「だめっ!」
 思いっきり手をつっぱると、意外にあっさり陸さんは離れてくれた。というより、陸さん自身がひどくうろたえている。
「あ、ごめっ…」
「ゴメン」
 二人同時に謝った。
 僕は焦って突き飛ばしてしまったことを謝ったんだけど、陸さんは「ゴメン、なんか……思わず」
 額に手をあてうなだれている。
「そんなつもりじゃなかった……とか言っても、信じてもらえないよな」
「え、う、ううん……」
 どっちつかずの返事をしたら、
「キスしたかったけど、それ以上する気はなかったんだ」
 真剣な顔で僕を見た。そして、
「いや、今日のところはって、意味だけど」と、ボソッと付け足した。
 そんな陸さんをかわいいと思ったのと、僕自身の後ろめたさからあいまいに笑うと
「許す?」
 陸さんも照れたように笑った。
「うん」
 うなずいたら、もう一度ギュッて抱き締められた。僕は、無意識に胸を庇ってしまった。
「ったく、こずえが浴衣なんか着てくるから、俺の下半身が暴走しちまったんだよ」
「そ…」んな、と口の中で呟いた。
「相川に釘刺されてたの、忘れそうになった」
 陸さんは、僕の下駄を拾って、
「戻るか」
 僕の手を引いた。

 二人とも緊張して手のひらはほんの少し汗ばんでいたけれど、固く手をつないで祭りの中に帰った。
「こずえ、金魚すくいする?」
「すくっても、おばさんちで飼えないかも」
 僕がひよちゃんちに居候していることは話している。
「ああ、相川に食われるかもしれないな」
「まさか」
「じゃあ、ヨーヨーつる? …って、いらねーよな、そんなもん」
「ふふ……」
「じゃあ、さ…」
 陸さんは僕を楽しませようと色々考えてくれて、それはたぶんさっきのことを気にしているんだろうけれど、僕は別に怒ったりしているわけじゃなくて。
 ―――ただ、気がついてしまった。
 このまま付き合っていたら、いつかまたさっきみたいなことがあって、僕が男だってことは、必ずバレてしまう。
『どっか外国いって、性転換……』
 ひよちゃんの言ったことを思い出して、ブルブルと首を振る。
 できるわけない。
「どうした?」
「あ、ううん。何でもない」

 陸さんは家まで送ると言ってくれたけれど、ひよちゃんに冷やかされるからと言って、近くの大通りまでにしてもらった。
 本当はひよちゃんじゃなくて、おばさんやおじさんに見つかるのが怖かったんだ。
「じゃあ、また明日な」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ……あ、今日はどうもありがとう」
 結局、色々買ってもらった。
 陸さんは、黙って手を振って通りを駅のほうに戻っていった。
 僕は、心臓の上に手を当てた。
 陸さんの触ったぺったんこのはずの胸には、温泉の名前の入ったタオルが二枚も入れてあった。
「これなら、わからなかったよね……」




 次の日、バレー部は屋外練習の日だった。
 他の部との兼ね合いで、体育館が使えない日もあるんだそうだ。
「今日は走りこみ中心で行くからね」
 鬼キャプテンのひよちゃんが「校庭十周」と叫んで、準備運動の終わった僕たちは次々に走り始めた。
「陸くんと、お祭り行った?」
「…うん」
「どうだった?」
「どう、って……」
 みどりが色々話し掛けてくるけれど、僕の返事はうわの空。僕の目は意外に大きいみどりの胸に釘づけだ。
 走るリズムにあわせてユサユサと揺れる胸。
 先週までは全然気にならなかったのに今日こんなに気になるのは、やっぱり昨日のことがあるから。
(いいなあ……)
 横目でみどりの胸をにらむ。
「ねえって、こずえ、聞いてる?」
「えっ? あ、何?」
「もう、どうしたのよ、さっきから」
「何でもないけど……」
「なんか、胸に視線を感じるんですケド?」
 う、気がついてるジャン。
「……いいなあって」
「えっ?」
「みどりは、胸があって」
 みどりは、僕の顔を見て、そして吹きだした。
「やだ、やっぱりそういうこと考えてたんだ」
「やっぱり、って……」
 むうっとすると
「大丈夫だよ、確かにこずえは胸は小さいけど、カワイイもん」
 そういう問題じゃないんだよ。
「ひよ子だって身体からしたら小さいじゃない」
「まあね」
 ごめん、ひよちゃん、男と引き合いになって。
「それに、ね。いいこと教えてあげようか」
 みどりがヒソと声をひそめて、僕も思わず前屈みになる。
「胸って、揉んでもらうと大きくなるらしいよ」
「…………」
「陸くんに、揉んでもらったら? なんちゃって、キャッ」
「…………」
 それが出来たら悩みはしない。っていうか、僕の場合、揉んだところで大きくなるわけないし。
「ね、こずえ?」
「うん…考えてみる……」




 一日の練習が終わって、僕が当番で体育用具室にボールを返しに行った。
「手伝おうか?」
 みどりが声をかけてくれたけれど、
「ダイジョブ、ダイジョブ」
 今日は殆ど使ってないから一人で平気。
「こずえ、私、先にシャワー使ってるから」
「わかった」
 ひよちゃんに合図して、僕は用具室にボールを運んだ。
 バレーボールを見ているうちに変なことを思いついて――しかも、やってしまった。
 ユニフォームをまくって、胸にバレーボールを二つ入れてみる。
「おおっ」
 パンパンに張ったユニフォーム。叶姉妹のような胸が出来た。
「すごい」
 両手で支えてみるとスゴイ巨乳。当たり前。
「こんなにデカかったら、いいよねぇ」
 そのままクルンとまわったその時、用具室の戸が開いた。
「こずえ」
 と呼んだ陸さんの口が『え』の形のまま固まった――僕を見て。
「あ……」
 入口を向いたまま呆然とした僕の胸から、ボトンボトンとボールが落ちて、コロコロ転がった。
「……な」
 陸さんは、何か言おうとして、ぶ――っと吹きだした。いつかのひよちゃん顔面スパイクの時みたいに。
「な、おま、な……」
 身体を折り曲げて、大笑いする。
「おまっ、何、やって…」あはははは……と、苦しそうに笑う。
 僕は、ペタンとその場に座り込んでしまった。
(は、は、恥ずかしい……)
 恥ずかしくて、顔を上げられない。
 ガックリと床に手をついた僕に、陸さんは笑いながら近づいて、そして僕の腕を取った。
「なんか、練習の終わりに、サイコー笑かしてもらったワ」
 ありがとうとか言う陸さんが、ちょっと恨めしい。
「ほら、立てよ」
「やだ」
 立ち上がれない。
「こずえ」
「立ちたくない」
 顔上げられないよ。
「なんだよ、笑ったの、怒ってる?」
 陸さんが、笑いを収めた声で言う。
 怒ってるんじゃないよ。恥ずかしいだけ。
 でも、黙ったままの僕に気を使って、陸さんはつかんでいた僕の腕を離すと、その場にしゃがんだ。
 床に座っている僕と目線を合わせようとする。
 僕は、顔をうつむけた。顔が熱い。
「ごめん」
 謝られてしまった。
「傷ついた?」
 何て言っていいかわからないから黙っていたら、頭をそっと抱かれた。陸さんの肩に引き寄せられて、耳元で囁かれた。
「ゴメンな。笑ったのは……可愛いって思っただけだから」
 ピクンと僕の身体が震えた。だって耳元だよ。声も低くてカッコいいんだから。
「陸さん…」
 顔を上げると、陸さんの顔がすぐ近くにある。
「こずえ…」
「おい、広海っ」
 開けっ放しだった入口から、白石さんがぬっと現れた。
「うわっ、おまえら、何してんだよ、こんなところで」
「してない、してない、してない」
 二人してブンブン首を振って、さっき転がしたボールを拾う。
「ボール拾ってたんだ」
「そ、そ、そ、そう……」
「うそくさーっ」

 その後、男子部の人たちが大勢やって来て、さんざん冷やかされてしまった。




「ちょっと、ショーリ」
 その夜。ひよちゃんがやって来た。
「男子に聞いたけど、あんまり大胆なことしないでよ」
 恐るべし西高バレー部情報網。
「体育用具室でエッチなんて、エロビみたい」
「してないよ、そんなことっ」
 ちょっと投げやりな言い方だったかな。僕は、言い直した。
「してない。だって、出来ないよ。知ってるじゃん」
 僕は男なんだから。
「まあ、ね」
 僕の様子に、ひよちゃんはからかうような口調をやめて
「冗談だからね」
 ちょっと優しく言った。
「ひよちゃん」
「なに?」
「どうしよう。僕……このままじゃ、いつか、バレちゃうよ、僕が男だって」
 だって、いつまでも隠しておけない。
 僕はちょっと泣きたい気持ちになって言ったんだけれど、ひよちゃんはあっさり応えた。
「バレるまえに、別れるんでしょう?」
「えっ?」


 一瞬、頭の中が真っ白になった。



「最初から言ってるじゃない。シンデレラの魔法は十二時まで。ショーリが女の子でいられるのは、再来週の水曜の試合まで」
「あ……」
「それとも……」
 ひよちゃんは、真面目な顔で言った。
「思い切って、陸に言ってみる?」






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