《体育祭後日談〜ライバル》 「たのむ、橘。この通りっ」 高遠が机に頭を擦りつけて拝んでいる相手は、新聞部副部長橘正春。ここは新聞部の部室。 「そんなこと言われても、これはもう僕ひとりの物じゃないからねぇ」 手のひらのブツをヒラヒラとさせながら、もったいぶって橘が言う。 「お前じゃなければ、誰のもんだってんだよっ」 高遠は思わず、声を荒げてから、 (しまった!ここで関係を悪化させてはまずい)と、慌てて口をつぐむ。 その様子にニマッと笑った橘はしゃあしゃあと 「新聞部共有の財産。はては、この和高の財産だ」 「やめてくれっ」 頭と両手を同時に机に突っ伏す高遠。 橘の手元には数枚の写真。昨日の体育祭の写真だが、高遠が頭を下げて頼み込んでいるのはそれが話題の人間リレー、別名ダッコちゃんリレーの写真だからだ。 リレーの瞬間、熱に浮かされたように海堂を『お姫様ダッコ』してしまった高遠だが、一夜明けてみると自分のしたことに顔から火が出る。その火で大江戸八百八町焼き尽くしたい気分はすでに八百屋お七だ。 それくらい恥ずかしい決定的瞬間を、あのブン屋魂あふれる男が見逃しているはずが無い。授業が終わるのももどかしく新聞部に飛んできたところ、案の定、今度の校内新聞に載せるという写真が出来上がっていた。 そんな写真がばら撒かれ、自分のやったことが再び全校生徒の目に知らしめられることになったら、それこそ顔から火どころか、ジェット噴射して宇宙のかなたに飛んでいきたい。 「本当に、たのむ。橘。その写真だけは勘弁してくれ」 高遠の声はすでに悲痛だ。 「どうしようかなぁ」 橘、面白がっている。「ネガ、売ってもいいけど……高いよ?」 「お前、それってヤクザの強請りと一緒だぞ」 上目遣いに睨みながらも 「ちなみにいくらだよ」と聞く高遠は、流されやすい性格だ。 そこに新聞部のドアを蹴破るばかりに海堂が入ってきた。 「高遠っ、そんなヤツに強請られてんじゃねぇっ」 「か、海堂」 思わぬ人物の登場に、高遠も橘も驚いて振り返る。 つかつかと橘のところに歩み寄ると、海堂はその胸倉をぐいっと掴んで 「おい、てめぇ、高遠を強請るとはいい度胸じゃねぇか。ああっ?」と、これ以上ない兇悪な顔で凄み 「二度とカメラも持てねぇ身体にしてやっても、いいんだぜぇ。えぇ?」 唇の端を吊り上げて笑うと、橘の右手をひねり上げる。 橘は持っていた写真をはらはらと床に落として 「た、高遠、助けてくれ」 と、うめいた。 高遠は床に落ちた写真を拾い上げ、その写真の中の海堂と、目の前の海堂を見比べて、ため息をついた。写真の海堂がホワイトエンジェルなら、今の海堂はブラックデビルだ。甚だ陳腐なたとえだけれど、自分のボキャブラリーではいいとこだ。 などとぼんやり考えている間にも、橘の命は危なくなっている。 「海堂、やめろ。もう、それくらいにしとけよ」 高遠にその手を押さえられ、海堂はしぶしぶ橘を離す。橘、涙目。 海堂が、吐き捨てるように言う。 「今度勝手に俺たちのこと記事にしようとしたら、本当にただじゃおかねぇからな」 「言論の自由は、誰にも妨げられないっ、ペンは剣よりも強しっ」 よせばいいのに涙目の橘はそう叫んで、自分の学生服の胸ポケットからボールペンを取り出すと、ぐぐっと前に突き出した。 海堂はそのペンを中指と人差し指ではさんでスイと奪うと、くるっと回転させながら親指に力を入れた。 ばきっ。 ペンは剣より強くても、海堂の指三本よりは弱かった。 折れたペンを橘の学生服の胸ポケットに返してやって 「で?」と冷たく見つめる海堂に 「こめんなさい。もうしません」橘は素直に謝る。 「わかりゃ、いいんだよ」 ブラック海堂はクールに言うと、出て行こうとして、思い出したように振り向き 「そうだ、ネガ」 新聞部の財産を没収していった。 できれば穏便に済ませたかったんだが、海堂が出ばってきたんじゃしょうがない。新聞部の部室を出ながら、高遠は橘を少しだけ気の毒に思いつつ 「そういえば、俺があそこにいるってどうしてわかった?」と、尋ねると、海堂はまだ少しむくれている顔で応える。 「三好に聞いた。いまごろ橘に土下座しているかも、って」 「べつに、土下座なんかしねぇよ」 と、高遠。机に突っ伏すのは土下座じゃない。 「なんかあるときは、俺にも言ってくれよ」 海堂が、急に立ち止まり振り返る。 「今だって、一人で橘のとこ行って……三好は知ってて、俺は知らねぇなんて嫌だ」 海堂は真剣な目で真っ直ぐ高遠を見つめる。 その目をみると、『お前じゃすぐ喧嘩になるだろ』とは言えず、高遠は静かに 「ごめん。今度からそうするよ」 謝って、海堂の頭をくしゃっと撫でた。 海堂はさっきとは別人の顔つきで「うん」と頷いて大人しく高遠の横を並んで歩く。 こうして二人が並んで歩いていると、昨日の今日なので冷やかす声も多い。知ってる人間ならともかく、見知らぬ上級生にまでからかわれると、高遠は恥ずかしさに目眩と貧血を起こしそうになるが、海堂は相変わらす平然としている。 その海堂が、下駄箱の前まで来たときポツリと言った。 「高遠。恥ずかしくても、俺から離れたりすんなよ」 「え?」 突然の意外な言葉に、高遠は海堂の顔を見る。 「俺、冷やかされるのは全然平気だけど、それでお前が嫌になって、一緒にいてくれなくなるのが一番イヤだ」 海堂はその綺麗な顔を少しだけ寂しそうに曇らせ、高遠をじっと見あげる。 高遠は一瞬心臓が締め付けられるように痛んだ。 思えば夏休み前、自分のそういう性格が原因になって、海堂から絶交を言い渡されたことがあった。そのときの誤解はとけたから良かったものの、あのまま別れていたらと思うと……。 (さっきの橘に対する凶悪な脅しも、その事があったからわざと酷くあたったのか) いや、それはない。あれは海堂の性格だ。しかし高遠は感動に胸を詰まらせたまま 「ごめん、海堂。俺、また……」おんなじ失敗を繰り返すところだったと小さく呟く。 一時でも離れていたあの時の辛さを思い出せば、多少冷やかされることなど、何でもない。 「ごめん。俺も、強くなるよ」 高遠は微笑んで海堂の肩にそっと両手を置く。 そのまま抱き寄せてキスしたいくらいの気持ちだけれど、そこまで出来ないのが高遠だ。じっと見つめ合う二人。 「お前ら、下駄箱の前で何やってんだよ」 呆れたような声が二人を現実に引き戻す。 「三好」 高遠があわてて手を離す。海堂はまたちょっとムッとした顔。 「昨日から、ラブラブなのはいいけど、ちったぁ人目を気にしろよ」 苦笑いしながら言う三好に、海堂は口を尖らせて言った。 「いいんだよ。俺たちはもう人目を気にしないことに決めたんだから」 「いや、そこまでは言ってない」 ちょっぴりうろたえる高遠。 「今さっき、そういったろっ」と、ムキになる海堂をあやしつつ、高遠が下駄箱を開けると中から一通の封筒が出てきた。 「なんだ?」 手にとると、両脇から三好と海堂が覗き込む。 宛名は高遠。差出人は富士万太郎となっている。 「なんだよ。ラブレターか」 冷やかす三好に 「まさか」海堂ならともかく、何で俺が、と笑う高遠。 「じゃ、果たし状か?」 と、聞く海堂には 「それこそ、お前じゃねぇだろ」と、げっそりして返した。 しかし、差出人の名前の雰囲気は、確かに後者のほうが似合う本宮ひろし系。 二人があまりに期待して覗き込むので、仕方なく高遠はその場で手紙を開いた。 (そんな特別重大な秘密とかは無いだろう) 『明日 放課後17時 旧体育館の裏で待っています。一人で来てください』 白い便箋にそれだけしか書いていなかった。 しばらくその字を見つめる三人。 「ラブレターとも果たし状ともとれる。ビミョーな文面だな」 三好が首をひねる。 「だれだよ、コイツ」 海堂が声を荒げてその便箋を取り上げる。 「あ、こら。だめだよ」 高遠がそれを取り戻し「心当たりは無いけど、俺宛なんだから」と困ったような顔で言う。 「なんだよ。明日、行くのか?」 不機嫌そうに睨みあげる海堂に、高遠はますます困った顔で、ちょっと投げやりに応える。 「しょうがねぇだろ、無視するわけにもいかねぇし」 相手が見知らぬ人間でも、一方的な約束でも、すっぽかすということが出来ないのが高遠なのである。 次の日の放課後。 「俺も行く。絶対行く」 「一人で、って書いてあったろ?」 海堂と高遠の押し問答。 海堂にしてみれば、アレがラブレターでも果たし状でも、心配なのは同じこと。万太郎なんてふざけた名前の野郎、一体どこのどいつだと息巻いている。 見かねた三好が助け舟。 「じゃあ、俺が一緒に行って、海堂を押さえといてやるよ。相手に見つかんねぇ所で隠れてるってのは?」 高遠もほんとのところ、相手がわからないだけに、不安が無いわけではない。 結局三人で行くことになった。 海堂と三好が隠れるために、約束の時間よりかなり早めに着いてしまった。 高遠は旧体育館の壁にもたれて、ぼーっとしている。 (そういや、ここで海堂があの爆弾発言したんだよな) 思い出し笑いに頬が緩みかけたとき、いきなり声をかけられた。 「すみません。こんなに早く来ていただいて」 あわてて声の方を振り向くとそこには、黒い瞳ときりりとした眉が印象的な端午の節句のお人形のような男の子が立っていた。 「…………」 いつものことだが、咄嗟のときに高遠は声が出ない。自分を見つめる少年をただじっと見返してしまった。 すると、その少年はみるみる頬を赤くして 「あ、あの」と、口ごもる。 高遠ようやく気を取り直して 「君が、万太郎、くん?」と訊く。 「は、はい。そうです。突然呼び出したりして、すみません」 万太郎少年はぺこりと頭を下げた。 「えーと、それで、なんの用?」 とりあえず果し合いのセンは消えたようだ、と考える高遠。もう一つのほうの可能性は全く頭にない。 ところが、万太郎が口にした言葉は、やっぱりというか『そのもう一つ』 「実は、僕、昨日の体育祭で高遠先輩のこと、好きになってしまいました」 「え?」 高遠、すぐには頭がその言葉に反応できず、もういちどゆっくり確認してみたりする。 (好きに、なって、しまいました?だれが?誰を?) 黙ったまま動かない高遠に、万太郎は続けて 「僕1−Bで、昨日同じ白組だったんです。高遠先輩の応援団の姿とても素敵でした。それと、あの、リレー……海堂先輩が羨ましかったです」できれば僕がバトンになりたかった、と最後はすこし小声になったが一気に告白してしまう。 高遠はいきなりの告白よりも、あの人間リレーの事にふれられ、顔が真っ赤になる。 「ざけんなぁぁあっ」 旧体育館の裏の窓を蹴破って海堂が飛び出してくる。後ろから羽交い絞めにしていた三好が引きずられ、窓から半分身をのり出している。 「すまん、高遠」 三好、万太郎の最初の告白から暴れる海堂を、今までなんとか押さえつけていたのだが、ついに力尽きたというところ。 「海堂先輩?」 万太郎は驚いて一瞬目を見開いたが、そのあと少し咎めるような視線を高遠に送る。 「あ、ごめん、これは、その……」 一人で来てくれという約束を破ったのだから、後ろめたいことこの上ない。仮に一方的なお願いでも、約束と思ってしまうのが高遠だ。 そして海堂といえば、天下無敵の兇悪天使。天上天下唯我独尊。自分の高遠に告白したというだけで天誅に値すると本気で考えている。 「てめえ、俺の存在知りながら高遠にコクるなんざ、いい度胸じゃねぇか」 目も眉も吊り上げて火を噴きそうな勢いの海堂に、万太郎はひるむかと思うと、逆に 「恋愛は個人の自由です」と、きっぱり言い切った。 高遠、三好とも唖然。 五月人形のような美少年と西洋人形のような美少年が睨み合っている。先に動いたのは当然、後者。黄金の右腕に物を言わせて跳びかかろうとしたところ高遠が間に飛び込んだ。 「やめろ、海堂!」 海堂を抱きしめ、そのまま押さえ込む。 「離せ、高遠っ」 海堂が叫ぶ。高遠は海堂の暴れる両手を押さえると万太郎を振り向いて 「ごめん、万太郎君。約束破って。今日のところは、返ってくれ」 躊躇して高遠を見つめる万太郎に、後ろから三好が重ねて言う。 「そうしろ、あれを押さえ込めるのはあと二分が限界だ」 その間も、どけ、離せ、殴らせろと海堂、身をよじっての大暴れ。高遠は身体全体の体重をかけ、膝まで使って押さえ込む。 「たのむ。万太郎君」 見上げる高遠の必死の目に、万太郎はそのくっきりとした眉を寄せ、 「わかりました。高遠先輩。また……」 小さく挨拶し、未練を残した一瞥を送ると踵を返して賭け去った。 「逃げんなっ、こらぁあっ」 海堂の罵声が響く。まだじたばたしている。 三好は、万太郎の姿がすっかり消えるのを見送って 「もういいぞ」 高遠に声をかけながら振り向き、地面に転がる二人を見て 「ってゆうか、強姦しているみてえだからヤメロ」 高遠の尻を蹴った。 海堂はチョー機嫌が悪い。当たり前だ。 万太郎の告白した言葉が頭をぐるぐる回っている。 (好きになってしまいましただとぉ、応援団の姿とても素敵でしただとぉ) 海堂も体育祭での高遠の長ランと白襷、白い手袋、きりりと締めた鉢巻姿にはメロメロだった。でも、昨日も今日もそのことは言えないまま。あの万太郎の台詞は、自分が言いたかった台詞だ。それだけに悔しい。 悔しい。憎い。あんなヤツにむざむざ告白するチャンスを与えた間抜けな自分も、その告白をすっかり聞いてしまったもっと間抜けな高遠も。 「そうだっ、お前なんですぐ断らなかったんだよっ」 怒りの矛先が高遠に向かう。高遠は (断る前におまえが乱入してきたんだろ) と言いたかったのだが、そのかわりに大きなため息をついた。 『富士万太郎くんの恋のライバル宣言』 この噂もあっという間に和亀高校に広がる。プライバシーはないのか、和亀。海堂が怒りに燃えながら、新聞部のドアを開ける。 「うりゃ。橘っ。あれほど俺たちの記事は書くなて言うたやろ。われっ」 怒りのあまり最後は関西弁。橘は、そばにいた新聞部部長牧野の陰に隠れ、胸ポケットから折れたボールペンをつなげたものを出し、ドラキュラに十字架を突きつけるごとく突き出す。 「板垣死すとも、言論の自由は死せずっつ」 違うぞ。橘。 「何ゆうとんのや、このくそがきぃ」 海堂、最近変なドラマから仕入れた脅し文句。 「まあまあ、海堂君、ちょっと落ち着いて」と、牧野が間に入って、 「今回の新聞では、万太郎君のことは書いてるけど、君たちの事はなるべくわからないように、これでも橘は気を使っているんだよ」気を使ったのか、恐ろしかったのか、一応、万太郎の恋愛対象は匿名になっていると言う。 「そうかそんなら……って、『体育祭でKをお姫様抱っこしたT・Y』って書いてりゃ、バレバレやんけ!」 海堂、とことん関西風のボケ突っ込みまでいれて怒る。 そこに、噂の万太郎が現れた。 「その記事は、僕が書いてもいいって言ったんです」 海堂、きっ、と睨みながら振り返る。万太郎とその後ろには心配そうなその友人たち。 「海堂先輩、暴力的だから、闇討ちとかされたら怖いと思って。はっきりさせておいたほうが、人目もあって安心かと思ったんです」 と、黒い瞳で海堂を見つめながら話す万太郎。 海堂は、一瞬カッとなり 「だれが、暴力的だぁ?」と、向き直った。 「ほら、そういうところが誤解されちゃうんだよ」 肩を軽く押さえながら、牧野が絶妙なフォロー。 だてに部長はやっていない。気勢をそがれて海堂も大人しくなる。 万太郎は、ちらっとその海堂を見ながら、牧野に向かって 「今回の記事で高遠先輩にも迷惑かけたって思っています。だから、もうこの件はこれで終わりにして、これからは記事にしないで欲しいんです」と、頭を下げる。 橘はひどく残念そうな目をしたが、牧野は笑って 「そうだね。万太郎君の記事は今回だけにしておくよ」と、約束した。そして、海堂を振り返り申し訳なさそうな笑顔を見せると 「海堂君もそれで勘弁してくれないかい?ね?」 海堂はまだ険悪な目をしていたが、正直、既に怒り疲れてきており、牧野に対してまでこれ以上凄む気にもなれず。しぶしぶ頷いた。 そこに、海堂を捜して追いかけてきた高遠が三好とともに新聞部の部室に入ってくる。 「海堂!?」 ひょっとして本当に血を見ているのではないかと焦って来た高遠だったが、意外に静かな状況にびっくり。と同時になぜか万太郎までその場にいることにうろたえる。 「あ、高遠先輩」 万太郎は黒目がちの瞳をすこし潤ませながら見上げ 「今回の校内新聞のこと、僕のせいで、すみません」と、高遠をじっと見つめ、謝る。 「あ、いや、それは」 高遠が困ったように口ごもると、海堂がその腕を掴んでそのまま、部室の外に引っ張っていく。 「もう、ここには用はねぇ」 一刻も早く万太郎のそばから高遠を引き離したい一心。 「あ、じゃ、ごめん」 なぜかまた謝りながら、引っ張られていく高遠。 万太郎はその後ろ姿を寂しそうに見送った。 そのころ2−Eの教室ではジルこと川原一美が、わなわなと全身を震わせていた。特に、校内新聞を握り締めた腕の震えがひどい。 「なによ、これっ……K(海堂)にライバル出現って。海堂のライバルは僕じゃないのっ」 キーッと新聞を引き裂くジル。 「どうしたんだ。ジル(あだ名)!」 「大丈夫?川原くんっ」 取り巻きが慌てて駆け寄るが、自分の世界に入り込んだジルを現世に引き戻すことは誰にも出来ない。自らビリビリに破った校内新聞の上に両手をついた状態でひざまずき、肩を震わせうつろに字面を追う。 「……破れてるから、読みづらいじゃないのよっ!」 お前が破ったんだ、川原。 川原はいきなり立ち上がった。 「こんな……こんな、万太郎なんて美的な響きの何もない名前の一年坊主に、海堂のライバルの座を奪われるわけにはいかないっ」 ジルこと川原一美。もともと『学園(?)一の美少年の座』を奪われたくなかったはずが、いつの間にか固執する対象が『海堂のライバルの座』に成り下がっている。しかしそんな矛盾に気がつくはずも無く、一つの考えに瞳を輝かせた。 「ぼくも、高遠に恋愛宣言してやるっ」 * * * 高遠はたび重なる災難のような出来事に青色吐息状態。 川原の『本当のライバルは僕』宣言は当然校内新聞の号外を作らせ、和亀高校を賑わせた。 またもや放課後新聞部に乗り込んでいった海堂に、新聞部部長牧野はにっこりと笑い 「今回の記事はジルの記事だから……」海堂や万太郎との約束を破ったわけではないと涼しい顔で応える。 牧野篤弘、なかなか喰えない男だった。 新聞部に乗り込んでいった海堂の後を追いかける気力もないうつろな顔の高遠。 教室の自席でぐったりと机に突っ伏している。三好がなんとか励まそうとしてちょっかいを出すが、反応が薄い。 それでもしばらくすると高遠は、ようやく顔をあげ、ぽつりと言った。 「俺は、本来、すごく地味な男なんだ」 「知ってるよ」頷く三好。 「それが何で、こんな台風の真ん中にいるようなはめになっているんだ」 高遠の頭の中では自分の周りを海堂、川原、万太郎という暴風雨がぐるぐるびゅーびゅー回っている。 「いや、台風の真ん中って言うのは、逆に静かなもんなんだ」と、解説しようとして、いや、そういう話じゃねぇなと反省する三好。しかたなく 「とにかく、ずっとここにいてもしょうがねぇから帰ろうぜ。ほら、海堂も戻ってきた」 牧野にあしらわれ、その代わりに橘にあたって帰ってきた海堂。高遠としては、今は海堂と一緒にいるのも辛いところだが、ここで、避けては以前の二の舞。 重い身体を起こして帰路に着く。 下駄箱の前に来たとき、三好が冗談半分に 「そういや、高遠。今回の件でお前相当やっかまれてるから、靴に押しピンとか入れられねえよう気をつけろよ」と、笑っていった。高遠は薄く乾いた笑いで「はは、まさかね」と言いつつも、履く前にトントンとシューズをひっくり返してみるあたり、小心者。 ころん。 三人の前に転げ出たイガ栗。もちろんイガ付きだからイガ栗という。 「…………」 「もう秋だなぁ」と、つぶやく三好。 「もう、いやだ。俺」下駄箱にすがる高遠。 「鼠の死骸とかよりは、いいんじゃねぇの?」と、海堂が慰めにもならない言葉をかける。 そこに、下駄箱の後ろから万太郎が出て来た。 「高遠先輩。ずっと待ってたんです。話の続きがしたくて」 「お前と話すことなんか、ねぇよ」 海堂が、高遠の腕を取って引っ張る。万太郎は高遠の反対側の腕をとり 「あなたに言っているんじゃありません。高遠先輩に話があるんです」と引き下がらない。 「だから、高遠はお前に用はねえんだよっ」と、ぐいっと引っ張るのに、万太郎も 「あなたが言うことじゃないでしょう」と、両腕をからめて高遠の左腕を引く。 「ち、ちょっと、まて、いたっ」 痛いと言う高遠を無視して左右で引っ張り合う海堂と万太郎。その様子にポンと手を打った三好が 「先に手を放したほうが、高遠の本当のお母さん」 恋する男たちに大岡裁きは、きかなかった。 腕力で圧倒的に優る海堂が勝ち、ずるずる高遠を引っ張っていく。 万太郎が悔しそうに唇をかむ。高遠は心のそこから思った。 (何とかしなくては) 次の日、海堂が高遠の姿を捜している。高遠が六限目の途中から姿を消したのだ。 「あの野郎、俺に隠れてコソコソとどっかに行きやがってっ」 屋上、体育館裏、旧体育館裏、別校舎、思いつく限りの場所を捜す。もちろん1−Bの教室も覗いてみたが、案の定、憎い万太郎の姿がない。 「あいつに呼び出されたんだ」 拳を握り、唇をかみながら駆け回っている海堂を、すれ違う生徒たちは恐ろしげに避ける。 「そうだ!」 まだ、捜していないところがあった。旧体育館の裏には、裏山の林につながる道があった。全力で走って行く。 「いた、高遠」 林の奥に高遠の長身が見える。そして、その前には万太郎。 海堂が声を出そうとしたその瞬間、高遠が万太郎を抱き寄せた。 (え?) 不覚にも海堂、膝の力が抜けた。 少女漫画でいうならば、こんなシーンに遭遇してしまった場合 『ひどいっ、高遠の、ばか、ばか、ばかぁー』と心の中にエコーをきかせて駆け去っていくべきところであるが、あいにく海堂は、腰を抜かしてその場にへたりこんでしまって、見たくもない二人の抱擁シーンをたっぷり三分は見せつけられた。 「……っ、た、たか」ようやく声が出せるようになった海堂。 「高遠おおおおおぉぉっ」喉から血が吹き出さんばかりの絶叫。 驚愕して振り返る二人。高遠が慌てて、駆け寄る。 「どうしたんだ海堂?」 腰を抜かしています。いや、ちがう。 「お前こそっ、あいつと、何やってんだよっ」 まだ立ち上がれず、ぺたりとへたり込んでいる姿で凄んでも、今ひとつ迫力に欠ける。 「あ、あぁ」 ちょっとうろたえる高遠の後ろから 「じゃ、高遠先輩。僕はこれで」 万太郎が静かに声をかけ、へたれた海堂を無視して道を降りていく。 その後ろ姿をギリギリと睨みつけながら、海堂が唸る。 「海堂」 高遠が自分もしゃがんで海堂と目線を合わせる。 「なに、してたんだよ……」 顔を赤くして訊く海堂の目には涙が滲んでいる。 高遠はふっと笑うと、海堂の顔を両手で挟んで 「きちんと話をしたんだよ。付き合えないって」 「ホントか?」 海堂の瞳が輝く。でも――― 「でも、そしたら何で抱き合ってたんだよっ」 まだ不審げに口を尖らせる。 「それは……」 昨日の夜、高遠は考えた。 (このままじゃ、いけない。万太郎君にきちんと話をしなければ) 川原は万太郎に対抗しているだけだから、万太郎のことが決着すればすぐに落ち着くだろう。とにかく、万太郎に会って、誤解をとかなければ。 「誤解?」 大きな黒目を揺らしながら万太郎が見上げる。高遠のほうから呼び出してくれた嬉しさに、六限目が終わるベルとともに飛び出して走って来た万太郎。頬が赤く染まっていて、本当に武者人形の美少年版。その顔を見ながら、高遠は少し胸が痛んだが 「うん、万太郎君は、体育祭のときの俺を見て、好きになってくれたって言ったけど、あれは本当の俺じゃないんだよ」 身長があるから応援団の長ランは似合ったかもしれないが、その外見の硬派さに比べて、中身は小心者で、どちらかというと細かくて、もっというとウジウジしていて、流されやすい、って自分でそこまで言いたくは無いが。 「……とにかく、君が想像している人間とは、全くタイプが違うと思う……」 「高遠先輩……」 「あのリレーだって、普段の俺なら絶対やらねぇ、っていうかできないよ」 照れたように笑って頭をかいた。 「だから、がっかりされる前に自分から白状してフラレとこうと思って」 自分から振られておく、という言葉に頭の良い万太郎はすぐに気がつく。 (僕が振られたことにしないように、してくれているんですね) 「海堂先輩のこと、好きなんですね」 うつむいて尋ねる万太郎。伏せた睫毛が細かく揺れている。 高遠はしばらく答えを口に出すことを迷ったが、きちんと応えないと、かえって万太郎に悪いと思った。 「うん」 小さくそう応えた高遠に、万太郎は顔をあげると微笑んで 「わかりました。じゃ、最後に一つだけお願いきいて下さい」 そのお願いは、シャイな高遠を動揺させるに充分だったが、あまりにも真剣に見つめる万太郎が泣いている気がして…… 「それは?何なんだよっ」海堂がますます唇をとがらせて詰める。 「うーん。お別れの挨拶っつーか」と、ぽりぽり頭を掻く高遠に、ようやく這いずれるくらいに回復した海堂が 「ざけんなっ、ここはアメリカじゃねぇ」と、にじり寄る。 「海堂」 高遠は困ったように微笑んで、そのまま両手を海堂のわきの下に通してぐいっと身体を抱き寄せる。 「わ」 高遠は、子供が巨大なぬいぐるみを抱くときのように海堂を自分の膝に乗せた。その額を自分の首と肩に押し付けて、そのまま左手を海堂の髪に入れて頭を抱くと、右手で背中を優しく撫でた。 「た、高遠……」 海堂、急に大人しくなる。 「びっくりさせたんだろ?ごめんな」 ほんのすこし笑いを含んだ声で優しく囁いて、ゆっくり背中を撫でる。 (なんだよ、これじゃ、俺が、なんか、子供みてぇじゃん) 海堂はそう心で呟きながら、すぐにそれがたまらなく心地いいことを知る。 高遠の暖かい手が背中を滑るたびに、海堂はこの数日の苛々した気持ちが全て溶けて流れていく気がした。 「あのさ、海堂」 高遠が小さく呟くように話し掛ける。 「ん」 海堂は高遠の肩口に顔を埋めたまま。幸せそうに瞳を閉じている。 「万太郎に言ったのに、お前に言わないのもなんだから、その、ちゃんと言うけど」 「うん」 「俺は、お前が好きだ……たぶん、お前が思ってるより、ずっと……」 「高遠?」 海堂は思わず顔を上げて高遠の顔を見る。 照れた高遠の、それでも目はとても真剣。 「お、れ……」海堂は身体が熱くなる。「高遠に……好きだって言われたの、初めてだ」 「うん。ごめん。だから、もう、その、心配すんなよ」 照れ隠しに、海堂の頭をまた肩に押し付けるとぎゅっと抱きしめる。 「高遠……」 海堂のゆっくり閉じた目の、深い睫毛のあいだから、涙が一粒だけこぼれた。 そのころ、富士万太郎は帰宅の途につきながら、道の両脇からハラハラと散り舞う木の葉を眺めつつ 「やっぱり、あきらめきれないな」とつぶやいた。 ジルは『恋のライバル宣言』した以上、何らかのアクションを起こさねば、と自宅で恋文を書いている。お母様がくださった本を見て。 「えーっと……しのぶれど、人知れずこそ、と……」どうも、百人一首から引っ張ってきているようだが、全く忍んでもいなけりゃ、周りは皆知っているという状況にマッチしていない。 高遠と海堂は何も知らず。今、とても幸せ。 |
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