閉鎖式の会場は (まるでお葬式みたいだ……) と、信一は思った。 今まで散々話し合いが重ねられた後だからだろう、心配していたような抵抗もなく、淡々と式は進んだ。 説明を聞く人々の顔は諦めの色に染まり、今後の生活を思いやる不安が滲んでいた。 中にはうっすらと目に涙をためている年配の工員もいた。 灰色の作業着を来て集まったたくさんの人の中には、信一の知っている顔が何人もあった。二十年もの月日に顔はしわを刻み、髪は白くなり、皆歳取ってはいたが、信一は子供の頃の懐かしい記憶とともにすぐに思い出すことができた。 会場の後ろのほうには松本さんたち。 定年してもこの工場が忘れられない人たちがわざわざ集まって閉鎖式に参加している。 信一は、無意識に右手で心臓を掴むように押さえていた。 痛む胸を押さえながら、ただひたすら、式の進行を見つめた。 全ての次第が終わり、ジェラールが挨拶に立った。 英語のスピーチだが、工場の皆が理解できるように日本語に訳した文章も作られていて、それが前方スクリーンに投影される、事前に十分に考え計算されたスピーチだった。 信一は、この場で自分が通訳をしないですんだことに感謝した。 松本さんやみんなの顔を見たら、とてもスピーチを冷静に伝えることは出来ないだろう。 そんなことを考えながら、信一が、ジェラールの端整な横顔を見つめたその時、事件は起きた。 「外資の泥棒野郎」 一人の工員が、怒声をあげた。会場がザワリと揺れて、異様な雰囲気に包まれる。 「よそから来た外人のくせして、勝手なことすんなっ、俺たちの工場かえせっ」 壇上に向かって叫ぶ男を、周りの誰も止めない。 ジェラールはスピーチを止め、静かに、その若い工員を見つめた。 「ここは俺たちの工場だ。俺たちの家だ。お前につぶす権利はない」 本社から来ていた社員が二人駆け寄って叫び続ける工員を抑えようとした時、隣にいた年配の男が邪魔をした。 「こいつの言うとおりだ」 「そうだ、そうだっ、俺たちの家を勝手につぶすなっ」 別の男が叫んだ。 会場が、騒然とし始めた。 「外資野郎に、俺たちの気持ちがわかるか」 「帰れっ」 「フランスに帰れっ」 堰を切ったように溢れ出る工員たちの激しい怒り。悲痛な叫び。 フランスに帰れと叫んだ誰かの声がそのまま会場全体に波及し、シュプレヒコールとなってジェラールを襲った。 男らしい美貌が、困ったように眉をひそめた時、信一は壇上に飛び出していた。 「やめて、やめてください」 駆け寄ると、ジェラールは自然な動作でマイクを譲った。 信一は、無我夢中だった。 「皆さんの気持ちはわかります。僕だって、この工場がなくなるのは悲しいです」 必死の涙をためた目で、工員たちを見つめて言う。 「僕にとっても、ここは家と同じです……だから、皆さんの気持ち、わかります」 工員たちが静かになった。 「父が…僕も…サカエが…もっとしっかりしていたら、皆さんに、こんな悲しい思いさせないですんだんです。ごめんなさい……ごめんなさい……謝ってすむものじゃないけれど……」 苦しげに頭を下げた信一を、本社の役員たちも何も言えずに見守った。 「ジェラールは、泥棒じゃないです。サカエは乗っ取られたんじゃない。ジェラールは、サカエを立て直すために……来てくれたんです」 ボロボロと涙をこぼしながら、信一は切れ切れに訴えた。 「サカエが立ち直るためには、どうしても……今、どうしても、どうしてもっ…やらなきゃいけないことが…いっぱいあります。ジェラールは、それを…サカエが……よみがえるために、ど…しても……っ、うっ」 涙でグチャグチャになった顔を、信一は子供のように拭った。 「サカエは……よみがえります。ぜっ、たい……絶対、甦ります」 大きく鼻をすすって顔を上げた信一は、息をつめて見つめる大勢の工員に向かって言った。 「そうしたら、も、一度、みんなで……ここで、働いてもらいたいです。もう一度、ここにサカエの工場を、復活させたいです」 震える声が、その場にいた全員の胸に響いた。 「ここは、サカエのふるさとですから」 大勢の工員たちが、泣いた。 ジェラールは、目で榊を促がした。 泣きじゃくっている信一を、榊が壇上から降ろす。 ジェラールは後の処理を副社長に任せて、凛とした足取りで退場した。 その日、会社に戻る車の中で信一は泣きつづけた。隣にはジェラール一人。 「う、うっ…んっ、う……すみま、せん……」 ジェラールは、ハンカチを出して信一に握らせた。信一の持っていたのは、もうグチャグチャになっていたから。 「聞きました。いいスピーチでしたよ」 ジェラールが言った。 信一は、ピクリと肩を震わせる。 「ただしサカエが復活しても、立川の地に再度工場を作ることは無いでしょう。あの地は売却します。まあ、あの場であなたの言ったことを、公約と受け取られることは無いでしょうが」 「ジェラール…?」 信一は、ゆっくりと顔を上げた。 「涙というのは私のビジネスには無いものですが、日本人は情に厚い民族ですから、こういうのもいいでしょう」 「ジェラール!」 信一は、叫んだ。 「僕は…僕は、みんなを大人しくさせるために、泣いたりしたんじゃないっ」 「信一?」 「僕は、あの時、本当に、そう思ったから……っ」 「ああ、そうなのでしょうね」 宥めるように優しく言われて、信一は余計にカッとした。 「僕は、ジェラールが本当にサカエを復活させてくれるって思ってる」 「…………」 「サカエのために、ジェラールは必死で働いてる。なのに、帰れなんて言われて、あんな風に…みんなから……だから、僕は…っ、うっ……」 「信一」 再び涙を溢れさせた信一に、ジェラールは戸惑う。 この青年は、自分を守るために、壇上に立ったというのか。 (人前で、こんなふうに泣いたりして……) 「信一……経営者というものは、簡単に泣いてはいけません」 涙を止めてもらいたいのに、こんな言葉しか出ない自分の『らしくなさ』に密かにうろたえる。 「交渉術でなかったのなら、泣き止みなさい」 「ジェラール……」 「これから、もっともっと色々なことがあります。いちいち泣いていては務まりませんよ」 動揺した挙句、冷たい言葉しか出てこない。 「そう…ですね……」 涙を拭って、信一は自分の膝を見つめた。 しばらく二人とも黙ったまま、重い時間が流れた。 高速から新宿の高層ビルが見える頃になって、信一がポツリと言った。 「みっともないところを見せて、すみませんでした」 涙の止まった赤い目をゆっくりとジェラールに向ける。そして、思いつめた顔で呟いた。 「やっぱり、僕は……あなたみたいに強くない」 信一の瞳を見つめ返して、ジェラールも呟いた。 「私だって、そんなに強い人間ではありませんよ」 (そう……) 「少なくとも、今の君のその姿に心揺れるくらいに」 最後の一言は早口のフランス語だったので、信一には理解できなかった。 その後、社内の様々な問題を一つ一つ解決しながら、ジェラールは順調にサカエの企業回復に貢献していたが、内心、仕事とまったく関係の無い自分の気持ちに焦っていた。 あの立川での出来事以来、信一のことが気になって仕方が無い。 初めはサカエの血を引く後継者として、経営を勉強させる日本人の青年というだけの存在だった。正直、鬱陶しいがしょうがないくらいに考えていた。 それが、今では気が付くと目が信一を追っている。 傍にいないと、捜してしまう自分がいる。 今まで、どんな優秀なスタッフが相手でも、そんな風になったことは無い。 そして、信一のほうでも、ジェラールを目で追っていた。 たびたび二人の視線は絡み合い、そのたびに信一が先に長いまつ毛を伏せ、ジェラールはあえて気づかぬように、自らの気持ちに蓋をした。 表面上は何事も無い、けれども常に互いを強く意識する日々が過ぎていった。 * * * ある夜、信一がマンションに帰ると部屋の前に坂下が待っていた。 「タカヒロ……」 驚きのあまり声が続かない信一に、坂下は 「悪い。ちょっと話があってさ。良かったら入れてくれないかな」 と、弱々しく言った。 小さく頷くと鍵を開け、部屋に入れる。 二人でこの部屋にいると三ヶ月前に起きたことを思い出してしまう。 落ちつかない信一は、坂下の目を見ることができずに、台所に立った。 「コーヒーでいい?」 「あ、いや、すぐ帰るから。俺さ、会社辞めることになった」 「えっ?」 驚いて、再び戻ってきた信一に、坂下は気まずそうに笑って 「いや、なったというより、した、んだけど。ほら早期希望退職の募集があったろ。あれに申し込んで受理された。十二月末ってことで」 と一気に言った。 「そんな……」 サカエのリストラの一環としてコストの高い中高年層とバブル期入社の過剰な人員の削減を狙って早期退職制度をつくり、希望者を募った。 思いのほか色々な層からの退社希望が出たが、優秀な社員はそう簡単に希望が通らないのが現実だ。 「だって、タカヒロなら、部長が絶対許さないよ」 「うーん。色々あったけど、まあ何とか無事受理されたんで、それで今日は報告」 わざとらしいほどサバサバと言う。 「どうして」 と小さく訊ねながらも、自分に原因があるだろう事はわかっている。 信一は、困ったようにうつむいた。それで坂下は少し慌てた。 「あ、あのな、今日はお前にちゃんと話そうと思ってきたんだ」 「タカヒロ?」 「この前は悪かった。あの後、俺、ものすごく後悔して。電話しようか。直接行こうか迷ったんだけど、結局、自分でまだ気持ちの整理がつかなくて……三ヶ月かかった」 「…………」 「俺はお前のことが好きだ。男だけど。関係ないくらい。大学一年のときからずっと好きだった。サカエに入ったのも、一生お前とつながっていたかったからだ」 坂下は、真剣な瞳で信一を見つめる。 信一も、初めて聞く親友の告白に息を詰める。。 「あの日、あんな事してから、お前と二度と……友達としてすら顔を合わせられないんじゃないかと思って辛かった。あの、会議室のフロアーですれ違った時のこと覚えてるか?」 坂下の問いに、信一は黙ってうなずいた。 「あの時、ショックだった。お前が下向いて怖い顔して、怒ってて。ま、当然といや、当然だけど」 ふっ、と笑う。 「そんな……」 (あの時は……) 確かに動揺して緊張したから、顔を上げることができなかったけど、怒っていた訳じゃない。 それに、今では、坂下の気持ちも理解できる信一だ。 ジェラールに対する想いを隠しながら彼の傍にいる自分。時おり、どうしようもなく溢れる想いに、狂おしく翻弄される。 (それを思えば、この親友が、八年も耐えてくれていた想いというのはどんなに―――) その言葉に出せない胸の内は、届くはずもなく 「いいんだよ。それで気持ちを整理したんだから……俺は……」 坂下は淡々と続けた。 「俺は、お前ともう一度親友になりたい。お前のことを好きな気持ちに変わりは無いけど、それを押し付けることはしない。そのために一度サカエから離れてやり直したいんだ。どれくらい時間がかかっても、初めて会った時のようにもう一度お前に会いたい」 「タカヒロ……」 真摯な言葉に、胸が詰まる。 「だからって、辞めなくても……僕だってタカヒロとはずっと親友でいたい。図々しいけど、僕と一緒にサカエで働いてほしいよ」 信一の目が潤む。 それを見ないようにして坂下は立ち上がった。 「もう、決まったんだ。とにかく、これからのことはまた必ず連絡する。話ができてよかった」 「あ、タカヒロ」 「じゃあな。風邪ひくなよ」 後ろ姿で軽く右手を振って玄関に。 「あっ、待って」 呼び止めたけれど、坂下は聞こえぬふりで出て行った。 そして信一は、気がついた。 呼び止めても、その後に続く言葉を、自分は持っていない。 |
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