「こずえっ、立つのよっ」
「はいっ」
 ビシビシととんで来るボールを回転レシーブ。
 最初にボケッとしていたのが災いして、鬼コーチになったひよちゃんにしごかれている。
 でも、こうやって身体を動かし始めると、さっきの動揺が少し治まった気がする。
「遅いっ! 何、考えてるのっ」
「はいっ」
 ようやく交替になってコートの外に出ると、早野みどりが隣に来て
「ひよ子、はりきってるねぇ」
 明るい声で言った。
「育良高校には絶対負けたくないって、すごいのよ。ジュンちゃんが怪我しちゃってどうなるかって思ったけど、こずえが入ってくれたから」
「そういえば、エースアタッカーが足をひねったって」
「そうなの。昨日、今日は、来てないけど……そのうち、顔を出すと思うよ」
「ふうん」
「でも、こずえもエースだよ。スーパーエース」
「そんなことないよ」
「あるある。昨日のスパイク練習、すごかったもん」
「あははは……」
「あの後、男子がこずえのこと聞いてきて大変だった」
「え? そう…なの?」
「うん」
 ふと、おかひろみの顔が浮かんで、また顔に血が上りそうになった。
 いかん、いかん。
「ちょっと、顔、洗ってくる」
「あ、いってらっしゃい。すぐ戻らないと、ダメだよ」
「うん」


 体育館の外に水道がある。タオルを置いて、ジャブジャブ洗うと、火照った顔がすっきりした。朝はそうでもなかったけれど、今日も暑くなりそうだ。
「タオル……」
 顔を濡らしたまま、手探りでタオルを探ると、
「ほら」
 いきなり僕の手に握らされて、慌てて顔を上げた。
(あっ)
「おかひろみ」
 何故か名前を呟いてしまって、あからさまに嫌な顔をされた。
「陸でも広海でもいいけど、続けて呼ぶのだけはやめろよ」
「ご、ごめんなさい」
 慌てて謝った。
「陸先輩」
「先輩じゃないだろ、俺も二年だし」
「あ…」
 そういうことになってるんだっけ。
「じゃあ、陸…さん」
『くん』ってのは図々しい気がした。本当は先輩なんだし。
 陸さんは、僕が握ったままのタオルを掴んで、
「拭かないのか」
 僕の顔に押し当てた。
「あ、そうだ」
 前髪からポタポタ滴が落ちていることに気がついて、ゴシゴシと顔を拭った。何故か陸さんはその間じっと待っていて、僕は、なんだかまたドキドキし始めた。
 拭き終わった僕が、タオルで顔半分隠したまま(また赤くなっていると嫌だったからだ)上目遣いに見上げると、
「お前さ」
 陸さんは唐突に言った。
「は、はい」
「カレシいんの?」
(へ?)
 いるわけがない。
 僕はブンブンと首を振った。
 なんだか知らないけど、また顔が赤くなってる。間違いなく。

 陸さんは、僕の顔を見て、ちょっと目をそらせてボソリと言った。
「じゃ、俺と付き合わねぇ」
「…………」
 最初、言われたことの意味がわからなくて、ぼうっと陸さんの顔を見た。
 陸さんは照れたようにガシガシと短髪の頭を掻いて、
「何か言えよ」
 口を尖らせた。
 どちらかというと怖い感じの人だと思っていたので、意外にかわいくなった顔に驚いた。
「おい、広海、何してる」
 朝、僕に白石だと名のった人が走ってきた。
「ウッセーよ。今、大事なとこなんだから、来んな。あっち、行ってろ」
 陸さんが、怒鳴り返す。
「ほら、返事は」
 急かされて、僕はうなずいてしまっていた。
「マジ?」
 嬉しそうに笑った陸さんの顔は、やっぱりかわいいと思った。
「はあ〜」
 大きな身体を折り曲げて、ひざに手をあて、
「チョー緊張した」
 息を吐く陸さんに、
「何だよ、お前、まさか抜け駆けしたんかよ」
 やってきた白石さんが、詰め寄っている。
「わりいな、敏樹」
「信じらんねーっ。お前。朝は、何でもナサソにしてたくせしてよぉ」
「お前らが朝騒いでたから、急いだんだよ」
「さすが、広海のクィック攻撃」
 そして僕を見て、
「告白
(コク)られた?」
 僕は、改めて、陸さんに付き合って欲しいと言われたんだと考えて、頭に血を上らせた。
「で、その顔は、オッケーしたってことだよね?」
 確かめるように訊ねる白石さんに、僕は何て答えていいのかわからない。
「したよ」
 僕の代わりに、陸さんが答えた。


 どうしよう。どうしよう。どうしよう。


「あーあ、なんかそんな予感はあったんだけどねぇ。朝、こずえちゃん、突然逃げ出しちゃうし」
 白石さんは手を頭の後ろに組んでそう言うと、陸さんを横目で睨んだ。
「お前も、自信あったんだろ?」
「まあな」
 さっきの『緊張した』と言ったときの顔とは大違いの不敵な顔で笑う。
「ちいっ、まあ、しかたねーや。あーあ、アイツらもガックリすんだろうなあ」
「悪いな」
「てか、女子部も大騒ぎだろ、お前もファン多いし」
「いねえよ」
 僕は、ハッとした。
(ひよちゃんに、知られるわけにはいかないっ!!)
「あ、あの……」
 初めて口を開いた僕に、陸さんが急いで振り返る。
「だ、だれにも、内緒にしてください……」
 二人がきょとんと、僕を見つめる。
 知られちゃいけない。
 僕が、陸さんと、付き合うなんて、そんなこと。
 ひよちゃんが知ったら、どういうことになるか―――。
「いいけど?」
「うっわー、シャイなんだ、こずえちゃん」
 違う。
 いや、違わないけれど、そんな簡単な話じゃなくて。

 陸さんにだって、知られちゃいけない。

 僕が、男だってこと――――。



「こずえ」
 みどりの声だ。
「ひよ子が呼んでるよ」
 チラリと陸さんと白石さんに目をやって、
「ほら、早く早く」
 僕の腕を引っ張るので、僕は二人に頭を下げて体育館に戻った。
「何? 何か、言われてたの?」
 興味津々といった顔に、僕は首を振った。
「別に」
「ふうん……あの二人って、人気あるんだよ」
「そ、そうなんだ」
「こずえは、どっちがタイプ?」
「えっ?」
「白石君はちょっと軽いから、こずえには、陸君の方がいいかもね」
「やっ、いや、そんな、ぼ…わた、私は……」
(私……だぁ?)
 すっかり女の子のふりをしようという気になっている自分がコワイ。


「こずえ、どこ行ってたの?」
「ごめんなさい。顔を洗いに」
「じゃあ、また昨日のチームに分かれて紅白戦」
「はいっ」
 なんだか頭の中はグルグルしているけれど、どうせここにいる間はこずえなんだから。
 僕は、ひよちゃんに言われたことを思い出した。
『敵を欺くにはまず味方から、味方を欺くには自分から。自分を欺きなさい』
 うん。ひよちゃん。僕、頑張るよ。


 次の日の朝、洗面所で鏡を見ていると、ひよちゃんがやって来た。
「何してるの?」
「え? ううん」
 不思議そうに首をかしげるひよちゃんに
「前髪、ピンでとめてみよっかな」
 言ったら、吹き出された。
「何、ショーリ、どしたの?」
「だ、だって、さ」
 改めて自分の顔を見たけれど、僕には男にしか見えないんだもん。自分だからだろうけど。
「そんなことしなくても、ショーリは、可愛いよ」
「そ、そんなことないよ」
 絶対、女の子に見えないとダメだ。
「うーん、まあ、ショーリがやる気出してくれたんなら」
 ひよちゃんが洗面台の引き出しを開けて、なにやらゴソゴソして
「これは?」
 宝石みたいな色つきガラスで出来た花の髪留めを取り出した。
「つけたげる」
「あ」
 前髪を横に流して、ピンで留める。ご丁寧に二つも。
「かーわいーいーっ」
 言われて鏡を見たら、むちゃくちゃ間抜けな顔があった。
「あ、何で取るの」
「変」
「変じゃないよ、可愛いじゃん、すごく」
「もういい」
 何でこんなことしてるんだろう。自分で自分が信じられない。
「それよりさ」
 僕をからかっていたひよちゃんが、急に真面目な顔になった。
「昨日、陸と白石に絡まれてたって?」
「えっ? 絡まれてなんかないよ」
 何でそうなるんだ。みどりはどう伝えたんだ。
「そうなの? でも、話してたんでしょ」
「う、うん……」
 どうしよう、ごまかさなきゃ。
「あの、陸さんのスパイク見て、どうやったらあんな風に打てるのかなって……」
「スパイク?」
「たまたま水場で一緒になったから、聞いてたんだよ」
「そうなの」
「や、やっぱ、僕も、武蔵三中男子バレー部のエースアタッカーとして、この機会に色々と勉強して帰ろうかなと……」
 言ってて恥ずかしいぞ。でもひよちゃんは感心してくれた。
「えらい! えらいよ、ショーリ」
「そ、そう?」
「まあ、アイツはバレーくらいしかとりえのない男だけど、フォームは綺麗だし、色々考えて動いてるようだから、参考にはなるね」
「……うん」
 ごめんね、ひよちゃん、嘘ついて。



「ハヨ」
 いつものように体育館に行ったら、陸さんが僕を呼び止めた。
「ちょっといい」
 呼ばれて体育館の隅にいく。
(あああ…ひよちゃんが変な顔してる)
「これ」
 小さいメモ用紙。
(何?)
 目で訊ねると、
「ケータイの番号、俺も知りたいから、あとで電話して」
「あ……」
「どうした?」
「ぼ、わ、私、携帯、持ってない」
「ウソ、マジ?」
 コクンとうなずく。高校に入ったらって言われてるんだ。
「今どき、珍しいな」
 だよね。高校生ならね。いや、中学でも半分以上の子が持ってるけどさ。
 呆れられたかなと陸さんを見たら、意外なくらい優しい顔で微笑んでいた。
「らしくって、いいや」
「ラシ?」
「じゃあ、とにかく練習終わったら、どっからでもいいから電話しろよ。そこに行くから」
「う、うん」
「昨日は、さっさと帰っちまうんだもんな」
「あ、だって」
 ひよちゃんと一緒だったんだもん。
「相川にも、ひよ子のほうだけど、ナイショじゃないとマズイのか?」
「うん」
 にも、というより、それが一番大事。
「そっか。わかった」
 陸さんはそれ以上は言わないで、
「じゃあな、なんかこっち見て睨んでるから、適当にごまかせよ」
(げっ、本当だ。睨んでる)
 僕はペコリと頭を下げて、ひよちゃんのところに駆け戻った。
「何なのよ?」
「昨日の話の続き。スパイク打つときバランス悪いから、右だけじゃなくて両腕鍛えろって」
 とりあえず、部活で先生に言われたこと。
「ああ、まあね」
 ひよちゃんはうなずいた。
 ドキドキしながら、ジャージのポケットに手を入れる。
 小さな紙のカサリとした感触を何度も確認した。

 どこから電話しよう。
 もうそのことで頭がいっぱいだ。






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