いつのまに眠っていたんだろう。 さんざん泣いた僕は、そのまま床のラグマットの上で寝てしまっていた。 頭の下にクッションがあって、身体にタオルケットが掛けてあったのは、またお母さんが部屋に来たんだと思う。 僕は、お母さんに台本を投げつけてしまったことを、ようやく反省できるようになっていた。 時計を見たら、八時すぎ。 すごくたくさん寝てたんだ。 そっと部屋を出ると、廊下に、いつもは台所に置いてあるワゴンがあって、その上にセロハンテープできれいに表紙をなおした台本とおにぎりが置いてあった。 お腹がグウと鳴った。 そう言えば、お昼も食べてなかった。 僕は、ラップの下から一個だけ取り出して口に入れた。のどが渇いていたので、ごはん粒がモソモソと引っかかる感じ。おにぎりの中身は、僕の好きな焼きタラコだった。 食べながらリビングに行った。 お父さんとお母さんの声がする。 「それは、お前が悪い」 「だって」 「心配なのはわかるけど、あいつももう中学生だろ」 「でも……」 「俺だって中学の時には、親に内緒のことたくさんあったよ。言うことだって聞かなかったし。それで言ったら智也は素直すぎるくらいだ」 「でも、あの子、あんな風になったの初めてで」 「反抗期ってヤツじゃないか。普通だよ」 「違うわよ。あなた、あの子の泣き声聞いてないから」 お母さんの声が、泣きそうになってる。 「私、どうしたら……」 お母さんに、悪いことした。 お兄ちゃんのこと、お母さんには関係ないのに、八つ当たりしてしまった。 「ごめんなさい」 僕は、リビングに入った。 「智也」 「智くん」 お母さんは、やっぱりちょっと泣いていた。 「ごめんなさい、お母さん。僕がいけなかったの」 「智くん」 お母さんが立ち上がった。 「もう、大丈夫だから……ごめんなさい」 「何が、あったの?」 お母さんの言葉に、僕は黙って首を振った。 「でも」 まだ何か言いかけたお母さんに、お父さんが言った。 「智也がもう大丈夫って言ってるんだから、いいだろう」 「あなた」 「なあ、智也」 「うん」 僕はうなずいて、そして台所に行った。 「のど乾いた。何か飲むものある?」 「ジュース買ってあるわよ」 冷蔵庫を開けたら、とびらの内側に色々なジュースが並んでいた。 ウェルチのオレンジジュースはお兄ちゃんを思い出すから、僕は果汁100%と書いてあるりんごジュースを取って飲んだ。 甘い液体と一緒に、まだ鼻の奥に残ってた涙の素も全部飲み込んだ。 大きく深呼吸した。 りんごの香りが、胸いっぱいに広がった。 「大丈夫」 さっき言った言葉を、小声で繰り返す。 明日は、普通にお兄ちゃんに会いにいこう。 じゃないと、変なふうに思われちゃう。 僕は、お兄ちゃんに、嫌われたくない。 * * * 翌朝、顔を洗って、鏡の中の自分にウンザリした。 目が、ううん、顔全体がはれている。むくんでるって言うのかな。 昨日泣いたのと……ひょっとして、寝すぎ? 昼間まるまる寝たのに、夜また寝ちゃった。嫌な夢見たような気がするけど、覚えてない。 起きた時、まつげが貼り付いたみたいにパリパリしてたから、きっとまた泣いたのかな。 (やんなっちゃう) めめしい自分に。 もう一度、鏡の中の顔を見る。 こんな顔で会いにいけない。 僕は、顔のはれが引くまで待つことにした。 「大丈夫、大丈夫」 自分に言い聞かせた。 僕は、平気。 お兄ちゃんとも、普通に話せる。 夕方になってようやく、人に見られてもおかしくないくらいの顔に戻った。 「お母さん、僕、出かけてくるね」 「これから?」 「うん」 「どこ……あんまり、遅くなっちゃ、だめよ」 「うん。あ、そうだ」 思い出した。 「お母さん、あの台本、なおしてくれてありがとう」 「……あんまり、きれいにならなかったけど」 「ううん、そんなことないよ。じゃあね」 僕は玄関を出て、すぐ隣のドアの前に立つと、大きく息を吸った。 (大丈夫……) ピンポーン ドアはすぐに開いた。 お兄ちゃんが、ほんの少し怖い顔で僕を迎えてくれた。 その顔を見て、僕は、回れ右して帰りたくなったけどグッとがまんした。 お兄ちゃんの何となくこわばった顔は、きっと昨日のことがあるからだ。 (大丈夫。普通にしてたら、お兄ちゃんも、昨日のこと忘れてくれる) 「お兄ちゃん、この間のビデオの続き見せて」 「ビデオ?」 「バクシンオーの第八話だよ」 「あれはテレビで見たんじゃないのか?」 「でも、この間、ここで予告見たから、また見たくなっちゃったんだよ」 僕は、なるべく明るく言った。 「予告の流星、すごーく、カッコよかったモン」 お兄ちゃんは、何か言いたそうだったけど、黙ってビデオをセットしてくれた。 「やっぱりカッコいいね、流星」 クッションを抱きしめて、僕は言った。 画面の中の流星は、本当にカッコよかった。 なのに、僕は、全然、それに集中できない。 だって、お兄ちゃんが僕のこと見ているのがわかるんだ。 少し離れた椅子に座って、お兄ちゃんが、僕をじっと見ている。 僕は、一生懸命、ビデオに夢中になっているふりをした。 僕が、流星のことを好きなんだってわかってもらわないといけない。 お兄ちゃんが僕を見るのは、疑っているからかもしれない。 『迷惑』 ちがうよ、僕が好きなのは、流星なんだからね。 「このお父さんをかばうシーンは、なんど見ても感動するよね」 画面を見たまま言うと、不意にお兄ちゃんが立ち上がって、僕の隣に座った。 心臓が悲鳴をあげたけど、僕はジッとテレビの画面をにらんだ。 「智也」 お兄ちゃんの親指が、僕の目の下をなぜた。 「目、腫れてる」 僕は、ちょっとうつむいてクッションに顎を埋めた。でも、目はテレビの画面を見る。 「泣いたんだろ?」 「……泣いてないよ」 何で、そんなこと聞くんだろう。 お兄ちゃんの手が、今度は、僕の髪をなぜる。 「智也、本当は、俺のこと好きだろ?」 「………」 なんで、そんなこと―――。 「……違うよ」 僕は、クッションに顔を埋めた。 ひどいよ、お兄ちゃん。 僕、一生懸命、がんばってるのに。 迷惑だって思われたくなくて、がんばってるのに。 「智也」 お兄ちゃんの声。 大好きな声。大好きなお兄ちゃん。 「言ってくれよ、本当のこと」 ひどいよ。お兄ちゃん、意地悪だ。 僕は、クッションに顔を埋めたまま、首を振った。 「お前の口から……俺のこと好きだって聞かないと、覚悟が決まらない」 覚悟? 僕は、ゆっくり顔をあげた。 お兄ちゃんの顔が思った以上に近くにあって、その目につかまってしまった。 もう目が離せない。 「覚悟って、何の?」 「智也をさらって逃げる覚悟」 さらって? 「どこに、行くの?」 「どこにも……。でも、智也のお父さんとお母さんにとっては、そういうことになるから」 「よく、わからない……」 お兄ちゃんが、僕をさらって逃げる。その想像に、なんだかうっとりした。 お兄ちゃんの指が、僕の前髪をかきあげる。 「覚悟決めるから、本当のこと言えよ。俺と流星、どっちが好きだ?」 ふざけたような質問なのに、お兄ちゃんの目は真剣だ。真剣で、優しい目。 嘘は、つけない。 「お兄ちゃんだよ」 ポロッて、涙が出た。 「僕、お兄ちゃんが、好き」 全部言わないうちに、ぎゅうって抱きしめられた。 「覚悟した」 お兄ちゃんが、僕の髪の毛に顔を埋めるようにして言った。 「俺も、智也が好きだよ」 信じられない。 「嘘だよ」 「嘘じゃない」 「だって、昨日、迷惑だって言ったじゃない」 「そんなこと言ってない……ああ、海老沢さんには言ったかな」 お兄ちゃんは、僕の身体をもう一度強く抱きしめた。 「覚悟決めたんだ。お前も覚悟しろ。開き直った男は、怖いぞ」 「な、何が?」 「そのうち、教えてやる」 「そのうち?」 何を? ドキドキドキドキドキドキ…… 今ごろになって、心臓が大騒ぎする。 お兄ちゃんが、僕を好き? お兄ちゃんも、僕を好き? フワフワと身体が浮いてしまいそうな気がして、僕はお兄ちゃんにしがみついた。 「智也」 お兄ちゃんが、僕の耳に口を近づけてささやいた。 「愛してる」 アイシテル――――不思議な呪文。魔法の言葉。 僕は、お兄ちゃんの魔法にかかってしまって、全身の力が抜けた。 グッタリした僕をぬいぐるみみたいに抱え直して、お兄ちゃんはクスッと笑った。 「やっぱり『そのうち』なんて悠長なこと、言っていられないな」 意味はわからなかったけれど、僕はお兄ちゃんの胸の中で小さくうなずいた。 完 |
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