榊が自己紹介を済ませると、五人は早速車に向かった。 「他に荷物は無いんですか?」 あまりの軽装に信一が驚くと 「いろいろ持ち歩くのは好きではないのでね。全て先に送っています」 と、ジェラールは微笑んだ。 その顔に思わず見惚れていると、ジェラールは榊に何事か話している。どうも自分が運転して行くと言っているらしい。 「無理ですよ。都内は初めてでしょう」と、榊が反対するのに 「東京もパリも似たようなものです。道さえ教えてもらえれば大丈夫ですよ。国際A級ライセンスホルダーですから、皆さんの命は保障します」 冗談ぽく笑った後、真面目な顔に戻って言った。 「それに、運転してみたいのです。『サカエ』の車を。走行テストではなく普通の道路でね」 これには榊も否とは言えず、持っていた車のキーを渋々渡した。 (ああ、それで運転手は要らないって……) なんとなく感動しながら、信一は来た時どおり後部座席に乗り込んだ。来たときと違うのは両脇に大きなフランス人。サカエの誇るハイクラス車でも何となく窮屈さは否めない。助手席では、榊がカーナビを英語バージョンに変えている。 「確か、千葉にはサカエの工場がありましたね。先にそこに寄って見学したいのですが」 いきなりのジェラールの言葉にまたも榊が慌てる。 「いえ、そんな急に……工場も驚くでしょうし、その、前もって知らせて……」 「べつに普段の様子が見たいのですから、わざわざ知らせておく必要はないでしょう。時間はとりません。また都内から出直すほうがムダというものです」 「そうですか。それでは本社に到着が遅れることを連絡します。信一君、たのむ」 「は、はい」 榊の気転で信一は携帯電話で社長室にその旨を伝えた。これで本社から千葉工場に至急連絡が行くだろう。 ジェラールは鼻歌でも歌う気安さで車をとばしている。 工場長の慌てぶりはすごかった。ジェラールは広い工場の端から端まで大股で歩きながら、矢継ぎ早に質問する。ここでは何の車種のどの部分を作っているのか。年間の生産高、工場の人員、ローテーション、平均年齢、賃金、エトセトラ。 信一もいきなり通訳としての初仕事。英語は得意とはいえ慣れない専門用語も多く、自分の無能さを痛感した。が――― こんなことは序の口で、この後、落ち込む暇も無いほどハードな日々が信一郎を待っていたのだった。 本社に戻ってからもジェラールはこの調子で、思ったことをマイペースで、いや、周囲には考えられないほどの「ハイペース」で進めていく。質問も注文も多い。その度に信一は自分の頭をフル回転させて、何とかついていこうと必死。 朝は、七時から社長室で榊と三人でスケジュール確認を兼ねたミーティング。その際、前日に依頼されていた資料や書類を渡す。ジェラールはそれに目を通しながら、新しい指示を出す。その後は、まさに五分刻みのスケジュールの一日が始まり、信一はジェラールがどこに行くにもついていかねばならず、単に通訳としての仕事だけではない様々な指示を受け、その多忙さにしばしばパニックを起こしかけた。何しろ今までは、なんだかんだといっても甘やかされていた二代目。今、生まれてはじめての過酷な労働と向き合っていると言ってよい。 「だめだ。死んでしまう。過労死。なんちゃって」 深夜十一時。ようやく一段落ついてジェラールが離席したほんの隙に、信一は社長室のソファーに身体をしずめて大きく伸びをした。ついそのままゴロンと横になる。 そこにジェラールが帰ってきた。 「疲れましたか?」 「あ、すみません」 あわてて、起き上がる。 「かまいませんよ。信一には色々付き合わせてしまって申し訳ないですね」 「いえ、あんまりお役に立てていないみたいで」 ちょっと謙遜を含めて言ったところ 「まあ、そうですね。今のところはまだしょうがないでしょう」 と、シビアな返事が返ってきた。 (やっぱり……そうじゃないかとは、思っていたんだけどね) 見るからにがっくり肩を落とす信一に、ジェラールは思わずその長い指先を口元にあて 「あ、いや、そうでもありません。よくやってくれていると思います。特に最近は」と、訂正した。 「ほんとですか?」 とたんに信一の瞳が輝く。 ソファーから見上げる目が子犬のそれに似ている。 ジェラールはこの前社長の息子という青年を不思議なものを見るような目で見つめた。 何でこんなに簡単に感情を表わすのだろう。経営者としては致命的だ。 ジェラールの内心も知らず、ちょっとほめられた気になった信一は人懐っこく話し掛ける。激務から解放され、明日が久しぶりのオフという開放感からか、普段は少し遠慮気味な信一が今日は饒舌だった。 ジェラールと二人で話ができるのが、実は嬉しくてたまらない。 信一の質問に適当に答えながら、ジェラールは信一の良く動く表情を見ていた。 仕事中もこの青年はコロコロと表情を変える。真剣な顔、うれしい顔、失敗したときはそのまんま、仮に相手に気づかれなかった場合でも「スミマセン、失敗しました」という顔をする。 今までジェラールの周りにいた人間は違う。皆、セルフプレゼンテーションというものを身に付けていた。自分の本当の感情は極力表には出さず、どうすれば相手に一番強く印象付けられるか計算の上で表情を変える。ジェラール自身、決してポーカーフェイスではない。しかしその表情が気持ちをすべて表すということは決してない。表情をコントロールすることは仕事をする上で必要な表現力、パフォーマンスのひとつだ。 (それなのに、この青年ときたら……) 前社長の息子である信一をジェラールの補佐として使ってほしいというのは、サカエからのたっての願いであった。 一世紀近く続いた同族会社を外資の傘下に置かざるを得ない状況に追い込まれた今、せめてサカエの直系の血を引く人間を将来の役員候補として残したい、復活したサカエを支える屋台骨のひとつに栄の名を残したい、という前社長栄武彦の思いを汲み取った形の配置である。 現在のところ将来の役員が勤まるのか甚だ不安な青年だが、不思議と憎めぬところがある。 (きっと誰からも愛されて真っ直ぐ育ってきたんだろう……) 「僕、この社長室から見る夜景がとても好きなんですよ。ちょうどここから」 と言って、信一は社長席に近い窓際のキャビネットに歩み寄った。それはちょうど腰のあたりまでの高さで、スチール製の棚の中には書類がぎっしりと埋まっている。そのキャビネットの上に手をかけて大きく窓側に身体をよせる。 「ほらこの角度からみるとちょうど西新宿の高層ビルがクリスマスツリーのようでしょう?」と、振り返って笑う。 ジェラールはそんな信一の様子に、電車から身を乗り出す子供の姿を重ね見て、フッと吹き出した。 「おかしかったですか? すみません」 「いや、わたしもクリスマスは好きですよ」 近づいて一緒に窓の外をのぞく。宝石を散らしたような夜景は少しパリのそれにも似ている。 「本当だ。クリスマスですね」 「本当のクリスマスのイルミネーションはもっとすごいんですけど」 「楽しみです。それまでもっともっと働いてもらいますから、身体には気をつけてがんばって下さい」 そう言って優しく笑いかけると、ジェラールは信一の肩を軽くたたき、 「では、おやすみ。良い休日を」と、先に社長室を出て行った。 バッハのG線上のアリア――呼び出し音。 久しぶりの休日を、信一は、電話の音で目覚めさせられた。 「はい」 ぼーっとした頭に 「やっとつかまったな」 懐かしい坂下の声が響いた。 「タカヒロ」 「メール入れても全然返事無いし」 「ごめん。ほんと、忙しかったんだよ」 メールが来ていたのは知っていた。けれども毎日本当に疲れていてついついそのままにしてしまっていたという罪悪感で、声が小さくなる。 「知ってるよ。でも今日は休みなんだろ、今近くまで来てんだけど行っていいか」 時計を見るともう昼の十二時近い。 「いいよ。なんか寝すぎたみたいだ」 信一は慌てて起きて、バスルームに向かった。 信一の実家は中央線の立川だが、会社に入ってからはサカエ本社に通勤が楽なように、ひとりで新宿にマンションを借りている。坂下にとってはかって知ったる他人の家ならぬ信一のマンション。オートロックのナンバーもそらで覚えている。電話から十五分後にはビールや色々な惣菜の入ったスーパーの袋をさげて入ってきた。 「昼、まだなんだろ」 「ありがとう。外に食べに行っても良かったんだけど」 と、言いつつも、中味は何かなと覗き込む。 そんな信一の様子に目を細めて坂下は、 「疲れてんだろ。家でゆっくりしてろ」 と、ソファーセットのテーブルの向かいに腰を下ろした。 「椅子使ってくれよ」と、信一が言うのに、 「地べたのほうが落ち着くんだよ、俺は」 坂下は胡座をかいて、缶ビールのプルを引く。 「じゃ、僕も」 信一もテーブルとソファーの間に座り、 「いただきます」 育ち良さげに軽く合掌し、買ってきてもらった食事に手をつけた。 ご飯とほうれん草の胡麻あえを一緒にもぐもぐとほおばる、その信一の口の動きについ見惚れながら、坂下は努めてさりげなく訊ねた。 「で、どうだ? 最高執行責任者の補佐ってのは」 信一がジェラールと仕事をするようになってから、坂下は信一と殆ど顔を合わせることがなかった。たまに、マスコミから流れてくるジェラール関係のニュースで、偶然ジェラールと一緒に写っている信一を見ることはあったが、その姿は余計に自分との距離を感じさせて坂下の胸をざわつかせた。 今まで社長の息子という肩書きがあっても全く問題にならなかったのに、今度の信一の配属にかぎって、どうして自分をここまで不安にさせるのか。 坂下には理由がわかっていた。 「うん。大変だけど……楽しいよ。面白いって言うか。うん、やりがいある」 屈託なく信一は答える。 「はじめは慣れない事だらけだったから、色々迷惑かけちゃったけど、ジェラールが一つ一つ教えてくれたし、ジェラールの指示とかその考え方って、とてもシンプルでわかり易くて」 「ふうん」 「それに、カリスマっていうのかな。ジェラールって、人を惹きつけるんだよね。近くでそういうオーラを感じるのも……」と、信一がまだいいさしている途中で 「ジェラール、ジェラールって、すっかり懐いたもんだな」 坂下が、聞いていられないように口をはさんだ。 「おまえの会社を横取りしたフランス人だぜ」 坂下はビールをぐっと空けて信一を見た。 信一は驚いて、形のいい眉を吊り上げた。 「そんな。ジェラールがサカエを乗っ取ったわけじゃないだろ。むしろ建て直してくれているんだし」 ジェラールを庇うようにして自分に向けられた非難めいた口ぶりに、坂下の胸がざわりとささくれ立った。 「じゃあ、お前は……以前のサカエよりも、外資の傘下に入った今のサカエのほうがいいのかよ」 次期社長という立場よりも、ジェラールの補佐役のほうがいいのか――苦い物を飲み込むようにつぶやく。そんな坂下に気づかない信一は頬を膨らませて言い返した。 「いいとか悪いとか。今更しょうがないよ。うちがヤバかったのは事実だし。今でもヤバイけど。でも、ジェラールだったら……」 信一は、尊敬するボスの姿を思い出してふっと睫毛を伏せて微笑んだ。 「ジェラールだったら、本当に、サカエを復活させてくれる気がする」 そのうっすらと上気した顔を見た瞬間、坂下の中で何かが壊れた。 「信!」 突然、立ち上がって信一のそばに詰め寄ると、覆い被さるように抱きついた。 「な、なに?」 突然のことに驚愕する信一。 信一の頭を自分の肩に押し付けるように抱きしめて、坂下は、 「やめてくれよ。お前が……お前が…他の男のことで、そんな顔するのは見たくない」 信一のまだ湿っている髪に、顔を埋めて呟いた。 「ち、ちょっと待って」 「信、俺は」 坂下は信一をきつく抱きしめると、そのままソファーに押し倒した。 信一はソファーの座面に頭を押し付けられた格好になり 「やめ、やめろってば、タカヒロ」と抵抗する。 その抵抗がかえって坂下の雄に火をつけた。 「お前が好きだ」 荒々しく、噛み付くように口づける。 「ん、んんッ…やめ、ろ、って…」 抗って顔を背けると、坂下の唇はそのまま信一の耳に降りてきた。 「あ…ッ」 痺れるような感覚が、信一の背中に走った。 「ここ、感じるのか?」 坂下は過敏な反応に突き動かされるように、信一の耳を弄った。 「ヤッ、あ…」 坂下の熱い息とともに舌が耳の穴を犯す。耳朶を甘噛みされるたびに、ジンジンと痺れが背中を駆け抜ける。 ジェットコースターの高いところから一気に落下していくときのようなゾクッとした浮遊感に、信一はぎゅっと目を閉じると、知らず知らずに坂下のシャツを握り締めた。 坂下は唇を首筋に這わせながら信一のシャツをはだける。たった今シャワーを浴びたばかりの信一の身体からふわりと石鹸の香りが舞う。鎖骨を強く吸うと信一の身体はビクリと痙攣して大きく仰け反った。まるで吸ってくださいとばかりに持ち上げられた胸の赤い突起に舌を移す。舌先で押しつぶすように舐め上げると、 「んっ」 薄い皮膚が敏感に立ち上がった。 「や、あっ、は…ぁ…」 切なげな吐息が信一の口から漏れる。 坂下は右手を信一のズボンの下に滑り込ませ、熱く息づいているそれを握った。 「ひッ…だっ、だめッ…あ、んっ」 抵抗しようとしたものの、その両手を坂下の左手一本で軽く封じられ、信一は坂下の舌と右手に存分に嬲られる格好となった。 坂下の唇が、信一自身を捕らえる。 「あっ、ダメだって、嫌だ」 思わず悲鳴をあげたけれど、熱い口腔で弄られた先からは、既に透明な液が滴りはじめている。生まれてはじめての快感に信一の身体は素直に反応した。 「や…あっ、だ、め…もっ、出る、あ…」 太ももが引きつるように震え、信一の限界が近づいていることを知らせる。 坂下は口に咥え込んだそれを、唇をすぼめで強く吸い上げた。 「あああぁっ」 甘い叫びとともに放出された信一の精を、坂下はきれいに飲み下した。 「ふ……」 けだるい解放感の後、親友の口の中で果てたという事実に、信一はハッと目を開ける。 自分をじっと見つめている坂下と目が合った。 直後、恐怖にも似た羞恥心に、 「やめろっ」 叫んで、坂下を力いっぱい押しのけた。 坂下の視線から逃れるように、うつ伏せて背中を丸めて小さくなる。 「信、俺は……」と、近づく気配に 「帰れっ、帰ってくれっ」 信一は、悲鳴にも似た叫びを投げつけた。 坂下はのろのろと立ち上がると、静かに部屋を出て行った。 マンションのドアが閉まるカチャッという音を聞いたとたん、信一の目から涙が溢れた。 |
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