「鞄は駅のロッカーに入れるのよ」 りおは、高遠の手をとって引っ張る。 「ロッカーって……」 「だって、そんな大きな鞄持って遊べないでしょう……あ、そうだ」 りおは、いきなり駆け出して行った。 駅前商店街の小さな衣料品店に飛び込んで、すぐに出て来て 「はい、これ着て。制服のシャツもロッカーに入れるのよ」 剥き出しのままの安っぽいシャツを突き出す。 「まあ、ズボンはちょっとダサいスラックスに見えなくもないし」 「ち、ちょっと待ってくれ」 高遠は慌てた。 「これ、買ってきたのか」 「うん。プレゼント。お近づきの記念に」 りおは、両手を後ろで握ると、小首を傾げて微笑んだ。 「そんな、困るよ」 「この時間にその制服で歩き回る方がよっぽど困ることになるわよ」 「…………」 「大丈夫よ。私、お金は持ってるから」 「払うよ。いくら?」 「いいわよ」 「いいから、いくらだった?」 「うーん、1980円」 「そう」 意外な安さにホッとしながら、それでもこの不意の出費は痛いなと思いつつ、高遠は財布から千円札をニ枚出した。 りおは二千円を受け取ると、無造作にポケットに入れて、 「お釣り後でいいよね」 そう言って、歩きはじめた。 高遠も仕方なく後に続く。 (なんで、こうなっちまったんだ?) 「高木さんて、いくつ?高校生だよね」 そう訊ねる高遠は、学生鞄と制服がなくなると高校生には見えなかった。ここは駅前のゲームセンター。中高生が授業中のこの時間はさすがに空いているが、時間つぶしの大学生らしい集団が格闘系のゲーム機で盛り上がっていて、それなりに賑やか。 「りおでいいって言ってるのに」 質問に答えず、りおは高遠を睨み上げる。 上目遣いに唇を尖らせるその顔は、やっぱりどこか海堂に似ていると高遠は思った。 「今度、高木さんとか呼んだら、ぶつわよ」 と言いながら、もう右手で高遠の胸を小突いている。 「ええ?」 高遠は、りおのペースに引きずられている。 「あ、それで、さっきの質問だけどね。歳は十六、今度十七。本当なら高校二年のはずだけど、行ってないから」 「行ってない?」 「うん、中退」 高遠を見て、 「やだ、そんな顔しないで。頭は悪くないのよ。ただ、行っても意味ないかなとか思っちゃって。そう思わない?」 「そう、かな」 高遠は、何だかんだいっても都立和亀が、そこでの学校生活というのが好きだったので、りおの言葉に頷けなかった。 「だって、ヤマトだってサボってんでしょ?」 「俺は……」 高遠は言葉を濁した。 自分が今日学校に行かなかった訳を思い出して、暗くなる。 「まあ、いいわよ。そんな、辛気臭い顔しないでよ」 バンバンとりおが高遠の背中を叩いた。 「せっかくだから、楽しく遊びましょうよ」 * * * 「龍之介君、どこに行くの?」 「うっせえな。地蔵は、付いて来なくていいんだよ」 「そういう訳にはいかないよ」 「何で」 「何ででも」 海堂と二郎は、駅と和亀高校の間の通学路を足早に歩いている。 『どっかで、事故ってたりして』 三好の言葉に過剰に反応した海堂は、バタバタと自分の教室に戻ると、帰る準備をして学校を飛び出した。高遠が、どこかでトラブっているのなら、自分が傍にいてやらなきゃいけないという気持ち。 それを、二郎が追いかけて来た。 海堂は、きょろきょろと辺りを見ながら歩く。 自転車の事故なら、何か形跡が残っていそうだ。電柱や道路の端の溝を見る。 何か落ちてやしないかと。 「ああっ、こんなことなら、トラノスケ連れてくるんだった」 「えっ?」 「トラノスケに、高遠の匂いを追って探させる」 「無理じゃないかな?」 「うっせえよ」 と、そこに見覚えのある顔を発見した海堂。 「あ、おい、お前ら」 海堂の呼びかけに、 「何ぃ?」 その二人、声をそろえて眉間にしわを寄せ振り向いたが、すぐに揉み手。 「あ、これは、これは、海堂さんっ」 「こんな時間に、お珍しい」 三多摩青狼会のヒロ&モン。相変わらず、二人つるんでいる。 「お前ら、高遠、知らねえか」 「高遠、さん、っていうと」 「あの、いつも一緒にいる背の高い」 「そう、その高遠」 「ははあ」 海堂の言葉に、モンは思わせぶりに頷いて言った。 「やっぱり、さっきのは」 「な、何だよ」 海堂、焦ってモンを見る。 「いや、似てるなとは思ったんですがね。なあ、ヒロ」 「うんうん。やっぱりな」 やはり勿体つけて頷くヒロ。 「てめえら、さっさと話しやがれっっ!!!」 海堂の黄金の右手が、久し振りに炸裂。 「す、すみません」 「み、見ました、それらしき、ひと」 「どこでだよっ」 「え、駅前の、サターン……」 「何だ、そのサターンってのはっ!」 「ゲームセンターだよ」 それまで黙って様子を見ていた二郎が口を挟む。 「ゲームセンター?」 海堂が不思議そうに振り返る。 「駅のすぐ近く。僕、この前行ったからわかるよ」 (なんで、そんなところに高遠がいるんだ?) 今まで、二人でも行ったことがない。 (あの高遠が、学校サボって、ゲームセンター?) 海堂は何だか、不安になった。 「よしっ、行くぜ!」 掴んでいたモンを振り捨てて、海堂は走った。 その後ろ姿を見て、ヒロが言った。 「オンナと一緒だったって、言わなくてよかったかな」 モンがぼそりと応える。 「いいだろ。まだ、死にたくないぜ」 ゲームセンターに高遠の姿は無かった。 「どこいったんだよ」 海堂は、また駅前商店街にでると、それらしい長身をさがす。 その様子に、二郎は小さく溜息をついた。 * * * 「ゲーム、好きじゃない?」 「そういう訳じゃないけど」 小心者の高遠にとって、学校をサボってゲームセンターで遊んでいる図というのは、なんとも落ち着かない。 まだ、フラフラと街を歩いているほうがましだ。 並んで、駅前の通りを歩いていると、ふいにりおが立ち止まった。 「あっ、ちょっと待って」 そこは、トラノスケのいたペットショップ。 りおは、道に面したガラスケースの前に立って、中の子猫を覗き込む。 「ちっちゃーい」 ガラスの表面に指を当てて、くすぐる真似をした。 高遠は、ふいに一年前を思い出した。海堂と二人でここに通った去年の五月。 「猫、好きなんだ?」 「うん、でも、犬の方がもっと好きよ」 隣のケージのミニチュアダックスの赤ちゃんを覗いて笑う。 「こういう子も可愛いけど、飼えるなら日本犬がいいな。柴犬とか」 そして突然、言った。 「一年前にね、ここに黒い柴犬がいたのよ」 「えっ?」 「すっごい可愛かったんだけど、なんでか売れなくって三ヶ月くらいいたのかな。結構、大きくなっていって」 高遠は、りおの言葉に心臓が鳴った。 「会うの楽しみにしていたんだけど、いつの間にか売れちゃってた」 「それ……マメ柴の?黒くて、四つ目の鼻黒」 「え?知ってるの?」 「去年の五月にここにいて、六月にいなくなってた?」 「そう、知ってるの?」 「知ってる」 高遠は、微笑んだ。 海堂とトラノスケを思って。 そのトラノスケを、ひそかに見ていた女の子の存在が嬉しくて。 そして海堂は、その二人を見てしまう。 (高遠?) ペットショップのガラスケースの前に立つ二人。一年前の自分たちの姿に重なる。 けれど、長身の高遠の隣には、自分ではなく、髪の長い女の子。 (誰だよ) そして、次の瞬間、海堂の心臓がズキンと痛んだ。 高遠の笑顔を見て。 優しくて温かい、大好きな笑顔。 それが、自分以外の人間に向けられているのを見て。 海堂は、立ち止まったまま動けなかった。 二郎はその隣に立って、やはり高遠を見る。そして一言、言った。 「何だ。心配して損したね」 「え?」 海堂が振り向く。 「だって、事故ったかもしれないなんて心配して探したのに、ちゃっかりデートしてるんだよ」 「デ……」 海堂の頭の中でガンガンと鐘がなる。 「そっ……んな、はずねえよ」 (何で、高遠が、女とデートすんだよ……) 海堂は、否定した。自分と高遠が恋人同士ということは、転校間もない二郎は知らないだろうけれど、高遠が自分以外の誰かとデートなんて考えられない。 「だって、あれは、そうじゃないかな。高遠君、わざわざ着替えてるし」 二郎は、何も知らない風にして、ペットショップの前の二人を目で示す。 実のところ、和亀高校名物カップルの噂は、転校初日に充分聞かされている。 「う……」 「お似合いだよねえ」 海堂の頭にかあっと血が上った。 二人に向かって駆け出そうとする海堂を、二郎が押さえる。 「だめだよ、龍之介くん、邪魔しちゃ」 「邪魔?」 「そうだよ。デートの。高遠君だって、今、声かけられたら、気まずいよ」 「…………」 海堂は、一瞬、悩んだ。 しかし、ほんの一瞬だ。 ここで、がっくりとうなだれるようじゃ、海堂じゃない。 「離せっ、地蔵っ!」 二郎の手を振り切ると、二人の方に走る。 「たかとおおおおおぉっっ」 叫んで、次の瞬間、黄金の右。 「っ……!」 高遠の長身が大きく傾いだ。そのまま、激しく地面に尻餅。 「きゃゃああああっ!!!」 りおが叫ぶ。 高遠にすがり付いて、 「大丈夫っ、ヤマトっ」 抱き起こすようにして、海堂を睨み上げた。 「ヤマトに何するのっ」 (ヤマト?) 高遠のことを名前で呼ぶ、そのことにムカついた。 「てめえこそ、何なんだよ」 「な、何よっ」 「お前も、殴ってやるっ」 目を吊り上げて、拳を握る海堂。 殴られて気を失いかけていた高遠が、身体を起こしつつ言った。 「やめろ、海堂」 海堂のパンチで女の子を殴るなんて、とんでもない。それだけの気持ち。 けれども、高遠がりおを庇うように立ったとき、海堂の中で何かがはじけた。 (俺より、そのオンナを庇うのか?) 「高遠……」 海堂の顔が青褪める。 高遠はじっと海堂を見つめて、そして、その海堂の横に立つ二郎にも気がついた。 二郎は、ぺこりと頭を下げた。 高遠には、何故海堂と二郎が一緒にここにいるのかわからなかった。 再び、暗くなる瞳で海堂を見ると、海堂はいきなり踵を返した。 「邪魔したなっ」 |
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