「僕、帰りに参考書買って帰るから」
 ひよちゃんにだけ聞こえるようにコソッと言ったら、ひよちゃんは
「あ、そう」
 簡単に信じてくれた。
「そういや、アンタ、受験生だったわね」
 やっぱりみんなに聞こえないように小声で言う。
(あー、そうだ)
 すっかり忘れていたけれど、そうなんだよね。
「ちっとは、勉強しなさいよ」
「誰のせいで出来ないんだよ」
「ひよ子、こずえ、帰りにみんなで、アンジェリーナ寄っていかない」
 ボールを片付け終わったみどりがやって来た。他のメンバーもそろって僕たちを見る。
「あ、私は、ちょっと……今日は……」
 ニッコリ笑って断ると
「えーっ、こずえの歓迎会だったのに」
 みどりは頬を膨らませた。
「じゃあまあ、こずえ除きでやりましょう、歓迎会」
 なんじゃ、そら。
 と、思ったけれど、都合がいいのでひよちゃんの意見に賛成。
「うんうん、そうして」
 そうして僕は、スポーツバッグを背負って、ひよちゃんたちとは反対の裏門の方に走って行った。

 最近は、公衆電話の数が減った気がする。
 すぐに見つかるだろうと思った緑の電話はなかなかなくて、西高から少し離れた公園の入口にようやく見つけた。ポケットからメモを出して、十円玉を二枚入れて、ドキドキしながらボタンを押した。コール二回で、低い声がした。
「モシ」
「あ、あの」
「相川?」
「は、はい」
「どこ?」
「えっと、公園、西高の裏門出て、ちょっと歩いたんだけど、あ、入ったところに女の子の像があって、水が流れてる」
「わかった。すぐ行くから」
 プツッと電話は切れた。十円玉がチャリンと落ちる。
「うっわーっ」
 本当に来るんだ。
 僕は落ち着かない気持ちで、狭い電話ボックスの中をクルクル回った。

 道路の向こうに背の高い姿が見えて、すぐに陸さんだとわかった。
(やっぱ、カッコいい)
 太くてしっかりした眉に、少しつり目がちの切れ長の目。鼻筋も通ってる。大き目の口はキリッと引き締まっていて、黙ってると怖いくらいなんだけど、僕を見て目を細める顔は優しい。
「待たせたな」
 僕の姿を上から下まで見て、
「何? 家からジャージで来てんの?」
 おかしそうに口許を緩めた。
「え? あ、変?」
「や、いいんじゃねえ、体育会系っぽくて」
「そう?」
 自分の格好を改めて見てみる。うーん、やっぱり変かも。でも、服持ってないし。
 陸さんは、ユニフォームを着替えて制服の白い開襟シャツにグレーのズボン。西高は夏休みの部活参加でも制服で登校しないといけないってひよちゃんが言っていた。
 シャツが白いから日に焼けた腕の色が目立つなあ。腕時計が大人っぽい。
「何?」
「あ、ううん」
 じっと見ていたから、不思議な顔された。
「じゃ、そのへん座る?」
 顎でベンチを指して、そのまま歩き出した。僕はその大きな背中を追いかけて、後ろを付いていった。
 砂場の近くにある木のベンチに並んで腰掛けた。夏休みだけれど、この時間は誰もいない。
「相川、前の学校どこだったんだ?」
「え? あ、あの……武蔵野東」
 近所の高校を適当に言ったら、
「へえ、俺の従兄、そこ行ってるよ」
 とんでもないこといわれて心臓が止まるかと思った。
「知ってる? 陸洋介っての」
「う、ううん」
「今度会ったら、アイツにも聞いてやろ」
 嬉しそうに言う陸さんに、僕は慌てて言った。
「し、知らないと思うよ。その、私、目立たないから」
「はあ?」
 陸さんは、今度は大きく笑った。
「目立たないって、自分? そんなわけないだろ」
「えっ? えっ?」
「んだけ可愛かったら、学年違ってても名前売れてるべ」
 陸さん、ふざけてる。
「マジ、うちの部でも、可愛いって大騒ぎだったんだからな」
「うそだよ」
 信じられない。でも僕の否定の言葉は無視して、陸さんは続けた。
「でも、やっぱアレだな。顔もいんだけど、俺が気に入ったのはあのスパイク」
(えっ?)
 僕は顔を上げて、陸さんの横顔をじっと見た。
「初日、紅白戦でスパイク打たされていただろ、何度も」
(うん)
 黙ってうなずく。
「あの時、お前の跳んでる姿見て、なんか、心臓ガシッてつかまれた」

 ドキン。

 僕の胸が鳴った。
「相川に何度ブロックされても、何度も何度も、跳んでただろ? なんか目ぇ離せなくなってさ」
「ぼ、僕もっ」
「えっ?」
「あ、あ、あたしもっ……」
 言い直して
「私も、陸さんのスパイク見て、心臓がぎゅってつかまれた」
「…って?」
「陸さんが、高く跳んで、右手で叩きつけたらボールが床に刺さるみたいに落ちて」
 その時僕は、陸さんに一目惚れしたんだ。

 最後の言葉はとても言えなかったけれど、ちゃんと伝わったみたいで、陸さんは照れたように笑った。僕の顔も熱くなる。
 そして、お互いひとしきり照れた後、陸さんが言った。
「どうでもいいけど相川っていうとアイツと一緒だから、名前で呼んでいい?」
「えっ? うん」
 うなずいたら、
「こずえ……って、くーっ、照れくせえな、やっぱ」
(あ……)
 陸さんが呼んだのは、僕の本当の名前じゃない。
 なんだか少し寂しかった。


 思えば、女の子のふりをして男の人と付き合うなんてとんでもない話なんだけれど、そんなことまで出来ちゃうくらい僕は陸さんに夢中になった。
 公園で僕たちはたくさん話をした。
 学校の話になるとちょっと困ったんだけれど、陸さんは僕の話しやすい話題を探してくれて、バレーボールのこととか、テレビゲームのこととか、最近読んだ漫画とか、そんな話をたくさんした。
「こずえって、面白いな」
「えっ? そう?」
 さっきから笑ってるのは僕のほうで、僕が何か面白いことを言って陸さんがウケたりなんかはしてないんだけど。
 僕が不思議に思ったのが顔に出たらしくて、
「言ってることが、あんまりジョシコーコーセーらしくねえの」
 理由
(わけ)を言って笑った。
 そういうことか。そうだよね。女子高校生じゃないもん。
 女子高校生らしくしたほうがいいのかな。バレないように。
 でも、僕の知ってる女子高校生って、ひよちゃんしかいない。
 ひよちゃんの言動を思い浮かべで、とてもあの真似は出来ないと思った。
「今まで付き合ったオンナと、タイプ全然違う」
 ケロッと言った陸さんに、僕は恥ずかしいくらい激しく反応した。
「今までって、女の子と付き合ったりしてたんだ」
「へっ?」
 陸さんは僕を振り向いて、それから、ちょっと困ったような顔で
「あ、あ、まあ、これまでには……少しは、ね……」
 認めてしまって、失敗したって顔をした。僕は、自分の態度が物凄くヤキモチ焼きの女の子のそれみたいで、慌てて言った。
「ご、ごめん。あ、ごめんなさい。当たり前だよね、なんか、自分が、そうじゃないと、みんなそうだと思って、いや、何がそうかって、その、えっと、別に、全然気にしないって言うか、フツーっていうか」
 わけのわからないことを言ってたら、陸さんは、突然僕の手を握った。
「う?」
 ビックリして固まった。
「こずえ、俺が、初めてなの?」
(な、な、なに?)
「男と付き合うの、俺が初めて?」
 ものすごく真面目な顔で、聞いてくる。
 僕は固まってしまった身体を動かせず、ギクシャクと頭だけ動かした。
 僕の首がうなずくのを見て、陸さんは僕の頭を引き寄せて肩に押し付けるようにした。
(うわわっ!)
 心臓が膨張して、頭の中が真っ赤になった。
「すっげー、嬉しい」
 陸さんのバリトンが頭のすぐ上から聞こえた。
 僕は、頭だけ抱かれたまま、自分の心臓の音を聞いていた。

 こずえみたいな子に今までカレシがいなかったのが信じられないと、陸さんは言った。
「絶対、大事にするから」
 夕陽に染まった顔でそう言われたとき、僕は生まれて初めての感情に何故だか泣きたくなった。
「明日、練習終わったら、またここで待ってるから」
「うん」
 待ち合わせを約束して、僕たちは立ち上がった。
「送っていく」
「途中までで、いいよ」
 ひよちゃんに見つからないように。
 並んで歩くとき、陸さんが僕の手をそっと握った。

 ドキ。

 また心臓が跳ねた。
 左手は心臓に近い聖なる手だって。どうしてそんな話になったのか忘れたけど、社会の富山先生が授業中に言ったのを思い出した。近いからこんなに僕の心臓が鳴るのかな。陸さんのほんの少し湿った手のひらに包まれた僕の左手が、心臓に言ってる。もっとドキドキしろって。働けって。たくさん動いて血液をどんどん送れ、って。
 じゃないと、酸欠になってしまいそうだよ。




「遅かったじゃない、どこ行ってたの?」
 玄関を入ったら、ひよちゃんが飛んで来た。
「あ、ごめん」
 僕は、ひよちゃんの顔をまっすぐ見ることが出来なくてうつむいた。
 うつむいたまま、靴を脱ぐ。
「ちょっと寄り道しちゃって」
「その格好で?」
「う、うん……」
「ふうん」
 ひよちゃんは、疑わしそうに僕を眺めまわした。
「あ、お風呂、お湯たまってる?」
「うん」
 僕は、まだ何か言いたそうなひよちゃんの脇をすり抜けて、急いでお風呂場に避難した。よく考えたら、練習終わった後シャワーも浴びないで、陸さんと話してたんだ。
(汗臭くなかったかな?)
 服を脱いで、風呂場に入って、クンクンと自分の匂いを嗅いでみる。
(自分じゃわかんないけど、あんなに近づいたんだから……)
 と、頭を抱きしめられたことを思い出して、顔が熱くなった。
 あの時、陸さんからも汗の匂いがしていた。

 突然、僕の体の一部がズクンって疼いた。
「わっ」
 どうしよう。キテる。
 陸さんのことを考えて、アソコがかたくなるなんて、変だ。
 でも、僕は陸さんのこと好きなんだから、変じゃないのかな。
(んっ)
 右手で自分のソレを握った。
 中二のときに初めて覚えたこれは、ちょっとした罪悪感を伴うけれど生理的に必要なんだって言い聞かせて、週に二回くらい定期的に、こんなふうにお風呂場でやっていた。今までは、エッチな漫画の女の子とかオカズにしてヤッてたんだけど―――。
(陸さん……)
 陸さんの顔を思い出して、握られた手の感触を思い出して――そして抱きしめられたときの匂い、すぐそばで囁かれた声――。
「んっ、う……」
 思わず漏らした自分の声が風呂場で響いたので、僕は焦って、空咳をした。
「ゲホッ、ゲホッ…」
 誰も聞いてないとは思うけどね。
 そして、その後も僕の手は止まらなかった。
 声が出ないように唇を噛み締めて、陸さんを想って、自分を扱いた。
 陸さんの大きな手が、僕の身体を這い回る。
 そんな想像だけで耐え切れず、あっという間に白い液が飛び出して、
「うっ」
 僕は一瞬息を詰まらせて、そして大きく息を吐いた。
 風呂場の床にへたり込んで、ハアハア言う。
(陸さん……)
 今までのどんなオナニーより興奮してる。
 どうしよう。こんなになっちゃって。






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