《修学旅行》


「きょおとーぉ おーはら さんぜんえんっ♪」
「3000円じゃねーだろ」上田の鼻歌に三好が突っ込む。
「え?そうなの?じゃあ、いくら?」
上田が、その人の良い坊ちゃん顔でキョトンと聞く。ギャグではなかったらしい。
「いくらって言われても」
三好はガイドブックから顔を上げて眉を寄せる。
「京都なんだから一万円くらいはするよな。な、高遠」と、海堂が訳のわからない口を挟む。
「ってゆうか、何?その歌……?」
高遠には聴いたことも無い歌だったらしい。
2−Bの教室、五限目ホームルームの時間。来週に迫った修学旅行の準備をしている。
準備といっても、三泊四日の旅行中の自由時間にどこで何をするのか、班毎に若干のテーマ性を持たせて決めて、事前に教師に提出するというもの。
高遠、海堂、三好、上田の四人が同じ班。先ほどから、ガイドブックと京都マップを見ながら検討中。
「やっぱ清水寺に行くんだったら、その後は円山公園が無難だな」と呟く三好に、
「京都タワー行こうぜ」と、高いところに上りたがる海堂。
「京都タワー?あそこって、どうかなぁ」
海堂ファンの上田も京都タワーは今ひとつらしい。高遠は、海堂が行きたいのならどこでもいいのだが、できれば効率よく周りたいと思っている。
ふいに三好が、今更のように言う。
「でもよ、去年は北海道だったんだろ。何で今年は京都かな」
「なんでも、去年季節はずれの大雪で、先生はじめ何人か滑ってケガしたりしたみたいだよ。歩けない生徒も続出して、すっごい大変だったから、今年は安全策に出たらしいよ」と、上田は自分の知っていることを話せるのが嬉しそう。
「だからって、東京から京都に修学旅行なんて中学生みたいだよな。九州だってあるのに」高遠は苦笑い。それに、上田がまたまた嬉しそうに応える。
「でもね、その分、宿のグレード上げてるらしいよ。先生たちが職員室で話しているの聞いちゃった」
「ほお。でもそれって、引率する自分達が良いとこでゆっくりしたかっただけだろ」
三好は相変わらず鋭い。
学級委員の平野が前に出てきた。
「じゃ、そろそろ時間だから一度終わります。その用紙は、それぞれ各班の班長が明日の朝までに先生に提出してください」

ホームルームが終わっても、何となく決まらずにウダウダしている四人。
そこに、廊下から声がした。教室の戸口から中に身を乗り出したジルこと川原一美。
「高遠くんっ。旅行のスケジュール決まった?」
ジルは海堂のライバルの座に固執するあまり、好きでもない高遠に恋愛宣言したばかり。ところが、生来陶酔しやすい性格なので、すっかり高遠に入れあげている。今も何故か薔薇色に染めた頬に左手をあて、上目遣いで妖しく微笑みかける。
「僕、二日目は太秦なんだけど、高遠くんは?ぜひ僕の舞妓さん姿、見てほしいな」
ピクピクと海堂の頬が引きつる。けれども、すぐに手が出る喧嘩にならないのは、先日、高遠の口から『お前が好きなんだ』と言われた余裕か。ゆっくり振り向くと、わざと海堂スペシャル《極上の笑み》を見せて
「お前の舞妓姿なんか見たって、嬉しくねぇよ」と、吐き捨てる。
「ふふん。自分が日本髪似合いそうに無いからって、ひがまないでね」と顎を上げて見下すジル。
「たしかにお前のほうが日本人顔だよ」せせら笑う海堂。
「どういう意味?」ジル、切れ長の目がつり上がる。
高遠は蚊帳の外。
(この二人はこうやって俺をダシにして楽しんでいるのかも)
そう思うのも不思議は無い。
六限目の始まりを告げる予鈴に、ジル川原の取り巻きたちが、まさに取り巻いて囲んで、
「川原クン、もう戻らないと」
「続きはまた今度。ねっ」
さっさとジルを2−Eの教室に連れ帰る。
高遠への恋愛宣言の件は、取り巻きたちから見れば『ジルのいつもの気まぐれ』の一つとしか映っていないので、そうそう険悪にもならず、高遠としては助かっている。
「二日目は太秦かぁ」呟く三好。高遠がじろっと睨んで
「まさかお前、合わせようとしてねぇよな」と、言うと、三好は
「まさか」と、思わせぶりに笑った。


「で、結局二日目太秦かよ。おい、班長さんよ」
高遠、憮然としている。
修学旅行出発の当日の朝に、自分達の行動スケジュールの書かれた紙を見て。
あの後色々話して、最後は班長の三好が教師に提出していた。二日目のコース『三十三間堂周辺』が『太秦』に書き換えられている。三好はあっけらかんとしたもの。
「いいじゃねえか、太秦映画村!三十三間堂なんて、千手観音が千躰もいるんだぞ。そんな沢山の腕を見てどーする。うなされるぞっ」
「ったく、何考えてんだ」
ブツブツ言う高遠を無視して、三好は機嫌よく新幹線に乗り込む。高遠と海堂も自分の座席を確認して座った。
「なんか、元気なくねぇ?海堂」
珍しく大人しく座っている隣のシートの海堂を覗き込んで高遠が心配そうに訊く。
「うーん。昨日興奮して眠れなかったのと、あとトラノスケと四日も離れるの初めてだから、なんか……」
残してきた豆柴トラノスケを気にして浮かない顔。
高遠は気の毒そうに眉を寄せて
「そっか。トラノスケも寂しいだろうな」と、あいづちを打つ。
「うん。でも」と、海堂はちらっと高遠を見上げるとその耳元に唇を寄せ、手で隠してコソコソと囁く。
「でも、高遠と四日間ずっと一緒っていうのも、初めてですっげぇ楽しみなんだぜ」
高遠、返事につまって赤くなる。

京都駅に着くとバスが準備されていて、一日目は修学旅行お約束の、金閣寺、二条城、北野天満宮という取り留めないバス見学ツアーが組まれている。
「こうやって、だらだらバスに乗っている間に市内観光も兼ねろってことかね」
「三好君は窓側だからいいけど、僕はちょっと気持ち悪いよ」
乗り物酔いしやすいのか、青い顔の上田。三好が慌てて席を替わる。
「いいかっ、遠くを見ろよ。まちがっても吐くなよ。出そうになったら根性で飲み込めっ。いよいよのときは窓から外に向けて吐け」
それでいいのか三好。古都の景観を汚さないでほしい。
海堂は高遠の肩に頭を乗せて、バスに揺られるのもご満悦の様子。結局トラノスケの心配をしてもどうしようもないので、高遠とのデート(?)に気持ちは集中している。

「それでは、時間になったらこのバスに戻ってきてくださいね。同じようなバスがたくさんあるから気をつけて、間違って他のバスに乗ったりしないで下さいね」
バスガイドさんの笑顔に見送られ、初日最後の見学は、学問の神様菅原道真の北野天満宮。
「本殿まで結構あるな」げっそりする三好。
「それにしても、どこ行っても、何でこんなに人が多いんだ。海堂、はぐれるなよ」高遠、海堂の肩に手を廻す。海堂ニコッと見上げる。
「そりゃ、京都の名物といったら修学旅行生と観光客だからな」
うんざり言う三好に、酔い止めを飲んで回復した上田がニコニコと
「それに、今だと『時代祭り』と『鞍馬の火祭り』と重なってるから、余計混んでるんだよね」と、情報を披露できて嬉しい様子。
「げっ、そうだったか」
「なんか、あそこに人がたかってるぞ」海堂の言葉に、高遠がそっちを見やって
「ああ、絵馬を奉納しているところだよ。見に行ってみるか?」
四人そろって他人の絵馬を覗きに行く。
人ごみを掻き分けてたどり着いて、掛けられた絵馬を見る。
「住所、名前、年齢とかまで書くんだな」プライバシー問題はいいのか、せめて名前のところにシールを貼るとか、と呟く三好に、高遠が
「普通、他人の絵馬とか見たりしないからいいんだよ」と、まっとうな返事。
でもこの四人は見ている。
「うっ、こいつ司法試験合格祈願って、昭和三十五年生まれっていくつだよ」三好の驚愕。
「主人が課長昇進試験に受かりますように、っていうのもあるよ。泣けるね」と、冷やかしでなく、心からそう思っているらしい上田。
「なぁこれ、大学の名前、びっしり二十近くも書いてるぜ」笑う海堂。同じ絵馬を覗き込んで高遠が口元を手で抑え青ざめる。
「その上、自分の名前は書き忘れているっ」

赤の他人の心からの祈願を肴に愉しんで元の道に戻る。
張り切って下調べをしてきた上田が
「宝物殿見なきゃ」というと、高遠が
「今は、やってないぞ」と応えた。
「えっ?!」と驚く上田に、三好が案内を見ながら
「今月は25日って書いてあるじゃねぇか」と重ねて言う。
「天下の修学旅行生と言えど、学校が事前に予約でもしてない限り無理だって」
都立和亀高校、そのような気は使ってくれていなかった。
「そ、そんな、国宝『北野天神縁起絵巻』を見るの楽しみにしていたのに」渋いぞ、上田。
「死ぬ前に、一度でいいから見たかった……」悲しげに呟く上田に、三好、冷たく突っ込む。
「フランダースのネロ少年か、お前は。ルーベンスの絵を見て死ね」

そのやり取りに笑いながら、高遠がふと気づいたら海堂の姿が無い。
「あれ?海堂?!」
慌てて捜すが、どこもかしこも似たような学生服と大勢の観光客の人の波で分からない。
「高遠ぉ、ここ」
海堂の声がする。見ると、人の波を掻き分け海堂が近づいてくる。
「どうしたんだよ」訊ねる高遠に
「単純に、はぐれたんだよ」と海堂はややむっとしている。
高遠はふっと笑うと、黙って手をつないだ。
「んっ」
海堂は、それでいいんだといわんばかりにうなずいた。
「男同士で手ぇつなぐ奴らと一緒にいると、俺たちまで誤解されちまうから、別行動な」
三好がにやっと笑って、上田を引っ張っていく。
「二人きりにしてくれたのかな」と、高遠を見上げてちょっと頬を染める海堂。
「でも、この人混みじゃね。二人きりっていっても……」
高遠も照れて微笑んだ。



宿は、上田の情報どおり修学旅行客にしてはグレードの高い旅館だった。しかも二泊は同じ宿なのでゆっくりできる。教師も羽を伸ばしたかったのだろう。
食事は食堂で一斉だが、八畳の部屋を四人で使うという(修学旅行客にしては)かなりの贅沢さ。しかしながら、部屋の冷蔵庫には何も入っていない。これは学校側の陰謀だ。動ぜず、夕方別行動だった三好が、かばんの中からゴソゴソとビールや酒、つまみを出して、その中に入れる。
「それって、やばくねぇ?」高遠、小心者。
「大丈夫だよ。先生だって疲れてるんだし、夜いちいち中まで見に来ないって」と、意外に大胆な上田。三好もそうそう、と頷く。
「高遠、飯食ったら、そのまま風呂行こうぜぇ」という海堂に、
「おう」と返事しながら高遠は一抹の不安を感じた。
(海堂と風呂。大丈夫だろうか)


不安の予感的中。

「海堂、たのむから前、隠せよ」
高遠が小声で言う。
天真爛漫というか傍若無人の海堂。いや、それはいつもの事だが、今回ばかりは目のやり場に困る。そんなこと、知ってか知らずか海堂は
「わーい。でけぇ風呂♪」と、喜んでとび込む。
「こら、ちゃんと洗ってから入れよっ」高遠、まるでお母さん。
「おい、高遠こっち露天みたいだぜ」はしゃぐ海堂に引き立てられていく。
「うーん。気持ちいいな」露天風呂の中で大きく伸びをする高遠。
高校生といえども、やはり温泉は気持ちがいい。お湯はほんとの温泉じゃなくても、広い風呂、露天という雰囲気だけでも十分だ。ふと、気づくとすぐ近くに海堂の顔がある。
(げっ)
よくよく見まわすと、結構風呂が混んでいる。昼間あれだけどこも混んでいたのだから、当たり前といえば当たり前。新しい客が入って来るたびに海堂がずりずりと場所をずらして、今ではほとんどくっつかんばかりの二人。
裸の二人の膝同士が触れた。
かーっと高遠の顔に血が上る。
(いや、血が集まっているのは顔だけじゃねぇ)
「高遠?」
不思議そうに覗き込む海堂の綺麗な顔が、風呂のためか上気して艶めかしい。
(だめだ。意識しちまった)
高遠はタオルを沈めて自分の前をそっと隠した。隠しながら、
(たしか、タオルはお湯の中に入れるなって書いてあったな……)
『入浴のご注意』を思い出してちょっと悲しくなってしまう高遠だった。
「どうしたんだよ。高遠」
海堂は、高遠の追い詰められた状況にお構いなしに肌を近づけてくる。
(たのむ、これ以上近づかないでくれっ)
高遠、いきなり立ち上がると、
「湯あたり」と叫んで、前かがみで風呂を飛び出した。


「大丈夫?高遠」海堂が歩きながら高遠を見上げる。
「ああ、もう大丈夫」首の汗をタオルで拭いながら大またで部屋に帰る高遠。
「まだ、顔赤いけど?」海堂、その後ろを追いかけながら、くすっと笑った。
部屋に入ると、三好たちの姿が無い。まだ、風呂から戻っていないのか。
海堂が、風呂上りに着ていた服をおもむろに脱ぎ始めるので、高遠が慌てた。
「海堂?!何してんだ」
「何って、浴衣に着替えるんだよ。パジャマ持ってきてねぇもん」
そうだった。食堂での夕食後、風呂に直行したので、風呂上りもそのままの服だった。
(なんか、俺、おかしい)
高遠、動揺がばれないように、自分も静かに浴衣に手を伸ばす。
「なんか、高遠が着ると、丈短くてバカボンみてぇ」海堂が笑う。
「うるせぇよ。お前だって」と、海堂を振り返って、高遠は鼻血が出そうな自分を知った。
湯上りで上気した頬から首、肩にかけての柔らかな線、その浮かんだ鎖骨も色っぽく、軽く合わせただけの胸元からは、白い肌が覗いてかなりいかがわしい。
その艶めかしい海堂が、敷かれた布団の上に何故か横座り。
(神様……)
よくわからないけど心の中で呟く高遠。昼間他人の絵馬を笑ったりしたから、菅原道真公が俺に試練を与えているのではなかろうか。(いや、確か学問の神だったはず)
あまりにも眩しい、誘惑に満ち満ちた、厳しい試練が自分を見上げて微笑んでいる。
(だめだ、負ける)
海堂から無理に目を逸らすと卓袱台の上に手紙が置いてあるのに気づいた。
近づいて手にとる。
『点呼はやっといた。11時までオレたち二人とも斎藤の部屋に行っている。延長したいときは電話しろ。  三好 V(ブイ)』
「って、何なんだよっこれ」赤くなって紙を握り締める高遠の後ろから、海堂が覗き込んで、くくっと笑う。
「三好、気ぃ利かせてくれたんだ」

海堂の手が後ろからゆっくり差し伸べられ高遠の胸の前で交差する。まだ、湯上りで少し火照っている身体と頬をぴったり背中につけて、囁く。
「高遠」
高遠は心臓がすごい勢いで動いて、体中の血が身体の中心に集まるのを感じた。
「かい…どう…」
声が掠れる。喉を大きくゴクリと鳴らしてしまい、そのいかがわしさに耐え切れず、振り向いて海堂を抱きしめる。
「高遠」海堂も嬉しそうに目を細め背中に手を廻すと、キスを誘うしぐさで喉を逸らす。高遠が、いつに無く激しく唇を重ねて来る。そのまま、勢いで布団の上に倒れ込む。
海堂の上に覆い被さり、高遠は一瞬はっとしたが、海堂は薄く微笑むと、そのまま高遠の髪に手を入れ頭を引き寄せる。もう一度唇を重ね、激しく口づけると、お互いの歯を割り舌を探った。
「……ん…ぅん……んっ」
口づけの合間に洩れる海堂の声は、高遠の全ての神経を蕩かす。
海堂は、自分の身体に重なる高遠の重みが、熱が愛しい。
二人、何も考えられなくなって、ただ、貪るようにお互いの唇を、舌を求め合う。
高遠が雄の本能で、海堂の胸元を探る。はだけた浴衣の下から薄桃色の乳首を探り当てると、指の先でそっと擦った。
「あっ…」
海堂は、背中から腰に掛けて走る甘い痺れにビクンと大きくのけぞった。
高遠の指の下で、突起が赤く、固くなる。
高遠が、唇を喉に移し、そのまま舌を滑らせていく。

と、そのとき襖の向こうから、賑やかな声が聞こえた。期待してくれた人には申し訳ない。
「高遠くん、いるー?」
廊下に面した部屋のドアが、ガチャリと開かれる。
スリッパを脱いであがってきたジルこと川原が中の襖をカラリと開けたとき、高遠は卓袱台に向かって背中を丸めて出涸らしのお茶を飲んでいた。
「いたいた。食事の後、お風呂行ってたの?捜したんだけど」
にこやかに笑いながら遠慮なく入室する川原と、その後ろにはいつものお取り巻きが三名。川原の班のメンバーだ。
「か、川原……」
呆然と振り返り見やる高遠に、川原は無邪気に微笑むと
「あれ、海堂は?」と、宿敵の姿を捜す。高遠は側の布団の塊をチラッと見て
「いや、ちょっと、具合悪くって」寝てんだよ。と、ぼそぼそ応える。
「えー?具合悪いって?あの海堂が?!」
川原、両手を顔に当て大げさに驚いて、丸まっている布団をちょんちょん突付く。
「あ、こらやめろよ」高遠が慌てて止める。
布団の中で海堂は、ぎりぎりと唇を噛んで怒りに顔を真っ赤にしていた。
(あのやろぉぉおっ、いいとこで邪魔すんじゃねぇっつーのっ)
シャイな高遠が野獣になってくれた滅多に無いチャンスが、確実に一つ潰されてしまった。何のために俺は風呂からさり気なく挑発していたんだ。三好にも食事中終始プレッシャーを与えて、勘のいい三好はわかってくれた。しかも珍しくあっさりチャンスをくれた。それなのに、こんな、こんな邪魔が入るなんて。しかもこんな、中途半端にっ。あいつ、川原、殺す。絶対、殺す。
川原が名実共に海堂の宿敵となった瞬間である。
そんな事情を露知らず、川原は
「じゃ、ま、病人はほっといて、僕たちだけで遊びましょ」と、腰を落ち着け、呆気に取られる高遠の前でトランプをきり始める。いつの間にやら、取り巻き三人も輪になって座っている。
「大富豪は人数が多いほうが楽しいわよねぇ」
一般的には『大貧民』で知られるゲーム。ちなみになぜ川原がそれを好きかというと、お取り巻きが、川原が富豪のときも貧民のときも必ず一番良いカードと交換してくれるからだ。
「ち、ちょっとまて、あの、海堂の具合が悪いから」と、遮る高遠に、
川原はトランプをきる手を休めず応える。
「大丈夫よ。元々丈夫なヤツなんだから。そのうち元気になるわよ」
そのとき、ゆらりと布団が動いた。
「てめぇ、ふざけてんじゃねぇぞ」
この上なく険悪な顔の海堂が顔を出す。
「きゃーっ 何、何よっ」
川原、怯える。
「てめぇ、どういう目にあうか……」
海堂が地の底から響くような不吉な声で唸るのに、川原とっさにトランプを黄門様の印籠のごとく差し出して叫んだ。
「暴力反対っ。勝負だったらこのトランプで決めましょう!」
「……わかった」
海堂、勝負と名のつくものからは逃げたためしの無い男。
男と男、という言葉が外見的にはあまり似合わない二人、の真剣勝負だ。
「あがりっ!ほほほほほ、僕の勝ちだね」
高らかに勝ち誇る川原に
「うるせぇっ、一回じゃわかんねぇだろ、男なら十番勝負だ!」と、叫ぶ海堂。
「望むところよ」
赤い唇をゆがめて笑うジル川原。
三好が上田とそっと戻ってきたとき、部屋はトランプたこ部屋と化していた。
三好が高遠に向かって一言。
「何やってんだ。お前ら」



翌朝。高遠は布団の中で考えた。
昨日は邪魔が入ったけれど、それでよかったのだと。
(修学旅行で初エッチっていうのはあんまりだよな。しかも同室のヤツに消えててもらってなんて、後でどういう顔すりゃいいんだよ)
とはいえ、昨日の海堂の顔や声を思い出すだけでイケてしまいそうな自分がこわい。
とにかく、流されやすい自分を猛反省し、今日の夜は自制することを心に誓う高遠。
一方海堂は、昨日部屋に鍵を掛けておかなかったことを猛反省している。三好たちを外に出していたからつい詰めが甘くなった。あの三好が二度もチャンスをくれるとは思えない。
今日は諦めて、明日の奈良の夜だ。奈良は旅館じゃなくてビジネスホテルだと聞いている。二人部屋ってこともあるかも。
(ホテルなら、鍵もあれば防音もばっちりだ)
海堂、昨日中途半端に邪魔されたのがよほど悔しいらしい。だんだん考えることが過激になっている。

歯を磨いている海堂のところに、高遠はそっと近づいて、自分も歯ブラシを取りながら、小声で囁いた。
「昨日のこと、ごめん」
海堂が、ふっと顔を上げると鏡の中の高遠と目が合う、昨日の高遠を思い出すと顔が熱くなって心臓が高鳴るけれど、さすがに今発情するわけにはいかないので
「うん」と小さく応えてうつむく。
(ごめんってどっちの意味だろ)海堂はチラッと考えたが、
(ま、どっちでもいいや、俺の決戦は明日の夜だぜ)と瞳の奥に炎を燃やした。
朝食のとき三好が海苔に醤油をたらしながら
「今日は俺たち普通に帰ってきていいんだよな」と、チラッと合わせる目の奥で何か言いたげに訊ねると、持っていた箸を握り締めて高遠が思い切り縦に首を振る。
「当たり前じゃねぇか」
海堂もにっこり笑ってうなずく。
「居てくれよ。そしてあのトン汁バカ(川原)が入ってこられないように、しっかり鍵閉めとこうぜ」
(やれやれ、だな)
三好は心の中でつぶやいた。



* * *

二日目は自由行動の日。
朝食をとってひと休みした後、旅館のすぐ近くから市バスが出ているので、それに乗って太秦映画村道で降りる。
「うわぁ。『必殺』の世界だ!」と、時代劇も好きらしい上田が喜ぶ。
「あっちに屋内施設もあるけど。あんまり大した事なさそうだな」
高遠がパンフレットを見ながら呟く。
「まずは、あそこだ」三好が、真っ直ぐ歩いていく。
「どこだよ」と、言いながら後に続く三人。
たどり着いた建物は
「……扮装写真館?」
高遠が呆れたように三好の顔を見る。
「太秦映画村といえば、これだろう」
三好がにやっと笑って見返す。
「こんな写真とって嬉しいのか?」
信じられないという顔の高遠。三好はいつにないハイテンションで両手を広げ
「写真だけじゃねぇぞ。今日は天気がいいから、そのまま映画村内をまわれるのダ!」
「余計恥ずかしいわ。あほっ」
そこにお約束のジル川原登場。旅行前の宣言どおり舞妓さんになりに来たもの。
いつものように髪をかきあげながら、見下すような表情で。
「海堂、昨日は残念だったね」
「その言い方、俺が負けたみてぇだからやめろ」
不機嫌そうに睨む海堂。
たいした話題でないが、昨日の十番勝負、五対五で引き分けている。何故、勝負なのに偶数だったのか。奇数ならすっきりしたのに。
「どーでもいいわ。用があるのは高遠君にだもん。ね、これから僕、舞妓さんになってくるから、一緒に村内散策しましょ」
赤い唇で微笑みながら、高遠の腕をとる。海堂そのジルの腕をねじりあげて、
「さわんじゃねぇよ」
「いったぁーい」川原は大げさに痛がって、
「野蛮人っ!」涙目で吐き捨てる。
「まあ、まあ二人とも」と、三好が間に入って
「こんなところに来てまで喧嘩しないで。折角だから海堂も舞妓さんになって、舞妓美人対決って言うのはどうだ?」
「なんだそりゃ」
海堂、高遠同時に突っ込む。
「何で、俺まで舞妓になんだよ」と、柳眉を吊り上げる海堂。
三好はその耳元に口を寄せてこそこそと囁く。
「川原だけ綺麗な舞妓さんになって、高遠にベタベタされてもいいのか?」
「う……」
瞬時、海堂の目が見開かれる。
「それに、せっかくの自由行動なんだから堂々とデートしたいだろ?女のカッコしてりゃ、どんなにベタベタしてもおかしくないぜ」なぜならここは、いにしえよりの愛の都、京都だからだ!と、いいかげんなことを言って単純な海堂をのせてしまった三好。
「よし、俺も舞妓になるぜっ」
拳を握って海堂が宣言する。
「海堂……」
呆然とする高遠を尻目に、海堂と川原、二人の美少年は火花を散らして奥の部屋に入っていく。着付けのおばさんも、メイクのお姉さんも、さぞ驚くに違いない。
「さ、俺たちも何にするか決めようぜ」と、三好が言った。
「え?俺たちって?!俺はやんねぇぞっ」と叫ぶ高遠。
それに三好が調子よく返す。
「旅の恥はかき捨てってね。今しかできねえ事ってあるぞ。ハタチすぎたらもう恥ずかしくて絶対できないぞ。後になって、ああ、あの時やっとけば良かった、なんて」
「思うわけねぇだろっ!俺がっ」高遠、顔に血をのぼらせる。
「僕はやるなら『必殺』の秀さんがいいな」と、上田はその気になっている。
「おい……」と、高遠が止めようとするのを三好が邪魔して
「そうだろ、そうだろ。さすが上田だ。ノリがいい。一生一度の思い出づくりなんだから、なっ」そして高遠のほうを振り向くと
「まさかお前だけ、学生服着てまわるって訳には、いかねぇよなあ」と上目遣いで睨む。
(な、なんで……)


男物の着付けは早い。二十分後には高遠は三好とお揃いの『新撰組』の扮装で、ボーゼンと椅子に座っていた。
「すごい!似合うよ二人とも。かっこいい!」と坊ちゃん顔の『秀さん』上田が手を叩く。
「お前もなかなかだぞ、ハットリ君」という三好に
「ちがうよ」さすがの上田もちょっとムッとする。

(……やっぱり、俺って流されやすい性格なのかも)
暗く落ち込む高遠のうつむいた横顔は、まさに幕末の悲運の義士だ。
「舞妓さんはもうしばらくかかりそうだな」
三好がおもむろにタバコを取り出す。
「あっ、おまえっ」
高遠が睨むと、くわえタバコで三好がしゃあしゃあと言った。
「学生服脱いじまえば、だれも未成年とは思わねぇよ。昼飯はビール付きだな」
「お前、さっき、ハタチすぎたらこんなカッコするヤツいねぇくらい言ってなかったか?」
高遠はもう呆れて怒る気もしない。
(それで、俺までこんな格好させたのか……?)
そんなこんなのやり取りをしながら待っていたところに、舞妓に変身した海堂と川原の二人が出てきた。
『おおおおおおっ』
川原のお取り巻きは勿論、そこに居合わせていた全員のどよめき。
(なんて、なんて…………でかい舞妓だ)
二人とも高校二年男子としては小柄な部類だが、足に合わせて外人さん用らしい特別大きいぽっくりを履いて舞妓姿になると、170は軽く越え、その大きさが際立っている。
とはいえ、美しいことには異論は無い。
川原は桃色地に色鮮やかな手鞠が縫い取られた華麗な着物。頭にはお揃いで手鞠のかんざしをさしている。海堂のほうは、紫色のグラデーションの地に牡丹と蝶。かんざしはシックなもので、かえって派手で美しい顔立ちを引き立てている。
どちらも甲乙つけがたい美女ぶり。
「どう?高遠くん」小首をかしげて、充分に自分の可愛らしさを意識しながら擦り寄る川原。それを手で制して、前に出て
「俺のほうが綺麗だよな、高遠」と、詰め寄る海堂。
(う……)
二人の美人舞妓に挟まれ、たじろぐ高遠。
(どっちも、綺麗だけど……)
やはり惚れた弱みというか、愛は勝つというか、高遠ついつい海堂のほうに目が行ってしまう。
それをすばやく察知した川原お取り巻き軍団(といっても三人)。
「川原クンが断然綺麗だよっ」
「ほんと!!こんな綺麗な舞妓さん、京都中、いや世界中捜してもいないよ」と叫んで、高遠から引き離す。ところで、京都以外の世界に何人舞妓がいるというのか?
「あ、なにすんのよ」
引き離されて抵抗する川原を、お取り巻きがまたもや取り囲んで
「こんな綺麗な舞妓さんは皆にご披露すべきだ」
「そうだ、そうだ」と、表に連れて行く。
高遠から引き離したいだけだが、川原まんざらでもなく
「やーん」と言いながら引っ張られていった。
「…………」見送る四人。
「ふっ、バカが、いっちまったぜ」
海堂、綺麗な舞妓姿に似合わないドスの聞いた声。
「ようし、俺たちも見学にまわるぜ」タバコの火を消して、三好が立ち上がる。
立ち上がった高遠の右腕に、海堂が両腕を絡める。
「ぽっくりだと歩きにくいんだ。一緒に歩いて」
「海堂……」
赤くなって海堂を見返す、新撰組隊士の高遠。
三好はそれを目を細めて眺めて、先に出た。
「いくぞ」


途中、何度も観光客から写真をお願いされ、それを断りつつ、ひととおり見てまわる。
宍戸大全ファンという上田は大喜びだ。三好も話が合っているところといい、なかなかの時代劇通と見た。
海堂は、時代劇というと『水戸黄門』か『暴れん坊将軍』くらいしか知らない。
高遠は、池波正太郎は好きだがテレビの時代劇はあまり見ない。
だから、海堂と高遠にとっては本来あまり興味の無い展示物も多いのだが、二人でくっついて歩いているというだけで、楽しい気分になっている。
何しろ、着物姿の海堂が「歩きにくい」といってしがみついてくるのだから、高遠としてはそれに応じない訳にはいかない。肩を抱いたり、手を引いたり。大義名分も立ったラブラブデート。新聞部の橘がいたらさぞ喜んだに違いないが、彼はその頃、自分の班の友人たちと三十三間堂にいた。

昼食は、色々迷って結局、入り口に提灯のたくさん掛けられている蕎麦屋にした。
三好は予定通り酒を頼む。
「ビールと思ったけど、折角の雰囲気だから日本酒だな。やっぱ」嬉しそうな三好。
「お前なぁ」と頬杖ついて呆れる高遠。
「カタイこというなよ。ほら飲め、総司」
昼間からお銚子をかたむける三好に、とりあえず高遠も合わせて、お猪口を差し出し
「はい、いただきます。近藤さん」と、応えてみたら
「ち、が、う。なんで近藤なんだよ。歳さんだろっ。土方歳三!」
当人から厳しいクレームがついた。
「いいじゃねぇか。局長だろ?」そっちのほうが偉いじゃねぇかと高遠が言うと
「副長でも、土方のほうがいいんだ!」
それを聞いていた上田が
「それって、マ・クベ大佐よりシャア少佐の方がいいってのと、一緒だよね」と、訳のわからない事を言って高遠を混乱させた。
舞妓姿の海堂も日本酒を飲みたがったが、前科があるので飲ませてもらえなかった。
「お前はそば湯だ。化粧はげるからストローで飲め」
ここでは副長が一番偉い。


食事を済ませて外に出ると、なんだかあやしい騒ぎが起きている。
「なんだ?あれ」
四人が小走りで近づくと、騒ぎの真ん中に舞妓姿の
「げっ、川原!」
見れば、男数人が川原に絡んでいる。
「ネェちゃん、キレイじゃねぇか。ちょっとオレたちとも付き合ってくれよぉ」
舞妓姿の川原を女と思っているらしい。
全部で四人。皆二十代後半くらいか、顔の赤いところを見ると相当酒も入っているらしい。
「コーコーセーのガキと一緒じゃつまんないでしょ」一人が馴れ馴れしく抱きついてくる。
「やめてよっ」と振り払う川原。
「きついなぁ、美人が台無しだぜ」と、別の男が川原の手を握る。
「川原くんから手を離せっ」
そう叫んで、取り巻きの一人横山が掴みかかると、
「がきゃあ、引っこんでろ」と、その男に殴られた。
地面に転がる横山。
「!」
「なにしてやがるっ」
海堂が、中心に飛び出していく。
「あっ、海堂っ」
止める間もなく、海堂は酔っ払い野郎たちの輪に入った。
突然もうひとり美人舞妓が登場して、周りで見ていた人々もびっくり。
「おっ、なんだ?」横山を殴った男が振り向いて見る。
「またまたキレイなねぇちゃん。嬉しいねぇ」と、また別の一人が酒くさい顔を近づけて海堂に手を伸ばす。
海堂はその手を振り払いざま、得意の黄金の右ストレートで吹っ飛ばした。
「うっ」男は仰向けに地面に倒れた。
「あっ、あにきっ」
「っ、てめぇ、何しやがるっ」
「こんの、アマぁっ」
どうも、ただの酔っ払ったカタギのサラリーマンでは無かったらしい連中が、次々海堂に跳びかかる。
海堂、舞妓姿でひらひらと身をかわすと、詰んのめった一人の首筋に手刀を落とし気絶させ、別の男には、くるりと振り向きざま下から激しくアッパーカット。そして最後に飛び掛ってきた横山を殴った男には舞妓姿の裾を大きく割って、大サービスの回し蹴り。
男は「うぉっ」と叫んだきり、どっ、と倒れて動かない。
『ぽっくりに蹴られてポックリ』というベタなしゃれを思いついたのは、いくらここが関西でも三好だけ。とにかく時代劇そのままに悪人を一掃した海堂は満足げに裾を直す。
「海堂」川原が珍しく殊勝な顔で
「助けてくれたの?」と言うと、海堂は紅をさして赤く染まっている唇をちょっと尖らせて
「お前を助けたんじゃねぇよ。横山が殴られたから、許せなかっただけだ」と応えた。
川原、その綺麗な顔で微笑むと
「じゃ、お礼を言うのは僕じゃなくて横山ね」
じっと見つめ合う美人舞妓。しかも、でかいぞ二人とも。
(うっ、目だってる。目だってるぞ。お前ら)高遠は、その場からそっと離れようとした。
シャイな高遠には衆人環視のこの状況は耐えられない。
それに気づいた海堂が
「あっ、高遠っ、どこ行くんだっ」と、追いかけてくる。
高遠、恥ずかしさのあまりダッシュ。海堂負けじと追いすがる。
逃げる新撰組隊士、追いかける舞妓。これはこれなりに目立っている。
騒ぎの現場からかなり離れたところでようやく立ち止まった高遠は、すぐ後ろについてきた海堂に向かって一言。
「お前、歩きづらいって嘘だったんだな」
「え?……あれ?」
嘘だとばれて開き直った海堂は、ますますべったり高遠にくっつくと
「折角二人きりになったんだから、二人っきりのデートしよう」と微笑んだ。


散々映画村を楽しんで合流し、学生服に戻った四人。
「どうする?これから」と三好が聞くと、高遠が、「実は」と申し訳なさそうに
「海堂が、京都タワーに行きたいって、言うんだけど」と二人の顔色を窺う。
(なんか、わがままな彼女の尻にしかれてるみてぇだな、高遠)
三好は内心苦笑。
「じゃ、お前らそうしろよ。俺と上田は別のとこに行くから。なっ」
目で笑って上田にあいづちを求めると、もともと京都タワーにはあんまり行きたくない上田は
「そうだね。ま、あの豪華な宿も今日までだから、早めに帰って、お風呂入ったり、ゆっくりしてもいいや」と、坊ちゃん顔に似合わず、親父くさいことを言う。
「それもありだな」まぁ帰りながら考えようと、市バスの停留所に向かうことにした。
「夕食には遅れんなよ」
笑って三好が片手をあげる。
高遠もそれに「おう」と手をふって、傍らの海堂を見ると、散歩に連れて行ってもらえるトラノスケのような瞳。尻尾があったらブンブン振っているだろう。
(ったく、なんて可愛いんだよっ)
高遠は心の中でうなって海堂の肩に腕を廻すと
「行くか」と、JRの花園駅に向かって歩き出した。


京都タワーは四角いビルの上にいきなり灯台がのっかっているようで、タワーというほどスマートなものではないが、その地上百メートルにある展望台はなかなかのものだ。
「すっげぇ、ほら高遠見ろよ」
高いところに上がってテンションもあがっている海堂が、窓ガラスに駆け寄る。
「俺たちの泊まっている旅館も見えるかな」
くるっとターンするように全身で振り返って笑う。
「見えるだろ、場所さえわかれば」
海堂のはしゃぎぶりに頬が緩む高遠。
「あっちのほうだよな」
真っ直ぐ反対方向を指差す海堂に
「ちがうだろ」と苦笑い。海堂、方向音痴らしい。
「明日行く奈良のほうまでみえるらしいぞ」
そう言って海堂が望遠鏡を覗いている。
「見えたか?」
後ろで腕を組んで微笑む高遠を振り返って、海堂が
「お前も覗いてみろよ」と、声をかける。
「俺はいいよ」
「いいから、早く」
急かされて、高遠が望遠鏡に顔を近づけると、すぐ近くにあった海堂の顔がすっと動いて、盗むようにキスをした。
「か…」
焦って顔をあげると、望遠鏡に片手をかけて小首をかしげた海堂が、嬉しそうに笑っている。
「……ったく、おどかすなよ」
高遠が照れ隠しに怒ると
「だって、したいと思ったんだよ」
海堂は、あっけらかん。
「本当はもうちょっと暗くなって夜景とか見えるといい感じなんだけど、そうすると」
「夕食、食えなくなる。だろ」
二人、顔を見合わせてふふっと笑う。
それでも、秋の日の落ちるのは早い。
次第に暗くなり、一つ二つと明かりが灯るのを眺めながら、高遠と海堂は、二人きりの京都の夕辺を楽しんだ。



* * *

三日目。

(……不覚)
目覚めた海堂の頭に真っ先に浮かんだ言葉。
寝起きのぼうっとした頭で、昨日の夜のことを思い出してみる。
夕食の時間ギリギリに駆け込んで、食事の後、一度部屋に戻った。
風呂の準備をするためだったのが、何故かなし崩し的に始まった宴会に巻き込まれ、いつの間にやら酒を飲まされ、気がついたら、朝。布団の中だ。
(『高遠と二人の愛の露天風呂』の夜をむざむざ潰してしまった)
自分の失態とはいえ、いや、だからこそ悔しくて唇をかむ。
ショックに打ちひしがれながら寝返りをうって隣の高遠を見ると、掛け布団が綺麗にたたまれていて、高遠の姿が無い。
(高遠?)
起き上がってみると、恐ろしいことにそのまた隣の蒲団がぐちゃぐちゃに丸められていて、そこに寝ているべき男の姿が無い。上田だけが坊ちゃん顔で安らかに眠っている。
(なにーっ)
「あいつら、二人してどこ行ったんだよっ」
思わず立ち上がったところに、廊下に面したドアのカチャリと開く音がした。静かに襖を滑らして高遠が入ってくる。
「あ、なんだ、海堂。起きてたのか。おはよう」
高遠、えらくさっぱりした顔。
「……風呂、入ってきたのか?」
「ああ、気持ちよかったぞ。お前も行ってくれば?今ならまだ、三好いるぞ」
高遠は、几帳面にタオルを干しながら、爽やかに応える。
(なんで俺が、三好追いかけて風呂行かなきゃなんねぇんだ)
海堂はがっくりと膝をついた。
高遠が慌ててやって来て
「どうした、海堂?気分悪いのか?」二日酔いかと心配する。
「いや、そうじゃねぇ、大丈夫だ」と、応えながらも内心では『高遠と二人の愛の朝風呂』まで失ったショックにふらふら。
「だったらいいけど」
高遠は、まだ少し心配そうにしながらも
「じゃ、やっぱり風呂行ってくれば?昨日の酒もぬけるぞ」と、微笑んだ。
その顔があまりに優しく爽やかだったので海堂は
(俺と一緒に、もう一回入らねぇ?)という煩悩丸出しの言葉をいい出せなかった。
「……うん。じゃ、行ってくる」
ふらりと立ち上がって丹前を羽織り、タオルと歯ブラシを持って部屋を出ながら、海堂は自分に気合をつけた。
(俺の勝負は今夜だ。奈良のホテルで高遠と二人のベッド。修学旅行最終決戦。くじけるな!俺っ)
歯ブラシを握る手に力がこもる。

朝食後、京都から奈良に移動するために、大型バスに乗り込む。
バスの中で、今日一日のスケジュールの説明があって、その夜泊まるホテルの部屋番号が配られた。
(げっ)
海堂の目が見開かれる。
「なんで、俺と三好がおんなじ部屋なんだよ」
後ろを向いて座席に膝立ちになり、後座席に座っている三好に思いっきり不愉快な顔を向けると
「よくみろ、高遠だって同じ部屋だろ」と、三好も眉をひそめて見せた。
(うそー)
「なんで、三人部屋なんだよ」
海堂が驚いて呟くと、三好は呆れた顔をして
「なに言ってんだよ、お前。修学旅行でホテルといえば『ツインにエキストラベッドいれてトリプル』ってのはお約束だろ」と冷たい目で見る。
(そんな……)
それじゃ、俺の勝負はどうなる?奈良の夜の最終決戦はどうなる?ショックラージ。
(朝からワンツーパンチだ。いや、昨日の夜から合わせてトリプルパンチだ)トリプルと自分でいってまた暗くなる海堂に、三好はたたみ込むように言う。
「お前がエキストラだぞ。当然」小さいから、とは口に出さなかったが、目が語っている。


奈良といえば大仏と鹿。
ここ奈良公園でも野生の鹿が群れをなして、のびのびと草を食んでいる。
「野生、ってここで飼われているんじゃねぇのか?」と尋ねる海堂に、上田が嬉しそうに答える。
「うん。実はここの鹿たちって餌付けされているんじゃなくて、ここの草を食べて生きている野生の鹿なんだって」
「でも、あれって餌付けじゃねぇの?」
高遠が目で示す方向には、鹿煎餅をやる観光客。
「あれは鹿には、おやつだよ」
「じゃ、俺たちも鹿におやつをやりに行こうぜ」
三好が小銭を出しながら歩いて行く。
150円の鹿煎餅を買って芝生の中央にいくと煎餅狙いの鹿が寄ってくる。意外に大きい鹿の姿に上田が少しびびる。
「囲まれたら、ちょっと怖いね」
「何言ってんだよ。おとなしいじゃねぇか。なんせバンビちゃんだ」
三好がそう笑っているところに叫び声が聞こえた。

「危ないっ暴れ鹿だ!」

暴れ鹿?暴れ牛でも暴れ馬でもなく、暴れ鹿。それは一体なんなんだと唖然とする四人。そこに一頭の大きな雄鹿が角を奮いながら走りこんで来た。
「うおっと」
三好が角で突き上げられて、避けた拍子に芝生に転がる。
着いた両手に鹿の糞を握りつぶして
「なんじゃ、こりゃあ」
足を投げ出したまま両手を見つめて、往年の名ドラマの殉職刑事そのまま。
雄鹿はそのまま走り去るかと思いきや、方向を変えて高遠と海堂の方に向き直る。
「ゲッゲッ」ゲゲゲのゲ?ちがう。これは雄鹿が敵を威嚇するときの鳴き声だ。
「海堂……」
呆然と鹿を見つめたまま高遠が呟く。
「高遠、さがってろ」と、『黄金の右』の拳を握った海堂だったが、じっと鹿を見つめて、きゅっと唇をかむと
「だめだ、俺、動物は殴れねぇ」
人を殴ることなど屁とも思わぬ兇悪天使海堂だったが、四本足の動物はみんなトラノスケのお友達だ。
「そうだな」海堂の気持ちを察し
(跳びかかって来た瞬間に避ければ、避けられないことはない。……糞まみれになることをいとわなければ)と高遠も覚悟を決めた。
ところが、雄鹿は前足で土を蹴りながらも、いっこうに跳びかかってくる気配が無い。
不思議に思った高遠がふと海堂を見ると、海堂が物凄い目で鹿を睨んでいる。
(海堂。お前、鹿を威嚇してるのか……)
あまりの野生児ぶりに感動すらおぼえた高遠。
そこに公園の管理人か、奈良の鹿愛護団体の人なのか、大の男五人が駆けつけてきて、先に十字の重しのついた投げ縄のようなもので雄鹿を捕らえた。
ジタバタしている雄鹿を五人がかりで押さえ込む。
「大丈夫か、君たち」その中の一人が駆け寄ってくる。
「あ、大丈夫です。俺たちは」と、高遠が応えると
「俺は鹿の糞まみれだけどな」立ち上がった三好が小さく呟いた。
男は申し訳なさそうに頭を下げると
「悪かったね。この時期、雄鹿は発情期で気が荒くなってるんだよ。特にコイツはひどいんで鹿苑に隔離していたんだが、柵を壊してしまってね」本当に申し訳ないと謝る。
「いえ、何も無かったので」よかったです、と高遠が爽やかに頭を掻きつつ微笑むと
「だから、俺は糞まみれなんだよっ」と、三好が拳を握って叫んだ。




「鹿は草食だから、フンもそんなに汚くないよ」
上田が慰めるように言うと
「じゃ、おまえ拾って握りつぶしてみろ」と、三好は冷たく返す。手は洗ってキレイになったのに、機嫌はあまり直ってないらしい。
高遠は、話題を変えようとした。
「じゃ、大仏でも見に行くか?」
「大仏っていえばね」
上田がまたまた事前勉強の成果を披露。
「あの鼻の穴と同じ大きさの穴があって、それを通り抜けられたら頭良くなるって」
「大仏の鼻の穴を通り抜けるのかぁ」つい想像してしまう高遠。
「鼻クソつきそうでイヤだな」深い意味も無く口にする海堂。
「糞の話はすんなっ」三好が不機嫌そうに叫ぶ。

(話それなかったか……)
高遠、遠い目をして小さく溜息。

「じゃ、ぐるっと池のほうまわって行くか」
気を取り直した高遠が提案する。
東大寺に行くには少し遠回りになるけれど、鷺池まで出て浮見堂を見てから、真っ直ぐ北に上がっていこうと、テクテク歩く四人の横を車が通り過ぎていく。
「公園の中なのに、結構広い道路があるんだな」
と、きょろきょろする海堂。
「公園っていっても広いからな」
高遠がさり気なく海堂を遊歩道側に引き寄せて言う。
「なんでも、ここの鹿もよく交通事故にあっているらしいよ」
上田がちょっと悲しそうな顔で言う。
気がつくと、あちらこちらに『鹿の飛び出し注意』の看板が出ている。
と、まさにそこに犬に追われたか何かした、一頭の鹿が飛び出してきた。
ちょうど走ってきた車の目の前。
「あぶないっ」
叫んだときには、海堂は地面を蹴っていて、鹿を突き飛ばしている。
キキキキィーッ
急ブレーキを踏んで車が止まる。
「海堂ぉっ」
道路のちょうど反対側に海堂が倒れている。高遠が駆け寄る。
慌てて運転席から飛び出してくるサラリーマン風の中年男性。
鹿は驚いてそのまま駆け去っていく。
「海堂っ、しっかりしろっ」
高遠が真っ青になって抱き起こすが、海堂は目を閉じたまま、ぐったりとして動かない。
三好も上田も青ざめたまま声もでない。運転していた男性は、呆然と座り込んでいる。
「海堂っ、海堂っ」
大声で名前を呼んで、高遠が海堂を抱きしめる。
そのとき、三好が何かに気づいて、ポカリと海堂の頭を殴った。
「いてっ」
「海堂?」
高遠が驚いて海堂の顔を見ると、ちょっと照れたような申し訳なさそうな海堂と目が合った。
三好が本気で怒る。
「おまえなっ、やっていい冗談と、悪い冗談があるぞっ」
「わりぃ……何でわかった?」海堂が聞くと、
「さっき、高遠が抱きしめたとき、口許が笑った」とムッとした顔で応える。
「海堂、大丈夫なのか?」
怒るよりも、本当にほっとした様子で高遠が顔を覗き込む。
海堂はその高遠の目にうっすらと涙が滲んでいるのに気づいて、胸がズキンと痛んだ。
「ごめん。高遠……」俯いて謝る。
高遠が心配して抱いてくれたのが嬉しくて、もう少し倒れたままでいたかっただけだが、思いのほか、心配をかけてしまったみたいだ。
「……でも、一瞬ホントに、くらっとはしたんだぜ」
ちょっと言い訳する海堂。
「大丈夫なのかい?」
運転していた男性も呆然とした顔のまま立ち上がった。
「すみません。このバカが驚かしてしまって」と、三好が深々と頭を下げる。
「すいません。車はぶつかってないです。全然」と海堂もぺこりと頭を下げて謝る。
運転していたこの人にとっても、相当心臓に悪かったに違いない。
さすがの海堂も猛反省。
通りすがりの人々も心配そうに見ているので、三好が事態の収拾にあたった。
「びっくりさせるなよ」
照れ隠しに高遠がぐいっと海堂を引き起こすと
「いてててっ」と、海堂が顔を顰める。
「え?」
高遠が驚いて手を放して、ゆっくり海堂のシャツの袖をめくる。

「海堂、おまえ……腕、おかしくねぇか?」



『右前腕とう骨不完全骨折。全治一ヶ月』
海堂は、落ち込んでいる。
あれから、高遠が付き添って、あの男の人の車で病院に連れて行ってもらった。
初老の開業医は『修学旅行生が鹿を庇って怪我した』という男の人の説明にひどく感動してくれて、大袈裟なくらい立派なギブスをはめてくれた。
担任の藤本が駆けつけてきて、なにやら手続きをしてくれていたが、海堂はその間の事をあまり良く覚えていない。
なにしろ、この事態に呆然としていたのだ。
海堂にとって、もの心ついてから初めてといってもいい病院送り。今まで、どんな喧嘩をしても、骨折などしたことが無かった。それがよりによって、修学旅行の真っ最中にこんなことになるなんて。
海堂は今、ホテルのベッドに横になっている。
『怪我人だから』と、高遠がエキストラベッドでないほうに寝かせてくれた。
骨折したのは腕だから、歩けないわけではない。が、とても歩きまわる気にはなれない。
鹿を庇って骨折した海堂の噂は学年全員が知ることとなり、新聞部橘がさっき単独取材を申し込んできて高遠に追い返された。
「高遠……」
少し前までいた高遠は、さっき三好と出て行ったきりだ。
知らない土地の知らないホテルでたった一人で寝ているのは、なんだか悲しかった。
ふいに涙が出そうになって、さっきの高遠の涙を思い出す。
(ふざけてあんな事したから、バチがあたったんだ)
そういえば、今夜は俺の決戦日だったのに。ほんの一昨日決意したことなのに、ずいぶん前の事のような気もする。
(こんなギブスつけてちゃ、ヤルことできねぇじゃん。ちくしょー)
やけになって、こんなときに不謹慎なことを考える海堂。

カチャッ。ドアが開いて高遠が三好と戻ってきた。
高遠の手には白い布のかかった大きなトレイ。
「朝食べたっきりで、昼も食べてなかったろ。ホテルに頼んで作ってもらってきた」
と言って、高遠がトレイをベッドの上に置く。
トレイには足が付いていて、ちょうど身体を起こした海堂の膝の上にセットされた。布を取ると、ホテル使用に綺麗に盛りつけられたサンドイッチ。
三好がペットボトルにストローを刺してトレイの上に載せてくれた。
「これなら片手でも喰えるだろ」と言いながら海堂を眺め回して
「なかなか優雅じゃねぇか。お姫様の『ベッドでブランチ』って感じだな」と笑った。
「三好」
「じゃ、あとは高遠にせいぜい甘えろよ」
三好が自分の荷物を取り上げて、ドアに向かう。
「三好、どこ行くんだ?」と、訪ねる海堂に、ドアを開けながら振り向いた三好は
「お前がそこに寝てるだろ。俺も高遠もでかくてエキストラには寝れねぇからな。俺が適当に広いベッドを探すよ」
そう言って、意味ありげに片目をつむる。
「俺がエキストラに寝るから、って言ったんだけどね」
三好が出て行った後、高遠が少し顔を赤くしてポツリと言った。
「高遠……」
高遠を見つめる海堂の頬も赤く染まった。
「あ、ほら、喰えよ」
高遠がサンドイッチを取り上げる。
「うん」
高遠が手渡そうとしたのに、海堂は、あーんと口をあける。
「って、お前、左手はつかえるだろ」
と、高遠が言い終わらないうちに、海堂は左手でペットボトルをつかむ。
これで両手はふさがった。
「…………」
高遠は大袈裟にため息をつくと、サンドイッチを海堂の口に運ぶ。
「……ん、おいしい」
口をもぐもぐさせて海堂はご満悦。
「次は、そっちのツナときゅうりの」
「はいはい」
時々、ペットボトルのウーロン茶を飲みながら、サンドイッチを食べさせてもらう海堂。
その様子に、高遠も頬を緩める。
「なんか、ツバメのお母さんになった気持ちだな」
「ふふふ」
海堂も幸せそうに笑って言った。
「さっきまですげぇショックだったんだけど、ギブスもいいなって、ちょっとだけ思った」
「ばぁか、はやく直ってくれよ」



(まさか、本当に骨折してるなんてな)
サンドイッチを運びながら、高遠は、鹿の前に飛び出していった海堂の姿を思い出す。
あの時、海堂が倒れたまま目を覚まさなかったらと思うと、今でも胸が苦しくなる。
骨折くらいですんで、むしろ良かった。
目の前の海堂が、とりあえず元気に食事してくれるだけで嬉しい。
(俺、ほんとに惚れてんだよな)
今更ながら、自分が海堂にどれだけまいっているのか、今日の出来事で再確認してしまった。そう思って見ると、海堂の全てが愛しくて、可愛くてたまらない。
高遠は海堂の口が動くのを見る。
口をあけて、パクッと閉じて咀嚼する。たったそれだけの口の動きが、ひどくそそられる。
ときおりウーロン茶を飲むためにストローをくわえる唇がすぼめられるのも色っぽい。
高遠は持っていたサンドイッチを皿に置いた。
「高遠?」
海堂が不思議そうに見上げる。
高遠は、片手で海堂の左手のペットボトルを取るとその手を優しく押さえて、そっと唇を近づけた。
「あ……」
しっとりと唇を重ねられ、海堂も目を閉じる。
高遠の右手の指が、海堂の左手の指間に入り、きつく握り締められる。
「ん……」
海堂もその指を絡めて、自分の気持ちを伝えようとする。
触れ合っているのは、唇と片方の指だけなのに、全身で抱き合う以上の陶酔感。
高遠が、空いている手で海堂の頬をつつむと角度を変える。舌をゆっくりと差し入れると、海堂の舌もそれに応えた。

長い口づけのあと別れがたい唇を離し、小さく息をついて高遠が照れた顔で言った。
「ごめん。なんか、ちょっと、我慢できなかった」
海堂は上気して潤んだ瞳で見つめる。
『我慢なんかしなくていいのに』とその目が語っている。
「一昨日の夜、俺、変になって、ああいうことやっただろ、自制しようって決意したんだけど、ダメだな」
額に手を当て目を伏せて、自分に呆れたように言う。
海堂はその言葉をきょとんと聞いて、不意に小さく噴き出した。
(俺が、勝負をかけることを決意してた日に、全く逆のこと考えてたんだ)
突然くすくす笑いだした海堂に、高遠は訳がわからずムキになって怒る。
「なんだよっ、人が真剣に言ってんのに笑うヤツあるかっ」
「ご、ごめん。高遠」
自由になる左手で口許を押さえる。
「ごめんですむか」
ただ恥ずかしくて、高遠はわざと怒って見せる。
「高遠」
「なんだよ」
「愛してる」
高遠がぐっとつまって、耳まで赤くなる。

(こんなに、シャイで、優しくて、真面目な高遠を愛している)

修学旅行の最終日。決戦は延期されたけど、この言葉を伝えることができた事を感謝しようと海堂は思った。
海堂は晴れやかな天使の笑顔を見せた。 
「高遠、俺の腕治るまで、ずっとこうしろよ」
                
                                      




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