都立和亀高校。
四月になって三年に進級した海堂と高遠は、予定どおり別々のクラスになった。
―――なったのだが。
「高遠、一時間目数学?」
「うん」
「ふうん、俺、漢文」
「そうか……」
「漢文の平原さあ、サムイんだぜ。こないだ最初の挨拶でなんて言ったと思う?」
海堂は、机に頬杖ついて高遠を見上げる。
『漢文なんて、ちんぷんかんぶんとか言わないで下さいね』だってさ、言うかよなあ、そんなオヤジギャグ」
「海堂……」
「んっ?」
「そろそろ……」
高遠が言葉を濁すのを受けるように、海堂の後ろから声がした。
「そろそろ、自分の教室にもどれ、海堂」
「んあ?」
頬杖ついたまま見上げると、数学教師宮田が立っている。
「その平原先生が、待ってるぞ」
海堂が頬杖をついていたのは、高遠の机。
「げっ、もう来た」
「もう、じゃないだろ?何でお前は、いつもこのクラスにいるんだ」
「いつもじゃねえよ」
海堂は渋々立ち上がる。
その明るい色の髪をぐしゃっと掴んで、宮田は海堂を教室の外に押し出した。
「ほらさっさと自分の教室に行け」
「ういっす。じゃ、また後でな、高遠」
「あ、ああ」
笑いながら手を振る海堂に、高遠はひきつった笑顔を見せながら思った。
(俺も、もうそろそろ慣れてもいいはずなんだけどな……)


クラスがえがあって別々のクラスになってからも、海堂は毎朝のように高遠のクラスに来ていた。変に理解のある友人達のおかげで、海堂が3―Bの教室にいても、だれも何も言わないどころか、高遠の机の横には『龍之介シート』という椅子が出来たほどだ。

『和亀高校の名物カップルをクラスがえなんかで引き離すな!!』

このスローガンのもと皆が協力してくれている。高遠と海堂ペアは、今や保護される天然記念物のような存在だった。

今も、出て行く海堂に、皆が拍手を送らんばかりだ。
「また来いよ」
「昼は弁当なら、机、作っておくからな」
「おう、サンキュー」
都立和亀高校、変な風に平和な学園だった。いや、学園じゃないって。


「また、高遠くんのとこ、行ってたの?」
ジル川原が、綺麗に整えられている眉をつり上げて海堂を見上げる。
なんと、ジルと海堂は私立文系クラスで一緒。四月になったばかりの今は、カ行つながりで偶然席までとなりだった。
「お前に、関係ねえよ」
「そりゃ、そうだけどね」
漢文の教師平原は、遅れてきた海堂を注意する事も無く授業を続ける。
注意した事はあるのだが、そのときの海堂のキレっぷりに一回で懲りてしまったのだ。
ふと、海堂は視線を感じて、首を廻らせた。
教室窓際一番後ろついでに言うと掃除用具入れの前、という何となく海堂にとってデジャブを感じるその席に、見知らぬ男が座っている。
いや、見知らぬというのは嘘だ。
その男は――
「地蔵!!」
海堂は叫んだ。
「あっ、やっぱり龍之介くん?」
その生徒は嬉しそうに立ち上がった。
教室中の視線が集まる。
平原は、何も見ないふり。
「何?あんた、転校生知ってんの?」
ジルが、海堂にむかって唇を尖らす。
「転校生?」
海堂が目を見開く。長い睫毛の下の大きな目が零れそうになる。
その顔を見て、地蔵と呼ばれた彼は嬉しそうに笑った。


「笠地蔵?」
高遠が、首をかしげる。
「あ、いえ、笠二郎(りゅう じろう)です」
海堂のクラスに転校してきたその彼は、海堂が一年のときいた高校の同級生だった。
「でも漢字で書くと笠地蔵に似てるから、ずっと地蔵って呼ばれてたんだよ、なっ」
海堂が笑うと、二郎は
「転校先では、そのあだ名と縁を切りたいって思ってたんだけどね」
初日から『地蔵』が定着して、ちょっぴり悲しそうに笑った。
「ふうん」
高遠は二郎をしげしげと眺めて思った。
(見た目は、地蔵って感じじゃない)
高遠ほどではないけれどすらりとした長身に、日に焼けた健康的な顔、地蔵と呼ばれるのは気の毒なくらいに整っている。
「で、こいつまだ友達いないから、昼飯、俺たちと一緒に食べたいって」
海堂が無邪気に言う。
「でも、だったらなおさら自分のクラスで食べた方がいいんじゃないのか?」
高遠は、思ったまま口に出して、しまったと思った。
二郎の顔が曇ったのだ。
「……おじゃま、ですか?」
「えっ?いやっ、そんなことないよ!」
高遠は慌てて否定する。
そんなつもりは無かった。まだ友達がいないというから、自分のクラスで食べた方が早く仲のよい友達を作れると思っただけだ。
(でも、今の言葉は確かに、ジャマするなと聞こえたかもしれない)
小心者らしく焦る高遠。
「ごめん、気にしないでくれ。一緒に、食おうぜ」
けれど――
「そうだよ。気にすんなよ、地蔵」
二郎を見上げて笑う海堂を見た時、ちょっと妬いてしまったのもまた事実だった。



翌日、海堂と高遠が並んで登校していると、二郎が声を掛けてきた。
「おはよう、龍之介くん」
「よお、地蔵」
「おはよう、笠くん」
二郎は、ごく当たり前の様子で二人に並ぶと、下足箱までの道を一緒に歩いた。
「龍之介君、リーダーの宿題やった?」
高遠は、二郎が海堂のことを龍之介と呼ぶのが、ほんの少し気になっていた。昨日の昼も、二郎は、海堂のことを『龍之介くん、龍之介くん』と呼び続け、二人しかわからない前の学校の話を続けた。高遠は、相槌を打つくらいしかできない。
以前、ディズニーランドで海堂とデートした際、偶然会った同級生と話をしたときも、似たようなシチュエーションだったが、あの時と明らかに違うのは、二郎が海堂に向ける好意があからさまであること。
海堂を真っ直ぐ見て嬉しそうに笑うその顔が、どこか忠犬が尻尾を振っている様子を思わせる。
「リーダーは、前の学校とテキスト違うの使っているから、どうしても慣れないんだよね」
「俺の教科書、訳、書き込んであるぜ」
海堂が自慢げに目を見開いて眉を上げる。
「ちょいと持ち上げて、麻里絵にやらせたんだ。あいつ、単純なとこあるからな」
ケケッと笑う海堂に
「ほんと?龍之介くん、写させてよ。僕、何となく今日、あたりそうなんだ」
二郎がすがる真似をする。二郎の方が大きいのだが、何だか甘えているようにも見える。
「いいぜ」
「らっきーvv」
二人の会話を聞きながら、高遠はほんの少し疎外感を感じる。
自分のクラスでは、今日は、英語は無い。

「あ、そしたら。今日は俺、真っ直ぐ行くから」
海堂が高遠を見上げる。
「え?寄ってかないのか」
「うん、だってリーダー、一時間目だもん」
「そっか」
「じゃ、また昼休みな」
海堂は自分の靴をしまうと、廊下を右に歩いて行った。二郎がそれに続く。
高遠のクラスは左。
高遠は自分の右肩がやけにスース―する気がした。

「あれ?どうした?今日は海堂来てないのか?」
三好が顔を覗かせて、驚いた声を出す。眉間にしわを寄せて呟く。
「今の風邪は悪質って聞いたけど、まさか、あいつが……」
「いや、来てるよ」
高遠が、遮る。
「来てるけど、宿題がどうとかで」
「宿題〜?あいつが?!」
三好は、大袈裟なくらい驚いて見せた。
「やっぱ、どっかおかしいんじゃねえの?」
「いや、なんていうか」
高遠は、三好の誤解を解こうとしたが、どこから話していいかわからない。
昨日の3―Eの転校生の話は、まだ三好の耳には入っていなかった。いや、転校生が来た事までは、薄ぼんやりとは聞いていたが、それが海堂の古い友人とまでは知らなかったというところ。
「海堂に借りてた漫画返しに来たんだけど、Eまで行くのは遠いな」
三好のクラスは3―A。高遠は3−Bだ。
「俺、預かっとくよ、どうせ昼来るし」
「そっか?さんきゅー」
「あ、あのさ」
「うん?」
「お前も、昼、ここに来て食わないか?」
「……いいけど。あいつが嫌がるだろ?」
自分と高遠が二人きりの時に、三好が入ってくると、海堂は剣呑な顔を隠そうとしない。
それでいて、三好とも仲はいいのだ。
『でも、それとこれとは、別だぜ。朝と昼は俺たち二人だけの時間だから、ジャマすんな』
海堂は、三好に宣言していた。
「うーん、いいんだよ」
また、三人で昨日のような昼だと思うと、ちょっと気が重い。
せめて三好がいてくれれば、話題も分散するだろう。
高遠は、そう考えた。
その高遠の顔を見て、三好は片眉を僅かに上げた。
「わかった。じゃあ四時間目終わったら、パン買って来るぜ」
「ああ」


そして昼。
「笠地蔵?」
三好が首をかしげる。
「あ、いえ、笠二郎です」
「でも漢字で書くと笠地蔵に似てるから、ずっと地蔵って呼ばれてたんだよ、なっ」
海堂が笑う。
「転校先では、そのあだ名と縁を切りたいって、ずっと思ってたんだけど」
(デジャブ?)
高遠は思った。




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