キーワードしりとり第十二回お題  つんつるてん

                              by 永



ひとり残された太刀川は、焦っていた。
さっきの晶と一瀬の雰囲気。
そして、一瀬と松野の意味深な会話。
まさか――― 一瀬のやつも、譲原を好きになってしまった、の、か?
(と言うことは譲原は一瀬と両おも…いいいや! あり得ない断じてそんなことはっ!)
つい先日まで、2人は話したこともなかったはずだ。
ただの、譲原の一方的な片思いだったはずだ。
それなのに、今の雰囲気は一体何?
これではまるで、刺客を放った自分自身が、譲原・一瀬の『恋のキューピットさん役』などを務めてしまったような―――!
策士、策に溺れる。
太刀川はピキンと凍り付いた。
しかし、そこは策士太刀川。すぐに計画修正にかかる。
数分後、太刀川の表情には自信たっぷりの笑みが浮かべられていた。
「ふっ。一瀬め。せいぜいバケツリレーに励むがいい」



ウォーターボーイズとのバケツリレーが決まってから3日後の決戦の日まで、一瀬と4人の元刺客達は、真剣にバケツリレーの練習に臨んでいた。
いや、臨まされていた。元火消し部の部長、逗子 麻里雄のせいで。

「東郷っ、バケツを運ぶ時はもっと腰を落とすんだ! ちが〜〜うっ、そうじゃない! バケツを持つ手はもっと優しく、恋人を抱くように!」
「そぎゃんこと言われてもワイ、ほんなのおらんけんな……すまんけど野々宮先生、ちょいとワイのバケツになってくれんか?」
「触るんじゃないわよ田舎者。それにしてもせっかくのプールサイドだって言うのに、一瀬くんたら服着ちゃって味気なーい。ねえ、ちょっと脱ぎなさいよv」
「俺を運ぶな俺をっ! バケツ持ちやがれ!」
「おやっさん……オレ、このバケツ、マジで真剣に運ぶッスから! おやっさんのラーメンが入ってると思って!」
「なんて泣けることぬかしやがんだおめぇってヤツはよぅ!」

………このように、6人は大変真面目に練習に明け暮れていた。
朝練・昼練・深夜練と、時間を惜しんでの練習が続く。
一瀬としては、こんなことまでして何故バケツリレーの奥義?を会得??しなくてはならないのかとても謎だったのだが、
「ご、ごめん、迷惑かとも思ったんだけど、また来ちゃった……そのっ、一瀬を近くで応援したくてっ!」
と、顔を真っ赤に染めた譲原 晶が毎度毎度現れてくれるので、その点だけは役得かも、と思ってせっせとバケツリレー練習に励む日々。

そしてとうとう、勝負の日は来てしまった。



ここでおさらい。
バケツリレーとは、火消し部に代々伝わる伝統の勝負方法である。
プールに入っている水をバケツで運んで、裏庭のドラム缶10本を先に満タンにした方が勝ち、というのがバケツリレーのルールでございます。


見事に晴れ渡った青空の下、譲原 晶は、裏庭のドラム缶前に立っていた。
ここ3日間、毎日一瀬達のバケツリレーの練習を見に来ていた晶だったが。
肝心の、「そもそもなんでこんな勝負をするのか」という点について、やっぱり晶は勘違いをしている。
(もしかして一瀬……俺がアシュレイに騙されたって言っちゃたから…?)
それは少々、自分に都合のいい勘違いだ。
もしかしたら一瀬が、騙された自分のかたきを打ってくれようとしてるんじゃないか、なんて……。
しかし真実は、存在もしない『晶のお宝プロマイド』のためだったりするから、晶の勘違いもそう大きくは外れていないのだが。
とにかく、あれほど美し(くて儚)い一瀬が、自分のために(心臓病をこらえて)バケツリレーに取り組んでくれている、と思うだけで、晶の胸は高鳴った。
(一瀬)
晶はドラム缶の前で、祈るように両手を組む。
(ほんとに、本当に、俺、一瀬が好きだよ)


「―――ずはら、譲原っ! 寝ちゃだめだ譲原!」
名前を呼ばれ、肩を揺すられて、晶ははっとした。
いつの間にか隣には太刀川先輩が。その隣には松野先輩の姿もある。
「1人の世界に入ってるところ、邪魔してごめんね。バケツリレーの準備、できたみたいだよ。リレーって言えばそうそう、こんななぞなぞ作ってみたんだけど譲原くん答」
「リレーが始まる直前に悪いんだが譲原。ちょっと頼みがあるんだ、いいかな?」
松野のセリフを途中で遮って、太刀川が尋ねてくる。
突然だったので、晶はきょとんとして反射的にコクコク頷く。
すると太刀川は、非常に申し訳なさそうにこんな頼み事をしてきた。
「科学室に鞄を忘れてきてしまったんだ。取ってきてくれないか?」
「え、鞄ですか?」
「ああそうなんだ。あの鞄には、大事な薬が入っていてね…あれがないと、きっとこのバケツリレーは無事に済まないだろう」
「薬?!」
薬、と言えば、一瀬、だ。
少なくとも晶にとっては、そうなのだ。
一瀬は心臓病を患っている(と晶は勘違いしている)。ハードなバケツリレーに参加するためには、一瀬にはきっと薬が必要なはず―――。
(……そうだった。太刀川先輩も、一瀬が好きだから…)
まだそんな勘違いをしている晶は、太刀川が一瀬のために心臓病の薬を用意したのだと一層の勘違いをしてしまった。
(そんな、薬の用意なんて……俺、そこまで気が回らなかったよ…)
ぐっと唇を噛みしめてから、晶は顔を上げる。
「わかりました、すぐ取ってきます!」
「頼むよ」
―――晶が科学室に向かった後、太刀川はプールサイドで待機する科学部の後輩に、バケツリレーを開始するように、無線機で合図を送った。
すぐ、太刀川と松野の耳に、遠くの歓声が届く。リレーが始まったらしい。


のんびりと松野は言った。
「ふうん、譲原くんが戻ってくるの、待たないんだ」
「当たり前だ! 一瀬がバケツリレーに没頭している間に、科学室に向かった譲原は、そこで学校一の不良グループに襲われることになっている! 譲原の戻りが遅いと気になった俺が、科学室へ譲原を探しに行って惨事を発見、不良グループを撃退! そこからは俺と譲原、2人の世界だ。刺客だのバケツリレーだの、この際もうどうでもいい!」
「ははは」
松野はひとしきり笑った後、ふうと溜息を付いた。
「つまり君、随分せっぱつまってるってるんだね」
その時、だった。――


バアン!!


何かが爆発するような音が、聞こえた。
校舎の方向から。
太刀川と松野は、反射的に後ろを振り返る。
校舎の2階の最南端から、もくもくと煙が―――
「…………!」
「ねえ、科学室? あそこ」
「…………!!!!!」



爆発音が聞こえた時、一瀬はちょうど、バケツを6番手の逗子 麻里雄に渡したところだった。
「な、なんだあ?!」
リレーは気になるが、爆音はもっと気になる。一瀬はバケツを持った逗子と一緒に、校舎がよく見える裏庭へと向かった。
たくさんの生徒達がざわついて傍観している裏庭に、太刀川と松野の姿もある。
炎と煙の上がる校舎2階。
出火点は、おそらく科学室だろう。
(科学部はヤバイもん山程持ってそうだからな、第一あの太刀川の在籍する部活だしよ、爆発の一つや二つ、してもおかしくねえ…)
人がいなきゃいいけど……と、そんなことを思いながら、一瀬が太刀川達に近づくと。
「ゆっ、譲原―――!!」
突然、太刀川がそう叫んで校舎の中に入っていく。
驚いて一瀬は側にいた松野に尋ねた。
「オイ、麗一郎。どういうこったよ、譲原がどうしたんだよ?」
「譲原くん、ちょうど科学室に行ってたところだったんだ」
「なっ……?!」
譲原が―――
譲原が、あの中に――――?!
そう思うと、一瀬の中で何かが切れた。
「あ、智。多分、危ないんじゃない?」
止めたいのか何なのか判断つかない松野の呼びかけを無視して、一瀬も校舎に向かって走った。



譲原が、可愛い譲原が、あの煙の中にいる。
(冗談だよな?! んなことあるわけねえよな?!)
そう心の中で言い聞かせながら、まだ壊れていない階段を駆け上がる。
すごいスピードで、一瀬は前を走っていた太刀川に追いついた。
それに気付いた太刀川が、くるっと振り返って突然、何故かこちらへ構えてくる。
「くそ、一瀬もう来たのか! お前に譲原は助けさせんっ! 譲原を助けて感謝されるのは俺――――どあっっ!!」
口を開く気にもならず、一瀬は走りながらのスピードで、太刀川の胴部に鉄拳を喰らわせた。
床に溜まったチリや灰ですべったのか、太刀川はつんつるてんと回転し。
一応、27人目の刺客・太刀川、倒れる。
が、勿論いま、一瀬にそんなことはどうでもいい。
頭にあるのは、譲原 晶のこと。ただそれだけだ。
進むたびに、煙が濃くなる。熱を感じる。
2階に上がるとそこは煙の海だった。最も南側にある科学室の方向は一層で、向かうこともできない。
それでも、この中に、譲原が、いる、かもしれないのだ。
(譲原)
弱いクセに、『一瀬を守る』なんていう、譲原。
拳は使えないが、でも実際、色んな方法で一瀬を助けようとしてくれた譲原。
目を閉じると、まだ少ししか見たことのない、譲原の赤い顔が瞼に浮かぶ。
キッと一瀬は双眸を開いた。
(何があっても、絶対助けるからな!)


「――――いいい一瀬っ?!」

科学室に向かって走り出そうとした一瀬の背中に、そんな声が飛んでくる。
その声が一瞬信じられなくて、立ち止まってしまう。
ゆっくりと振り返ると、そこにいるのは間違いなく――――
「だ、駄目だよ一瀬そっち行っちゃ! 危ないからっ! いやっ、えっとその、どうして一瀬こんな所にいるの? バケツリレーは? もしかしてもう終わっちゃった?! あっ、薬取りに来たの?! ご、ごめん、俺、太刀川先輩に薬取りに行くよう頼まれてたんだけど、科学室の場所、間違えちゃって! そしたらいきなり爆発っぽい音が聞こえたからびっくりして――――――――――――え」
気付いたら、駆け寄って譲原を抱きしめていた。
服から伝わってくるぬくもりが、これが現実の譲原だ、ということを一瀬に実感させる。
(無事だったんだ)
怪我もなく、いつもと変わらない譲原。
その譲原がまた真っ赤になっていることに気付いて、一瀬はもっと強く抱きしめた。
「いっ……ちのせ、どしたの? ま、また苦しいとか……」
「―――ん。ちょっと苦しい」
「ええっ?! だだ大丈夫?!」
「わかんねえ。でも、言ってくれたら治るかも」
「いいい言う? って何を」
「好きっつって」
「ええええ?!」
そう晶が叫ぶのも無理はない。
余りにも突然すぎる展開。しかも状況が状況。2人は今、煙に包まれた廊下で抱き合っているのだ。
モゴモゴと次の言葉が出てこないらしい晶を、更にぎゅううと抱きしめて一瀬は言った。
「じゃあ俺から言ってやるよ。譲原が好きだ。お前が科学室で倒れてるんじゃねえかって思ったら、すげえ苦しかった。お前が好きだから」
「う―――あのっ、え。えええ?! い、一瀬、俺、俺を?! け、煙、吸った?!」
『一瀬が俺を好きだなんて。もしかして煙吸いすぎておかしくなった?』
と言っているつもりの晶。
一瀬には十分、伝わった。
「言えよ。ホラ」
「そっ、そりゃあ俺は一瀬が大好きだし守りたいって思ってるけどっ、一瀬が? おお俺を?!」
「うっし。苦しいの治った」
「お、俺、なななんか聞き違いしてない?! 一瀬、もっかい言って?!」
―――2人は、救急隊に発見されるまで、そうして煙の中で抱き合っていたのだった。



さて、その頃、裏庭に集まる生徒達はただただ炎の様子を傍観していた。
バケツリレーをしていた面々も集まっている。
が、誰1人として次の行動を取ろうとする人間はいない。誰だって本物の炎は怖い。それは例え、自主訓練を積んだ火消し部の部員達であっても。
そこに突然、周囲にひょろりとした男の甲高い声が響き渡った。
「心底見損なったぞウォーターボーイズ!」
火消し部の元部長、逗子 麻里雄の声だった。
「お前達が火消し部に入部したのはリレーのためだったのか?! 火を消さない火消し部など、高速道路の動物注意標識と同じだ、つまり、無意味!」
そう叫んで、リレー途中のバケツを持ったまま、科学部の教室へと向かって走り出す逗子。はっ、と何かに打たれたように、ウォーターボーイズ達は顔色を変えた。
「お、俺たちが間違ってました! ついていきます部長っ!」
逗子について走り出した火消し部員たち。
それを見て、東郷・野々宮・来来軒の2人もバケツを持って動き始めた。

翌日の地方新聞には『高校生、バケツリレーで火事鎮火!』という見出しがおどることとなる。





それから、1週間が経った。
バケツリレーで一躍地域中の有名人となった刺客達は、また日常の生活に戻っている。
しかし、日常に戻れそうにない刺客が、ここに1人。

「はあ………」
太刀川は、苦くて、それでいてどこか甘いため息を吐いた。
太刀川は学生にはありがちな、それでいて重要な悩みを抱えていた。
即ち、恋の悩みである。
それも、『失恋』という名の、恋の悩み―――
「今日これで32回目だよ、溜息の数。さてなぞなぞです。これで君の、一週間前からの溜息の数、累積で一体何回になったでしょう?」
「人の溜息を数えるほど暇なら出ていってくれないか松野。俺は失恋した自分の心をいやしている最中なんだ」
大体お前だって、と27番目の刺客は気のない声で続ける。
「お前だって、一瀬の困った顔が好きとか言っていたじゃないか。これからはあんまり見られそうにないぞ、いいのか?」
「ははは」
薄羽蜻蛉の君は、その綺麗な顔にうっすらと笑みを浮かべて言った。
「僕、この頃、溜息ついてる君の顔が大好きなんだよねぇ」
「……………!!!」



そして、もう一人、新しい日常を手に入れた刺客が、ここにも1人。

休日、一瀬は晶の家にやって来ていた。
先日、入り損なった晶の家だ。
晶の家に行ったら、話そう、とずっと心に決めていたことがある。
「―――実は、俺、太刀川と賭けてたことがあんだよな」
そう切り出すと、晶はぽかんとした。
「え、賭け?」
「そ。初めっから話すと日が暮れっから重要なトコだけ言うけどよ。―――実はさ、俺、お前を倒さねえと、麗一郎と付き合わなきゃなんねえんだよな」
「ええっ……!」
案の定、晶は目を丸くしてこちらを見つめてくる。
予想通りの反応にニヤリとしながら、一瀬は頼み込むように晶を覗き込んで続けた。
「そんなんなったら冗談じゃねえから、取りあえずお前のこと、倒しといていい?」
「ああっ、うん! 殴られるくらいなら全然大丈夫! ほらっ、俺もやられたフリするし! 何なら顔アザ書いて登校したっていいし!」
「さんきゅ」
礼を言うと、気にしないでよと手を振りながら晶はぎゅっと両目を閉じている。
殴られるのを待っているらしい。
当然、一瀬は、右手こぶしに力を込めた―――りなんかしないで、優しく28人目の刺客をベッドに押し倒したのだった。




おわり




        


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