キーワードしりとり第二回お題  なぞなぞ

                           by もぐもぐ



「お巡りさぁん!喧嘩でぇぇえす!」
声の限りに叫んだら、一瀬の相手の男たちはさすがに驚いたらしく、
「ちっ」
「おぼえてろっ」
よくある捨て台詞を残して走り去っていった。
晶は、とにかく一瀬が無事だったことにほっとして、次には自分が助けたのだというちょっぴり誇らしい思いで声をかけた。
「だ、大丈夫?」
相手は大好きな一瀬だ。こんなことでもなければ、話し掛けられなかっただろう。心拍数が跳ね上がるのを意識しながらギクシャクと笑いかけた晶に、思いもよらない返事がきた。
「馬鹿かよ、お前は」
笑いかけた顔のまま晶は固まった。
「ここ、どこだよ。学校の裏だぜ。どこに警察があるよ? まだ体育の山崎か、用務員のオヤジ呼んだ方が来る可能性あるぜ。あ、別に呼んでくれッつー話じゃねえからな。俺は、警察が半径500メートル以内に無いところで、巡回パトロールがあるってんでもねぇのに『お巡りさぁん』とか叫んでるお前の判断力の無さに呆れて、そんで、それ聞いてまた逃げ出しているヤツラの愚かさについて語ってるだけだから」
機関銃のように一気に飛び出したこれらの台詞は、本当にこの薔薇色の唇から語られたものなのか。
晶は呆然と目の前の美しい顔を見た。
顔だけ見たら間違いなく、四月のあの日一目惚れした一瀬だ。
しかし、
「んだよ、お前、反応ねえヤツだな? あぁ?」
この言葉使いは――――。
そして、晶は初めて気がついた。自分は、一瀬と会話したことが一度も無かったということに。



「じゃあな」
踵を返しかけた一瀬を、晶はハッとして呼び止める。
「あ、あのっ」
「んあ?」
甚だ顔に似合わない返事で振り返る。その一瀬に、何か話し掛けないと、と晶が身構えたその時に
「智、ここにいたんだ」
ひどくおっとりした声がした。

「麗一郎」
ポケットに手を入れ、一瀬は肩をそびやかした。
「あっ」
晶も、現れた人物に目を奪われる。
松野麗一郎。一瀬の恋人、いや、元恋人といわれる男。
「待っててっていったのに、帰っちゃうから」
微笑むその顔は、一瀬とはまたちがった美しさ。
晶はこの先輩が『なんたらの君』と呼ばれているということを思い出して、その『なんたら』がやけに気になった。
(な、なんだったっけ……)
ここまで出て来ているのに思い出せない。それは、喉に魚の小骨が刺さったような――というよりは『ムーミンのガールフレンドのノンノンのお兄さんの名前なんだったっけ?』と、突然気になって、気になって、気になって、誰かに電話して聞かないと治まらなくなった時のような(そのまんまやんけ)そんな落ちつかない気持ち。
「ええっと……」
拳を口に当てて悩み始めた晶を見て、松野はふわりと笑った。
「ちょうどよかった」
は? 何がちょうどいいんだろう。
晶は松野の顔を見た。
「僕の作ったなぞなぞ、解いてみて」
(は?)
目を点にする晶にかまわず、松野は嬉しそうに言った。

「上は大火事、下は大水、なあんだ?」

「船火事」
即答したのは、一瀬だ。
「ぶ――――っ」
松野は濁音のはずなのに鈴の転がるような声で否定する。
そのまま、晶をジッと見つめるので、晶は、
(き、期待されてる……)
答えなきゃと言う使命感でいっぱいになった。
「す、す、水族館の二階の火事」
「ぶぶ――――っ」
再び、松野は嬉しそうに言って、首を振った。
「いいから、さっさと答えを言え」
一瀬がドスを効かせた声で促がすと
「答えは、お風呂です」
ニッコリ微笑む松野。
晶はわからず、ポカンと口を開けた。
一瀬が口から泡を飛ばして言い返す。
「ちがうだろっ! お前、それ、上と下まちがってるぞ!!ってか、今どき風呂、釜の下で火ぃ燃やすとこあるかよ、ああっ? お湯はりだろ、お湯はり。まだ『ガスコンロにかけられたヤカン』の方が合ってるってぇもんだ。だいたい、それ、お前が作ったなぞなぞじゃねえしっ!!」
晶はようやく、松野先輩が大水と大火事の上下を逆にしていたのだと、理解した。
名誉のために言うならば、晶は決して理解力が人より劣っているわけではない。けれども、この一瀬のテンポの速さには、すぐには付いて行けなかった。
そして、対照的にスローペースの松野。
「僕、言い間違えた?」
筆で描いたような形のいい眉をゆっくりと顰める。
「ああ」
一瀬は尖った顎を突きつけるように上げて、自分より頭半分は背の高い松野を見下すように見た。
「ったく、お前のウスラ馬鹿加減には、ホトホトうんざりだよ」
「あっ!」
晶は叫んだ。
今の言葉がヒントになって思い出した。
「薄羽蜻蛉の君!!」
略して『蜻蛉の君』と松野は呼ばれていた。
「ああ、こいつのあだ名ね」
一瀬は関心なさそうに相槌を打った。
「ウスラ馬鹿下郎ってのは、まったくいいネーミングセンスだよ」
いや実際は、美しい松野の浮世離れした透明な存在感が、生徒たちにそう呼ばせていたのだが、一瀬は初めて聞いた時から『ウスラ馬鹿』と変換していた。
「智ったら」
クスクス笑う松野は、特に一瀬の言葉に、傷ついても怒ってもいないようだ。
「僕のこと、馬鹿っていうの、智だけだよ」
「そ、そうですよね」
晶はうなずいた。確か先日の期末試験でも、松野の名前は学年で五位以内に掲示されていたと思う。
「学校の成績がいいのと、人として利口か馬鹿かってのは、違うんだよ」
吐き捨てるように言う一瀬を見て、晶は、麻痺していた感覚が戻ってきた。
(こ、これが、一瀬……?)
ガーン ガーン ガーン
晶の頭の中でヘミングウェイが鐘を鳴らしている。と言いつつ、本当はその小説を読んだことが無いので、頭の中のヘミングウェイは袈裟をつけた坊さんだ。撞いてる鐘もお寺風。でも、その後ろで老人とサメが戦っている。
――――要は、晶の頭の中は、混乱している。
(い、一瀬……)
信じられない。
あの日。入学して間もないあの春四月。桜の花びらの舞い散る中で自分を見つめた美少年。あの時、ひと目で恋に落ちたというのに――――。
外見から想像して作り上げた『晶の一瀬 智』は、体育の授業も身体が弱くて受けられず――たぶん心臓かどっかが悪いに違いない――ほんの少し淋しい思いをしながらも、クラスメイトからは慕われていて守られて、いつも儚げな美貌で微笑んでいて、そして、同じくとても美しい上級生の松野から愛されて、心も身体も開いてしまって、それが美貌に一層の艶を与えていて、ああ、それなのに、一週間と三日前に突然松野と別れてしまって、傷心のあまり食事も喉を通らなかったり、ますます痩せてしまったり……
「うるせえっ!!」
一瀬の怒声に我に返る。
「はッ」
晶は、いつのまにか口に出して言っていたらしい。
「ど、どこから、しゃべってました?」
「たぶん心臓かどっかが悪いに違いない……からだね」
松野が微笑む。
「勝手に、俺のことをうじゃらうじゃらデタラメ作り上げんじゃねえよ」
一瀬は凄む。
「す、すみません……」
「智ったら、そんなに怖い顔することないじゃない。かわいそうに……泣くよ?」
「いえ、泣きはしませんけど」
「泣くかよ」
二人の言葉を綺麗に無視して、松野は晶に尋ねた。
「それより、まだ名前を聞いていなかったね」
「あ、譲原 晶です」
晶の返事に、
「え?」
二人は驚いた。




「君が、譲原 晶くんか」
松野は嬉しそうだ。一瀬はほんの少し困ったように眉間にしわを寄せている。
(なんだろう?)
晶が首をかしげると
「智のこと好きなんだよね」
噂は聞いているよと松野が言って、晶は先輩の太刀川が言っていたことを思い出した。
「あああああっ」
そうだ。
自分が一瀬を好きだということは(何故だか)二年生の間にまで伝わってしまっている。
当然、当の本人にも知られている話じゃないか。
と、そこまで考えて、晶はふと思った。
「一瀬、お、俺が譲原だって、知らなかったんだ?」
「あ、ああ」
一瀬は気まずそうにうなずいた。
「そんなっ、いくらクラスが違うっていっても、おんなじ学年で」
「馬鹿かっ、お前は! じゃあお前は、学年七クラス、二百八十人の顔と名前が一致するのかよっ」
一瀬に言われて、晶は愕然とした。
(そ、そうだ……)
確かにそうだ。自分だって、自分のクラスの生徒以外で名前と顔が一致するのは、一瀬とせいぜい同じ中学からきた何人かだけだ。ちなみに、太刀川も中学からの先輩だ。
そして、晶は、その言葉にひどくショックを受けた。
自分にとって、一瀬はたった一人の相手だけれど、一瀬にとってはただの二百八十分の一。
顔も名前も知らなくて当然の存在だったのだ。

フラリ……

「おっと」
揺らいだ晶の身体を松野が支えた。
「大丈夫?」
「は、はい……」
大丈夫です、と晶は片手をあげて松野を制して、ふらふらした足取りでその場を立ち去った。いや、立ち去ろうとして、先般自分が蹴飛ばしていた空き缶に足を取られて転んだ。
「あっ」
一瀬は、一瞬、助け起こそうとして、すぐに思いとどまった。
のろのろと起き上がって去って行く晶の背中を黙って見送る。
背中に目が付いている訳ではない晶は、当然、その一瀬の表情など知ることは出来なかった。



「なんだぁ、あの子だったのか」
おっとりと松野が繰り返す。
「…………」
「智、後悔してるんじゃない?」
「うるせえよ」
「だから、ちゃんと調べてからにすればよかったのに」
「うるせえって、ってるだろっ」
「けっこう、智のタイプだと思ったんだけど?」
「犯すぞ、てめえ」
「いまさら?」
「だから、そういう誤解を生むようなこというんじゃねえっ。ってか、頬染めんなっ!!」
松野を怒鳴りながら、一瀬は、実のところ、松野の言う通り後悔していた。
一週間前のこと。
そう、晶が「あからさまな妨害」と勘違いをした出来事の発端で、そして、結果的に今日あの三人との喧嘩の原因ともなった、あのことを―――――。





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