《球技大会》


放課後の教室。球技大会の練習を軽くやった三好と上田が帰ってくると、海堂が自分の席で右腕のギブスに顎を乗せるように突っ伏して寝ていた。
「あれ?海堂、一人か?」
意外そうに訊ねる三好に、海堂は顔をあげて起き上がった。
「ああ。高遠、今、明日の大会の準備で藤本に呼ばれてんだよ」
「それで、一人で待ってるのか?成長したな」
三好が海堂の頭をぐりぐり撫でる。海堂はそれを鬱陶しげに左手で振り払いながら
「な、んだ、よっ」と露骨に嫌そうな顔をする。
「マテが出来るようになったから、ご褒美だ」
三好がポケットから飴玉を取り出して海堂の左手に落とす。
「犬じゃねぇんだから」
海堂は眉間にしわを寄せ文句を言いつつも、素直に飴はもらって口に入れる。
「この間までマテが出来ずに、高遠の後ろをずっとくっついてた犬っコロだったじゃねぇか」
三好が目を細めて口の端で笑うと
「ああ」海堂は少し顔を赤らめ横を向いて
「ちょっとあの頃はジョーチョ不安定だったんだよ」と、唇を尖らせた。
「ほお」
「お前なんかの言葉に動揺したくらいだからな。自分でキャラ、履き違えてたぜ。ここにきてやっと俺は自分を取り戻せた」
多分に照れ隠しもあるのか、吐き捨てるように言った。左手の拳を固く握り締めて。
三好はなおもニヤニヤ笑いながら
「お前からジョーチョなんて言葉を聞くとはな。どうせ漢字じゃ書けないだろ。ま、どうでもいいけど。今は情緒安定したってんなら、よかったぜ」
修学旅行で自慢の『黄金の右腕』を骨折し、思うようにならないイライラから高遠に甘えたり我がまま言ったり、またそれで落ち込んだりの毎日だった海堂だが、このところ落ち着いてきた様子。
(もうすぐギブスが取れるからってのもあんだろうけど、高遠が精神安定剤として機能してんだろうな)内心ホッとする三好だった。
「三好たちは、もう練習終わったのか?」
三好のラケットを見ながら訊ねる海堂。
「ああ、明日本番だからな。今日は軽くでやめといた」
「僕も、三好君のおかげで結構上手くなったんだよ」
と、上田は相変わらずの坊ちゃん顔でニコニコとラケットを振る。
明日の球技大会、三好と上田はそれぞれテニスにでるのだ。
「ふうん。そうだ。明日の試合にすっげぇ役に立つ魔球おしえてやるよ」と、海堂が突然身を乗り出す。
「魔球?」そういう話の大好きな上田の目が輝く。
海堂が机の中からちびた消しゴムを出すと、それをボールに見立てて解説し始める。
「いいか?普通、ボールは打ったらこう飛んで行って、こうバウンドするだろ?」
指に握った消しゴムを机の上で一回バウンドさせて右から左に移動させる。
「うん」
上田が頷く。三好も覗き込んで見ている。海堂は重々しい顔で
「ところが、その魔球はワンバウンドしたときに、こっちに行かないで、真っ直ぐ上に跳ねあがるんだ」
左指に持ったまま消しゴムをバウンドさせて垂直に上げる。
「だから、打ち返そうにも、自分の顔にむかってボールが来るから、絶対打ち返せねぇんだよ!」
「すごいっ!海堂くんっ」興奮して叫ぶ上田。
三好も興味深げに眉を上げて
「で、どうやって打つんだ?」
「いや、俺も『ジャンプ』で読んだばっかだから」
「って、漫画じゃねーかっつ」
三好がおもいきり、海堂の頭をはたいた。

魔球といえば、ここ体育館でも一人の人物が魔球作りに励んでいた。
ジル川原。明日の球技大会の参加種目はテーブルテニス。いわゆる卓球だが、ジルの美意識が卓球というなんとなくチープな言葉を許さないので、全て『テーブルテニス』と書き換えられている。
「いくわよ。横山っ!分身魔球。たあっ」
ジル川原がサーブを打つ。
ココンッ
「あっ、分身したっ!タマが二つに見えますっ」
反対側で構えていたお取り巻きの横山。
コンコンコン……ピンポン球が転がる。
「っていうか、ほんとにタマふたつありますけど」とピンポン球を二つ拾い上げる横山に
「当たり前じゃない。タマふたつ打ったんだから」
ジルはその秀麗な眉を吊り上げる。
「たぶん反則ですよ」
「そうかしらね。それより『タマふたつ』って連呼するのが下品だから、この魔球、却下」


* * *

そのころ夕暮れの生徒会室では、明日の球技大会のトトカルチョ集計が行われていた。
といっても、今までのトトカルチョと同様、事前に投票されたものはその都度生徒会室のパソコンにインプットされているので、締め切りの今日届いた分だけ入力すればいい。
たいした作業では無いということで、珍しく生徒会長兼トトカルチョ実行委員長の本田が一人でやっている。銀縁の薄い眼鏡の下の目がパソコンの画面を追う。
新聞部部長の牧野篤弘がその様子を覗きに来た。本田とは幼稚園からの幼なじみ。
「どうだ?秀一。集計は終わったか」
「ああ、あとこれだけだ。すぐ終わる」
「今回はどれくらい賭けに参加しているんだ?」パソコンの画面を覗きながら牧野が訊く。
「400人弱だな。和亀祭や体育祭に比べると、いまひとつ……華が無いからかな」
「華ねぇ。あ、そうだ。明日のトーナメント表、もう出てるのか?」見せてほしいと言う牧野の言葉に、本田は立ち上がって
「ああ、あっちに届いているよ」と、足を踏み出した拍子につまずいてしまった。
「あっ」
「おっと」
牧野の腕が本田をささえる。
よろけて、牧野の腕の中に倒れこんだ形となってしまった本田の顔に一瞬血がのぼり、次の瞬間、倍の速度で引いていった。
「どうした?秀一」
本田の腕に手を廻したまま、顔を覗き込む牧野。
本田は血の気を失ったまま、そろそろと自分の足元を見る。
自分が今引っ掛けてしまったらしいコンセントが抜けている。おそるおそるデスクトップのパソコンを見ると、画面が暗くなっている。
「うそ」
本田の、日ごろめったに動揺しない、整った顔がゆがむ。
その言葉に牧野もパソコンを見て
「消えたのか?」
本田は信じられないものを見るような顔で頷いた。
牧野は片手を軽く口元に当て、少し考えた様子だったが、にっこり笑って言った。
「大丈夫だよ。僕も手伝うから、一緒に入れ直そう」
「ばかな、400人のデータだぞ。一晩かかる」
本田はわずかに身長の高い牧野をきつい眼差しで見上げる。
「嬉しいな。秀一と一晩中一緒だなんて、光栄だ」
愛しげに目を細めて微笑む牧野。
本田は再び頬に血を上らせて牧野を見つめた。
「アツヒロ……」
その呼びかけに応えるように牧野の手が静かに本田の肩に廻された。そのままゆっくり引き寄せる。
「お疲れ様デース!」
トトカルチョ実行委員二年代表坂本が元気良くドアを開けて入ってきた。
電光石火の早業で本田が牧野を突き飛ばす。おそらく0.8秒。
机によろけている新聞部部長の姿に驚きつつ、坂本は脳天気な声を出した。
「なにやってんですか、牧野先輩?」
そして、パソコンの画面に目をやって
「あー。電源切っちゃって。あ、ひょっとして牧野先輩がつまずいて?」と、ニヤニヤ笑う。
「あ、いや、それは僕が」
幼馴染で親友といえども、自分の罪をきせる訳にはいかない。慌てて本田が自首すると
「へ?本田先輩でもそんな失敗するんですか」と、坂本は嬉しそうに笑って、コンセントを差し込むとパソコンを立ち上げなおした。
引き出しからフロッピーを持ってきて差し込む。
「何、してるんだ?」
怪訝そうに訊く本田に
「だって、落としちゃったんでしょう?今日の分、また入れるんですよね?」坂本は逆に不思議そうに訊き返す。
「そのフロッピーは?」小声で訊ねる本田。
「昨日までのバックアップですけど?」何を言ってんだろ?といわんばかりの表情で応える坂本。
(バックアップとってたのか。そうか、そうだな)
そのひそかに安堵する本田の表情を盗み見て、喰えない男牧野篤弘は小さく舌を打った。



* * *

高遠は明日のバスケットの対戦表をもらって教室に帰ってきた。
クラス対抗のトーナメント戦で、高遠のクラスは第一回戦で1−Aとあたる。
一年から三年まで15クラス、ハンディ無しなので、一回戦の相手が一年か三年かではその後の勝ちあがりに大きな影響があるが、まずこのカードはラッキーだったといえる。
「ごめん。プリントもらってて、遅くなった」
「あ、お帰り、高遠」
海堂が立ち上がる。見えない尻尾がパタパタと振られている。
三好と上田も振り返って、
「おっ、対戦表か?俺らのテニスもある?」
「ああ」
担任の藤本先生から預かったプリントの束を渡す。
「見せて見せて。うひゃ、2−BのAって僕だよね。相手三年生だぁ」と、上田が大きな声を出す。
一緒にプリントを覗き込んでいた三好が
「俺、一年だ。上田、代わってやろうか」
「ほんと?」
そんな三好と上田のやり取りを見ながら
「あーっ、やっぱ俺も、何でもいいから出たかったなー」と、ふくれる海堂。
高遠は困ったように微笑むと、
「もうすぐギブスも取れるんだし、あと少しの我慢じゃねぇか」
そっと海堂の右腕に触れる。
その高遠の顔を見上げて、海堂は
「大丈夫。言ってみただけ」
ほんの少しだけ切なそうに、ふんわり笑った。


「明日の設営準備で、体育館に行かないといけない」と言う高遠に、三人もついて行った。
体育館は、中央のコートはバスケットやバレーボールをする生徒で賑わっているが、入り口近い一角には、卓球台が縦に二つ並べられていて、そこでも何人かの生徒が練習をしている。
ジル川原は、魔球創作に飽きたわけではないが、人が増えてきたのでパイプ椅子に座って他人の練習を見ている。お取りまきに腕を揉ませながら。
(魔球は、秘密じゃないと魔球じゃないものねっ)
人目を意識しつつ上品なしぐさで汗を拭いているところに、海堂たちが入って来た。
「あら、海堂龍之介。ひさしぶり」
ジルが声をかける。永遠のライバルと意識しながら、修学旅行以来突っかかる機会が無かったので、ちょっぴり嬉しいジル川原。
「なんだ、お前、卓球にでんの?」
たいして興味なさげに訊く海堂に
「テーブルテニス」
ジルが眉を吊り上げて訂正する。
「あ?」海堂もおもむろに眉を寄せると
「テニスじゃねぇだろ?そんなシャモジみたいなラケットで」
「だから、テーブルテニスだってばっ」
「卓球とどこが違うんだよ」
「卓球のことをテーブルテニスっていうのよ。あんた馬鹿?」
「じゃ、卓球でいいんじゃねぇか」
「うっ」言葉に詰まるジル。
「何言ってんだ、お前」
海堂が勝ち誇ったように見下してほくそえむ。
ジル川原、口喧嘩では向かうところ敵無しだったが、海堂相手には分が悪い。何しろ海堂は全てにおいて向かうところ敵無し男、直近のあだ名は『アルマダ』だ。
「な、なによっ、腕、怪我して出れないくせにッ」
《口喧嘩に負けそうになる人間は、必ず別の何の関係も無い話題を持ってきて言い返す》Byマーフィーの法則(うそ)
海堂がじっと川原を見る。

「ふふん、悔しかったらその腕で、明日球技大会出てみればぁ」
ジル、顔をひきつらせながらも懸命の応酬。
「……そうか」
宙を睨んで低くつぶやく海堂。
「いやーっ、やめてっ。ぶたないでっ」
慌ててパイプ椅子から落ち、顔を両腕で隠して床にしゃがみこむ川原、既にとことん負けている。
その川原を無視して海堂は、生まれて初めて言葉を知ったヘレンケラーさながらに宙を見つめ唇を震わす。
自然と、皆の視線が海堂に集まる。
う、うぉ、うぉーたぁー。うそです。
「そーなんだ」と、海堂は叫んだ。
「海堂?!」
驚く高遠、三好。ちょっと怯える上田。しゃがんだまま顔をひきつらせる川原。
「そうだよ。別に片腕でも、出れねえわけじゃねえじゃん。」
海堂、嬉しそうに目を輝かせて明るく言い放った。
「俺、明日出るぜっ」
「か、海堂、出るって、何に出るんだ?」
高遠は驚き慌てる。
「んー。やっぱ高遠とおんなじバスケ?」
人差し指を顎に当て、てへっと笑う海堂は可愛い。あまりに可愛くて高遠も思わずうなずきかけるが、ちょっと待て。
「な、何、言ってんだよ。ギブスなんかして、バスケができるわけねぇだろっ。第一、危なくで誰も近づけねえよっ」
高遠の言葉に、海堂は
「ふっ、だったらなおさら有利じゃねぇか」
久し振りに外道の笑いを見せた。
「ばかいうなっ」
と慌てる様子尋常でない高遠を横目で見つつ、三好も、腕を組んで眉間にしわをよせ冷静に言う。
「海堂、お前、いくらなんでも左手一本でバスケットのボール取るのは無理だろ」
「ふっ、俺の左腕を見くびってもらっちゃ困るぜ」
海堂は睫毛を伏せて薄く笑い、自分の左の袖を、口を使って器用にめくり上げる。
「これを見ろっ!」
(まさか、大リーグボール養成ギブス!?)
「……と、思ったらただのアームバンドかぁ」
三好がちょっとがっかりした声を出す。何を期待しているのか。
「ただの?アームバンド?……だったらちょっとはめてみな」と、海堂が左腕を差し出すので、はずして持ってみた三好がウッと目を見開く。
「お、重い……」
ふふふん、と自慢げに笑う海堂。
「黄金の右腕が使えねぇから、この際左腕を鍛えるチャンスだと思うようにして、この間からはめてんだよ」
なんというポジティブシンキング!ミス・ミナコ・サイトー!(いや、こいつらだれも知らないって)
「まさに、ふりかけの一振り一振りにも血と汗と涙が滲む毎日だぜ」
「そりゃ嘘だろ」一応、突っ込む三好。
高遠はこの成り行きについていけず呆然としていたが、ハッと気づいて海堂に向かうと強い口調で言った。
「だめだ、海堂。どんなに鍛えていたって、バスケってのはチームでやるもんだ。ギブスをはめたお前が入ってきたりしたら、チームの奴らも気を使って動けなくなるだろ。絶対だめだ」
「高遠……」
高遠のいつにない強い口調に海堂もひるむ。
しかし、長い睫毛をゆっくり瞬かせて瞳を潤ませて高遠を見上げた。
薄く開かれた桜色の唇の間からチラリと白い前歯が覗く。アルマダ海堂《対高遠オンリー》の得意の表情。
「だって、俺、高遠と一緒にボールを追いたいんだよ」
左手で高遠の腕をそうっとやわらかく握る。
「それは……俺だって……でも、ダメだ、海堂」
じっと見返す高遠が、もう片方の手を、自分にすがる海堂の左手に重ねる。
「高遠……」
海堂、瞳ウルウル。
と、盛り上がったところで、お約束の邪魔が入る。
「もー、いちゃつくんなら他所でやってよねっ」
無視されていて機嫌の悪い川原。
高遠、海堂、三好はじめ全員の目が川原に、そして腰に手を当てて立つその川原が握る、シャモジのようなラケットに集まる。
「…………」
「あー、片手でも出来そうな種目が一つだけあったな」呟く三好。
「でも、左じゃ、バランスが……」川原のラケットを見つめたまま応える高遠。
「この際、出られるんならなんでもいいか」と、海堂。
「よし、明日俺、卓球に出るぜ」
「テーブルテニスよっ、ってゆうか、あんた選手登録してないでしょっ」
川原が甲高い声で海堂に向かって叫んだ。
「いいじゃないか」後ろから声がした。
振り返ると、生徒会長本田秀一が立っている。新聞部部長牧野篤弘も一緒。データ入力は無事終わったらしい。
「都立和亀高校二大美少年のテーブルテニス対決。華がある話じゃないか」
嬉しそうに微笑む本田。隣の牧野に向かって
「新聞部としても、最高の話材になるだろ?」
「確かに」
「え?じゃ、俺、出てもいいの?」
瞳をキラキラさせる海堂に、本田はにっこり笑って
「もちろんだよ。生徒会の権限で、選手登録してあげよう」
「ちょっとお、ずるいじゃない」と、ジル川原。
本田が川原に微笑む。
「きっと、川原くんと海堂くんの試合は話題になるね。そうだ、ユニフォームも二人だけ準備してあげよう。『テーブルテニスの王子様対決』だからね」
略して『テニプリ対決』でも、この場合のテはテーブルのテ。
テニプリ対決と聞いて、川原も後には引けなくなった。二人だけ特別のユニフォームというのにも心惹かれる。
(どうせ、海堂、利き腕は使えないんだしね)
川原には、自信があった。
「わかったわ。僕の永遠のライヴァル海堂龍之介。明日は勝負よ!」
手にした卓球ラケットを海堂の顔面に突きつけ、お取りまきを引き連れ、颯爽と引き上げていく。
川原の挑発もなんのその、球技大会に出られるというだけで嬉しそうな海堂。それを見て高遠も幸せな気持ちになるが、心配性の性格でつい訊ねてしまう。
「あの、本田先輩。生徒会権限といっても、他の選手もいるのに、大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫。卓球って人気無いから、元々選手登録してるの少ないんだよ。ともすれば、そんなのあったっけ?で終わりかねないから、こういう話題は大歓迎」
言われてみれば、高遠たちも今日までその存在を忘れていた。
「よーし、じゃ、今日から毎日特訓だー!」と、はりきる海堂に高遠が苦笑して
「今日から毎日、って、今日しかないんだよ」



* * *

球技大会当日。
生徒会は約束どおり、テニプリ対決のユニフォームを持ってきた。
「ちょっとお、ユニフォームってこれ?」
温泉旅館の浴衣を着させられた川原が腰に手を当てて仁王立ち、甲高い声で叫んでいる。生徒会長本田が嬉しそうに
「似合う、似合うよ川原くん。やっぱりもとが良いと何を着ても似合うね。キュートだ」
傍から聞くとどうにも適当なことを言ってのせあげている。
「えー、そーかなー、ってゆーかぁ」
川原、急にまんざらでもなくなる。
新聞部の橘がシャッターを切りまくるのに合わせてポーズをとってクルクルまわる。

(のせやすいヤツ)
新聞部部長牧野の表面の穏やかな笑みに似合わない内心の呟き。

「腕、通んねぇから、これでもいいか?」
海堂が左腕だけ浴衣に通して、右手は懐手の状態でやって来た。卓球温泉と言うよりも、仁義なき戦いといった様子。浴衣を着せられたことには疑問をもっていないらしい。
「海堂くん。イナセだ!」と、本田。こちらも持ち上げるのに余念がない。
その本田がすっと牧野に近づいて
「どうだ。なかなか凝った演出になったろ?」
眼鏡の下の目を細める。
「王子様対決って言うから、ブルマーかと思ってたけどな」と、冗談で笑う牧野に本田は
「何を言うんだ、アツヒロ。卓球といえば、温泉。温泉といえば浴衣。酔っ払ったサラリーマンが頭にネクタイを巻くのと同じくらいお約束だよ」と真面目な顔で応えた。
(うーん。こういう秀一が好きなんだよね)
牧野は苦笑い。


ジルと海堂のテニプリ対決。普段は地味な卓球の試合場に結構な大人数が集まって来る。
午前中の第一試合。生徒会と新聞部の目論見としては、トーナメントの両端に据えて、決勝戦まで引っ張っていきたかったのだが、なにぶん他の選手達が嫌がった。
考えてみれば、この球技大会においては影の薄い、いや薄かった、この種目。地味なスポーツを好む、地味な選手がほとんどだ。温泉浴衣を着た派手な二人と衆人環視のもと試合したいと思う選手は稀だろう。
せめてどっちか一人にしてほしいと願う声と、そもそも途中でどっちか負けたらテニプリ対決は無いじゃないかというもっともな意見に従って、第一試合からプラチナカードとなった次第。
高遠、三好、上田はじめ2−Bの面々も自分たちの試合がまだ先なので応援にきているが
「海堂、ジル、二人とも、何で浴衣なんだ?」と、ちょっと愕然。
さて、どんなに大勢のギャラリーをしょっても動じないのが美少年の条件。ジルも海堂も周囲にかまわず決戦モードに入っている。
ジルこと川原は、プレイの始まる前の挨拶がわりにと、妖艶な微笑で話し掛ける。
「海堂、どうして僕のようなスーパー美少年が、テーブルテニスを、一部の人間からは卓球と呼ばれて馬鹿にされるような種目を選んだと思う?」
ちがうぞ、川原。馬鹿にされるかどうかはともかく、卓球と呼ぶのは一部の人間じゃない。ギャラリーの呟きは当然ジルには届かない。ジル、陶酔した表情でラケットを胸に抱くと
「それはね、僕が、テーブルテニスが、とてもとても得意だからなんだよ」と、深い睫毛の下の流し目で海堂を見る。
「箸より重いものは持ったことの無かった幼少時代。ピンポン球だけが、自由に遊べるボールだった。他のボールは箸より重かったからね。それに、テニスのラケットは重くて持てなかったけど、テーブルテニスのラケットの愛らしい大きさと軽さは僕の白魚の指にもしっくり合った」と、ラケットにすりすり頬擦りをする。当然ジルのマイラケット。
「だから、僕にはピンポン球(ボール)は友達だったのさ!」
今時信じられない台詞。心臓はまだ動いているのか?


川原の捨て身の告白は、どんなに自分が強いかをアピールし、精神的に動揺を与えるつもりで言ったものだが、海堂は無表情に一言
「で?」
「で? って…でって! だからっ、僕はすっごく強いんだから、利き腕を怪我しているアンタなんかに負けないってことっ」柳眉をキリキリ吊り上げて睨む。
海堂はフッと軽く笑って、川原に負けない深く長い睫毛を伏せると
「俺の利き腕がどうしたって?……俺が本当は左利きって、知らなかったのか」
ゆっくりとした上目遣いで凄味をきかせて笑った。
「う、うそ」川原の顔が青ざめ、眉根がよる。
「嘘に決まってんだろ。今まで何見てんだ。タァコ」吐き捨てる海堂。
「ムキ−ッ」
川原、精神的に思い切り動揺を与えられた。
「こうなったら、おしゃべりはやめて勝負よ」
「しゃべってたのは、てめぇだけだよ」
審判の存在を無視して、いきなり試合が始まった。


ジルのサーブ。すばやく手首をひねって返す独特の動きに、ギャラリーが目を見張る。白球は鋭角的な弧を描いて海堂のコートに落ち、海堂が合わせたラケットの面で大きく跳ねると後ろへと消えた。
「ふふふ」川原の目が得意げに細められる。
「へえ、やるじゃねえか」
海堂はちょっと眉を上げて、川原を見つめる。むしろ表情は嬉しそうにも見える。
「川原が、卓球が得意って言うのは嘘じゃねぇな」
三好が前を向いたまま高遠に言う。
「三好?」
じっと試合の始まりを見つめていた高遠が、隣の三好の顔をちらりと振り向く。
「今のサーブ見たろ?卓球ってのはボールに与える回転が勝負だ。上に回転するか、下に回転するか、右か、左かで、相手のラケットにあたってからの跳ねる方向が全く違う。だから、返すほうはそれを見極めてラケットの角度を変えないといけねぇんだが、川原のサーブはあの動きのために、手元で回転の方向が読めねぇ」
「三好。お前……」
(スポーツ漫画にありがちな解説をしてくれるギャラリーの役どころを心得てるんだな)
有難う三好。高遠は心で手を合わせる。何故か少し赤面して。
川原の第二サーブも同じように海堂のラケットを掠って、今度は逆方向に跳ねた。
「ふふふ、僕のサーブには手も足も出ないって感じね」
赤い唇の端をあげる川原。
「タァコ、今の二球は様子見だぜ。お前の球はもう見切ったっ」
「なんですってっ」
三度目のサーブが宙を唸る。
海堂のラケットが小気味いい音を立てて、その白球を川原のコートに跳ね返す。
「あっ」
まさか返って来るとは思わなかった川原は、一瞬遅れて、球を大きく打ち上げてしまう。
「チャンス!」
鋭い切り返しで、海堂のラケットが振り切られると、球は川原のコートの角にあたって、体育館の壁にぶつかって乾いた音を立てた。
「やるな。海堂」三好のつぶやき。「あのサーブの回転を見切るとは」
「ってゆうか、何で利き腕でもねぇのにあんなに器用に返せるんだ?」
高遠やや呆然。
「いや、あいつの場合、条件反射で身体が動いているだけだと思うぞ」
なにしろ、歩く条件反射、殴る脊髄反射(頭まで伝わってない)と呼ばれた男。
その後は、一進一退の激しいラリーが続く。
「卓球でここまで続くラリーを、かつて見たことがあっただろうか。いやない(反語)」と上田も猛烈に感動している。
高遠は、困った表情で見つめている。


「ええい、こうなったら、右腕攻めっ」
川原が海堂のギブスで固定された右腕の方を狙って返した。
海堂、打ち返せず。川原はニヤリと笑うと
「そこが死角ね」と再度同じ所を狙う。
「ふざけんな、二回も通用するかっつーの。顔攻めっ」
打ち返した球を川原の顔めがけて跳ね返るように回転させたバウンド。上手い具合に白球が川原の顔を打つ。
(これは!)
「すごい、海堂くん。あの魔球をちゃんとモノにしていたなんて」
上田が感動して涙ぐむ。
「この魔球をスネイクと名づけよう」
やめろ、上田。まんまパクリだ。
川原が唇を震わす。
「ぼ、僕の顔を狙うなんて」
ボールがあたったところがほんのりと赤く染まっている。
「ふっ、てめえの弱点はそこだからな」
嬉しそうにラケットを回転させる海堂。
「ふ、うっ、ふえーん」と、いきなり川原が泣き出す。
(うっ)
ギャラリーが固まる。
(これは、あ、愛ちゃん?!卓球少女、愛ちゃん!)
ラケットを握り締めて、両手を目に持っていき、ふえふえ泣いている川原。
(愛ちゃんだ。やっぱり愛ちゃんだ。でも何で今さら、愛ちゃん?)
ギャラリー全員が動揺する中
「すきありっ」
川原のサーブがうなる。
海堂、虚を突かれて動けず。
「愛ちゃん、嘘泣き魔球」勝ち誇るジル。
「ひきょーものっ」海堂が叫ぶ。
「アンタが僕の大事な顔に傷をつけたからよっ。えいっ。分身魔球スペシャルーっ」
川原が一度に十個の球を打つ。
カコカコカコカコカコカコカコココン。
「あっ、こいつ!」海堂の顔にもピンポン玉があたる。
「このヤロ、こっちも、もっとスペシャルにしてやるぜっ」
海堂も球を拾って連続して打ち返す。速球が顔に向かって飛ぶ。
「顔はやめてってばっ」ジルが顔をラケットで守りながら、叫ぶ。
いよいよ見かねた審判役の卓球部顧問、音楽教師鈴木が物言いに入った。
「き、君たち、いいかげんにしたまえ」

海堂と川原の動きが止まる。そのタイミングで、高遠がまっすぐ海堂の所に歩いていった。
「高遠……」なに?といった表情で見上げる海堂。
高遠は自分の着ていたジャージの上着を脱ぐと、海道の肩から掛けて小さい声で言った。
「たのむから、もうこのくらいにしといてくれよ」
「?」
よくわからないといった顔で首をかしげた海堂の耳元に、高遠は唇を近づけて
「こんなカッコ、他のヤツに見せたくねぇんだよ」と本当に小さく囁いた。
ふと、川原をみると、浴衣の前は肌蹴て、裾も広がり、短パンをはいているとはいえ、腰紐一本で止められているその姿は、犯されかけた町娘。
人の振り見て我が振り直せ。海堂の姿も相当危ない。
右手が懐手なだけに、上半身はもろ肌脱ぎに近かった。
「あー。ごめん、高遠」
海堂は素直に謝った。
「もう十分、楽しんだろ?」
そう言って、海堂に掛けた上着の襟元を合わせて、困ったように微笑む高遠。
その顔を見たら、まだまだやりたいとはとても言えない海堂だった。
「うん」と小さく頷いて、自ら試合を降りた。


川原に勝ちを譲ったのはちょっと悔しかったけれど、結局川原も、その後の試合は辞退したらしい。お互いあれで、十分楽しんだのかも。
その後の海堂の球技大会は、ひたすら高遠の応援。
1−Aとの対戦のとき、一年生側の応援席でじっと高遠を見つめる、富士万太郎と目が合った。
海堂はとりあえず左手の中指を立ててご挨拶。釘を刺すのも忘れない。
万太郎はひるまずニッコリ笑って返した。
(あいつ、諦めてねぇな)
海堂は、高遠に借りた上着をこれ見よがしに胸元で合わせると、思い切り大声で高遠の名前を呼ぶ。
ちょうどボールを受けた高遠が、驚いたように振り返る。
海堂と目が合い、輝くばかりの笑顔で応える。
海堂も花のような微笑を見せる。
三好は、呆れて自分の試合に向かう。
楽しい球技大会の一日。
                                 

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