挿入  陸くん視点  

 練習をサボったその夜。敏樹から家に電話がかかってきた。
「広海? 明日の女子の試合、応援に行くからな」
 俺の都合などお構いなしという言い方に、むっとして
「俺は、行かねえよ」
 受話器を叩きつけた。
「広海、どうしたの?」
 お袋が台所から顔を出したけれど、俺は黙って部屋に入った。
 ベッドに横になると嫌でも思い出す。いや、昨日からずっと忘れられない。
 何度も頭の中で繰り返される、悪夢のような出来事。

『見たでしょ、男なのよ』
 信じられない。
 こずえが、男?
 悪い冗談だ。
 笑い飛ばしたいのに――こずえの裸の胸は、間違いなく男のそれで。
 嘘だろ? と、頭の中で百万回繰り返したけれど――何より、こずえが、否定しなかった。

『ごめんなさい』
 振り向いた泣き顔が、頭から離れない。
(こずえ……)
「ちくしょ…」
 俺は、だまされていたんだ。
 男のくせしてあんなかっこうして。
『陸さん』
 首を傾げて見上げる癖。あんなかわいい顔で、人のことだましやがって。
 両腕で目を覆うと、浮かんでくる。いろんなこずえの姿。公園、ゲーセン、夏祭り、ディズニーランド。浴衣もヒラヒラのスカートも、あの爪と同じ、全部全部、俺をだますためのにせもの。
「ざけんな」
 口の中が苦い。
「ざけんな、バカヤロウ……」


 翌日も俺は練習を休んだ。
 誰にも会いたくない。
 男とつき合って喜んでたなんて、いい笑いもんじゃねえか。
 部屋でゴロゴロしていたら、うっかり電源を入れていた携帯に電話が掛かってきた。
 敏樹だ。
 無視して俺は、出かけることにした。
 へたすると、あいつ家まで迎えに来かねない。
「広海、でかけるの?」
「ああ」
「練習は、休みなんでしょう」
「ああ」
「帰りに洗剤買ってきてくれないかしら。きれちゃったのよ」
 お袋のそれには返事しないで、俺は家を出た。


 俺の勘は正しくて、俺が出かけた三十分後に敏樹と高島が家に来たらしい。
「練習、無かったんじゃないの?」
 夕食の時間に、お袋が言った。
「サボりだろ」
 珍しく仕事から早く帰ってきて、夕飯を一緒にとっていた兄貴が笑う。
「違うよ」
「何だ? どうした?」
「昨日から、機嫌悪いのよ」
「部活で何かあったのか」
「うるさい」
 落ち着いて食べることもできないのかよ。
 俺はわざと派手に椅子を引いて立ち上がった。
「もう食べないの?」
「食べないと夏バテるぞ」
「ほっとけよ」
 お袋と兄貴は顔を見合わせ肩をすくめて、そんな態度もいちいち俺をイラつかせた。
 わかってる。
 八つ当たりだよ。
 でも、八つ当たりくらいさせろよ。
 だって俺は―――。
「ちくしょうっ」
 机の上に置いたままの携帯には、着歴がいくつも残っている。
 留守電は聞く気がしなかったが、メールはつい開いてしまった。
『女子試合勝ったぜ。明日は、練習出てこいよ』
(おせっかいな奴……)
 携帯をベッドの上に投げ捨てた。

 結局、木、金、土と、俺は練習には行かなかった。
 月曜は始業式。嫌でも学校に行くことになる。
 それまでにこずえのことはふっ切って、バレー部の連中に会っても馬鹿な自分を自分で笑ってやろう。そう考えていた。
「相川もひでえよな。サイテーの女だぜ」
「すっかりだまされた。ありゃ、反則だよな」
「こんなことならさっさと手ぇ出しときゃよかった。そうすりゃすぐわかったのにさ」
 色々な言葉を考えたけれど―― 俺はまだ、そう笑って言えるほどふっ切れちゃいない。


 日曜の朝、突然、敏樹が家にやって来た。
「フェイントだな」
 三日間何の連絡もなかったから、諦めたと思ったのに。
「フェイントは俺の得意技だよん」
 敏樹に誘われて、外に出た。並んで歩きながら話す。
「明日から、また学校だなあ」
「ああ」
「ってか、殆ど毎日行ってたけどさ。あ、お前は、一週間休めてよかったな」
「嫌味か」
「次期キャプテンが来ないから、しまんないよ」
「……わりい」
 なんならキャプテン、譲ってもいい。そう言おうとしたとき、
「水曜の女子の試合、見に行くべきだったよ」
 敏樹が話をむし返してきた。黙っていると、
「こずえちゃん、がんばってたぜ」
 敏樹が言うので、俺は思わず声を上げた。
「試合に、出てたのか?」
「あ? ああ」
 信じらんねえ。
「は…男のくせして…」
 どんな神経してるんだ。
「まさか、ブルマはいて出てたんじゃないだろうな」
「いや、ちゃんと男の子だったよ。でも、短パンから伸びる脚がセクシーだった」
 思わず睨んでしまったらしい。
「冗談だよ、そんな顔すんな」
 敏樹は苦笑いした。
「女子はさぁ、こずえちゃんのことみんな受け入れてたぜ。まあ、約一名除いて」
「…………」
「俺たちも、別に、いいんじゃねえかなって思ってる」
「何がいいんだよ」
 険しい声が出てしまう。
「俺たちのキャプテンの恋人が男でも…ね」
「はっ?」
(ふ、ふざけんな)
「他人事だと思って……」
 俺が怒りで拳を握ると、
「他人のことだから、かえって良くわかるんじゃねえか」
 敏樹はあっけらかんと言った。
「お前、だまされたとか言ってたけど、そりゃねえべ? お前らがどんなにラブラブしてたか、俺たち、二週間嫌ってほど見せつけられてんだし」
「…………」
「まあ、今回のことでお前が本当に怒って、こずえちゃんのことも嫌いになったとか言うんなら、俺らが口出しすることじゃないけどさ。でも、そうじゃないんだろ?」
「な、何言ってんだよ」
「こずえちゃんのこと、嫌いになれないんだろ?」
「何で……」
「お前が、部活、出て来ないからだよ」
 敏樹はまっすぐ俺に向き合った。
「お前が部活休んだの、初めてだぜ。しかも一週間も。それだけ悩んでんだろ?」
「敏樹……」
「俺たちの恋愛なんてどうせ結婚なんか考えてねぇんだから、身分違いだろうが不倫だろうが、年上も年下も、なんだってアリだって。男も女も、気にすんな」
 敏樹はニッと笑った。
「ば…馬鹿か……」
 身分違いとか、歳とか、そんなんと一緒にできるかよ。
 けれども、敏樹の言葉にふっと力が抜けた気がした。
「というわけで、これ」
 敏樹は、ポケットからノートをちぎったような紙片を取り出した。
「相川の家の住所と電話番号。女子に聞いてきた」
「あ…」
「二学期からは、練習サボんなよ、キャプテン」
「……サンキュ」
「じゃあな」
 敏樹は手を振って、歩いていった。

 ちくしょう、かっこいいよ、敏樹。
 後ろ姿を見送って、俺は携帯を取り出した。
 相川に、こずえの家を教えてもらうつもりで。
「はい、相川です」
「あ、あの、陸といいますが、ひよ子さ」
「何の用?」
 最後まで言わせないこれは、相川本人。俺は、こずえの連絡先を知りたいと言ったのだけれど、
「やめてよ。せっかく落ちついたのに。こずえ、じゃない、ショーリの前に現れたりしないで」
「待ってくれよ、話を」
「あんたになんか、ショーリは勿体ないの」
 唐突に、電話は切れた。
「くそっ」
 携帯を閉じると、俺は住所を頼りに相川の家に向かった。一度近くまで送っているから、番地がわかれば何とかなる。
 およそ四十分後、それらしい家を見つけて玄関の呼び鈴を鳴らしたら、相川が不機嫌そうな顔で出てきた。
「来るような気がした」
「だったら、教えてくれよ」
「だめよ」
「何で」
「ショーリがビックリするでしょう? それに、おじさんとおばさんも」
 こずえの両親。確かに、突然押しかけたりしたら、どう思うだろう。
「でも、もう一度会いたいんだ」
「もう一度って、何よ?」
 相川の目と眉がつり上がった。
「一度って、何? ショーリに会うんならそれ相応の覚悟して会いに行ってよね。ちょっと顔が見たいくらいで会われちゃ迷惑よ」
「ちがう」
「会いたいだけなら、ものかげからそっと見てよ、明子姉さんみたいに」
「あきこ姉さん?」
「巨人の星よ、知らない?」
「や、わかる。が、それと俺と、何の関係があるんだ?」
「だから、電柱の影からでもそっと見てちょうだいって言ってるの。学校は教えてあげる。武蔵第三中学校」
 相川は最寄り駅を教えてくれて、もう一度言った。
「ショーリの前に顔を出すなら、それなりの覚悟してよ。一生あの子の面倒見るくらいのね」
「ああ」
 敏樹の言っていたこととは正反対のようだけれど、うなずいた。
 相川は、ちょっとホッとした顔をした。
「サンキュウな」
 礼を言って、相川の家を出た。



 そしてその翌日の月曜。
 俺は、放課後まで待てずに、こうして武蔵三中の前で張っている。
 今日はうちの学校も始業式だけれど、こっちの方が大事だ。
 明子姉さんを真似するわけじゃないが、他に場所もないので電柱に背中をあずけて待った。
 俺は背が高いんで、中学んときほんの一時期『電柱』と呼ばれたことがあった。あんまりカッコよくないあだ名だったから、すぐにやめさせたけどな。しかしそれでいくと、俺が電柱に寄り添ってる図ってのは、けっこう間抜けかもしれない。いや、お似合いなのか?
 つまらないことを考えながら待っていたら、制服の集団の後ろにこずえを発見した。
(来た…)
 少しうつむき加減でまつ毛を伏せた顔は、どこか淋しそうにも見える。
「こずえ…」
 口の中で名前を呟いただけで、胸が詰まった。

 俺の見ている前で、こずえに絡んでくる男がいた。
 こずえの首に腕をかけて、抱き寄せている。

 誰だあいつ。
 同級生か?

 こずえよりほんの少し背が高いだけのそいつは、どう見てもガキだったが、ベタベタとこずえに触る様子が気にいらねえ。そいつに何か囁かれて微笑んだこずえの顔を見た瞬間、身体がカッと熱くなった。

 俺は思わず、足を踏み出した。






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