒャルトの愛称)タイはどうした?」 「ああ、取られた」 「誰に?」 「さあ、俺のファンじゃないの?そんなことより、お前の従弟、大した話題だな」 その言葉にアルベルトは、あからさまに不快な表情になり、 「君がそういう噂話に興味を持つとは、意外だったね」 聖書を小脇に抱え直して背を向けた。 「興味があろうと無かろうと、耳に入ってくるものは仕方ないだろ」 「………」 「あれだけ可愛いと、さぞ心配だろう?」 「どういう意味だ?」 「自分がここに来たときのことを思い出してみろよ」 リヒャルトは、多くの下級生が憧れる、大人びた男らしい顔でニヤリと笑った。 アルベルトは眉をひそめ、そして、すぐにいつもの冷たい美貌で応えた。 「……考えてるよ」 ここ、エゼルベルンギムナジウムは全寮制の男子校。 五年生から十二年生までが中等部と高等部の別々の校舎で授業を受けているが、その寮は隣り合わせており、行き来は自由。食堂や講堂は共有。もちろん校舎に隣接する広い運動場や、寮の裏から続く静かな林なども全校生徒が自由に使っているため、上級生と下級生の接点は何かと多い。 そして、可愛い下級生には必ず、上級生の注目が集まるのだった。 「すみません、アルベルト・バルドゥールは、こちらの教室ですか?」 短い休み時間に、金色の巻き毛の少年が教室の入口に立って中に呼びかけたとき、入口にいた数人の少年たちは思わず言葉を失ってその顔に見惚れた。 ざわついていた教室が、静かになる。 「あの…」 「アリエル」 クラス中の生徒の見つめる中、足早に近づいてきたのは、美貌のアルベルト・バルドゥール。アリエルと呼ばれた少年の従兄弟、十一年生の学年長。 「上級生の教室に、軽々しく来るものじゃない」 たしなめられて、小さなアリエルの頬にふわりと血が上った。 「ごめんなさい…僕……」 「何の用だ?」 「僕宛ての荷物の中に、おば様のお手紙が入っていたの」 まだ着慣れない制服の内ポケットから、白い封筒を出した。 アルベルトは、受け取りながらも 「寮で構わなかったのに」 「早く見たいかと思って」 「別に」 冷たく応えて 「ほら、休み時間が終わってしまう」 早く帰れと視線で促がした。 アリエルが、キュッと唇をかんでうなずくと、後ろから大きな声がした。 「おや、シュガーベイビ、お兄ちゃまに会いに来たのか」 「リック」 教室の入口に片肘で体重を預けアリエルの背中に覆い被さるように立つ黒髪の親友を、アルベルトは睨みつけた。 「俺にも紹介してくれよ。シュガーベイビちゃん」 「何だ、そのみっともないあだ名は」 「だから、あだ名だろ? 甘くてとろけそうで可愛いじゃないか。うちの寮の連中は皆そう呼んでる」 四つに分かれた寮の中でも上級生ばかりの集まるヴィンター寮の寮長は、長い前髪をかきあげて、アリエルに向かって微笑んだ。 「はじめまして。君の麗しき従兄殿の一番の友人、リヒャルト・アルフレート・フォン・ヴァンスヘルムだ。リックでも、ディックでもかまわないよ」 人差し指でアリエルの細い顎を持ち上げて、じっと顔を覗き込む。 「あ…」 「君の愛らしい唇からなら、モン シェリーと呼ばれてもいい。わかる? フランス語」 アリエルの頬が真っ赤になった。 「いい加減にしないか、リック」 「あ、あの……」 困ったように自分を見上げるアリエルに、アルベルトは厳しい瞳で言った。 「早く教室にお帰り。授業に遅刻する」 「は、はい……」 パタパタと走り去る華奢な後ろ姿を見送って、リヒャルトは小さく口笛を吹いた。 「近くで見たら、予想以上の愛らしさだったな。皆が騒ぐのもわかったよ」 チラッと横を振り向いて、 「シュガーベイビは誰とリングを交換するのかって、大変な噂だ。なんなら俺が名乗りを上げても構わないか?」 挑戦的な物言いに、 「あいにく、あの子のリングは僕がもらうことにしているんだよ」 アルベルトの応えは、物に動じない性格のリヒャルトを少なからず驚かせた。 歴史のあるエゼルベルンギムナジウムには伝統と呼ばれるものは数多くあったが、学長や優秀な教師陣が誇る表だった伝統よりも、生徒たちの間で代々大切に受け継がれてきた風習は、恋人同士がスクールリングを交換するというものだった。 校章を象った、互いの名を内に刻んだ、銀の指輪を交換することは、ギムナジウムの少年たちの間ではエンゲージと同じ意味を持っていた。 「お前が、お子ちゃま趣味だったとは、思わなかった」 リヒャルトは、自然と、アルベルトの細く長い指に光るリングに目をやった。 「自分こそ、名乗りを上げるとか、言わなかったか」 「冗談だよ。あんな抱いたら壊れそうな子、怖くて手が出せない」 笑いを含んだ言葉に、 「冗談でも、そういう表現を僕が嫌うということは、知っているんだろう」 汚いものでも見るようにリヒャルトの顔をねめつけて、アルベルトは自席へ戻る。 リヒャルトは、薄く苦笑し、肩をすくめた。 入学以来アルベルトは、上級生から、そして年長になれば下級生からも、リングの交換を何度となく申し込まれていたが、今まで一度として承諾したことはなかった。それは、親友のリヒャルトが今まで誰ともリングの交換をしていないというのと、実に対照的な理由だ。リヒャルトの場合、常に複数の恋人らしきものがいて、たった一つのリングではとても足りないという訳だが、アルベルトは、冷たく美しい外見にふさわしい潔癖さをもって、全ての求愛をはねつけていた。それだけではない。アルベルトは、男子校にありがちな性的なもの一切を拒否する頑なな態度を崩さず、下卑た冗談には露骨に眉をひそめ、ふざけたスキンシップには過敏に拒絶を表し、いつしかエゼルベルンの氷の薔薇と呼ばれるようになっていた。 「氷の薔薇が、お砂糖ちゃんに……ね」 授業を知らせる予鈴が鳴った。 「アルベルト先輩に会えた?」 「うん……」 教室に戻ったアリエルを迎えたのは、アリエルと同じときに転入してきたパウルだ。 毎年新年度の始まる九月には、外部からの転入生を受け入れるエゼルベルンギムナジウムだったが、編入試験も難しく、そう何人も入って来られるわけではない。今年六年に入ったのはアリエルとパウルと、そしてもう一人。 「フランツは?」 「やっぱり上級生の校舎に行ったんだよ。アリエル、一緒にならなかった?」 「ううん」 アリエルが首を振ると金色の髪が揺れて、パウルは眩しそうに目を細めた。 「もう戻ってこないと、授業始まっちゃうよ」 「そうだね」 心配していると、予鈴とともに年配の教師を押し退けるようにして、もう一人の転入生フランツ・ギュンター・デッケンハルトが駆け込んで来た。 「こら」 「すみませんっ」 フランツの顔は、高揚していた。 授業が終わると、アリエルとパウルはフランツの席に行った。この後は、食事もとれる長い休憩の時間だ。 転入生の三人は、同じクラス、同じ寮に入った。寮は四つのうちでも比較的下級生が多いフリューリング寮。二人部屋だったのでフランツとパウルが同室で、アリエルは一人部屋。それでも隣同士のため、三人はいつも一緒にいた。 「ねえ、さっきは、どうしたの?」 パウルが訊ねると、フランツは顔を上げて、そして瞳を輝かせて立ち上がった。 「フランツ?」 教室を飛び出すフランツの背中が、付いて来いと言っていたので、二人は後を追いかけた。 小春日和という言葉がぴったりの麗らかな秋の陽射しさす中庭で、フランツは二人を振り返った。 一年中緑を保っている芝生に腰を下ろす。 「どうしたんだよ、フランツ」 パウルが続いて、隣に座る。 「何か、嬉しいことがあった?」 フランツの表情に、アリエルは、何か感じて微笑んだ。 「えへへ」 フランツが嬉しそうに握った手を差し出した。 「何?」 まるで小鳥が逃げるのを恐れるようにもう片方の手を添えて、ゆっくり開いた右手のひらには、銀色のリングが輝いていた。 「スクールリング?」 「誰かの? 交換したの? ひょっとして?!」 アリエルもパウルも、エゼルベルンギムナジウムに伝わるスクールリングの伝統は、転入初日に聞かされている。 「ライムント」 「幼馴染みの?」 「うん」 「やっぱり!」 パウルが大声を上げて、パチンと手を鳴らした。 フランツが三つ年上の幼馴染みを追いかけてここに来たことも聞いている。そもそもスクールリングのことを二人に教えたのはフランツで、そのときからフランツはライムントとリングの交換をすることを夢見ていたに違いない。 「よかったね」 「おめでとう」 「へへっ、ありがとう」 「さっき、上級生の校舎に行っていたのは、そのためだったんだ」 「ううん。ライムントには別の用事があったんだ。だけど、行ったついでに無理やり交換してきちゃった」 「すごい。無理やり?」 パウルは、薄いそばかすの中で大きな目を見開いた。 アリエルは、幸せそうな友人を見て微笑んでいる。 「アリエルは?」 「えっ?」 突然話をふられて、アリエルはまばたきした。金色の長いまつげが光を弾いた。 「僕?」 「さっき、アルベルト先輩の教室に行ったんだろ?」 無邪気に尋ねるフランツに、アリエルはチクリと胸を疼かせた。この嬉しそうなフランツと、自分の違いに傷ついて。 「僕は、おば様のお手紙を届けに行っただけだから……」 そして、冷たい瞳で追い返された。 「ふうん。でも、アリエルもアルベルト先輩のことが好きなんだろ?」 「それは…」 「大丈夫だよ、アリエルなら」 「うんうん」 パウルが相槌をうつ。 「僕、ライムントの所から帰る途中で、ずい分たくさんの上級生から、アリエルのこと聞かれたよ」 「えっ? 何て?」 どうして? と小首をかしげる、その仕草もとても愛らしいのだが、アリエル自身は気がついていない。 「だから、付き合ってる相手がいるのかとか、アルベルト先輩との本当の関係だとか」 「関係って…ただ…従兄弟同士だってだけだよ……」 五つ年の離れた従兄のアルベルト。 母親同士が仲の良い姉妹で、父親は従兄弟同士。小さな頃は互いの家に行き来して、よく一緒に遊んでもらった。アルベルトが家を出てギムナジウムで寮生活を送ると聞いたとき、小さなアリエルは母親の膝でポロポロと泣いて、自分も一緒に行くと言った。 五年生になってエゼルベルンギムナジウムに行きたいと言ったときは、父親が許してくれずに一年間は家から通える学校で我慢したのだけれど、一生懸命説得して、ようやく編入試験を受けさせてもらえたのだ。 転入が決まって、アリエルは舞い上がった。 けれども、一緒に喜んでくれると思っていた従兄は、初めて寮で会ったとき、困ったように眉をひそめた。 (アル……) 何かの間違いかと思って、何度か自分から声をかけた。そのたび、反応はそっけなく…。 昨日届いた荷物の中にアルベルトの母親からの手紙が一緒に入っていたのを幸いに、勇気を出して教室まで行ったのも、やはり迷惑そうだった。 「僕は…ダメだよ」 「アリエル?」 アリエルの水色の瞳に涙の膜が張られた。 「どうしたの? アリエル」 「アリエル」 パウルとフランツが慌ててアリエルを覗き込む。 アリエルは、エゼルベルンに来たことを、早くも後悔し始めていた。 |
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