《体育祭》


夏休みが明け、九月の声を聞く頃になると、本田秀一は多忙を極める。
都立和亀高校一の秀才と名高い彼は生徒会長とトトカルチョ実行委員長を兼任しており、行事の多い二学期にはやらねばならないことが沢山ある。
まずは、九月の第四週に行われる体育祭だ。開催準備もさることながら、その行事の特質上、『和亀高校名物トトカルチョ』の対象となる項目も多いイベントだけに、委員会も頻繁に開かれ、会議も白熱する。

「では、例年どおり一年から三年までクラス毎の縦割りと言うことで、組分けは問題ないですね」と、本田が黒板にAからEまでのアルファベットを書き、その横に赤白青黄紫とカッコ書きで記入。それぞれの組の下に個人の名前が書かれる。

たとえば、赤の欄には、藤洋介〔三年バスケット部〕 斎藤昌彦〔二年陸上部〕等々。

和高の運動部員の中から特に有力な選手を確認し合っているらしい。
「二年の海堂龍之介はどうですか」
委員の一人が手をあげる。
「彼は、運動部ではないからねぇ」
別の委員が困惑して言うのに、二年生のトトカルチョ実行委員坂本がニヤリと笑いながら返した。
「彼の身体能力は侮れないですよ。やはり要注意です」
「そうだな」
本田は頷いて、その綺麗な字体で白の欄に
『海堂龍之介〔二年無所属〕』と記入した。



* * *

「おい、海堂。お前今度の体育祭、何に出るか決めたか?」
坂本が声をかけてきた。海堂と高遠はいつものように並んで下校しようとしていたところ。
「まだだけど、なんかお前に関係あるのか?」
小さくて可愛い外見に似合わない低い声で不機嫌そうに応える海堂。
「いや、一応聞いとかなきゃいけないんだよね」
と、困ったように笑う坂本に高遠が尋ねる。
「それって、トトカルチョマークに海堂も入っているって事か?」
「なんだ。それ」
見上げる海堂の目が険しい。

トトカルチョマークというのは、体育祭で賭けの対象になる選手や種目をさす。さすがに体育祭の全部の競技に賭けを行うわけにはいかないので、事前に有力選手がどの種目に出るのかを調べて、一番盛り上がりそうな種目をピックアップしてトトカルチョをやるのだ。
それを聞いた海堂はあからさまに嫌な顔をして
「馬鹿くせぇ」
と、一言いいそのまま立ち去った。しかたなく後を追う高遠。


つぎの日のホームルームはその体育祭についての話し合いだった。
男子高校のホームルームだけあって秩序は無い。それぞれ適当に固まって、口々に好きなことを言っている。
学級委員長の平野が疲れたように大声を出す。
「とにかくっ、今日中に自分が出る種目と、クラスの応援合戦の趣向を決めないといけないんだからなっ」真面目に話し合ってくれよ、とブツブツ呟く。
その様子を気の毒そうに、けれども薄笑いを浮かべて見ながら、三好が高遠に訊ねた。
「お前、何にする?」
高遠はどうでもいいような顔をして
「べつに何でも」と、応えた。
すると、三好は笑いながら
「じゃ、また人間リレーやんねぇ?」と、誘ってきた。
「なんだよ。その人間リレーって」
海堂が口を挟む。今年転校してきた海堂にとって、ここ和亀高校の体育祭は初めてで、黒板に書かれた競技種目もワケわからないものが多い。
『人間リレー』もその一つだ。
高遠が苦笑いしながら海堂に教える。
「バトンのかわりに人を背追って走るんだよ。別名ダッコちゃんリレー」
「そう。別にちゃんと背負わなくてもいいんだぜ。途中落とすのもアリ。バトンタッチの時は投げるのもアリ」
去年を思い出して、三好が肩を震わせて笑う。
幼稚園でよく父兄が子供を背負って走るあれだが、男子高校生同士でやるのはちょっと不気味な種目ともいえる。
「高遠、去年はそれに出たのか?」と、海堂が訊く。
「ああ、結局ガタイの大きいヤツじゃないと人ひとり抱えては走れないだろ。だから去年は俺と三好で出たんだよ」
高遠も思い出して笑う。
「あのときのバトンの役やったアイツ。悲惨だったよな」
くくく、と笑いつづける三好。
海堂は想像して、何故か顔に血をのぼらせた。
(高遠が、誰を背負うんだよっ)
海堂にとって高遠は唯一、心を許せる男。
(身体も許してよかったんだが、それは最初に拒否されてしまった)
その高遠がその広い背中に、自分以外の誰かを背負う姿など見たくない。
そんな海堂の心中に気づかない高遠は
「たしかにアレなら、練習もいらないし、アドリブ性の強い種目だから気が楽だよなぁ」と、その気になっている。
「だめだっ」
拳を震わせて叫ぶ海堂。
クラス中の視線が驚いたように集まる。
「もしどうしても高遠がそれに出るというなら、俺がバトンをやるっ」



2−Bの教室がまたもや海堂の爆弾発言にかたまっていたとき、ここ2−Eの教室でも体育祭についてのホームルームが行われていた。
ここでの主役はやはり川原一美。都立和亀高校のジルベールと言われる美貌の少年。ところが海堂が転校してきてからは学園(?)一の美少年の座を奪われそうで、新規巻き返しをはかりたい今日この頃。
「はーい」川原が元気に手を上げる。テーマはクラス対抗応援合戦。なにかコスプレでもしようかという話題。
「ベルバラがいいと思いまぁす」と、にこやかに微笑んで言う、川原。母親の影響でかなりの宝塚好き。
「べ、べる、ばら……」
(って、あの顔中睫毛だらけのあれかっ?!)
男子高校のムサイ野郎達がひきまくる中、ジル川原だけが瞳を輝かせ、頬を染めている。
「ジル、じゃなくて川原君。誰が、何をやるの?」
2−Eの学級委員長が当然の疑問を口に出す。なぜなら、ここには川原を除いて、みるからに男くさい連中しかいないのだ。川原、両手を胸の前で合わせて、可愛いポーズを作って応える。
「僕が、アントワネットもフェルゼンもオスカル様もやりまぁす」
欲張りすぎだ、川原。ってゆうか、一人じゃ無理だろう、と級友全員が心の中で呟いたとき、2−Eの隠れ海堂ファンの松本がぽつりと
「オスカルなら海堂君のほうが似合うかも」と、口に出してしまった。
川原の耳がピクリと反応する。
しまったと手で口を押さえるが、もう遅い。川原が天使の微笑で近づいてくる。
「そういえば、松本君って、海堂のファンだって誰かが言ってた」
赤い唇の両端が上がる。
「そ、そんなこと」無いです、といいつつ、声が小さくなる松本。
川原、笑顔のままで
「いいんだよ。本当のこと言って。僕と海堂とどっちが好き?」
「そ、それは……」
口ごもる松本に、川原はますます妖艶な笑みで
「神様も聞いているから、本当の事言わないと、ダメだよ」
松本はクリスチャンだった。
「海堂君が好きです」
小さく答える松本の言葉を聞くか聞かないかで、川原がその長い爪を松本の顔につきたてて左右の頬を思いっきりねじった。
「でもぉ、川原君はもっと好きでぇす」
と、泣きながら叫ぶ松本にジル川原は一言
「遅いのよ」
その押さえつけた額に油性マジックで《ぞうのマーク》を描く。
「今日一日消しちゃだめよ」
冷たく言い捨て、自席に戻る。
もう誰も川原に逆らえない。応援合戦もなし崩し的にベルバラになってしまった。



生徒会室では本田秀一が腕を組み、黒板に書いた次の生徒会の議題を見つめている。
《男同士のフォークダンスを廃止するか否か》
そこに新聞部の部長の牧野篤弘が入ってくる。
「どうしたの?秀一。難しい顔して」
にこやかに笑いかける牧野は本田の幼馴染みだ。
「よう。アツヒロ」
ちらりと振り返ってまた黒板に顔を戻す。
「ああ、これね。毎年廃止案が出ている割に無くならないのは、結構楽しみにしている連中もいるんじゃないの」
「せめて、オクラホマミキサーじゃなくて、マイムマイムにしてくれっていう声もあるんだが。新聞部でアンケートでも取ってもらえないか」生徒会は新聞部の世論調査(学内)を頼りにしているんだと言う本田に、
「体育祭前で人手が足りないんだよ。秀一の頼みなら何とかしてやりたいけど、これはそんな重大なことじゃないだろ」
牧野は申し訳なさそうに断った。
「重大じゃ、ない、かな」
真面目な生徒会長本田は口元に手を当てまた黒板を見つめる。
黒板にはそれ以外に
《お昼のおやつ300円以内の上限撤廃について》
《鉢巻を額にきちんと巻く〔前髪で隠さない〕ことの徹底について》
等書かれていた。

牧野は本田が多忙を極めている原因をなんとなく知った気がした。



* * *

海堂が人間リレーのバトンをやるという話はあっという間に広がって、1−Bも3−Bも人間リレーの立候補が続出した。2−Bからは三好と高遠の二名が予定通りの選出。
「お前、やっぱりやめないか?」
いつものトラノスケの散歩。空き地のブロックに腰掛けて心配げに顔を覗き込む高遠に、海堂はにっこり笑って応える。
「心配すんなよ。高遠。お前以外のヤツにケツはさわらせねぇから」
(いや、そんな心配を……してんだけど)高遠は赤面して頬を掻く。
高遠にしてみれば、自分以外の五人(三好含む)が海堂を背負って走る姿なんかあんまり見たくない。逆の理由でバトンに名乗りをあげた海堂の気持ちも知ってしまい、二人して登録を取り消そうかと提案する。それに対して海堂は
「決まっちまったの、いまさら取り消すのは男らしくないだろ。やるからには勝ちたいぜ」と、意気盛ん。ちょっとがっくりしている高遠をちらりと見上げると、そっと後ろに回って背中から抱きついた。慌てる高遠。
「な、なんだよ海堂」
「練習」
そういって海堂は座っている高遠の背に負ぶさる形でしがみつく。
頬を高遠の首筋にくっつけるようにして
「走ってみろよ」と、小声で言うと
「嫌だよ。恥ずかしい」高遠は真っ赤になって応える。
「ちぇっ」
海堂、そのまま動かない。
高遠も顔を赤くしたままじっと動かない。
秋の釣瓶落としの夕日が沈む中、二人は背中と胸でお互いのぬくもりを感じている。
豆柴トラノスケが所在無さげに尻尾を振りながら二人の周りをぐるぐる回っている。



トトカルチョの項目も決まり、各クラスの応援合戦の出し物も決まり、いよいよ体育祭が近づいてきた。本番の一週間前には予行練習が行われる。各学年の人間リレーの選手も集まって、顔を会わせたあとは一回限りの予行練習。ひとり200mずつのリレーだがアンカーだけは倍の400mを走る。白組は『バトン』の強い主張で高遠がアンカーになった。
「いいか、手のひら上に向けんなよ。ケツ触ったら、ただじゃおかねぇからなぁっ」
凶暴な顔で凄む海堂に一年生はビビリまくっている。三年生にも容赦なく、怒鳴り散らす海堂。皆、せっかく高い倍率を潜り抜けて選手となったのに、話が違うとがっくりしている。
三好は、その様子を面白そうに眺めている。
「おら、ちゃんと支えろよ」
海堂が自分を背負った一年生の肩をボスボス殴る。
「海堂先輩、もっとじっとして、ちゃんと掴まっていてくれませんか?」
一年生の新井が気弱げに頼むと、海堂は
「掴まってるだろっ。騎手だって、馬にへばりついたりしねぇだろっ」
と怒鳴り返す海堂。
ようやく、アンカーの高遠まで来て『バトン海堂』をわたすと、今度は海堂、態度一転して高遠の首にへばりついている。なんだかとても嬉しそうだ。
「なんか、えらく、違いませんか」と、言う一年生新井に
「海堂だから、しょうがねぇだろ」と、三好が一言。ついでに
「当日もしっかりやんねぇと大変な目に会うぜ」
目で笑いながら脅しをかけた。



体育祭当日。午前の部が終わって、昼食を挟んで午後一番はクラス対抗応援合戦。人間リレーはそのまだ後だ。
海堂と高遠のクラスの応援合戦演目は「花の応援団」(そのまんまやんけ)。やはりここでも長身の高遠と三好が長ランをきる羽目になった。海堂に女装のチアリーダーをさせてみてはという案も出たのだが、その提案者上田がボコボコに(もちろん海堂から)されたため、残念ながら実現しなかった。

準備中の教室に海堂が覗きに来た。がらりと戸口を開けて入りながら
「どうだぁ。高遠」
その声に振り向いた高遠。引き締まった長身に真っ黒の長ランを着て、白のたすきがけ。真っ白な手袋をはめているその姿に、海堂は一瞬息を呑む。普段は、男らしい外見に似合わないちょっとシャイで優しいところが魅力の高遠なのだが、こういうカッコをするとえらく男振りが増すことに気づいてしまった。
「惚れ直してんじゃねぇよ」
三好のからかいに海堂も高遠も同時に赤くなる。
「ふざけんなよ」
高遠が三好の後頭部をはたく。
海堂は実際見惚れてしまって、胸がドキドキ高鳴るのを聞かれないように、少し後ろに後ずさった。そのままじっと見ていたいけど、なんだか心臓が苦しい。
「あ、じゃ、また後で」
海堂はそそくさと教室を出て行った。
「えっ?海堂?……何しに来たんだ。あいつ」
高遠は首をかしげた。



教室を出ると、今度は心臓に悪いものが海堂の目に飛び込んできた。ジル川原のコスプレ。結局ひとりで三役は無理だと(当たり前だ)諦めて、悩んだ挙句『オスカル様』を選んだ。赤い軍服もどきに金のモールが煌めいている。
「やぁ、僕の永遠のライヴァル海堂龍之介」
川原、話し方、手の振り方も宝塚調。普段より男らしいくらい。
自分の容姿をひけらかすように、ゆっくりクルリと回ってみせて
「どうかな、この衣装」
と、微笑む。
海堂は、無表情に
「いいんじゃねぇの(どうでも)」と、応えた。
ライバルの意外な賛辞(?)に気をよくして川原はまた嬉しそうに聞いた。
「君にもわかるかい」
「GSだろ。いまどき珍しいけどな」たしかマチャアキとかだよな、いや違ったか?何しろ古すぎてわかんねぇや、とブツブツ言いながら去っていく海堂。
呆然と立ちつくす川原。
(マ、マチャアキって、誰?)


応援合戦では期待の2−Eの『ベルバラ』が、主役が本調子でなかったため今ひとつだったが、2−Bの学ランや太鼓を使った『花の応援団』はなかなかの好評を博した。
(高遠。かっこいいぜ)
三好が隣にいるのが気になるが、この際それは見ないふり。海堂は長ラン姿の、白い鉢巻も凛々しい高遠に熱い視線を送った。
それが終わったら、人間リレーの準備に移動。ここからの種目は『激突!男の棒倒し』『暗くなるまで待って』(どんな種目だ)など、アトラクション性の強い種目が多く、クライマックスの学年リレーにいたるまでのお遊び的要素が強い。『人間リレー』もそのひとつ。
「いいかっ、やるからには勝つんだぞっ」
白組、バトン役が何故か気合をつけている。
小さな海堂が180cm級の大男の真ん中で拳を振り上げて叫んでいる。
「こんなヘンテコなリレーも、勝負の世界じゃ、勝つか負けるかだっ。男なら勝つっ」
そして三好を睨むと
「三好っ、お前がスタートきるんだから、ここで出遅れたら承知しねぇぞっ」
三好は苦笑しながら「途中、落としたらごめんな」と白い鉢巻を締めなおす。
スタート三好。そのあと三年、三年、一年、一年とつなげてアンカー高遠。
海堂コーチのゲキを受け、それぞれが自分のスタートする場所に移動する。


「位置について、用意。スタート!」
ダン!
ピストルの音と共に一斉に駆け出す。三好なかなかの好スタート。体重の軽い海堂を背に苦も無く走り抜け、一番初めに次走者にバトン(海堂)を軽々渡す。
「やっぱり、海堂、軽いんだよな」高遠が呟く。
身長165cmの海堂、体重は50s無いくらいだろう。おまけに、バトンタッチが近づくと自分から次の背中に飛び移っているので白組はみるみる差を広げていった。高遠は「やるからには勝つ」と言った海堂の顔を思い出してふっと笑った。
いつでも負けず嫌いなヤツ。
次の三年も無事バトンを渡し、いよいよ一年が走る。ガタイがいいとはいえ、やはり、上級生とは違う。海堂の背中のゲキも激しくなる。
「おらおら、しっかり走れ!」
なんとか200m走って、新井につなげる。新井はさっきから緊張しまくり。海堂を受け取って、二、三歩駆け出したところで足を内側に捻って転んでしまった。

「ってぇっ、何やってんだっ!タコ」
怒鳴る海堂。新井はびくびくと
「すいません。先輩」と謝り、起き上がろうとするが立てない。
それに気づいた海堂が、新井の足を覗き込む。
「どうしたんだよ」
捻ったところがみるみる赤く腫れていく。
その間に、一人、二人と抜かされる。
200m先から高遠が心配そうに見つめている。
「ちぃっ」
海堂は立ち上がると、新井の手を引き片足で立たせる。怯える新井に背中を向けると
「しっかり掴まってろよっ」
そのまま無理やり新井を背負った。
「海堂先輩っ」



「おおおおおおっ」
意外な展開に、一斉にどよめきが起こる。
身長165cmの海堂が、一年生とはいえ180cm近くもある(体重は自分の1.5倍はありそうな)新井の大きな身体を背負って走る。
「海堂っ!」
驚いて大声を出す高遠。その高遠に向かって海堂が走ってくる。

(絶対!高遠と一緒に一着でゴールするんだ)
この思いだけで、海堂は大きな身体を背中に支えて、全力で駆ける。

は、はええっ!!

見ている全員が舌を巻いた。
巨体を背負った小さな身体が、さっき抜いていったやつらを、また一人、二人と抜き返す。
高遠は、初め信じられないように目を見開いて海堂の姿を見つめ、そのうちに頬が緩んでいった。
(海堂が自分と同じくらいデカイ男を背負って、すごいスピードで走ってくる)
何故だかものすごく可笑しくなった。口許を手で押さえ身体を折り曲げて笑う。
海堂の顔は遠くにあるけど、その表情は手に取るようにわかる。きっと、大きな目で真っ直ぐこっちを見つめて、唇をきゅっと噛んでいるのだ。額と鼻の頭にうっすら汗をかいて。
次第にその顔が高遠の目の前に迫る。高遠は可笑しくて笑っている。
笑いながら一瞬だけ高遠は、入れ替わったバトンと走者に対して
「で、一体どっちを背負って走るんだ?」と、間の抜けたことを考えた。
そこに海堂が駆け込んできて、新井を下ろすと、高遠の胸に飛び込んだ。
「高遠っ」
しがみついて見上げるその瞳が『俺、やっただろ』といわんばかり。高遠はまた破顔すると、一瞬きつく海堂を抱きしめ、
「いくぞ」と、そのまま抱き上げて走り始めた。

背中に背負うわけでない、いわゆる『お姫様抱っこ』
その格好で高遠は400mを走り抜ける。走りながらも高遠は可笑しくてクスクス笑う。
(なんで、俺、こんなことしてるんだ)
海堂は嬉しかった。高遠の胸に抱かれて、ゴールを目指す。高遠の汗の匂い。心臓の音。ぎゅっと、首に廻した手をきつく絡めると、高遠の手も応えるように力強く抱きしめてくる。
(なんか幸せ。このまま、ずっと走り続けてほしい)
海堂もいつも間にか笑っていた。
やんやの喝采と冷やかしのブーイングの中、倒れ込みながらのゴール。海堂悲願の一着だったが、今の二人にはもうどうでもいい。
倒れ込んだまま、まだ、笑いつづけている二人に、三好がタオルを投げつけて
「ったく、見ているこっちが赤面すんだよっ」
そう言って、やっぱり笑った。




「なんか俺、酔っ払ってたみたいだ」
人一倍の小心者で恥ずかしがり屋を自負する高遠、自分が人前であんなに大胆なことをしてしまったのが信じられない。
「お前の走ってる姿見てるうちに、酔ったのかな」
恥ずかしそうに笑う。
ここは保健室と同じ棟にある視聴覚教室。
高遠と海堂は新井を保健室に連れて行くという名目で体育祭を抜けたまま、ここで二人向き合っている。
「俺は、高遠と一緒で、嬉しかったぞ」
海堂がまだ少し赤く上気した頬で、瞳を輝かせて言う。
「うん」
高遠も頷いて、
「俺も、なんかすごく嬉しかった」
優しい瞳をして応える。
どちらからともなく身体が近づき、海堂がその手を伸ばすと、高遠がその長身を少しかがめて、ゆっくりと二人の唇が重なる。
海堂が高遠の背中に手を廻し、体操服をぎゅっとにぎる。
校内放送と共にオクラホマミキサーの音楽が聞こえてきた。
「もう、フォークダンスだ。どうする?」
海堂が離してくれないので、唇をほとんど重ねたまま囁く高遠に、海堂はやはり唇を重ねたまま薄く笑って応える。
「俺は高遠以外と踊る気はないぜ」
「俺も」
そういって、ふたたび口づける。さっきよりも深く。もっと甘く
                                       

HOME

小説TOP

NEXT