キーワードしりとり第四回お題  嘘八百

                             by 東瀬



清水の舞台から飛び降りる思いで晶は二年三組の教室の前に立っていた。
 二年三組。
 太刀川先輩のクラスである。
 同時に松野先輩のクラスでもあるが、この時間松野先輩が教室にいない事は事前に調べていた。
 晶はすっと息を吸い込むと……吐き出した。
 ついでに手のひらに「人」という字を三回書いて飲み込む。
 実は一回「入」という字が混じっていたがそこら辺はご愛嬌である。
 ようやく覚悟を決めると、晶はドアに手をかける。

 ガラガラ

 晶の決死の覚悟に反し、どこかまぬけな音をたててドアが開く。
 頃は昼休み。
 場所は男子校。
 中は喧騒の渦である。
 その中で晶の気の抜けたコーラの様な声は当然通らない。
 それはわかっていたので、晶は通りすがりの二年生に声をかける。
「すみません。太刀川先輩を呼んで頂けますか」
 晶の顔をみて驚いたものの、通りすがりの二年生は素直に太刀川先輩を呼んでくれた。
「太刀川!お前に用があるって一年、があぁっっ!!」
「譲原―――――!!!」
 親切な通りすがりの二年生は走ってきた太刀川先輩に思いっきり飛ばされる。
「た、太刀川先輩」
「どうしたんだ、譲原。お前が二年の教室に来るなんて珍しいな」
 やたら爽やかな挨拶に騙されずに、突き飛ばされた通りすがりの二年生を気にするが、どうやら無事らしい。
 太刀川先輩に恨みがましい視線を向けるものの、怒っている様子はない。
 もしかしたらそういうスキンシップがあるのかもしれない。
「ええっと、質問が」
 あんな別れ方をしたのでどうかと思ったが、どうやら太刀川先輩は怒っていないらしい。
 それが解るとほっとして、晶は今回の本題を切り出す。
「質問?譲原になら手取り足取り何でも教えてやるぞ」
 一部に必要以上に力が入っていたが、晶は気づかない。
 それどころか、面倒見のいい優しい先輩に感動している。
「その、太刀川先輩って松野先輩の幼馴染なんですよね?」
「何だ。ああ、まあ、そうだな」
 どうでもよさそうな回答だったが、その事実に安心して晶は続ける。
「あの、その、えっと、つまり……一瀬の事教えてくれませんか?」
 ピシリ、と太刀川先輩の笑顔が固まる。
 さすがの晶も太刀川先輩の機嫌が急転直下している事を察したのだろう。
 慌てて両手と首を振る。
「やっ、ほら、いや、だって、俺考えてみたら一瀬の事何にも知らないからっ、違うんですっ!」
 何がどう違うのかは晶にもよくわからない。
「……まあ、そういう事なら仕方ないな」
 だが、太刀川先輩にはわかったらしい。
 そして、ふかぶかとため息を吐く。
「そもそも、俺は一瀬と松野が付き合うのは反対だったんだ」
「ええっ!?」
 一瀬の松野先輩。
 お互い美形同士で非常にお似合いである。
 いったい何が不満だったのか。
「だが、俺が反対した後の松野。実に哀れで見ちゃいられなかった。授業中でも思い詰めたように涙を目に溜めていて、現国の授業中にはとうとう、教師が山月記を朗読する声に思わずもらい泣きしていたくらいだ。あの時の松野には辛かったんだな、あの愛の詩は」
 同じネタを使うとは意外と独創性がない。
 だが、人が違えば効果も違うのか。
 晶というこの線の細い少年。
 見た目に反して文学少年などでは決してなかった。
「松野先輩はそんなに一瀬の事を……」
 二人の絆の深さにただ胸を痛めるばかりだ。
「だから俺は許した」
 お前は松野の父親か?
 ぐらいの突っ込みは許されそうだが、素直な晶は素直に聞き入るだけだ。
「けれど、一瀬の悪い癖の数々は直らなかったんだ」
 太刀川先輩も調子に乗ってすっかり語りモードである。
「一瀬って奴は悪い奴で、飲酒に煙草、賭け事、etc etc」
「そ、それは心臓病の治療法の一環ですか……?」
 どうやら未だに心臓病を信じているらしい晶はそんな事を言う。
「心臓病? 初耳だな」
「そんなっ!?だって、体育をいつも休んで木陰で皆を羨ましそうに眺めているじゃないですかっ!」
 実物と会って話したぐらいでは晶の幻想は壊れなかったらしい。
 一瀬はすっかり薄幸の美少年だ。
「サボっているんだろう」
 きっぱりと告げられて、晶は言葉も出ない。
「一瀬は凶暴だから誰も怒れないんだな」
「共謀?」
 頭が漢字の変換を拒否しているらしく、晶の中では底意地の悪いクラスメイトが一瀬を共謀して陥れようとする姿が目に浮かぶ。
 もちろん現実逃避だが……。
「あいつの喧嘩は強いぞ。柔道黒帯程度じゃ相手にならないな」
 いやがおうにも昨日の情景がフラッシュバックする。
 確かに、一瀬はやたらと慣れた手つきで三人の男をなぎ倒していなかっただろうか?
「で、でも、何の理由もなく喧嘩をする人じゃないですっ」
 懸命な晶の抗議に、太刀川先輩はそれはそれは優しそうな表情を作ってみせた。
「ああ、一瀬はああ見えて自分なりの倫理観を持っているからな。理由なく暴力を振るったりはしない」
 幻想はかなり粉々に打ち砕かれたが、何とか希望を見つけて晶はほっと息を吐く。
「そうだな、一瀬が暴力を振るうのは……例えば一瀬の追っかけ」
 晶の思考がいったん停止する。
 その後ゆっくり動き始めた思考は一つの場所にたどり着いた。
 すなわち。

(俺って、一瀬に嫌われている……?)

 気が遠くなる、一瞬前に太刀川先輩の言葉が耳に入る。
「だが、それにも理由があるんだ」
「……理由?」
 呆けたように問い返す晶に太刀川先輩は苦渋の面で頷く。
「ああ。一瀬は確かにどうしようもない奴だが、見た目はあんなんだ。よからぬ考えを持つ奴がいてな。相手は、某柔道部の主将で。黒帯だった。黒帯の大男は一瀬を無理矢理……」
「無理矢理!?」
 さっき、太刀川先輩が黒帯なんて一瀬の敵じゃない、と言った事など晶の頭からは綺麗さっぱり抜け落ちている。
 想像では、一瀬はむさ苦しい大男に無理矢理……!!
 幾ら泣き叫ぼうが意味はない。
 心臓が苦しくてしょうがないのだけれど、薬すら飲まさずに大男は一瀬を無理矢理……!!
 あまりの事に涙眼になって晶は太刀川先輩を見上げた。
 と、急に目の前に真っ黒な景色が広がる。
 つまり、太刀川先輩に衝動的に抱きしめられたのだ。
「た、太刀川先輩?」
「悪い。あの後の言葉には出せない惨状を思い出してな……くっ、俺がいれば」
「そんな、先輩の所為じゃっ!」
 どうやら自責の念にかられているらしい太刀川先輩を晶は必死に元気づける。
 太刀川先輩は晶の両肩を握るとそっと身体から離す。
「いいんだ。それより、辛い話を聞かせて悪かったな」
「俺の事なんてっ」
 太刀川先輩は最後には晶に尊敬までされてしまっていた。
 この太刀川という男。
 独創性と演技力はいまいちだが意外と侮れない。
「もうすぐ、昼休みが終わるな。譲原、そろそろ帰った方がいいぞ」
「……はい」
 すっかり騙されて晶は頷くととぼとぼと二年の教室を後にした。



 晶が立ち去った後、太刀川先輩は大きなため息を吐く。
「どうせなら嘘八百をついてやろうと思ったのに……俺は正直な男だ」
 と、のたまった。
 当然さっきから事の成り行きをみていたクラスメイトは心の中で盛大につっこんだが、現実につっこむ者はいなかった。
 懸命な処置だと言えよう。
 取りあえず、太刀川という男は恋愛さえ絡まなければそこそこいい奴なのだ……多分。



 さて、太刀川先輩がため息を吐いている頃、晶も盛大なため息を吐いていた。
 太刀川先輩の言葉の数々を思い出す。
 一瀬と松野先輩の付き合いを反対したと言った。
 一瀬が襲われた事を自分の事のように責めていた。
 つまり、
「太刀川先輩は一瀬の事が好きなんだ」

        キーワードしりとり第五回お題  食わず嫌い


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