キーワードしりとり第五回お題  食わず嫌い

                           by もぐもぐ



「う・そ・つ・き」
教室のカーテンの中から顔を出したのは、松野だ。さっきまで、晶が調べた通り生徒会室に行っていたはずなのに、いつのまにかカーテンの中に入って包まっていたらしい。
「松野」
「嘘八百とは言えないけれど、嘘七百九十九くらいまでは行っていたね。でも、安心しちゃダメだよ。千里の道は九十九里を持って半ばとするんだからね」
「千里で九十九里なら、半ばどころか一割も進んじゃいねえだろう」
「えっ」
松野は秀麗な眉をひそめた。
「僕、何か間違えた?」
「いい、いい」
どうでもよさそうに手を振る太刀川に、松野は
「嘘つきのくせして、えらそう」
前に回りこんで、顔を見上げて微笑んだ。松野も背は高いが太刀川はそれ以上に高いのだ。
「僕は、たいがいのことには寛容な男だけれど、あの嘘だけは許せない」
「ほおっ」
松野が珍しくなぞなぞ以外のことをしゃべるので、太刀川は驚いた。
「許せないってんなら、どうするんだ」
「その報復は、今、考えているよ」
松野は、遠い目をしてグラウンドを見る。その横顔は美しいだけに凄みがあった。さすがの太刀川も、ほんの少しビビって
「ち、ちなみに、お前が許せなかった『あの嘘だけは』って、どれだ?」
嘘七百九十九を振り返る。
「決まってるだろう」
松野は白皙の美貌で振り返る。窓から射す逆光に、髪や制服の輪郭が一瞬燃えるように輝いた。
「君と僕とが幼馴染みだという嘘だよ」
松野麗一郎――自分のことがいつでも一番な男。
「僕の幼馴染みは智で、ついでに言うと、君と智の間には僕と君とがクラスメイトってことくらいしか接点はないんだよ。第三回の冒頭をよく読んでね」
「何だよ、その第三回って……」
「でも、そんな接点のない君が、何で『あのこと』を知っていたのか」
「ああ……」
あのことというのは、今回の太刀川の話の中で、唯一あった真実。
太刀川をして、
『どうせなら嘘八百をついてやろうと思ったのに……俺は正直な男だ』
とまで言わせたあのことである。
「偶然、その場を見てしまってね」
「そう……それは、ひどいものを見たね」
「あの惨状は、言葉にできない……」
「あの後、智は変わってしまったよ」
「そうならないほうが不思議だ」
あのこと――――つまり『柔道部の黒帯の大男に無理やり』



「ぶえええっくしょん……チクショウ」
美少年らしからぬ、豪快なくしゃみで鼻をすする一瀬 智。
「誰か俺の噂してやがる」
制服のズボンが汚れているのは、たった今、二十七人、いや、二十八人の刺客のうちの三人を倒してきた名残。
「あと何人残ってるんだ」
指折り数えて、
「十六人倒してるから、あと十二人か」
呟いて、最後の一人の顔を思い浮かべた。譲原 晶。
「ああ、もう、考えるな。なるようにしか、なんねえんだから」
と、そこに、昼休みだというのにわざとらしい柔道着姿の大男が現れた。太い腰に結ばれた黒帯。
「一瀬」
「うっ……」
一瀬の顔が嫌悪に歪んだ。
「何で、そんな顔するんだ」
「来るな。俺は、お前の顔だけは、見たくない」
「冷たいな。昔は俺たち、あんなに仲良かったのに」
「昔は昔、今は今」
「一瀬」
「俺は、お前のことを恨んでるんだ」
一瀬は、燃えるような目でその黒帯の大男を睨んだ。
「お前のせいで、俺は二度と……大好きだったラーメンを食えなくなったんだ!!」



柔道部の主将、名を東郷 君麻呂という。一瀬と同じ中学の先輩で、一瀬の体力と運動能力に惚れて熱心に柔道部に勧誘していた。一瀬も、たまに身体を動かすくらいならちょうどいいと中学のころはしばしば練習の相手もしていたのだが、同じ高校に入ることが決まってからは、東郷の勧誘は次第に激しくなってきて、部活をはじめる気のない一瀬には少々ウザったくなった。
冷たくあしらうようになった一瀬に、東郷は『勝った方が言うことをきく』という条件である勝負を挑んできた。太刀川の件といい、よくよく賭けに乗りやすいたちの一瀬だ。
『いいぜ、何の勝負だ』
『地獄ラーメン、早食い勝負』
地獄ラーメン。
それは、学校帰りの高校生でにぎわう駅前道りでも、いつも静かにひっそりと佇んでいる古いラーメン屋来来軒の名物ラーメン。本当の名前は別にあるのだが、誰もがみな地獄ラーメンと呼ぶそれは、地獄のように不味かった。一キロ、三分以内に完食したらタダというありがちなあおり文句に引かれ、たまにお馬鹿な高校生がチャレンジしては、食べきれずに千円を支払っているしろものだ。
一瀬は、地獄ラーメンは食べたことがなかったが、ラーメンは大好きだ。
『そんな勝負でよけりゃあ、いつでものってやるぜ』
それが間違いの元だった。
一瀬のような美少年が店に入ってきて舞い上がった店のオヤジは、大サービスだといって普段の三倍の量を作って言った。
『三倍あるから、三分じゃなくて、十分におまけしとくよっ』
そして十分後。
来来件は、本当に地獄と成り果てた。
負けず嫌いの一瀬は、いったんすべて胃の中に収めたのだが、次の瞬間逆噴射した。
口から放射能を吐くゴジラのように、ラーメンを噴出す美少年。汁が、麺が、ナルトが飛び散る。
ばったり床に倒れた一瀬の鼻からも、ラーメンが一本顔を出している。
偶然通りかかって、店の外から覗いた太刀川が、口に出せない惨状といったのもむべなるかな。



「……あれから俺はなあ、ラーメン食えねえんだよ」
拳を握ってうなる一瀬。
「気のせいじゃないか。食わず嫌いはよくないぞ」
東郷は、ハハハと明るく笑った。
「食おうとすると蕁麻疹がでるんだっ」
ちなみに、東郷はあの時、途中でリタイアしていた。
『黒帯の大男に無理やり』と言うのは、東郷に無理やり何かされたのではなく、東郷に無理やり勝負を挑まれて、自ら無理やり食ったのだ、地獄ラーメンを。
「とにかく、あの時の勝負は最後まで食った(その後、吐き出したとしても)俺の勝ちだ。もう、お前に付きまとわれるのは、ごめんだぜ」
さっと脇を通り抜けようとしたとき、
「そういうわけにはいかないんだよ」
東郷が、前に立ちはだかる。
「何の真似だ」
「じつは、スカウトされてね」
「スカ?」
「ほら、なんて言ったかな、あの背の高い、中央線の駅と同じ名前の二年」
「ああ」
「アイツに、お前の刺客になれってね」
ぎゅっと帯を締め押す。
「それで昼休みなのに、柔道着、着てるのか」
「いや、これは俺の普段着だから。クローゼットに同じ物が五着ある。本当のおしゃれってのはそういう…って、どうでもいいぜ。勝負だ、一瀬」
「十七人目か」
一瀬は、腰を低く落として身構えた。


そのころ、晶はグルグルと考え込んでいた。
一瀬の意外な姿を見て、何だか信じられなくて、太刀川先輩を訊ねていった。
一瀬のことを知りたかった。
なのに、そこで知ったことは、ますます晶を混乱させる。

心臓が悪いのに(まだ言ってるよ)、酒とタバコで自分自身を痛めつける一瀬。
思いのほか、喧嘩っ早い一瀬。
そうなった原因は、柔道部の大男に無理やり襲われた過去があって……だから、一瀬は、自分を追っかけするやつが嫌い。
「あああ……」
晶は頭を抱えた。
昨日、自分が名前を名のった時に、眉間にしわを寄せた一瀬の顔が浮かぶ。
(俺が、一瀬のことを好きだって聞いてるから、俺のこともストーカーだと思ったんだあっ)
違うのに――晶は、唇を噛む。
確かに、一瀬が好きだ。だけど、自分はそんな黒帯男のような野蛮な真似はしい。
(そんな、いくら好きだからって無理やり……)
カアアッと晶の顔に血が上った。
(た、確かに、ちょっとは想像したことはあるけれど……)
一輪の百合のような一瀬が、真新しいシーツの中に白い裸体を忍ばせて、
『優しくしてね……』
と、長い睫毛を伏せて頬染める図。
そう、相手が儚げな(まだ信じてるし)美少年だけに、想像の中では、晶はしっかり『攻め』だった。
「で、でも…無理やりなんて、俺は絶対にしない!!」
しないじゃなくて、できないのだ、晶の腕では。
「でも、太刀川先輩もライバルなんだ」
自分のことを好きな太刀川を、なぜか一瀬のことを好きだと思ってしまった晶は、実は色々勘違いの多い人生を送っている――というのは、知ってのとおりである。
「でも、俺だって、あきらめられないし」
晶は気を取り直して顔を上げた。
三ヶ月悩んで、あきらめたつもりで、でもやっぱり好きだって気がついた。
一瀬の苦しみを聞いてしまった今、自分にできる精一杯のことで、一瀬を助けてやりたいと思う。
そのためには―――

        キーワードしりとり第六回お題  いなかっぺ大将


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