聞きたくて聞くんじゃない。耳に入ってきてしまうんだ。
 サイゼリアでそんな会話をした次の日、同じ思いをするはめになった。
 今回のは、ちょっと重かった。



「光樹ぃ、そういやお前、昨日、サイゼリアで二葉とイチャついてたってなあ」
 放課後、先生に頼まれて本を返しに行った光樹を追って図書室に入るなり、声が聞こえた。生徒への貸し出し禁止の本や資料を置く特別閲覧室。他に誰もいないからよく聞こえる。声は、光樹と同じ日直の高木だった。
「別に、イチャついちゃねえし」
 光樹の声。
「え、でも、目撃した女子が、絶対アヤシイって」
 もう一人いた。この声は、クラスメイトの中村だ。
「光樹と二葉って、何かってと一緒にいるじゃん、もしかしておホモだちじゃないかって」
 ドキッとした。
「言われてみれば、二葉を見る光樹の目ってたまに欲情してたりして?」
 中村のゲスなからかい。
「バカ言ってんじゃねえよ、気色わりぃ」
 光樹の吐き捨てるような言葉に、ズキンと心臓が痛んだ。
 その場を離れることも出来ず扉の陰で立ちすくむ。
「でもさ、お前らって、本当に……あ、ひょっとして、光樹……あれか?」
 高木が言った。
「一華ねらい?」
 すうっと血の気が引いた。
(一華、狙い……)
「あ、何で黙るんだよ、光樹、ひょっとして図星?」
 高木の声が大きくなる。
「……ああ」
「げえっ、やっぱり、そうだったんか」
「やっべえ、宮内、強力なライバル出現」
「ウルサイ、お前ら」


 その後、どうやって帰ったのか覚えていない。

 俺は気がついたら、自分の部屋にいた。

『一華ねらい?』
『ああ』
 たったそれだけの会話が、俺を打ちのめした。

(またかよ……)

 いったい俺の人生で、あと何回くらいこういうことが起きるんだろう。
 ベッドに寝転んで天井を見ると、見慣れたシミが俺を嘲笑っている。

 両手で、顔を覆う。
 何も見たくない。
 何も聞きたくない。

 なのに、隣の部屋から部活から帰ってきたらしい一華のかける曲。
 珍しい。今日はストーンズかよ。
 PAINT IT BLACK
 ミックジャガーの歌声と一緒に、俺の心も真っ黒に塗りつぶされていく。

(ちくしょう)


 みんなが、一華を好きになる。
 でも、一華は、悪くない。
 一華が悪いわけじゃない。
 悪いのは、自分。
 一華と同じ顔を持ちながら、それ以外何もいいところの無い、俺自身だ。




 翌日、登校した俺を、光樹が待ち構えていた。
「おまえーっ、何で昨日、勝手に帰っちまったんだよ」
「……悪い」
「ったく、日直の時は、そーじゃなくても雑用多くて辛いんだから、置いて帰られたら、悲しいっしょ?」
「……うん」
 俺の様子がおかしいと思ったのか、光樹は立ち止まって、俺の顔をマジマジと見た。
「二葉、どうした?」
「何が?」
「目、赤くないか?」
「そう?」
 俺は、下を向いてごまかした。
「昨日、遅くまで本読んでたからかな」
「げっ、本って二葉が? 何読んでんだよ」
「……ジャンプ」
「って、漫画じゃねーか」
 お約束の突っ込みに、ちょっと気持ちが軽くなる。

 そう、俺は、立ち直りは、早いんだよ。
 慣れてんだから。

「何、変な笑いして」
「変じゃねーよ」
「気持ち悪いんだよ、下向いて笑って」
「上向いて笑うのは、バカっぽいじゃん」
「それもそうだな」
「あはは…」
 これでいい。
 光樹とは、いつまでもこうやって、バカ言って、笑って、並んで歩ければそれでいい。


「二葉、リーダー、訳してきた?」
「してない」
「だよな、遅くまで本読んでたらしいし」
「嫌味くさい」
「俺、今日、当たりそうなんだよな、昨日リーダーなかったし」
「ああ妹尾って、前後賞とか言って前日とか次の日の日直も当てるからな」
「お前、優秀な姉貴がいるんだから、写させてもらってこいよ」
「………お前こそ、ユーシューな兄貴がいたんじゃなかったっけ? かぐや姫。教えてもらえよ」
「ダメ、あいつ、カネ取るから」
「マジ?」
「マジマジ、しかもすっげえ高いの。だから夏休みは、アイツに宿題見てもらうために、バイトすんのよ、俺」
「その時間に、自分でしろよ、宿題」
「やっぱり? 俺もそうじゃないかとウスウス」
「バカだな、ホンモノの」
「あはははは……」

 これでいいんだ。
 いつまでも、こんなふうに―――。



 一時間目の授業が終わって、光樹が便所に行った隙を狙って、高木が俺のところにやって来た。空いていた前の席に座って後ろを向く。
「すごいこと、教えてやろうか?」
「何だよ」
 想像はついた。
「驚くなよ」
「勿体つけんなよ」
「光樹のヤツさ」
 高木の瞳がキラリと輝く。
「うん」
「お前の姉貴、一華のことが、好きなんだってよ」
 ズキンと来た。まだ、完全に吹っ切れてはいない。
 けれども、心の準備は出来ていたから、俺は、余裕こいて片頬で笑って見せた。
「え、なに、驚かないの?」
 高木の方が、よっぽど驚いた顔をした。
「ってゆーか、二葉、知ってたのか?」
「俺の回りなんて、そんなんばっかだよ。今さら、何言ってんだ」
「ちーっ、二葉が驚いて、目を丸くするところが見たかったのになあっ」
 高木は本当に悔しそうだ。
「そんな使い古されたようなネタでいちいち驚くかよ」
「つまんねー」
 立ち上がった高木を、俺は慌てて呼び止めた。
「あ、おい」
「ん?」
「その話、他のヤツには……」
 高木は、にっと笑った。
「言わねぇよ、クラスの女子どもガックリさせるのもカワイソウだろ。アイツひそかに人気あるからな。俺は、単にお前がビックリするところ見たかっただけだから」
「そりゃ、期待に添えなくて悪かったな」
「また何かでチャレンジするよ」
 高木は、手をヒラヒラさせて自分の席に戻った。
 たぶん高木なら、面白がって噂を広めるようなことはしないだろう。
 俺は、このことを一華の耳に入れたくなかった。
 光樹が振られるところなんか見たくない。


 それ以上に、二人がくっついてしまうのは、もっと嫌だった。





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