それから後は、ぐちゃぐちゃだった。
 自分で服を脱いだのかどうかも、よく覚えていない。
 気がつけば裸の光樹の下で、生まれて始めての感覚に振り回されていた。


 光樹は荒い呼吸を繰り返しながら、俺の身体のいたるところ、貪るように口づけた。そのたびに俺は電気が走ったようになって、陸にあがった魚みたいにピクピクとはねた。
「んうっ…」
 光樹の唇が俺の乳首を吸ったときは、信じられないほどの痺れに、思わず変な声が出た。光樹は、執拗にそこを愛撫する。
 薄目を開けて見ると、俺の平らな胸に赤ん坊のように吸い付いている様子はこっけいなはずなのに、何故だか胸が詰まった。
「ふ……」
 理由のわからない涙が糸を引いて、俺は気づかれないように首を振って、シーツ代わりのソファカバーでこめかみを拭った。

 光樹の指が俺の股間に伸びたとき、それはもうすっかり形を変えていて、
「う、っ…も、ダ…あ、あぁっ……」
 ちょっと触られただけであっさりイッてしまった。
 軟らかくなってしまった俺を光樹の長い指が包むと、再び元気になってきて、俺は制御できない自分の身体に驚いた。
「もっ、ダメ、だ…って……」
「まだイケルだろ」
 光樹の声も、かすれている。
「だっ、て…おま…え」
 光樹はまだイッてない。自分ばかり気持ち良くされているのが嫌だ。
「じゃあ…いい?」
 光樹がゆっくり身体を起こした。自分の指を舐めているのが見えた。
 男同士のセックスがどこを使うのか知っていた俺は、一瞬、身体を固くした。
 唾液の絡んだ光樹の指が、俺の尻の奥に触れた。
「いたっ」
 小さく叫ぶと、その指はビクッと退いた。
 光樹の心配そうな瞳が、俺を覗き込んだ。
「あ、ゴメン…大丈夫だから……」
 俺は「続けてくれ」と目で促がしたけれど、光樹はそのまま立ち上がった。
「あ」
 光樹をガッカリさせてしまったのじゃないかと、俺は、焦った。
「大丈夫だから、光樹」
 呼び止めると、光樹は振り返って、ちょっと笑った。
 そして、部屋を出てすぐに戻ってきた光樹は、手にオロナインを持ってきていた。
「これなら、傷がついても一石二鳥だよな」
「……バカ」

 指が後ろで動くたび、ヌルヌルとした感触に、背筋に悪寒が走る。
 いや、悪寒に似た、何か別のもの。
 光樹の指が、自分の中に入っていく。指が抜き差しされるたびに、クチュクチュといやらしい音がした。
「んっ、ん……」
 次第に身体が熱くなる。擦られるあそこから、全身に熱が広がっていく。
「ん…あっ……」
 ビクンと身体を仰け反らしたとき、光樹が起き上がって、俺の足を片方持ち上げた。
「あっ、やっ」
 驚く間もなく、
「んんッ」
 小さくうめいた光樹が、自分のアレを持って、俺の穴にグイッと押し込んだ。
「うあっ」
 指とは比べ物にならない大きさに、俺は叫び声を上げた。
「あ、ああっ、あーっ」
「っ、ゴメ…う、うっ…っ」
 光樹も苦しそうだった。
 俺は、内臓がひっくり返りそうな苦しさに、ただひたすら叫んでいた。

 そして、本当に、この後は覚えていない。
 ただ、ぐちゃぐちゃだったとしか。けれども、俺は、間違いなく喜んでいた。
 苦しくて、痛くて、でも、それだけじゃなかった。
 光樹が、自分を抱いているのだということが、嬉しかった。
 たとえ、一華の代わりだとしても――

 声の限りに叫んで、首を振って、溺れる子供みたいに光樹の背中にしがみついて……
(光樹…光樹……)
 わけのわからない言葉を叫びながら、心の中ではただひたすら光樹の名前を呼んだ。
(光樹―――)





 気がついたら、ソファの上で寝かされていた。カーテンの隙間からわずかに陽が射しているけれど、壁の時計は、まだ、俺には朝といえない時間。
 ソファカバーじゃなくて夏用の薄い毛布で肩まで包まれているのは、光樹が掛けてくれたのだろう。
(光樹は?)
 首を巡らすと、絨毯の上でやはり毛布に包まっている光樹が見えた。
身体を起こそうとしたら、下半身がピリッと痛んだ。
 そっと身体の位置を変えて、光樹の顔を見る。
 薄明かりの中、大人びた顔が静かに眠っている。
 男らしい眉、よく通った鼻筋、少し厚めの唇。普段にまして男前に見える。
(光樹……)
 不意に、目の奥が熱くなった。
 嗚咽が漏れそうになって、慌てて両手で口を押さえた。

(好きだ)
 こんなにも自分が光樹を好きだったのだということに気がついて、昂ぶる感情が抑えられない。
 あの瞬間は、一華の身代わりでもいいから、光樹と一つになりたいと思った。
(でも――)
 俺は、一華じゃない。一華の代わりになんてなれない。
 光樹だって、すぐに気がつく。
 そして、もう一つ、恐ろしい考えが浮かんで、身体が震えた。


 俺たちは、もう、昨日までの二人にも戻れない。



 そっと起きあがって、ソファから足を下ろした。キシキシと痛むのは、身体じゃない。
 脱ぎ散らかしていた服を掴んで、部屋を出る。光樹を起こさないように廊下で着替えたのだけれど、その心配はいらなかったみたいだ。
 一度寝たら地震でも火事でも起きない、って、前に言っていた。
 だから、朝は目覚し時計を三つかけている。
 そして、地震は平気だけれど、激しい雷はちょっとだけ苦手。
 好きな食べ物は鳥の唐揚げで、嫌いなものは麻婆豆腐。
 野球とラグビーなら、ラグビーの方が好き。

 家に帰る道すがら、光樹について知っていることを、一つ一つ思い出す。

 犬と猫なら、猫が好き。
 夏と冬なら、夏が好き。
 ――俺と一華なら?
 
 自分がこんなに女々しいヤツだとは、知らなかった。



「朝帰り」
 そっと家に入って足音を忍ばせていたら、リビングから一華が顔を出した。
「おどかすなよ」
「どこ行ってたの? 竹本くんの所に泊まったの?」
「関係ないだろ」
「あるわよ。お母さんに昨日の夜『二葉から電話あった』って言ってあげたの私だよ」
 俺の後ろをついてくる。
「玄関だって、鍵開けてあげたの、私」
「……そりゃ、どうも」
 確かに、この時間に開いていたのはおかしかった。いつもだったら締め出しだ。
「どこまで、ついてくるんだよ。俺、これから寝るんだけど」
「何か、あったの?」
 ギクッとした。双子の姉は、昔から勘が鋭い。
「何もないよ」
「そう?」
「おやすみ」
 パタンとドアを閉めて、自分のベッドにもぐり込んだ。
 身体の奥には、まだ光樹の感触が残っている。
 でも、ジクジクと痛み疼くのは身体じゃない。


「二葉」
「ん?」
 うとうとしかけていた俺を、一華が起こした。
「竹本君から、電話」
 ビクッとして、それから、黙って出てきてしまったことを思い出した。
 けれど、黙って出る以外に何が出来ただろう。
「……いない、って」
「いいの?」
 俺の答えは待たずに、一華は下におりて行った。
 そして、再び戻って来た。
「竹本君、こっち来るって」
 俺は、身体を起こした。
「いないって言えって、言っただろっ」
「言ったよ、でも、来るって言うんだもん」
 一華が、唇を尖らせる。
 俺は、ふてねするように横になって、布団を頭からかぶった。
「来ても、会わないから」
「喧嘩したの?」
「ウルサイ、出てけ」
 一華はちょっとの間俺を見ていたみたいだったが、静かに部屋を出て行った。


 三十分もしないうちに、玄関のチャイムが鳴った。
 一華が、俺の部屋を覗いて言う。
「本当に追い返していいんだよね」
 俺は背中を向けたまま、黙っていた。
 階段を下りる音。玄関でどんなやり取りがあるのか。
 聞こえるはずも無いのに、俺は、じっと固まったまま全身を耳にしていた。
 ずい分時間が経ったような気がしたけれど、実際は、そうでもないのだろう。
 一華が、俺の部屋に戻ってきた。
「帰ったよ、竹本君」
 その言葉に、瞬間、俺は失望した。そんな自分が、恥ずかしかった。
 俺は、光樹が一華を押し退けてこの部屋までやってくることを、心の中では望んでいたらしい。
 自嘲の笑いがこみ上げる。
「ねえ、二葉……どうしたのよ?」
 背中から、声がした。まだ、いたのか。
「もういいから、出て行けよ」
 振り絞って出した声は、自分のものとは思えないほどしゃ枯れていた。



 日曜日、丸々一日考えて出した結論は、
「もう、光樹と、以前のような付き合いは出来ない」
 ということだった。
 俺は、はっきり後悔していた。光樹と寝てしまったこと。
 俺の身体は、光樹に抱かれて変わってしまった。
 女みたいに、喜んでいた。
 けれども、光樹が抱いていたのは、俺じゃない。
 抱きたかったのは、俺じゃない。
(一華の代わり…)
 そう思うとたまらなく辛かった。
 辛いのに――
 光樹がそばにいたら、また抱いて欲しいと望んでしまう女々しい自分がいる。
 だから、光樹とはもう友だちですらいられない。



 月曜日。
 いつかのように、光樹は俺を待ち構えていた。けれども、前と違うのは、光樹はただ黙って俺を見ただけだった。
 俺は、それを無視して通り過ぎた。
 光樹の唇が何か言いたそうに開いたけれど、俺は、振り返らず、足早に教室に向かった。
 月曜の四時間目は体育の授業だ。男女分かれて、隣のクラスと合同の。俺は、今日ここで初めて、光樹を無視できないことに気がついた。
「じゃあ、いつもの組になって柔軟」
 体育教師本宮の、ホイッスルの音にうろたえた。
 体育の時間のペアは、最初の授業で好きなもの同士組んでいて、俺は光樹と一緒だった。今さら違う相手を探しても無駄だ。みんなそれぞれの相手と組んで、柔軟運動を始めている。
 光樹が、すっと俺に近づいて来た。俺は、慌てた。
「あ、俺、今日、見学。いえ、やっぱり、具合悪いんで、保健室行きます」
 本宮に向かって手をあげて言うと、
「何だよ、二葉、生理か?」
 中村がニヤニヤと笑った。
「そう、二日目、キツくって」
 適当な返事をして、俺は、光樹を避けて、病人とはとても思えない勢いで保健室に走った。

「あら、サボリ?」
 保健医の先生は、すぐに見抜いた。
「これから、私、用事があって抜けるんだけど、かってに寝ていてもらっていいかしら?」
「いいです。具合良くなったら、適当に戻りますから」
「ふふ、どうせお昼は食べるんでしょう。鍵はかけないでいていいわよ」
「はい」

 先生がいなくなった後、俺は、保健室のベッドに座ってぼんやり考えた。
(どうして……)
 どうして、あの時、寝てしまったんだろう。
 一華の代わりでもいいと思った。
 何故、あの時、そんな馬鹿なことを考えたんだろう。
 おかげで、俺は、光樹の友だちですらいられなくなった。
 あんなことしなかったら、少なくともこの間までの、笑い合って並んで歩く関係は続いたのに。


 その時、いきなりカーテンが開いて目の前に光樹が現れ、俺は叫びそうになった。
 怖い顔で、光樹が俺を睨む。
 俺は、身体が震えそうになるのを感じて、ぎゅっとベッドの縁を掴んだ。
「二葉」
 光樹が思いつめたような声を出した。俺は、何も言えず固まったまま。
「何で、いなくなったんだよ」
 あの朝のことだと思ったが、声は出なかった。
「俺の……顔も見たくないって?」
 光樹、苦しそうな声。
 俺はそんなことは言ってない。ああ、一華がそういったのか。
 あいつ、キツイこと言うなあ。
 一華の口からそんな言葉聞いたら、たとえ俺からの伝言だとしても、光樹、ショックだったろうな。
 光樹の顔を見つめたまま、俺は遠くで考えた。

「二葉、俺とヤッたの、後悔してんのか」

 光樹が手を伸ばして俺の頬に触れた。ビリッと電流が走った。
「あたりまえだろ」
 俺はその手を叩き落した。
 触られた頬がズキズキする。あの夜を思い出して、俺の身体がズキズキと疼く。


「後悔してるよ」

 俺は、もう、お前の前で、以前の自分でいられない。


 光樹の目が見開かれて、そして、酷く傷付いた顔をした。

(何で……)

「そうか……ゴメン」
 光樹が、背中を向けた。そのまま、保健室を出て行く。

(何で……)

「何で……そんな顔すんだよ……」




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