次の日、僕は朝から悩んでいた。
 今日もユニフォームで行っていいものかどうか。

 陸さんは体育会系らしくていいって言ったけれど、毎日毎日同じ服(しかもジャージ)を着ているなんて、そんな女の子――僕なら嫌だ。
ひよちゃんが、ちゃんと毎晩、自分のと一緒に洗濯機回して夜の間に乾かしてくれるから、汚くは無いんだけれど、でも、そういう問題じゃなくてさ。
「ひよちゃん、僕、ユニフォームじゃない格好で西高に行っちゃダメかな」
「なんで?」
「何でって……やっぱり毎日これって、他の人が見ておかしいとか思わないかな」
(僕が気にしているのは、他の人とかじゃないけれど……)
 モゴモゴ言うと、
「どこで着替えるの?」
 女子更衣室は使えないでしょうと、ひよちゃんは当たり前のことを言った。
「……トイレ」
「はあ、なるほど」
「でも制服じゃないと、ダメかな」
「別に。制服登校は『原則』ってやつだし。転校して来たばっかで、まだ制服無いってことにすればいいわよ。どうせ、うちの先生チェックしないしね」
「そう?」
「で? スカートはく?」
 だったら貸すよと言われて、僕は迷った。真剣に迷った。
 ホントなら「馬鹿言うなよ」とか怒鳴り返すべきところなのに、腕組みして悩んでいる僕は、相当おかしく映ったみたいだ。
「ショーリ、アンタどうしちゃったの?」
 ひよちゃんは、僕のおでこに手を伸ばした。
「熱でもあるの?」
「無いよ」
「昨日から、赤い顔してるし」
「してないよ」
 僕はひよちゃんの手を振り払って、ここに泊まっている間僕の部屋になっている和室に行った。やっぱりスカートはハードルが高すぎる。パンツで許してもらおう。女の子だってはくもん。家から持って来た洋服の山の中から、白いコットンパンツを引っ張り出した。上は大きめの黄色いシャツ。夏だから長袖を捲り上げた。胸がわからないようになるべくダボッとしたのを選んだ。こんなことなら、初日ひよちゃんが作った偽物の胸(ブラジャーにハンドタオル詰めたヤツだ)をもらっとけば良かった。
「おまたせ」
 リビングに行くと、ひよちゃんが驚いた顔をした。
「ショーリ、ちゃんと女の子に見えるよ」
「うん」
「でも、どういう風の吹き回し」
「別に」
「まあ、いいけどね」

 校門をくぐって体育館が近づくと、また心拍数が上がってくるのがわかった。
 陸さんに会ったら、どういう挨拶をしよう。
 色々考えて頭の中がグルングルンしてきた時に、
「よう」
 後ろから声を掛けられて、心臓が口から飛び出した。
 やっ、そんな気がしたってこと。
「相川、さっき島村先生が捜してたぜ」
 飄々とした顔で、陸さんがひよちゃんに言った。
「えっ? なんだろう」
「急ぎじゃないって言ってたから、また呼びに来るだろうけどな」
「……行って来るよ」
 ひよちゃんは、職員室の方に大股で歩いて行った。
 陸さんは、ひよちゃんが廊下を曲がるまで見送って、
「ハヨ」
 僕に振り返った。さっきまでと違う優しい顔。
 僕は口もきけなくて、ただうなずいた。
「今日は、ジャージじゃないんだな」
「…うん」
 蚊の鳴くような声って、たぶんこういう声だ。
 何でジャージじゃないのかとか聞かれたら、恥ずかしくて死んでしまう。でも、陸さんは、そんな意地悪は言わなかった。
「黄色、似合うじゃん」
(うわーっ)
 やっぱり恥ずかしくて死にそうだ。
「あ、じゃあ、また後でな」
 誰か来たみたいで、陸さんは僕の肩を軽く叩いて、体育館の入口に走って行った。
「おっはよー♪」
 明るい声は、みどりだ。一緒に居るのは、誰だろう。
「何? また、陸くんと何か話してたの?」
 みどりはからかうような目で僕を見た。
「みどり、この子?」
 みどりと一緒に来た背の高い女の人が、僕を見下ろして言った。
 何だか顔が恐い。
「あ、うん。相川こずえちゃん。ひよ子のいとこだって、すごいスパイク打つよぉ」
「ふん」
 その女の人は、キラリと目を光らせた――ような気がした。
「こずえ、これが大事な試合前に怪我した元エースアタッカーの松島順」
「あっ」
 ジュンちゃんがどうとか、言ってたっけ。
 ペコリと頭を下げた僕を無視して
「ちょっとみどり、なによその『これ』とか『元』とか」
「あはははは……」
 屈託無く笑うみどりの頭を、ジュンさんはわざとらしい素振りでド突いた。
 それから、いきなり僕に向かって手を差し出した。
「よろしくね、新エース」
「えっ? あっ、と」
 まさか握手なんて思ってないから、右手を浮かせてどうするものかオロオロしたら、パチンとその手を叩かれた。
「テッ…」
 予想外に強い衝撃に弾かれた手のひらを押さえると、
「ひよ子のいとこにしちゃあ、背も低いし頼りないわね。もっとしっかりしなさいよ。それに新入りの分際で男子部員とイチャイチャしたりすると、チームワーク悪くするわよ」
 そう言い捨ててジュンさんは、少し足を引き摺りながら歩いて行った。
「あーあ、気にすることないよ」
 みどりが慰めるように言う。
「ジュンちゃん、いつもあんなだから」
「そ、そうなんだ」
 とはいえ、気になるよ。
(新入りの分際で、男子部員とイチャイチャ……そう見られちゃったのかな)
 ちょっと落ち込んだ僕に、みどりはもっと強烈なことを言ってくれた。
「ジュンちゃん、前に陸くんと付き合ってたみたいだからさ。ヤキモチだよ」
「えっ?」
「でも、陸くんがひよ子のこと好きになったみたいで、それで別れたのかな? チームワークがどうこうって言うんならそのときが一番大変だったんだけど」
(う、嘘……)




 頭の中がぼうっとして、色んなことがグルグルして、ボールが飛んできてもわからなくて。
「こずえっ」
「あっ」
 バコンと白いボールが天井に跳ねた。僕の頭がヘディングしたので。
「何やってるのよ」
 ひよちゃんの罵声。
「ご、ごめん」
 尻もちついてひよちゃんを見あげると、その後ろに、男子コートから僕を見つめる陸さんが見えた。
 カッと顔が熱くなる。
(陸さん……)
 ジュンさんと付き合っていたっていうのもショックだったけれど、それよりも、ひよちゃんとのことが気になってしょうがない。
(ひよちゃんのこと、好きだった――?)

 信じられないけれど、今思えば、初日、陸さんとひよちゃんは何だか親しげな感じだった……ように思える。
 陸さんと話していた時の、ひよちゃんの顔を思い出す。
「こずえっ、来るよっ」
「あ、うん」
 でも、それじゃあ、どうして陸さんは僕と付き合おうとか思ったんだろう。
 ひよちゃんとは、もう別れたのかな。
 ひよちゃんは、陸さんのこと、どう思ってる?
「はいっ」
 みどりの掛け声に、条件反射でジャンプはしたものの
「うぁっ」
 タイミングが全然合わなくて、スパイクは不発だし、僕は床に転がった。
「こずえぇ〜」
「大丈夫ぅ」
 チームメイトの呆れた声に、ひよちゃんの激怒の叫びが被さる。
「アンタ、ふざけてんの?」
 そこに大きな笑い声がした。
 顔をあげると、仁王立ちしたジュンさんが腕組みして高笑いしている。
「すごいアタッカーだって聞いたから、どんな子かと思ったら、全然大したことないじゃない」
「ジュン」
 ひよちゃんが睨む。
「こんなんだったら、怪我してる私のほうが、よっぽどマシじゃないの、ねえ」
 意地悪そうに尖った顎を突き出すジュンさん。
 何だか、とってもわかりやすいイジメを受けているみたい。
「こずえは、今日は本調子じゃないのよ」
 言い切って、ひよちゃんはコートをまわって僕のそばに来た。
「やっぱり、風邪だったんじゃないの?」
「あ…」
「顔赤いって言ったの」
 ひよちゃんは僕の額に手をやって、溜め息ついて言った。
「今日はもう、帰りなさい」
「……うん」

 すごすごとコートを出る時に、すれ違ったジュンがニヤリと笑った。美人だけれど底意地悪そうだから、今度から呼び捨てにしてやる。
 でも僕の頭の中では、ジュンに言われたことよりもみどりの言葉のほうが気になっている。
 人目を忍んで女子トイレの個室に入って、ユニフォームを着替えた。
 陸さんが似合うって言ってくれた黄色のシャツ。
 今日も、あの公園で待ち合わせしていたんだけど――。
 僕が退場させられちゃったの見てたから、わかってるよね。
 悲しい気持ちで校舎を出て、僕の足はついつい裏門に向かってしまった。

 昨日の公園のベンチに座って、ぐったりと背中を預けた時に、
「こずえ」
 声と共に走ってくる陸さんが見えて、僕はハッと身体を起こした。
「お、陸さん……」
(何で?)
 信じられない気持ちでじっと見ると、
「大丈夫か?」
 陸さんは心配そうな表情で、僕の顔を覗き込んだ。
 ユニフォーム姿のままの陸さんは、どう見ても練習を抜け出してきている。
「ど…」
 どうして、と尋ねる前に
「こずえの様子がおかしかったから」
 陸さんは、僕の前にしゃがんだ。
 同じ目線で、話し掛ける。
「なんか、あったのか?」
「う…」
 訊ねたいけれど、訊ねられない。
 ひよちゃんと付き合っていたのかなんて。イエスなんて返事が来たら、どうすればいいんだよ。
「こずえ?」
 黙ったままの僕に、陸さんは、焦れたように手を伸ばした。
「アイツに何か言われた?」
「アイツって?」
「松島」
 その松島と言う名前に覚えがなくて眉を寄せて首を傾げたら、
「言われてただろ?」
(あっ)
 陸さんの言葉に、ジュンのことだと気がついた。
「う、うん……」
 意地悪は言われた。
 陸さんは、男らしい顔をしかめて吐き捨てるように言った。
「アイツの言うことなんか気にすんなよ」
 別に、気にしてないけど。
 だって今日の僕は、誰がどう見たって怪我人よりもダメダメだった。

 と、思ったけれど、陸さんが言ったのは別のことだった。






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