一華と雪村先生のキスシーンを見た時、自分でも驚くほどのショックを受けて、そのことがなおさら俺をヘコませた。 * * * 雪村先生は、俺の家庭教師だ。 最初、家教(カテキョ)をつけるって言われた時、俺は断った。 「いらないよ、別に」 「だって、二葉、もう少し成績あげないと、一華と同じ高校入れないわよ」 うちの親は平気でこういうことを言う。もう慣れたけどね。 「別に同じじゃなくていいよ」 「ダメよ、同じじゃないと、入学式とかどうするのよ。お母さん、かけもちで回るなんてしないわよ」 「一華のとこに、行けよ」 「何言ってるの」 「高校の入学式なんて、来ない親、大勢いるって」 正直、高校まで一華と同じなんて真っ平だった。 だから、家教もいらないと突っ張るはずだったのに 「お母さん、私が二葉に教えるよ」 口を挟んだ一華のおかげで、俺は家教の方を選ぶはめになった。 家教は嫌だったけれど、一華に教えてもらうなんてのは、もっと嫌だ。 一華は、俺の双子の姉だ。 二卵性双生児だっていうのに、嫌ってほど似ている。外見だけね。 頭の良さも運動能力も、一華の方が断然上。言っておくけれど、俺だって馬鹿でもなけりゃ運動オンチでもない。ただ、ごくごく普通レベル。一華さえいなければ、良くも悪くも目立つこと無かった程度。そう、一華がいなければね。試験となれば常に学年トップ、だからと言ってガリ勉じゃなくて、女子バスケ部のキャプテンでチームを都大会ベスト4まで率いたと言う一華の前じゃ、だれでも凡人に見えるだろう。 俺が不幸なのは、それが双子の姉で、何かにつけて比較されやすい立場にあったこと。 『一華の弟』 いつもそう呼ばれた。 『あの一華さんと双子なのに』 そういうヤツもいた。 いいかげんうんざりしていたから、高校くらいは別々の学校に行きたかったのに。 「え? 一華も清稜受けんの?」 「うん」 「だって、お前ならもっと上行けるだろ、開星でも、どこでも」 東大進学率ナンバーワンとかいう学校名をあげてみたけれど、 「いいよ。お母さんが同じ高校の方が助かるって言っているし、勉強なんて、どこでやっても同じだもん」 一華は、あっさり答えた。 母親がタウンページの広告で探した家庭教師協会から派遣されてきたのは、現役のW大一年生だった。 「はじめまして、雪村俊弘です。受験まで半年、ヨロシク」 初めて会ったときの印象は、やたらさわやかな、歯磨き粉かなにかのCMに出そうなヤツ……といった感じ。 「若すぎじゃないかしら」 高い金を払っているらしい親は、陰で、ちょっと不満げに言ったけれど、 「大学って、入ってからだんだん馬鹿になっていくって言うから、一年生でよかったんじゃない」 一華の言葉に、 「ああ、そうね。確かにそうかもね」 安心したように笑った。 一華の言うことは、絶対だ。 それから三ヶ月、四ヶ月と過ぎ、俺の学力も清稜レベルまで上がってきた。 雪村先生の教え方は、上手だった。 それよりも俺が嬉しかったのは、雪村先生は俺の家庭教師で、俺だけの先生だった。子供じみているけれど、家の中で一華と共有しない時間が嬉しく、先生が俺しかみていないってことが嬉しかった。 週に二回、先生が来て勉強する時は応接室を使っていた。俺の部屋は、汚すぎて他人を入れられなかったし、一華の部屋が隣だから、音が気になるだろうということで。 一華は、部屋じゃ音楽かけっぱなしだ。昔の洋楽。エアロとかクィーンとか。ヘッドフォンしろって言っても、うっとうしいから嫌だって言う。それはわからないでもないし、たまに聴こえてくる曲が、かなりいい感じのヤツだったりするから、俺もあんまりうるさいことは言わないんだけど。 そう、それで、雪村先生はいつも玄関からまっすぐ応接室に入るから、一華と顔をあわせることは無かった。一華もわざわざ顔を出すようなヤツじゃないから。 だから、初めて一華が母親の代わりにお茶を運んできた時には、先生は本当にビックリしていた。 「何で?」 俺たちのことを見比べる。 「……双子なんです」 俺は、何となく嫌な気持ちで、ボソリと答えた。 「二葉くん、そんなこと言わなかったじゃないか」 「別に、聞かれなかったし」 「いや、まあ、そうだけど」 先生は頭を掻いた。 「じゃあ、ここに置きますね」 一華が軽く頭を下げて出て行くと、先生はため息をつくように言った。 「男女の双子って似ているケースまれだけど、君たちはよく似てるね」 「…………」 「二葉くんのお姉さん?妹?」 「姉です」 ツクンと胸が疼いた。 「二葉姉かあ、いや、ビックリした」 『二葉姉』 いつも俺は『一華の弟』だった。 (一華のほうが、俺の姉って、言われたことって――) 頬が熱くなった。 雪村先生にとっては、一華じゃなくて俺が中心なんだってことが、こんなに嬉しいなんて、不思議だ。 そして、その後も雪村先生は決まった曜日にやってきて、たまに一華の話題は出たけれどそれは俺と話すこと全体の十分の一くらいで、たまに偶然会った一華が挨拶する程度のこともあったけれど、それも俺と先生が一緒に過ごした時間からすれば、ほんの一瞬と言ってよかった。 だから、気がつかなかった。 いつのまにか、二人がこんなに親しくなっていたなんて。 * * * 「二葉、帰ってたの?」 俺の部屋のドアを開けて、一華が驚いた声を出した。 「勝手に、開けるなよ」 ベッドにうつぶせていた恰好のまま応えた。 「何言ってんの? 先生、下で待ってるよ」 「………」 「どうしたの? どっか具合悪いの?」 俺をゆすって顔を覗き込む。目の端に俺によく似た一華の顔が映って、その唇に視線が行くのを止められない。 「二葉?」 心配そうな一華の腕を振り切って、俺は布団を頭までかぶった。 「具合悪い」 「どこ?」 「色々」 「色々って、二葉」 「とにかく、今日は勉強できる状態じゃないから、先生には、帰ってもらってくれよ」 「う…ん」 「なんだったら、一華、見てもらえよ、勉強」 「え? 私はいいよ」 「……だったら、帰ってもらって」 「わかったよ」 階段を下りる足音。 うっかり覗いた応接室での、一華と先生のキスシーン ―――ショックだった自分にヘコんで、ヘコんだ自分がショックだ。 そして、年が明け、受験が終わり、俺も一華も清稜に受かった。 もっと上の高校に楽に行けるはずだった一華は、入試でもトップだったらしく、入学式では新入生代表挨拶をした。 壇上で謝辞を述べ、期待に膨らむ高校生活への抱負を語る一華は、堂々として輝いていて、体育館中でため息のような囁き声が漏れた。 そして俺は、そんな一華の姿を下から見上げて、また三年間比べ続けられるだろう運命を呪った。 一華と雪村先生は、あの後付き合っている様子は無かった。 俺に内緒で会っているというのならわからないけれど、一華の様子じゃアレっきりみたいだ。先生も、翌週、何ごとも無かったようにやってきたし、それから変わりなく家教を続け、無事に俺が受かったのを確認して半年間の役目を終えた。 俺の方は、一度ショックを受けたあとは、いつもと同じ。 俺より一華の方が魅力あるのはわかっていたことだし、それで先生が一華を好きになったからって、俺がどうこう言う筋合いじゃない。今までだってよくあったのだ、仲良くなったクラスメイトが俺を飛び越えて一華に惹かれるということ。 まあ、一華の方がそれに応えるってことはまず無かったから、今回の雪村先生のことは驚いたんだけどね。その後、付き合ってないってのも、ちょっと驚きだけど、もう俺には関係ない。 「春野二葉っての? なんかメルヘンな名前だな」 突然俺の名前を呼んだのは、同じ一年にしちゃ背の高い男で、どことなく雰囲気が雪村先生に似ていた。 「俺、竹本光樹(コウキ)。光る樹、ヨロシク」 チャッと額の前に手のひらをかざすポーズは、おちゃらけているのに、変にキマっている。 「あ、ヨロシク」 「あのさ、俺、筆箱忘れちゃって、何でもいいから書くモン、貸してくんない」 「……こんなモノでよければ」 それが、俺と光樹の出会いだった。 |
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