「待って、待ってよ。龍之介くん」
「なんだよ。地蔵は、学校にもどれよ」
「龍之介くんは、どうするの?」
「俺は……」
高遠が自分よりも見ず知らずの女を庇ったのが腹立たしくて、その場を離れた海堂だったが、どこかに行くあてがある訳でもない。
学校に戻るのも、面白くない。
海堂が言葉に詰まったのを見て、二郎が言った。
「だったら、うちにおいでよ」
「え?」
「うち、両親いないし、力王が喜ぶと思うんだ」
「リキか……」
「ね?僕だって、今さら学校に戻るの嫌だよ」
「そうだな」
そして二人は、二郎の家に行った。


玄関のドアを開けると、中からものすごい勢いで飛び出してくるものがある。
「ただいま」
二郎の膝に飛び掛るのはトラノスケ――によく似た黒い豆柴。
「こら、落ち着けよ、リキ」
二郎は、リキと呼んだその小さな犬を抱き上げた。
「喜んでるな」
海堂も目を細める。
「こんな時間に誰かが帰ってくるとは思わないからね」
「散歩出すか?」
「ううん、部屋で大丈夫だよ。朝、一回、出しているし」
二郎はそう言うと、靴を脱ぎながら、
「龍之介くん、あがって」
と勧めた。
二郎のうちでも黒い豆柴を飼っていた。雄の二歳、名前は力王。そのままだとカップ麺みたいだと言うのでリキと呼ぶことのほうが多い。
トラノスケとそっくりの写真を見た海堂は、一度本物を見たいと言って、あの高遠との下校を断った日、二郎の家に行きそのまま麻里絵に見せるために連れてきてもらったのだ。
高遠の見た二郎が抱いていたのはこの犬だった。
「リキ、本当にトラノスケにそっくりだよな」
「純血種はそもそも形が決まっているからね」
二郎が力王を連れてきたとき、海堂の母親麻里絵が、
『せっかく純血種同士なら、子供を生ませてみたらどうかしら』
と、言い出した。ちなみにお忘れだといけないので言っておくとトラノスケは雌である。
『ママのお友達で、トラノスケちゃん見て、欲しいって言う人が結構いるのよ。それに、子供を生ませるなら、身体のために早い方がいいって言うわよ』
麻里絵の言葉に、海堂も心が動いた。
なにしろ、兇悪外道な海堂だが、大の動物好きである。
トラノスケの赤ちゃんなら、ぜひ欲しい。麻里絵が許すなら、何匹だって飼いたいくらいだ。
そのことで、海堂と二郎は一緒に獣医にも行った。トラノスケと力王を連れて。
高遠が風邪を引いて休んだあの日のことだ。二郎が獣医に予約を取ってしまったので断れなかった。
海堂が、そのことを高遠に話していれば、また違っていたのだろう。
しかし、話すきっかけの無いまま、海堂と高遠はすれ違ってしまっている。
海堂には、すれ違ってしまった原因が、わかっていない。当然と言えば、当然。


二郎の部屋で力丸とふざけながらも、海堂は、ついつい高遠のことを考える。
(あの女、誰だよ……)
この一年の間、高遠から女の話しが出たこと無かった。
男前だし、もててもおかしくないのだが、生来の消極的な性格が災いして、彼女いない歴十七年。その結果、彼女じゃなくて海堂が現れたのだが。その高遠が、デートしていた。
相手は、くやしいが、可愛いと言ってもいいタイプ。
長身の高遠と並んだ姿は、お似合いだった。
(何が、お似合いだっ!!)
バキ!
「わ、どうしたの?龍之介くん」
お菓子を運んできた二郎が慌てる。
海堂は、自分で考えたことに腹を立てて思わず片手に力を入れた拍子に、力王のおもちゃを壊してしまった。
「あ、わりい」
力王のお気に入りの、ボールが先についた猫ジャラシのようなおもちゃの柄が折れている。
力王は、柄の短くなったおもちゃを嬉しそうに加えて、部屋の奥に走って行った。
「龍之介くん」
「ホント、わりいな」
「そんなことより、怪我してない?」
「え?ああ」
ちょっと切ってるな、と、右手を開いてみたら、二郎がその手を掴んだ。
「?」
不思議そうに見上げる、けれども抵抗しない海堂の手を、二郎はまっすぐ自分の唇に持っていった。
ペロリと舌を出して、血を舐め取った。
「地蔵?」
初めて、海堂が驚いた声を出す。
二郎は、そのまま掌に口づけて言った。
「僕、龍之介くんのこと、好きだったんだよ」
(へっ?)
海堂は、あまりにも意外な――鈍感な海堂は、本当に今まで1ミクロンだって思いもしなかった――言葉に、唖然とした。

「好き?って、お前が?」
「うん」
「俺?」
「うん」
「何で」
「何でって、言われても……」
二郎は、困ったような顔で海堂を見つめる。
「好きだから好きなんだけど、しいて言えば、きっかけは入学式の時助けてくれたこと……かなあ」
「入学式?」
海堂は腑に落ちない顔。
「ほら、恐そうな上級生たちが、僕のことチビって言ってからかった時、龍之介くんが、ボコボコにしてくれたじゃない」
「あ、ああ、あれは、俺のことだと思ったんだぜ。実際、俺たち二人を見ていたしな」
海堂は、そのおかげで一躍名を馳せた『入学式、破壊の天使事件』を思い出した。ちなみにこの事件名は、その場に居合わせた者から全校に伝わったのだが、幸いにも海堂本人の耳には入らなかった。
「あの時から、ずっと龍之介くんのことが気になっていて。でも、こういう気持ちが、好きだって言う気持ちだとはわからなくって……そのうち、龍之介くん、転校してしまったし」
二郎の告白に、海堂は落ち着かない気持ちになる。
「ち、ちょっと、待て……俺は……」
遮ろうとしたのだが、二郎は思いつめた顔で迫ってくる。
「偶然、僕が転校した先に、龍之介くんが居て、そしたら、男の恋人がいるっていうじゃないか」
「う……」
「ショックだったよ、すごく。でも、逆に思ったんだ。龍之介くんが男と付き合えるヒトなら、僕にだって可能性はあるんだって」
「ぽ、ぽじてぃぶしんきんぐ、ってヤツだな……」
海堂は、柄にもなく動揺した。
「あんな、優柔不断そうなヤツと別れて、僕と付き合ってよ」
「ゆうじゅう、ふだん?」
「そうだよ。龍之介くんと付き合っていながら、他の女の子とデートしてるし、何だか、頼りなさそうだし、どこがいいんだよ」
海堂の顔色が変わった。
「てめえ!高遠の悪口言うんじゃねえよっ」
「な……」
「高遠は、ゆうじゅうふだんでも、頼りなくもねえよ」
「何で、庇うんだよっ、あんなヤツ」
「俺の男だからだよっ」
目を剥いた海堂に、二郎は怯んだ。
「だ、だって、あいつ……ほかの女の子と……」
モゴモゴと言うと、海堂も顔を曇らせた。
「そりゃ、何か……あって……」
「何かって?」
二郎は、ムキになっている。
海堂が、それでも高遠が好きだというのか許せない。
「何、って……」
海堂は、うつむいた。
海堂に、その答えは無い。あったら、こんなに悩みはしないのだ。



* * *

「ヤマト、大丈夫?」
りおが、高遠の頬に手を伸ばす。
海堂に殴られた痕は、青く腫れあがっていた。
「っ、た……」
「私、湿布、買って来るね」
「あ、いいよ、大丈夫」
「大丈夫じゃないわよ」
「いや、俺、帰るから」
「帰る?」
「ああ、家に帰れば、湿布もあるしさ」
「そう……」
りおは、細くきれいにカットした眉を寄せて高遠を見つめて
「わかった」
少し残念そうに頷いた。
送ると言うのを無理やり返して、高遠は独り自転車で家に帰った。
母親は、顔にあざを作って帰ってきた高遠に驚いたが、
「まあ、男の子だから、色々あるんでしょうね」
余計な詮索はしなかった。余計な一言は、あったけれど。
「でも、あんた、見た目と違って弱いんだから、下手に喧嘩は買うんじゃないわよ」

(はいはい)
と、心で返事しながら茶の間にある薬箱を取って、高遠は自分の部屋に入った。
湿布を貼りながら、海堂の顔を思い出す。
りおを殴ろうとしたのを止めたとき、海堂の顔色が変わった。
(俺が、間違ったのかな)
しかし、海堂が本気で殴れば、あのりおの顔にも自分と同じような痣ができたのだ。
女の子の顔に、この痣はマズイだろう。
(海堂って、手加減知らないからな……)
海堂に殴られたのは、二回目だ。
あの、転校初日。高遠は、思い出して口許を緩めた。
そして、殴られて笑っている自分に、また笑いが込み上げてきた。ちょっと自嘲的な笑い。
(なんか……上手くいかないなあ……)
何故、あそこに海堂と笠二郎が一緒にいたのだろう?
高遠はそのことを考えた。
考えてもわからない。
わからないから、胸が苦しいのだ。





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