夏休みも近づいたある日。 「試写会?」 「ああ、うちの兄貴がバイト先でタダでもらったのを、『売って』くれたんだ」 「あはは……相変わらずだな、かぐや」 「舞台挨拶もあるんだってさ。今度の土曜、一緒に、行かないか?」 光樹が鞄から出したチケットは、ハリウッドで話題になったCGを駆使したアクション映画で、先日、その主役が来日したのをテレビで見て一華が騒いでいたヤツだった。 「あ、これ……」 「ん?」 「一華が観たがってたヤツ」 言ってしまって、後悔した。 「ふーん……じゃあ、一華、誘うかな」 光樹の言葉に、ハッと顔を上げる。 「なーんちゃって……あ、ひょっとして、俺の分巻き上げて、姉弟(きょうだい)で観に行こうとした?」 「まさか」 「だよな、そりゃ、あんまりだよな」 笑う光樹に、思わずボソッと尋ねてしまった。 「光樹こそ、俺でいいのかよ」 「え? 何で?」 「何で、って…」 一華も、この誘いだったら断らないだろう。というより、絶対喜んで行く。 「まあ、確かに、男同士で行くのもさみしーけど、二葉、これ観たいとか言ってなかったっけ?」 「言ったかも」 一華が騒いでいたから俺も気になって、光樹との会話の中で言ったかもしれない。 「じゃあ、いいじゃん、行こうよ」 「うん」 何となくホッとした。 「それにしても、よく譲ってもらえたな。これ、かなり人気あるんだろ?」 「実は兄貴、この日大学の合宿が入っていて東京にいないんだよ。で、本当なら一番こういうの好きなうちのオカンも、その日旅行」 「じゃあ、誰もいないんだ」 光樹の親父さんは単身赴任中だって聞いている。 「うん。そうでなきゃ、俺には回ってこないね」 「じゃあ、俺もラッキーだったんだな」 「そうそう」 その夜。試写会の話を聞いて、案の定、一華は騒いだ。 「うそっ! 私、行きたい! 二葉、譲って、それ」 「やだよ」 「えーっ、行きたい、行きたい」 「どこにでも行けよ」 「その試写会に行きたいっ」 ソファに座っている俺の首に後ろからしがみつく。フワリと花の香り。俺よりちょっと長いだけの男みたいなショートヘアのくせに、髪の匂いは女の子のものだ。 「ねえ、二葉〜っ、私、前からそれ観たがっていたの知ってるよね?」 「俺だって、観たがってたよ」 ブスッと応えると、 「あー、そっか、それもそうだね」 意外にあっさり退いた。一華は、こういうヤツだ。 「うーん、行きたかったなあ……どうしようかなあ……」 ブツブツ言いながら、部屋に立ち去る。俺は、いつものことだけれど、拍子抜けしつつ、なんとなく嫌な予感もしていた。 そしてその予感は、翌日に的中した。 なんとバスケ部の朝練を終えた一華は、うちのクラスにやってきて、光樹に直談判を始めたのだ。 「ねっ、竹本君、譲って。お願い」 ニコニコ笑いながら、両手を顔の前で合わせる一華。光樹は呆然としている。 俺は、どうしていいかわからずに下を向いた。 一華がこんなに頼んでいるのだから、光樹は、チケットを譲るのだろう。 いや、俺じゃなくて一華を誘うんだろう。 「あのさ、二葉……」 光樹の言葉の続きを、俺は勝手に想像した。 『悪いけど、チケット、一華に譲って』 けれども、光樹は 「お前も、姉貴と一緒に行きたい?」 「えっ?」 「お前が、どうしてもってんなら、俺、諦めるけどさ」 困った顔で俺を見た。 一華は、期待に瞳を輝かせて俺を見つめる。 「あ、えっと」 無意識に固く握り締めていた自分の手に気がついて、両手をこすりながら、俺はゆっくり口を開いた。 「……もともと、光樹が手に入れたチケットだから、光樹が行くのが当たり前だろ。俺は……先に、誘ってもらってラッキーだったけど……一華のは、わがままだと思う」 一華の顔が、とたんに、ガッカリした。 わざわざうちのクラスに来て頼み込む一華に、俺は、嫌な気持ちになっていた。だけど、わがままってのは言い過ぎただろうか。 「そっか…そうだね……」 ションボリという言葉がぴったりの一華の表情。俺は、光樹が気になってチラリと横目で見た。 光樹は、じっと一華を見ている。 胸がチクッと痛んだ。 光樹が、一華を見ている。 「二葉の言うとおりだよね。ゴメン!」 一華は、コロッと表情を変えて、にっこり笑った。 「お騒がせしました!じゃ、またね」 元気よく手を振って、教室を出て行く。 クラス中が、その背中を見送った。光樹も、勿論、その一人。 光樹が一華を見つめるだけで、胸がざわつく、情けない俺。 「光樹」 呼びかけると、光樹ははっとして振り返った。 「あ、なんか、一華って、やっぱ、似てるな、お前に」 「そうか?」 「さっきなんか、あんまり似てて、目が離せなくなっちまったよ」 ヘタクソな言い訳するなよ。 「二卵性の双子って、似ないっていうけど、嘘だな」 昔、雪村先生も、同じこと言った。 突然、先生と一華のキスシーンが頭の中によみがえった。 その先生の姿が、光樹に重なる。 そして、俺そっくりのはずの一華の顔は、どうしたって俺には重ならなかった。 試写会当日、俺たちは、有楽町の駅で待ち合わせした。 私服の光樹は、普段以上に大人びていて、とても高校生には見えない。 なのに―― 「すっげぇキンチョーする」 「なあ、あそこ、誰か、芸能人いるみたいじゃねえ?」 「終わった後、インタビューとかされるのかな」 興奮して一人ではしゃぐ様子は、何だか子供みたいで、可愛くて、おかしい。 いつもと違う光樹を見た気がして、俺は、嬉しくなった。 「何、笑ってんだよ」 「なんか、楽しそうだなって」 「うわ、かわいくねえ」 「どうせ、かわいくないよ。てゆーか、別にいんだよ、かわいくなくて」 「あ、ウソ、その怒った横顔は、ちょっとかわいい」 「はぁ?」 「なんちゃって」 「バカ?」 突然、変なこと言って驚かすなよ。 でも、顔だけは、一華と同じだからな。 映画は、むちゃくちゃ面白かった。 うちの親父が昔『ヤクザ映画を観た後は、肩で風を切って歩いてしまう』なんて言ってたけど、まさに、今の俺もそんな気分。今なら、弾丸が五、六発飛んできたとしても、バク転でかわせそうだ。 光樹も同じらしい。 「すっげえ、面白かったな」 顔が紅潮している。 「ああ」 「あーっ、家まで走って帰りてえーっ」 「いや、さすがに遠いだろ」 俺は、笑った。二人とも、気分がハイになっている。 「なっ、二葉、うちでメシ食っていけよ。カネもらってるから、ピザ取るし」 「あ、ピザ食いたい気分」 映画の中で、主役がかぶりついていた。 「あと、コーラと」 「ビールだろ?」 笑いながら、人ごみをすり抜けて、駅まで走った。 コンビニで光樹がビールと缶チューハイを買った。俺は、外で待っていた。 俺だと、未成年ってモロバレだから。 「うち来たら、面白いもの見せてやるよ」 「なんだよ」 「そりゃ、見てからのお楽しみ」 そのお楽しみというのは、AVだった。変なタイトルと一緒にセーラー服で笑ってるのは、素人くさい女の子。 「兄貴が持ってたんだな〜っ」 光樹、嬉しそうだ。 「それも買わされたのか?」 「いや、これは密かにパクって来た」 「オイオイ」 「見ようぜ」 光樹が四つんばいでテレビの方に這って行き、ビデオをセットする。 ピザで腹がいっぱいになっていた俺は、それまでちょっと眠かったんだけれど、初めて見るAVというものに興味をひかれて、身体を起こした。 缶チューハイを片手に、ソファに座りなおす。 すぐに画面から、女の子の喘ぎ声が聞こえた。 「あ、巻き戻ってねえ」 「いいじゃん、どうせストーリーとか無いんだろ?」 「ま、そうだな」 光樹が戻って、俺の隣に座った。 女の子にさほど性的な興味を持ったことが無い俺だけれども、さすがに初めて見るそれは、刺激的だった。 きわどい画像にゴクッと喉が鳴りそうになるのを、俺は、何度も缶チューハイを口に運んでごまかした。 女の子の甘えるような鼻声は演技だと思うけれど、セーラー服をハサミで切られていくときの怯えたような表情は、本物っぽかった。破られたセーラーの胸元から、わざとらしく乳首が覗く。 (うわー、エッチっぽい) 気がつくと、光樹も静かになっていた。 そして、光樹のことを意識すると、何だか光樹の方も俺の顔をチラチラと窺っている気がした。 とたんに俺の心臓が騒いだ。 AVの画像を見ながら、隣に意識を集中する。光樹の息は、わずかに荒くなっている。ビデオに興奮したんだろう。でも、やっぱり俺を見ている気がする。 一華に似ているから? そう思ったとたん、すっと覚めた。 「何だよ」 振り向いて、光樹の顔を見た。 「ゴメン」 突然、抱きしめられた。 「わっ、な、何っ?!」 俺は、驚き、そして焦った。 「俺、お前とヤリたい」 「はっ?」 自分の耳を疑った。 光樹は俺を抱きしめたまま、肩に顔をうずめてくぐもった声で言う。 「お前と、ヤリたい。ごめん、我慢できない……」 「こう」 「お前見てると、たまんないんだ」 ああ、そういうことか。 「いいよ」 「え?」 光樹が顔をあげて、俺を見た。 一華と同じ顔の俺。 「ヤッて、いいよ」 俺は、缶チューハイで酔っ払っていたらしい。 「二葉……本当に?」 「うん」 俺なんかで、よければ。 一華のかわりになれるなら。 呆然と俺を見た光樹の瞳が、充血したようになった。 ゆっくりとシャツをまさぐられた。 光樹の顔が近づいてきたので、目を閉じることにした。 閉じたまぶたの裏に、一華と雪村先生のキスシーンが浮かぶ。先生の姿が、光樹に変わる。 俺にとっては、これが生まれてはじめてのキスだった。 |
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