「みんな集まって」 ひよちゃんが叫んで、ユニフォーム姿の女の子がバラバラと駈け寄って来た。 (うっ、緊張……) 「私の従妹の相川こずえ。二年生。一学期末に転校して来たんだけど、風邪ひいて、学校に来れなかったのね。夏休み明けから登校するんだけど、バレーボールやってたからうちの部にスカウトした」 再び繰り返される嘘に冷や汗をかいている僕に、パチパチパチと歓迎の拍手が送られる。 閻魔様、嘘をついているのはひよちゃんです。抜くんならひよちゃんのあのよく回る舌にしてくださいね。 「こずえちゃんていうの? カワイイね」 「えっ? あ、ああ、そう? よ、よくある名前じゃない?」 って、よくは、無いのか? 突然話かけられて、僕は慌てた。 その女の子はクスクス笑って、 「うん、名前もかわいいよ」 (も? も、って何だっ?) 慌てたまんまの僕に自己紹介した。 「私、早野みどり。みどりって、呼んでね」 「は、はあ」 「ちょうどよかった。私が忙しい時は、みどりにいろいろ聞いて。面倒見のいい子だから」 ひよちゃんが腰に手を当てて言う。 みどりは(って、呼び捨てでいいのかな。本当は年上なのに)大きくうなずいている。 「ひよ子は、これから引継ぎとか色々忙しいからね」 「引継ぎ?」 僕が聞き返すと、みどりが(いいや、もう、この際みんな呼び捨てで)言った。 「夏が終わったら、三年生が正式に引退するから」 「ああ」 ひよちゃん、キャプテンになるんだ。 受験のためにこの夏休みは予備校の集中ゼミに通っていると言う現キャプテンに代わって、ひよちゃんがこの部を仕切っていた。こうして改めて見ると、ひよちゃんの長身はさすがに際立っていて、高校生の中に一人実業団選手が混じってるって感じだ。僕を含めて他の選手はだいたい百六十前後かな。僕より低い子も何人もいる。 グルッと眺め回していたら、目の端に隣のコートが入った。男子バレー部が試合している。 (あ、ひろみだ) 男子のほうはさすがにみんな背が高い。その中でも、おかひろみはやっぱりダントツでかくって、僕が見ている前でも相手ボールをガンガンブロックしていた。 相手のサーブを後衛の選手が綺麗にレシーブした。上手く上がって、チャンスボールになる。教科書どおりのようなトスが上がって、ひろみが跳んだ。 「あ」 ビシッ ボールが床に突き刺さったかと思った。 コートの中で歓声があがって、ひろみが隣の人とハイタッチした。相手チームの誰かに向かって得意げに笑っている。 僕は、たった今見た強烈なスパイクに、心臓を持って行かれたような気がした。 ボケッと見ていたらひろみが振り返った。 目が合ったとたん、どっかに持っていかれていた心臓が戻ってきた。 ドキドキドキドキ…… (な、なんだ、これ) 動悸、息切れ、目眩……きゅーしん、きゅーしん♪ おちゃらけてみても、動悸は静まらない。心臓を押さえて、ヨロヨロ歩くと後ろからガッと肩をつかまれた。 「ちょっと、ショーじゃなかった。こずえ、どこ行くのよ」 「えっ? あ」 そうだ。僕は、ひよちゃんとバレー部の練習に参加していたんだっけ。 「とりあえずこずえの実力を見たいから、こっちのチームに入って」 「えっ?」 「こずえはジュンの抜けた代わりだから、とにかくガンガンうたせてやって」 「はあい」 「ち、ちょっと?」 「がんばろうね、こずえ」 みどりが僕の背中をパチンと叩いてコートに走って行った。ひよちゃんは、僕の相手側になるらしい。 「ほら、こずえ、早くしなさい」 ひよちゃんに急かされてコートに入ると、ネットの向こうでにやりと笑って顔を近づけてきた。 小声で囁く。 「武蔵三中男子バレー部のエースアタッカーの実力を見せてよ」 (むっ…) そうだ。当たり前だ。いくら高校生だっていっても、僕は男子で、相手は女子なんだから。 (負けるもんか) 軽く屈伸して、かかとを上げた。 「そおーれっ」 「はい」 「はいっ」 ボールを拾うたびの綺麗にそろった掛け声は、女子の特徴だろうか。僕は、慣れない女の人の掛け声の中、あがってくるトスをひよちゃんのコートめがけてスパイクし続けた。 「あーっ」 「惜しい」 何度目かの『惜しい』に僕は唇をかんだ。――実際は、全然惜しくなんかない。 僕の打ったボールはことごとく、ひよちゃんにブロックされて味方コートに落ちているんだから。 ひよちゃんがニヤニヤ笑いで僕を見る。 ちくしょう。 ひよちゃんと僕の身長差、約二十センチ。 僕が跳んでもひよちゃんも跳ぶから、ひよちゃんの上を抜くなんて、とても出来ない。だから手の間を抜こうと思うんだけれど、すばやく動く大きな手に全部跳ね返される。 悔しい。 今度から、お前のこと、妖怪ヌリカベって呼んでやる。 「こずえ、ドンマイ」 みどりが笑う。 「うん」 何とか一本、取ってやりたい。 そして、次にみどりから綺麗なトスが上がったとき、僕は、ひらめいた。 思いっきりジャンプ。 ひよちゃんも、ジャンプ。 超高校級ひよちゃんの頭がネットすれすれまで上がった。 「えいっ」 思いっきりアタ−ック!! ビタン!! 「ダ゛゛゛゛゛ッ」 『タ』に濁点が五つも付いたような変な声を出して、ひよちゃんが地面に落ちた。 「相川先輩っ」 「ひよこっ」 「ひよ先輩っ」 ワラワラと人が集まる。 僕は呆然と、コートに仰向けに倒れたひよちゃんの、ボールの縫い目跡がついていないのが不思議なくらいにひしゃげた顔を見た。 (ど、どうしよう……) 青ざめる僕の耳に 「ブ――――ッ」 思い切り吹き出す音が届く。 振り返ると 「ア――ッハハハ……」 体育館にこだまする大声で、おかひろみが笑っていた。 「こ、こら、広海、笑うなよ」 たしなめる誰かの声も、笑ってるみたいに震えている。 「だ、だっ…あ、あははははは……」 床にひざまでついて、腹を抱えて笑うようすにみんな耐えられなくなったのか、男子のコートから一斉に笑いがおきた。 「あっはははは……」 「すげえ、顔面ブロック」 「ナイス スパイク」 「ぶははは……」 男子バレーボール部員の笑い声が渦巻く中、ムクリとひよちゃんが起きた。 「うっさいわねっ、見世物じゃないわよっ」 ギッと僕を睨んで 「狙ったわね、こずえっ」 「ち、ちがっ、ちがう……」 僕は、ふるふると首を振った。 顔は狙ってない。頭の上すれすれを狙ったんだ。とっさに手を曲げてブロックするのは難しいかなって思って、低めを狙ったんだけれど。まさか、ひよちゃんの顔面に炸裂するなんて思わなかったよ。 「ひ、ひよちゃん、すごいジャンプ力……」 「アンタのスパイクも、すごかったわよ」 これは、決して誉めてるんじゃない。ひよちゃんだから、わかる。 帰ってから、どう苛められるかと思うと悲しくなった。 初日から悪目立ちした僕は、そのおかげで男子チームからも名前を覚えられてしまったというのがわかったのは、その翌日だった。 その夜は、顔面スパイクのお返しに、家でひよちゃんの奴隷にされていた。奴隷って言っても、肩を揉めとかテレビのチャンネル変えろだとか、そんなものだけれど。 もともとさっぱりしているひよちゃんだから、そんなにいつまでも怒っているわけじゃない。翌日も仲良く並んで練習に参加。当然、僕はまたまた女子バレー部ユニフォーム。 この夏中、この格好なのかな。 「ショーリ、前髪長いからピンで留めちゃえば?」 「何で?」 試合に邪魔なのかなと思ったら、 「その方が、もっと女の子っぽいじゃん」 ケロリと言われた。 別にいいです。 「ま、ショーリ…じゃなくって、こずえは、よっぽど私より女の子っぽいけどね」 「大きなお世話だよ」 ひよちゃんが男らしいんだと言いたいけれど、絶対言えない。 「あ、先生のところ寄って来るから、先に行ってて」 体育館に続く廊下の途中で、ひよちゃんが逆方向に曲がった。 「うそ」 「すぐ追いつく」 ひよちゃんがいないと、突然知らない高校になってしまった。 何となく心細い気持ちで体育館に入ったら、入口にいた男子生徒数人に声を掛けられた。男子バレー部の人たちだ。 「やあ、こずえちゃんジャン」 「オハヨー」 「昨日、カッコよかったよ」 「転校生なんだって?」 「クラスどこ?」 「前の学校はどこだったん?」 (ど、どうしよう……) クラスは、ひよちゃんと同じって言えばいいんだっけ? 前の学校って? ――武蔵第三中学校とは言えないし。 黙って固まっていると、そのままワラワラと囲まれてしまった。 (ひええ…) 青くなっていたら、 「ええい、散れ、散れ、散れぇ」 ひよちゃんが後ろからとんできた。 (よかった) ホッとした。 「うちのこずえに手を出すんじゃないわよ」 「出た、ひよ子」 「ひよこぉ、お前、鼻、大丈夫かよ」 「大丈夫じゃねえな、つぶれてる」 「うるさいわね」 ひよちゃんは男子生徒に混じっても負けてない。背だって、今いる男子の誰よりも高いし。 「こずえちゃん、お前の従妹だって? 似てないな」 「紹介してくれよ」 バレー部員には珍しく髪を伸ばした一人が、僕の顔を覗き込むように見ていった。 「こずえちゃん、俺、白石敏樹、二年B組、ヨロシコ」 「こ、こんにちは」 ペコリと頭を下げたら、次々に自己紹介された。 「あ、俺、高島昇、よろしく」 「石塚卓、クラスはA、さそり座のB型」 「俺はね…」 「だから、アンタたち、うるさいんだってば」 ひよちゃんが僕を守るようにして、背中に庇った。 突然引っ張られたんで、そのまま後ろに倒れそうになったら、誰かが背中を支えてくれた。 「危ねえな」 頭の上で声がした。 「あ」 仰向いてみた顔は、おかひろみ。 僕の肩をぐっと押して立たせると、 「お前ら、何やってんだよ」 その場のみんなを見渡した。男らしい顔が、結構、迫力。こうして見たらひよちゃんよりも三センチくらい背が高い。 僕はその顔を見上げて、唐突に、昨日のドキドキを思い出した。 ジャンプして、大きな身体が、宙に浮いた。 ボールが、相手コートに突き刺さるように落ちた。 かあああっ…… 何でだ? 顔が熱い。 ひよちゃんが目を丸くして、僕を見た。 おかひろみも僕を見ている。 心臓が、壊れたみたいに暴れてる。 変だ。変。絶対変。 僕は、焦って、どうしていいかわからなくなって――走って逃げた。 体育館の奥では、女子部のメンバーがボールを運んでいる。 「おはよう、こずえ」 「あ、おっ、おは、おはよ」 「どうしたの? 顔、赤いよ」 早野みどりが、首をかしげる。 「な、何でもないよ」 そう応えたけれど、何でもないなら、どうしてこんなに顔が熱いんだ。 何で、顔が赤いんだ。 変じゃん。変だよ。 何で、おかひろみの顔を見て、僕が顔を赤くしないといけないんだよ。 (絶対、変!!) 心でそう叫んで、そして気がついた。 変って言う字は――恋に似ている。 僕は、その場にしゃがみこんだ。 「どうしたの?」 みどりもしゃがんで、ひざを抱える。 (僕が……? 男の僕が、まさか……) 自分で思いついたのに、とても信じられなくて、僕の頭はパニックを起こしている。 「ねえ、こずえ?」 心配そうなみどりの声に被せて、ひよちゃんの声が響いた。 「ほら、練習はじめるよっ」 「あっ、はーい」 みどりは立ち上がりながら、僕の腕を取った。 僕は、ヨロヨロ立ち上がったけれど、とても練習どころじゃない。 ひよちゃんは、僕の顔を見て、ちょっとだけ変な風に眉を寄せた。 「こずえ、しゃきっとしなさいよ」 僕の頭をどついて、中央に立つと、みんなを集めた。 キリリとした横顔が、何か指示していたけれど、僕の耳には届いちゃいなかった。 |
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