キーワードしりとり第九回お題  商売繁盛

                              by 永



一瀬と晶は反射的に体を離す。
「お、お前らは………!」
 2人の刺客の正体は、一目瞭然だった。
 ねじりはちまき。
 汚れた白い衣類。
 そして2人が引きずってきた屋台に立つのぼりは、赤い旗に『来来軒』の文字が。
 『来来軒』。
 それは、一瀬がかつて、柔道部主将の東郷から『地獄ラーメン』早食い競争を挑まれて、そして胃に収めたラーメンを全て逆噴射してしまった、あのラーメン屋来来軒――――
 2人の刺客は、あのラーメン屋のオヤジとバイトの青年だった。
「………てか、いつのまに屋台になったんだ? 来来軒」
 一瀬はもっともな質問をする。
 対して来来軒のオヤジは、噛みつくような口調で吠えた。
「やかましぃってんだ小僧! おめえがトンデモナイ事をしてくれたせいで、あの日からうちの商売上がったりなんでぇ!」
「とんでもないこと…?」
 赤い顔をした晶が、そうぽつっと不思議そうに呟く。
 う、と一瀬は顔をしかめた。
 とんでもないこと、とは勿論、ラーメン逆噴射のことだろうが、それを晶にはあまり知られたくないような。
 オヤジは切々と語る。
「最初おめえを見た時はなあ、うちみてぇな汚いラーメン屋になんてべっぴんさんが来てくれたんだって、ワシもコイツも(←バイト君)舞いあがっちまってよ……。気付いたらうちの家宝・瑠璃椀にラーメンを盛っちまってた」
 あの時、一瀬の前に出されたラーメンは、通常のラーメン杯の5倍はありそうな、巨大サイズの大椀に盛られていた。
 が、あの器が来来軒の家宝だったなんて!
 ………勿論、そんなこと、一瀬にとってはどうでもいい話。
 しかしオヤジにはそうはいかなかったらしい。
「ただでさえ不景気まっただ中だってんのに、おめえのせいでうちの売上げは半減しちまった。瑠璃椀にもヒビがはいっちまって、売るに売れねぇ値段まで落ちこんじまったし、店の家賃も払えなくなって、とうとう今月、来来軒は屋台になっちまったんでぇ! このままだと……」
 突然、オヤジは切なそうな視線をバイト君に向ける。
「このままだと、おめぇに払うバイト代も出ねえ。そうなったら……悪ぃが、もうおめえにはやめてもらうしか他に……」
「何言ってんスかおやっさん!」
 屋台を引きながらぶんぶん首を振るバイト君。
「バイト代なんかどうでもいいっスよ! オレ、おやっさんのラーメンに惚れてるんス。オレの生き甲斐なんス! オレは……オレはっ、おやっさんの側にさえいられればそれで……!」
「おめぇ……」
 7月の暑苦しい季節、屋台となった来来軒にも恋の風が吹いた。


 ………のも勿論、一瀬にとってはかなりどうでもいい話。
「行くぜ、譲原」
「あ、一瀬ッ…」
 来来軒2人組に呆れてその場を去ろうとした一瀬は、反射的に晶の手を掴んでいた。
 ぼ、と晶の顔に火がつく。
 しかしすぐ、何かを決意したように、きりっとした表情を取り直して、一瀬の手を握り返してくる。
 そんな晶に、再び一瀬の胸がきゅっと苦しくなった。
「うっ」
 よろっとふらついて晶の両肩に手を付いてしまう。
「い、一瀬っ! やっぱり発作なの?! 大丈夫、お――俺がついてるからっ!」
(可愛い)
 どう考えてもわたわたした、無駄な行動の多い晶の動き。
 しかし、一度『可愛い』と思って見てしまうと、その考えが一瀬から抜けなくなってしまった。
 弱いクセに、一瀬を守る、なんて豪語したり。
 でも、手を握るだけで、赤くなったり。
 譲原 晶は、可愛いのだ。
 爆乳ボディー・野々宮 万里恵校医から逃れた後に、晶が唇をかみながら辛そうに呟いた言葉を思い出す。
 『あんな酷いことされるなんて』
 これだけ可愛い晶なのだ。
 これまでどんな『酷いこと』をされてきたのか、一瀬には(それが大きな勘違いだとしても)容易に想像がついた。


『譲原君。キミは今日も私の授業で答えられなかったねえ? これで一体何度目のオイタかなあ?』
『ごめんなさい先生ッ……もう帰らせてッ…』
『ばぁか言っちゃいけないよ譲原君? これからが本当の授業じゃないか、さあ、ほら、ここに跪いて、舐めるんだ』
『やッ……で、きませんっ…先生、そんなことッ…』
『おやぁ? キミ本当に進級できなくてもいいのかなー? 進級したいなら、少しは先生のこと満足させてくれなきゃねえ(と頭を捉えて跪かせる)』
『やぁッ…! センセ…ッ……あ…ぅ…』
『ほらほら譲原クンー? ちゃんと舌使ってー。そんなんじゃいつまで経っても先生、満足できないよ? ……あれぇ? 泣いてるの譲原君? 泣けば許されると思ってるんだ? イケナイ生徒だなあキミは。やっぱりお仕置きが必要そうだねえ? じゃあ次は――――』
 ※以上、一瀬の想像、もとい、妄想。


 よろけた後、晶の肩を掴んで『酷いこと』妄想を突っ走っていた一瀬は、思わずぎゅううと指先に力を込めてしまう。
 肩を強い力で掴まれた晶は、また慌てた。
「い、一瀬、本当に大丈夫?!」
「――――イイ。最高。俺がヤラせたい」
「え?」
「あ、いや、なんでもねえっ。とにかくほら、さっさと帰るぞっ」
「まちやがれぃ小僧―!!」
 立ち去ろうとした一瀬と晶の行く道を、来来軒のオヤジとバイト青年と屋台が通せんぼした。
 一瀬が妄想さえしていなければ、来来軒組を撒くことくらい出来たかも知れないのだが――――来来軒の2人は、いつの間にか屋台でラーメンをこしらえていた。
 このラーメンは、いつの日か見たラーメン。
 そう、あの『地獄ラーメン』――――。
「げえっ……!!」
 ラーメン逆流事件以来、ラーメンの臭いですら吐き気を覚えるようになっている一瀬には、悪魔の食事に思えた。
 今度は本当に体調が悪くなって、晶にもたれかかってしまう。
「い、一瀬っ、病院! 病院行こう! ね!」
 必死の晶の叫びも、一瀬には届かない。
 顔面蒼白で今にも倒れそうな一瀬をよそに、バンッとオヤジが屋台のテーブルに置く。
 あの、ヒビが入った瑠璃椀に盛られた地獄ラーメンを。
「小僧、もう一度この地獄ラーメンに挑戦してみやがれ! 時間内に完食できたら、そんときはあの時の事を忘れてやる。んが、もし、出来なかったら、そん時は――――」
 オヤジは白い上着をがばっと脱いだ。
 上着の下のスタイルは、肌色のシャツに、青黒交互のストライプベルト――ではなくて、要するに、腹巻き。
「おやっさん、素敵ッス! かっこいいッス! 惚れ直すッスー!!」
 バイト君の黄色い声を背景に、オヤジは言い放った。

「そん時は――――ワシがこの拳でおめぇを地獄に送ってやる!」

 当然、一瀬は思った。
(ラーメン抜きで、初めッから拳だけで勝負させてくれよ、なあ…)


 その時。
 一瀬を支えていた晶が、一瀬を庇うように、来来軒オヤジの前に進み出た。
「譲原…?」
 まさか、と思って一瀬は思わず声をかける。
 予想通りの答えが、晶の口から返ってきた。
「一瀬のことは、お、俺が守るからっ。――――このラーメンは、俺が食べる」
 その言葉を聞いた瞬間、一瀬の脳裏に、自分が犯してしまった愚行が浮かぶ。
 愚行、すなわち、ラーメン逆噴射。
 は、は、は、と乾いた笑いが一瀬の口から漏れた。
「ちょ、っと待て、な? 譲原? そりゃ、やめとけ、無理だ、不可能だから」
 小柄で、頼りなくて、でも猛烈に可愛い晶。
 その晶がラーメンを鼻から出すシーンなど、一瀬は見たくない。
 それなのに。
「お、俺。頑張るから。い、一瀬のためにっ」
 そう言って、おどおどと一瀬の肩を2度ほど撫でた後、晶は地獄ラーメンが置かれた席に着いてしまう。
 待て、と止めたい一瀬だが、ラーメンの臭いに腰を砕かれて、立つことができないのだ、どうしても。
 オヤジは晶の体格が一瀬とそう変わらないのを確認した後、ニヤリと笑った。
「ふん、うちの地獄ラーメンはおめぇみてえなチビに平らげられるような量じゃねぇ!  後悔しても知らねぇぞ!」
 コクコクと晶は何度も頷いている。
 このままラーメン勝負が始まってしまったら、一番後悔するのは間違いなく一瀬だ。
 そんな一瀬の心中などそっちのけで、晶は巨大なラーメンをちょろちょろと食べ始めてしまった。
(ゆ、譲原っ…)
 鼻からラーメン、がフィードバック。
 立つことの出来ない一瀬は、もう恥や外聞などどうでもよくなって、へたばったまま叫ぶ。
「頼むオヤジッ! な、なんでもするから、それだけはやめてやってくれ! こいつ、譲原だけはっ……!」


 しかし。7分と45秒後。
 制限時間の10分を大幅に下回る、間違いなく来来軒新記録で、地獄ラーメン3倍分を完食しつくした譲原 晶がそこにいた。
「すいません、あがり下さい」
 最後に温かいお茶を貰い、まったりとした動きで湯飲みの中身を飲み干す晶。
 その後、晶は満足したように一言。
「おいしかったです」
 その言葉に、来来軒のオヤジとバイト青年は、放心したようにお互い見つめ合っている。
「こんなに旨そうにうちのラーメン食ってくれるなんて……まだワシのラーメンも捨てたもんじゃねえんだな…」
「何言ってんスかおやっさん! おやっさんのラーメンはいつだって最高なんス! もう一回頑張りましょうよ、屋台から出直しましょう! 目指せ商売繁盛です! オレ、いつまでも、どこまでも、ついてくッスから!」
「おめえ!」
 来来軒の恋、再び。
 がっしと抱き合って2人、一緒に仲良く屋台を引いて去っていってしまった。

 そして、その場に残された、一瀬と晶は。
 座り込んだまま、ぼんやりとしている一瀬に気付いてか、晶が駆け寄ってくる。
「い、一瀬、発作は!? 病院行かなくても大丈夫?!」
「…………」
 先程、晶を跪かせたいなどと妄想していた一瀬だったが。
 今、跪いているのは間違いなく、一瀬の方だった。
「お前……腹、何ともねえのか? あれだけ食っといて…」
「え? ああ、えっと。実は俺、前にフードファイターの小林タ○ルさんに憧れてて、早食いが出来たらいつか会えるかなって思ったりとかしてて………あっ、もちろん今はそう言うわけじゃないんだけど! 今は俺、い、一瀬が……」
「……俺が、なに?」
「やっ、その、ええっと……えっと、俺はっ……」
 結局赤くなってわたわたしている晶を、本当に一瀬は可愛いと思う。
 でも、可愛い、だけじゃない。
(こいつ、すげえ)
 一瀬の中には、川原で散々殴り合った相手と最後に交わす、「お前って強いな…」「いやお前こそ…」的な感情が生まれていた。
 今なら素直に言えるかも知れない。
 座り込む一瀬に視線を合わせるように屈み込んでいる譲原 晶の頬に、そっと手をあてる。
「さんきゅ、な。譲原」
「えっ、あ、う。――――うん」
 もう一度晶を抱きしめたいと思ったけれど、さっき晶が平らげたラーメンの量を思い、万が一のことを考えてやめた。



 その頃。
 太刀川の所属する科学部に、19・20番目の刺客も撃退されてしまったという報告が届いた。
「くぬ……なかなかやるな、一瀬 智」
 この場合、頑張ったのは主に譲原晶なのだが、その辺の正確な情報は入ってきていないと言うのが、シロウト報告の不味いところ。
 ちっと大きな舌打ちをしてから、太刀川はふふんと笑った。
「やはりあの一瀬には、3人程度の少人数では太刀打ちできないということか…。まあどうせそんなことだろうと思って、最初から21番目の刺客から26番目の刺客までは全員、とある部の部員達で構成していたんだが。ふっ、自分の才能が怖い」
「ふうん。じゃあ次の刺客は6人まとめて、ってこと? よっぽど暇な部なんだね、どこの部員?」
 3杯目の紅茶を注がせて、のんびりくつろいでいる松野がそう尋ねた。
 自信に満ちた太刀川の答えが返ってくる。
「それは勿論―――」



        キーワードしりとり第十回お題  ウォーターボーイズ


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