「僕、今でこそ身長伸びましたけど、高校入ったばっかりの時って、クラスで一番小さかったんですよ」 二郎が、三好と高遠を交互に見ながら言う。 海堂以外と口をきくときは、敬語になっている。 「だから、入学式の時、龍之介くんと並んで座ったんだよね」 「ああ、あれから思うと、お前、でかくなったよな」 海堂が、ちょっと悔しそうに唇を尖らせた。 「そういや、俺たちは、どっちが一番後ろか比べたんだよな」 三好が高遠を見る。 「あ?ああ、そうだったな」 「先生に肩つかまれて、背中あわせにされた時、俺はガキだったからつい背伸びしたんだけど、高遠、首すくめたよな。変なヤツだって思ったぜ」 「自分のすぐ後ろが父兄席ってのが、嫌だったんだよ」 「なんで?」 「落ちつかねえだろ」 「そうか?それより、クラスで一番背が高い、の方が重要じゃねえか?」 「それは三好の考え方」 高遠と三好がしゃべっていると、海堂が眉間にしわを寄せた。 「いつまでも、背の話、すんなよ」 「お前が言い出したんだろ?」 突っかかってくる海堂に、三好が言い返すと、 「あ、違います。僕です、僕です」 二郎が慌てて間に入った。 「すみません、変なこと言い出して」 ペコリとあやまるその姿に、三好も頬を掻いて、 「あっ、いや……別に、謝るような話じゃねえから」 決まり悪そうに頷いた。 「なんだな、まあ、いいヤツじゃん、笠地蔵」 五時間目の授業はAクラスとBクラス合同の体育だった。 準備運動のランニングをしながら、三好が高遠に話しかける。 「うん」 わかっている。 いいやつだ。同じ年の相手にも敬語を使うほど礼儀正しいし、気もよく使う。 けれど、それはどこかよそよそしさを感じさせて、その彼が、海堂にだけは自然に親密な距離で接するのが、気になるのだ。 (こんな気持ちは、初めてだ) 高遠は、自分が出会う前の海堂と二郎が、どういう付き合いだったのかが気になった。 うつむいて、黙々と走る高遠に、三好が言った。 「お前も、海堂にべったりくっつかれてるのが長かったからな」 「え?」 「毎朝、違うクラスの人間が隣に座っているなんて、異常だぞ。それが居ないと不安になるくらい、お前らはべったりだったんだよ」 「三好」 「いい機会じゃねえの?この際、海堂にも、新しいクラスになじんでもらう」 「海堂の……クラス」 確かに、朝も昼も自分のクラスに来ていたら、新しいクラスには慣れないだろう。その分、3―Bには異様になじんでいるのだが、それはまた別。 「そうだな」 高遠が呟いた時、ホイッスルの音が響いて、グラウンドの真ん中に集合がかかった。 放課後、いつものように高遠は、海堂が来るのを待っている。 一緒に海堂の家に帰って、トラノスケの散歩をし、そして自転車で自分の家に帰るというのが高遠の日課。 ところが、今日は様子が違った。 バタバタと足音たてて駆けて来た海堂は、高遠を見るなり 「わりい!高遠」 両手を合わせた。 「俺、今日用事できた」 「用事?」 高遠は、驚いた。 そんなこと、今まで一度だってあっただろうか? 「うん、それで帰り遅くなるから、わりいけど、先、帰ってくれ」 「……ああ、わかった」 「んじゃ、また明日な」 再びバタバタと海堂は戻っていく。 高遠は、一人残された。 (用事って、何だ?) 海堂の家まで帰る道が、やけに遠い。 自転車を置いているから、海堂の家に寄らないわけにはいかない。 しかし、海堂がいないのに、自転車の為だけに行くというのは、むなしかった。 (なんだかなあ) 海堂の家の玄関前で自転車の鍵を外し、二階の窓を見上げる。当然、その部屋の主は帰っていない。 トラノスケもあの中で寝ているのだろう。 (散歩、どうすんのかな……) 海堂が一人でするのだろうか。言ってくれれば付き合うのに。 しばらく眺めていたが、仕方ないのでペダルに足をかける。 (……落ち着かない) もう一年近く毎日のように続けたトラノスケの散歩。 それが無いというだけでも、几帳面な高遠は落ち着かない。 自分の家に向かうつもりが、いつものトラノスケの散歩コースに向かってしまった。 いつもの空き地で、自転車を止め、ブロックに腰掛ける。 四月にしては肌寒い日で、ブロックはひんやりと冷えていた。 (待ってようかな) たぶん、いや絶対、海堂はここに来る。トラノスケを連れて。 そうだ、その時、訊けばいい。今日の用事と言うのも。 高遠は、そのままブロックに座ってぼんやりと海堂を待った。 受験生なのだから、英単語の一つでも覚えながら待っても良さそうなものだが、そこまで勤勉でもない。 何となく、空を見上げて、そのままゴロンと仰向けになった。 背中がひんやりした。 空が低い。 (雲が厚いんだ。雨になるかな……) そのまま、ついウトウトしていたら、顔に水滴があたった。 「げ、雨だよ」 慌てて起き上がる。 (海堂、どうしたのかな) 見渡したけれど、それらしき姿は無い。いや、来ていたらまず起こしてくれたはず。 春らしい、しっとりとした雨にシャツを湿らされ、高遠は慌てて自転車に乗る。 そして、真っ直ぐ帰ればよかった。 そこからなら自転車飛ばして十分ほどの自分の家に。 けれど、海堂のことが気になって、わざわざ回り道をした。 (さすがに、帰ってきてるだろう) その結果、海堂の家まで来て、あまり見たくないものを見た。 (笠?) 高遠は、驚いた。 偶然にしては出来すぎているが、二郎が海堂の家から出てきたところ。 腕にトラノスケを抱いている。 (何で?) * * * 次の日の朝、高遠は風邪で熱を出した。雨に濡れたのがまずかったのか、それとも空き地の転寝か?おそらく、その両方。 「珍しーい」 姉、ユキが笑う。 「あんたが風邪ひくなんて、さすが、今回の風邪は悪質だわ」 高遠は、だるい身体で体温計を見つめ、そういえば、三好もそんなこと言っていたなと思った。 「学校には、休むって言っておいてやるわよ」 「学校もなんだけど、海堂んとこにも、今日いけないって電話しといて」 「ああ、そうね」 姉が階段を下りていく音を聞きながら、高遠は布団に潜り込んだ。 昨日の夜のことを思い出すと、頭がぼんやりしてしまうのは、熱のせいだけではない。 高遠の目の前で海堂の家の玄関から現れた笠二郎は、トラノスケを抱いたまま門を出た。 その後ろを海堂が追いかけるように出てきて、二郎の腕の中のトラノスケを撫でると、何か二言三言会話して、玄関に戻って行った。 二郎はその海堂の背中をしばらく目で追って、そして駅の方向に向かって歩いて行った。 高遠は、少しはなれた場所からそれを見つめたまま動けなかった。 (なんで、笠がトラノスケを連れて行くんだ?) 海堂にとってトラノスケは、なにより大切にしているものだ。 高遠だって預かった事などない。いや、預かろうとした事もないのだが。 ともかく、そのトラノスケを二郎が連れ帰っている。 トラノスケも、二郎の腕の中で安心したように眠っている。 海堂が、二郎を見送った時の笑顔も、胸に突き刺さった。 そして高遠はその場から動けず、結局、落ち着かない気持ちを抱えたまま雨の中家に帰ったのだ。 (なんで、トラノスケ……) 自分達二人のトラノスケだと思っていたのに。 布団の中で、何度目かの寝返りをうったとき、下から、大きな声が聞こえた。 「高遠っ」 海堂の声だ。 高遠は、はっと目を開けた。 ダンダンと階段を駆け上がる音がして、襖を開けて海堂が飛び込んでくる。 人の家などおかまいなしだ。 「高遠、大丈夫かっ」 「……海堂」 海堂は、高遠の寝ているパイプベッドの脇にしゃがみこんで心配そうに顔を顰めた。 「風邪ひいたって」 「あ、うん、ちょっとな」 「熱、あるのか?」 海堂は高遠の額を触って、 「ちょっと熱いな」 と言った。 その掌の感触が気持ちよくて、高遠は小さく息をついた。 そして、いきなり気がつく。 「海堂、お前、学校」 「ん?ああ、いいよ。ちょっとくらい遅刻しても」 「ちょっとじゃねえだろ」 高遠は起き上がる。 「起きるなよ」 海堂がその肩を押さえつけた。 「だって、時間」 電車遅延ですら落ち着かない高遠にとって、この時間に海堂がここに居るという事実は、焦るのに充分だった。 海堂は、そんな高遠に天使の笑顔を見せる。 「大丈夫。遅くなる事、上手く言っといてもらうよう頼んだから」 高遠の脳裏に、笠二郎の顔が浮かんだ。 「それ、笠に?」 「ん?」 「笠に、頼んだのか?」 海堂が今、自分のクラスで一番仲が良いのは―― 「うん、そう」 「そっか」 高遠は、改めて横になった。 何だか、ぐったりする。熱も上がっているのかも。 そして、高遠は、昨日のことを思い出す。 「あのさ、海堂」 「なに?」 「…………」 高遠は言葉を捜したが、上手く見つからない。 「なんだよ、気分悪いのか?」 海堂が心配そうに覗き込む。 「いや、その……トラノスケ……」 「トラノスケ?」 「元気か?っていうか、俺、散歩、今日、付き合えないし……」 海堂の口から、トラノスケのことを話してもらいたかった。 『ああ、あいつ、今、預けてんだよ』 これこれこういう理由で、と。 話してもらえれば、きっと大したことじゃないはずだ。 高遠は、海堂の言葉に期待した。 ところが、その海堂は、一瞬わずかに表情を変えたけれど、 「うん、別に、変わりないぜ。散歩だって、俺がちゃんとするから大丈夫。高遠は、早く風邪治せよ」 そう応えただけ。 高遠はその言葉に、少なからずショックを受けた。 (海堂が、嘘をついた?) 海堂は、外道なところはあるけれど、嘘はつかない。少なくとも、高遠には、今まで一度だってそんなことは無かった。 いつでも真っ直ぐ。天真爛漫。傍若無人。裏表なし。 その海堂が――― (嘘をついている) 高遠の性格では、落ち込むには充分だった。 本当なら、自分が遅刻するのも構わずに――いや、もともと海堂はそんなこと気にする性格ではないのだが――高遠を心配して飛んできたことに感激するべきこの時に、高遠は、海堂の『嘘』で落ち込んでしまった。 額に手を当て、汗を拭う。目をつむると、海堂が心配そうな声を出す。 「大丈夫か?」 「あ、うん」 高遠は、海堂を見て力なく笑った。 「うつるといけないから、もう行けよ」 「……うん」 海堂は、少し名残惜しそうな顔をしたが、立ち上がった。 「また、帰りによるぜ」 「いいよ、無理すんなよ」 「無理じゃねえって」 「そっか」 「じゃ、またな」 「うん」 海堂が襖の向こうに消える。 高遠は、海堂が『帰りによる』と言ってくれたのが嬉しかったが、それでもトラノスケのことは小さな棘となって胸に刺さったままだった。 |
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