翌朝、またもや高遠は悩んだ。
海堂のところに、迎えにいくべきか否か。
昨日と同じような状況。いや、海堂と二郎が一緒のところを見た上に、その海堂から殴られているという状況は、昨日より悪いとも言えた。
しかし、ここで行かないわけにはいかない。
高遠は、決心した。
「行って、きっちり、海堂と話をしよう」
(何で、笠が海堂の家に行っているのか。何で、トラノスケを連れて行ったのか。何で、昨日一緒にいたのか)
聞いてしまえば、実は簡単なことだ。
けれども、高遠はこういったの結論に達するまで、他の人の二倍の時間をかけてしまう。それが高遠だからしょうがない。
けれども、決心した後は、早かった。それまでグズクズしていたのが嘘のように準備をすませると、いつもより早い時間に家を出る。
自転車をこぐ脚も軽く、スピードをあげて、身体を傾けながら角を曲がったところで、突然前を塞がれた。

キイッ――ガシャン!

そしてその朝、高遠は、海堂の家には行けなかった。


* * *

「地蔵、何で今日も来たんだよ」
自分の家の前で、海堂が憮然とする。
「だって、龍之介くんが言ったんじゃないか。トラノスケに会いたかったら、いつでも来ていいって」
「そりゃ、言ったけど、毎日来るとは思わねえよ」
「いつでもいいか?って念を押したら、いいって言った」
「そりゃ……」
(お前が、俺のことを好きだとか言う前の話だろっ)
海堂は、内心叫んだ。
口に出して叫ばなかったあたり、海堂も少し大人になっている。
何しろ、玄関のドアの向こうには、麻里絵がいるのだ。
こんな話が、麻里絵の口から高遠の耳に入るのも困る。

昨日なんか、麻里絵は夕飯の席でしゃあしゃあと言った。
『龍之介、朝のお迎え、高遠くんじゃなくなったの?』
『ママは、今日の子より、高遠くんがいいわ』
『龍之介が、別れたんなら、ママが高遠くん、もらっちゃおうかなっ』
(てめえが、トラノスケに子供生まそうとか、提案したからじゃねえかっ、クソハバアっ!)
その時も、海堂は口には出さずに我慢した。
まったく大人になったものである。

そして海堂は、目の前の二郎をどうするか考えた。
昨日、いきなりな告白をされて、海堂ははっきりと断った。
自分は、高遠以外の人間と付き合う気はないと言った。
それであきらめると思った二郎は、意外にしぶとかった。
(そういや、地蔵のあだ名の由来には、石頭って意味もあったんだ……)
笠地蔵、なかなか頑固な性格らしい。

『だって、高遠くん、他に彼女作っているみたいだし、僕はあきらめないよ』

二郎の言った言葉は、ちくりと海堂の胸をさした。
だからこそ、今日は、高遠と一緒に学校に行きたかった。
「わりいけど、俺は、高遠、待ってるから」
海堂が言うと、
「来ないかもしれないよ?」
二郎は少し意地悪そうに言う。
「来るよ」
「ふん」
「お前は、さっさと学校行けよ」
「龍之介くんと一緒なら行くよ」

そして二人は、それから一時間近くも、家の前で立っていた。

「…………」
「…………」
「来ないね」
二郎がボソリと言う。
海堂は唇を噛んだ。
「昨日、殴ってるし、怒ってんじゃない?」
「………………」
海堂が何も答えないので、二郎は、
「しかも、彼女の前で殴られたんじゃね。怒るよ、普通」
たたみ込むように言って、海堂を見て、息を飲んだ。
うつむいた海堂が、泣いていた。
前髪に隠れて目許は見えないけれど、下を向いた鼻梁を伝って涙の粒が落ちたのがわかった。
「り……」
二郎は、酷く、うろたえた。
二郎にとって海堂は、いつでも強くて明るい元気者。泣くことがあるなんて考えたことも無い。その海堂が黙ってうつむいて涙を零している。
「龍之介、く、ん?」
問い掛けると、海堂は、ぐっと顔を上げて涙を拭った。
真っ直ぐ顔を上げて、足早に歩き始めた。
「待って、龍之介くん」
慌てて追いかける二郎を無視して、海堂は駅に向かった。


* * *

「っつ……」
高遠は、何が起きたかわからなかった。
いきなり自転車を倒され、数人がかりで取り押さえられて、抵抗すると殴られて、今は、どこだかわからない倉庫の中だ。
制服のボタンが二つはじけ飛んでいて、高遠はこんな時に
(確か、替えのボタンは、一つしかなかったな)
などと、考えた。
「おい」
高遠のまえに、大柄な男が立った。
高遠も長身だが、その男の方がもっと高いかもしれない。
もっとも床に転がされている高遠は、背比べをすることはかなわなかったが。
「おまえ、自分が何やったのか、知ってんのか?」
男の問いかけに、高遠は考えた。
(それは、こっちが聞きたい)
何で、自分がこんなめにあうのか?
困った顔で、小さく首をかしげた高遠に、その男は言った。
「総長の女に手をだしちゃあ、命取られても、文句は言えないぜ」
高遠の目が、点になった。
(早朝の女?)
冗談でも何でもなく、高遠はそう考えた。
(早朝っていうと、あの新聞配達の?)
高遠の家に、朝六時に、ママチャリで新聞を配りに来る女性。
何故か夏も冬も水色のジャンバーとズボンという恰好に、上から下までサイズはオール1mといった体型から、高遠は密かに
(ドラえもんおばさん)
と呼んでいた。
(なんで、俺が?)
ドラえもんに手を出したことになっているんだ?
確かに、何度か挨拶をしたことはあった。集金に来たときに、手の離せない母親に代わってお金を渡したこともある。しかし……
「手を出したなんて、そんな……何かの間違いだと……」
高遠が言うと、
「うるせえ、ネタはあがってんだよ」
「ネタって?」
「何しろ、当の本人が言っているんだからな、お前のことが好きだとか」
「はあっ?」
高遠の脳裏にドラえもんおばさんの顔がクローズアップされ、思わず裏返った声が漏れた。
「そんな……俺とは、かなり、年の差もあって……」
確か五十くらいじゃないか?
高遠は、びびっている。
「歳の差?」
そのガタイのいい男は、怪訝そうに顔を顰めた。
「りおさんと、お前って、そんな離れちゃいねえだろ?それとも、お前、相当ダブってんのか?」
ここに来て初めて、高遠は理解した。
「りお……」


* * *

海堂は、歯を食いしばって歩いた。
(高遠が来なかった……)
これは、海堂にとって相当なショックだった。
この一年、四六時中一緒にいたのに、喧嘩らしい喧嘩なんて数えるほどしかなかった。
それも、海堂が一方的に怒っているのがほとんどで、高遠はいつでもすぐに謝ってくる。
(今日だって、絶対に来ると思ってた……)

『昨日、殴ってるし、怒ってんじゃない?』
『しかも、彼女の前で殴られたんじゃね』

高遠に、嫌われた?
そう思ったら、さっきは不覚にも涙が出た。
昨日の、女の顔が甦る。
(俺より、やっぱり、女のほうがいいのかよ)
また鼻の奥が痛くなったが、今度はぐっと我慢した。
(ちくしょう)
高遠に会って、はっきりとその口から聞くまでは、泣くわけにはいかない。
そう思って、海堂は駅への道を急いだ。


「へっへえ、暇なんだろ?俺たちと遊ぼうぜえ」
「学校、行ってないの?不良だなあ」
駅前のロータリーで、三多摩青狼会のヒロ&モン。
珍しく、午前中からナンパに精を出している。
「うるさいわね、急いでるのよ。どいてっ」
二人に挟まれている、髪の長い女の子。
海堂は、その顔を見て、目を瞠った。
(昨日の?!)
嫌がるりおに、ヒロ&モンはしつこくまとわりついている。
この二人のナンパの信条は『粘り』だ。それ以外には、とりえもないのだから。
相手があきらめて渋々頷くまで、ひたすら脅したりすかしたり懇願したりのナンパ。
果たしてそれがナンパといえるかどうかは怪しいが、まあ、いつものように頑張っている。
しかし、今日は相手も、手ごわかった。
「どけって言ってるでしょっ!それどころじゃないのよっ」
二人を突き飛ばす。
「あっ、可愛い顔して、暴力的い」
モンが大袈裟に痛がって、りおの腕をつかんだ。
「離してよ。急いでるのっ!ヤマトが」
そう叫んだ時、海堂が、モンの肩を掴んで言った。
「高遠が、どうか、したのかよ」
「はうああぁっ!!」
ヒロとモンが一瞬にして、三メートルも飛び退さった。
海堂は、それを無視して、りおを睨みつけながら再び訊ねる。
「高遠が、どうしたんだよ」
「あんた、昨日の、暴力オトコ……って、オトコ?オトコよね、あんた……?」
よく見た海堂の顔があんまり可愛いので、りおは思わず念を押す。
「男だよっ!それより高遠」
「あっ、そうだっ」
りおが駆け出す。
「待てよ」
海堂も、一緒に走る。
そしてその後ろを、すっかり存在感をうしなっている二郎が続いた。




HOME

小説TOP

NEXT