《君が嘘をついた》


 高遠ヤマトは海堂龍之介の恋人である。

 先日の海堂の爆弾発言以来、そのことを都立和亀高校で知らないものはいない。
あれから高遠は、今までどおり普通に海堂と歩いているだけなのに、様々な視線に晒されることになって、日々落ち着かない思いをしている。
(傍若無人海堂は相変わらず平然としたものだが)
小心者の高遠は、特にこの購買部のように全校生徒が集まるような所では、海堂の近くにいることが気恥ずかしく、ときどき今のようにそっと離れて立ったりする。

「よう、色男」聞き覚えのある声。級友の三好常隆。
「野郎どもの嫉妬に狂った視線を、今日もビシビシ独り占めだな」
にやにやと笑いかける友人に、高遠は眉間にしわを寄せると小声で言った。
「いったい、誰のせいだと思ってるんだ」
「誰って……」
三好の視線の先には、食後のアイスを物色している海堂の姿。
そう、誰のせいというならば『衝撃の恋人宣言』をした海堂のせいにほかならないが、あの時三好が訳知り顔で拍手なんかをしなければ、冗談で済まされたのではないかと今だに高遠は思っている。そんな高遠の気持ちを知ってか知らずか三好は
「でも、公認の仲ってのもまんざらじゃあ、ないだろ?」
何故か嬉しそうに覗き込む。
「ばっ、馬鹿やろ」
高遠が赤くなってるところに、棒アイスを二つ買った海堂がやってきた。ちらりと三好を見上げる目に剣が覗く。
三好は、高遠が一年のときからの付き合いで、海堂が転校してくるまでは一番仲のよかった男だ。海堂は、高遠が三好と仲良くするのがなんとなく気に入らない。が、そういうことには鈍感な高遠はそのことに全く気づいていない。鈍感じゃない三好は当然気づいているが、知った上でからかうのが好きという困った性分。
今も海堂の視線を受け止めプッと笑う。その笑いにムッとした海堂が
「なんだよ。何の話してたんだよ」と睨む。
「さあ。何の話でしょう」
三好はわざと自分の手を高遠の肩に廻して、首を高遠のほうに傾けて笑った。180cmの長身の高遠と遜色ない身長の持ち主の三好だからこそ出来る大ワザ。165cmの海堂はぎゅっと右手に力を入れ、拳を握った。
炸裂しそうな『海堂の黄金の右』に慌てた高遠が三好の腕を振り払い
「おい、アイス溶けるぞ。はやく食わねぇと昼休み終わっちまう」
と、海堂の背中を押して、屋上にあがる階段のほうにせきたてた。
海堂は、散歩中によその犬と喧嘩をはじめて飼い主に引っ立てられる犬のように、何度も振り返って唸っている。その姿を充分見送ってから三好は
「ぶっ、ぶふふふふ……うーっ、たまらんっ」と壁に身体を打ちつけて仰け反って笑った。



 屋上。昼休みも終わろうとしているこの時間だからか、珍しく他の学生がいなかった。二人は給水塔の壁に持たれかかって棒アイスを食べる。海堂の場合、まさに食べるという表現がピッタリで、どんなに冷たいアイスでも頭からガリガリ噛んでいく。海堂があっという間に食べ終わったとき、高遠はまだ半分近く残していた。

「なあ、さっき何話してたんだよ」
海堂にしては珍しく話をむし返す。それだけ、三好のことが気にかかる。
(アイツ、これ見よがしに、肩なんか組みやがって)
高遠はまさか、海堂の恋人宣言の話とも言えず
「ウーン。まあ……大した話じゃねぇよ」とお茶をにごす。その返事が海堂には、自分の知らない高遠と三好だけの繋がりを見せつけられたようで、ひどく胸の中をザワつかせる。
「なあ、高遠」
「ん?」横を向いて海堂の顔を覗き込む高遠。
「キスしろよ」
「えぇ?」思わず大声を出す。手にしていたアイスがぼとりと落ちる。
「おまえ、前に、俺にキスしたいって、言ったよな」
海堂が真剣な目で訊いてくる。
「…………」言葉が出ない高遠に
「忘れたのか?」と、たたみこむ。
「いや」
(忘れるわけ無い。あの時俺は、お前からキスされて)
高遠はその時の生々しい記憶に、体中の血が逆流するのを感じた。
「だったら、キスしろよ」
頭一つ低いところにある海堂の綺麗な顔が、真っ直ぐに自分に向けられている。高遠はなんだか頭の芯がぼうっと痺れてきた。
「それとも、もう、したくないか?」
じっと見つめる海堂の目が一瞬、翳った様に見えた。
「そんなこと、ない」
唇だけやっと動かして高遠がつぶやくと、海堂の両手が高遠の顔に伸びてきた。どこか夢の中での出来事のように、高遠はぼんやりそれを待っている。
海堂の手が高遠の頬に触れた瞬間、ビリッと電流が走った感覚に、高遠は我に返った。
「ちょっ、と、まて。海堂」
両手で自分の頬にあった海堂の手をぎゅっと握ってはがす。
「今日は、その、俺から、やらせてくんないか?」
(学校ん中でこの前みたいなディープなヤツやられたら、どうなるか知れたもんじゃねぇ)
高遠の本音はともかく、この申し出に海堂は
「お前から?」と確認するようにつぶやくと、
「いいぜ」
小さく頷いて、そっと睫毛を伏せた。
(かっ、可愛いぜ。海堂)
海堂のこんな素直な愛らしい表情は、恋人の高遠でも滅多に拝めない。例えるなら清水寺のご本尊ご開帳のようなありがたさだ。
「目は閉じといてくれよ」
高遠は念押しして、緊張にほんの少し震えながらその長身を折り曲げ、そうっと、唇を近づけた。
軽く重ねただけだが、海堂の唇はしっとりと弾力あって、さっき食べたアイスの味がする。ゾクッと背中を駆け抜ける感覚に、高遠はあわてて唇を離す。すると海堂は
『もう、終わり?』といった目で見上げる。
子供だましだ! とその目が訴えているようで、高遠は海堂の髪をくしゃっと撫でると
「学校内だからなっ。これ以上はだめだ。五時間目始まるぞっ」
わざとぶっきらぼうに言って、海堂を昇降口の方にせきたてた。
海堂は内心ちょっと物足りなかったが、見上げる高遠の照れた横顔があんまり赤いので、
「ま、今日のところは、この辺で勘弁してやるか」と言って笑った。
(三好とのことはいったんお預けにしてやる)


 その様子をまたもや一部始終見ていた和亀高校のジルベールこと川原一美。学園(?)一の美少年の座を争う『海堂龍之介の永遠のライバル』とは本人だけが思っていること。
「なんなの、なんなの、あれ。学校内でイチャイチャしちゃってっ」
その学校内で覗きをしている川原の、手には立派な双眼鏡。宝塚観劇用にお母様から買っていただいたものだが、平日は川原の覗きという高尚な趣味に大活躍。今日はたまたま屋上方面を覗いているうちに海堂と高遠のキスシーンを目撃することになり、ライバル海堂の幸せぶりが面白くない。
「先生にいいつけちゃおうかな。不純同姓交友。って、ちょっと古いか」ブツブツ独り言。
「何をしているの。川原クン」取り巻きの生徒が近づいて訊く。
「バードウォッチング」
冷たく応えながら、頭の中では何とか海堂をギャフン(死語)といわせたい川原だった。


* * *

「高遠。ちょっといいか」
ある日、一人で廊下を歩いているときに隣のクラスの橘が声をかけてきた。橘正春。高遠と一年のときは同じクラス。新聞部の副部長をしていて、校内でもいつでもカメラを手放さない、ブン屋魂にあふれる男。なんとなぁく嫌な予感のしている高遠を無理やり自分の席にまで引っ張り込むと
「今度うちの新聞で使わせてもらいたいんだけど。いいよな。いいって言えよ」
機嫌良く笑いながら、おもむろに封筒から数枚の写真を出した。
(げっ!これは!)
高遠はその写真に一瞬心臓が止まる。
あの屋上でのキスシーン。高遠の陰になって海堂の顔はよく見えないが、間違いなくあのときの写真だ。みると他にも高遠と海堂が二人で見つめ合ったり、笑いあったりしている妖しげなツーショットが何枚もある。いやまて、よく見るとキスシーンの写真以外はただ話していただけのもの。それをアングルひとつでここまで妖しく見せるとは、さすがは橘。
(って、俺が感心してどうするよっ)
「なんだよ、これ」
硬派で端整な顔の眉間にしわをよせる高遠。
「写真」
「だから、写真はわかるから、なんで、こんなのがあるのかって、聞いてんのっ」
眉間のしわが深くなる。
橘は悪びれず、自分でもその写真を手にとって一枚一枚確かめながら
「よく撮れてるだろ。それらしいの選んでみたんだけど。これなんかまるでキスしてるように見えるよなぁ」
(してんだよっっ。バカヤロー)
高遠、顔に血が上る。
「でも海堂の顔が写ってないからやっぱこっちがベストショットかな。実はうちの新聞の企画でさ、『今週のラブラブショット』って新コーナーを、二学期から作ろうかと思って」
ケロリと橘が言う。
「でさ、やっぱ、初回は特集号にしようかと思って。『恋人宣言以来の二人の軌跡』って感じで。今撮りだめてんだよねぇ」
「ラ、ラブラフ゛……?」
さっき上った血の気が、今度は引いていく。
「そう、今やうちの名物となりつつある『海堂&高遠ペア』に毎回アツアツの写真を提供してもらって、ともすると無味乾燥しがちな男子校生活に彩りを添えてもらうという……」
などと企画をプレゼンされても、高遠に「あーそーですか」と言えるわけが無い。あまりの話に目眩でクラクラする。
「聞いてんのか?高遠」
橘が不満げに、下から顔を覗き込む。
「聞いてるよ。何なんだよ、それ」
ついに温厚な高遠がキレル。
「勝手に変な企画考えて、人の写真、隠し撮りして。一体新聞部ってなんなんだよ」
「新聞部の使命。それは校内の皆が知りたがっている情報をいち早く正確に伝えること」
真面目な顔で橘が言う。
「正確じゃ、ないだろ、大体」
高遠が睨む。
それをどこ吹く風とかわして、橘は
「それにさ、やっぱ海堂ネタは評判いいんだよねぇ。去年はジルベール川原だったけど、今年はやっぱチャーリーズエンジェル海堂だよ」と、得意そうに笑う。
そう。ミス和高での女装の海堂の大立ち回りを『都立和亀高校のチャーリーズエンジェル(でもひとりだけでごめんね♪)』という記事にしたのはこの男。しかもその新聞が売れて売れて、過去10年の最高記録を書き換えたと喜んでいる。
「さしずめ高遠、お前チャーリーな」ニコッと笑う橘。
「ふざけんなっ」
高遠は橘の手から写真をもぎ取ると全部一緒にビリビリ破った。
「あ、何すんだよ。高遠」
「それはこっちの台詞だ」几帳面に、これ以上無く小さく破ってゴミ箱に捨てる。
「ま、いいけど。そんなの破られても。ネガ、あるもん」ふふふん、勝ち誇る橘。
「ネガもよこせ」手を出す高遠。
「断る」その手をはたく橘。
「肖像権の侵害で訴えるぞ」
「どこに」
「…………」
「裁判は金かかるし、未成年の原告被告って言うのは大変だぞ、お互い」橘が真顔で諭す。
そもそも高遠が口で橘に勝てるわけが無いのだ。

とりあえず、写真の掲載や企画の件はもう少し待ってくれと頼み込んで、高遠が橘の教室から出ると、すぐ目の前に海堂が現れた。
「高遠。どこ言ってたんだよ。捜したんだぞ」
と、唇を尖らす。
高遠は視線を感じてそっと後ろを振り向くと、カメラを持った橘が、かまぼこの様な目で笑っていた。
「あのヤロ」小さく呟くと高遠は「行くぞ」と一言、その場を足早に立ち去る。海堂は、高遠のいつもと違う様子に少しだけ戸惑った。



「何が、ラブラブショットだよ。なぁ」
学校帰りの喫茶店。高遠は三好に愚痴っている。こんなことをあの血の熱い海堂に伝えたら橘の命が危ない。
(いや、俺的には別にそれでもいいんだけど)
と思う高遠だがしかし、なにしろ主に暴力でしか物事を解決しない海堂よりは、三好のほうがこういう場合いい考えがありそうな気がして、今日はわざわざ付き合わせて話し込んでいる。
「面白い企画じゃねぇか」
アイスコーヒーを一口飲んで三好が言う。
「やめてくれよ、お前まで」ふざけるのは、と言う高遠に、三好は(ホントに面白いと思ってるんだけどな)という本音は出さず
「で、どうしたいんだよ?」と、訊ねる。
「どうって、そっとしておいて欲しいんだよ。俺たちのことは」ボソッと俯く高遠。
(俺たち、ねぇ)
三好の頬が緩む。それを隠して
「でも、新聞部にとっちゃ今一番美味しいネタだからな。ただ、やめてくれって言っても難しいよな」と、言って「いっそのこと芸能人とマスコミのように協定結んどけば?」と大胆な提案をする。
「なんだよ、協定って」高遠が顔を上げる。
「だから、自分たちから進んで情報を提供するかわりに、不都合なことは書かせないって事前に約束しとくんだよ」
「そんな。そしたらやっぱ、俺たちのことが記事になるんじゃねぇか」ムッとする。
「そのかわり、この間の『海堂恋人宣言』の時みたいに、あること無いこと書かれなくてすむぞ」と言ってから、三好は一瞬しまったという顔をした。
「なんだよ。この前の、あること無いこと書かれるって?」
高遠の顔が険しくなる。
「あー、なんだ」
三好は高遠の視線を避けてグラスの中のストローをクルクル回す。
「あのことって、校内新聞には載ってねぇよな?」
高遠が低く訊く。海堂が三多摩青狼会の頭をノシてその時の爆弾発言が高遠との『恋人宣言』になってしまったあの事件。
「号外がね、出たんだよ」
三好はストローで氷をつつきながら
「さすがに、教師に見つかったらヤバイ内容だってんで、すぐ回収されたんだけど、アングラで、出まわっていてねぇ」思わせぶりに左右に頭を振る。
高遠は、よくわからないけれど(わからないだけに)ものすごく不安になった。
「お前は見たのか?」恐る恐る訊く高遠に、三好は
「見た」きっぱり頷く。
「何だったんだよぉっ、その、あること無いことってぇ」
情けない顔して、すがる高遠。
「いやー、それはさすがに」はっはっは、と笑う三好。


 偶然というのはこういう場合お約束で、その高遠と三好が一見じゃれあっているような場面を海堂は喫茶店のガラス越しに見てしまった。
「なんだよ。あいつ。今日は大事な用があるからって先に帰ったはずなのに」
高遠が自分に嘘をついて三好と会っている。その事実に胸がムカムカとした。おもわず黄金の右手の拳を握るが、何故だかそこに怒鳴り込んでいく気になれない。
じっと見ている目の前で、何か言ったらしい三好に向かって、高遠がうなずいて笑う。
その笑顔がとても爽やかで優しそうで暖かい、海堂が大好きな表情(かお)だったから、よけいに胸が苦しくなった。まさか、自分の話題をされているとは思いもしない海堂。
「なんか、気分わりぃ」小さく呟いて、その場を立ち去る。


 海堂は、拳を固く握り締め、俯いてずんずん歩いている。
と、そこで前から来た男と肩がぶつかった。相手の男が振り返りざま
「ってえなあ。どこに目ぇつけてやがる……んだ? 俺たちっ!」
「すんませんっ。海堂さんっ」
見れば、三多摩青狼会ヒロ&モンのバカコンビ。ぶつかってしまった相手が『あの』海堂なので、大慌て。
「ごぶさたしてます」
何とかうまく切り抜けようとペコペコ頭を下げながら、モンは愛想のつもりで、いわなくてもいい一言。
「今日はおひとりですか?」
今の海堂、その一言が気に触った。
「俺が……」握っていた拳をそのまま挙げると「何人もいたら」上目遣いの兇悪な顔になり
「困るのはお前らだろうがっ。ああっ?」と強烈な右ストレートと膝蹴り炸裂。
ビシッ。バコッ。ドスッ。
顎と腹をおさえて地面に伸びているヒロ&モンを尻目に、再びずんずん歩き出す。
握った拳の打ちつけ所はあったけど、これで気が晴れるというものでもない。海堂の苛々は増すばかり。



* * *
翌日。
「なんだよ。これ」機嫌の悪さに拍車がかかる海堂。
「いや、もうすぐ夏休みで会えなくなる級友たちと懇親を深めようかと思って」と高遠。
海堂と高遠は教室で輪になって昼飯を食べている。
「海堂君。よかったらうちの母の紫蘇巻き食べて」と嬉しそうな上田。
昨日のことを高遠に問いただそうかと思っていたのに、二人っきりになるチャンスが無い。
朝からずっと、教室移動から何から全部、集団行動だ。
実は、高遠と三好が考えた『ラブラブショット封じ〜木を隠すなら森の中作戦』なのだが、確かに違和感は否めない。三好は面白がっていて
「いやぁ、大勢で食べる飯はうまいなぁ。なっ、海堂」などと言って憚らず。
海堂はむっとしていきなり立ち上がると教室を出ていった。
「あっ、おい海堂」あわてて追いかける高遠。
足早に歩く海堂を、渡り廊下でやっと捕まえて
「待てよ。海堂」と高遠が前に回りこむ。下を向き視線を合わせない海堂。
高遠が困ったように言葉を選んでいると、先にいきなり海堂が見上げてくってかかる。
「何なんだよっ。いったい。昨日からっ」
「昨日?」今日の行動の異常さはそれなりにわかっているが、昨日といわれてピンとこない。逆に問い掛けてしまった間抜けな高遠。
「昨日から、ってどうしたんだ。海堂。なんかあったか?」
海堂には、高遠がとぼけているとしか思えない。
「昨日……」と睨んで、口を開きかけたが、言葉が続かない。三好の名前を出そうとした時ふいに嫌な気持ちが起きた。聞いてしまった後に取り返しのつかないことになるのでは。
ここで三好の件にふれたくない。いや本当はふれたいのだがそうすると傷が拡がりそうな、例えて言うなら喧嘩後の傷のカサブタみたいな感じ。身体の傷にはめちゃめちゃ強い海堂も、心の傷にはいたく弱いといったところ。
折悪しく、そこに三好がやってきて「ちょっといいか」の一言で、高遠をさらっていく。
「俺、教室戻るぞ」という海堂に、高遠は「あ、あとでな」の笑顔を見せて三好と去っていった。海堂はしばらく動かず二人の背中をじっと見送る。

 階段の陰に隠れてコソコソ話す三好と高遠。
「お前ら何やってんだよ。結局美味しいとこ撮られてんじゃねぇか」と少々呆れ顔の三好。
「何だよ。それ?」
「さっき橘が『痴話喧嘩ショット』とか言って嬉しそうに撮って行ったぞ」
「げっ」(いつの間に橘!やはり侮りがたし)
「やっぱ、事前協定案の方がいいんじゃねぇの?」ニヤニヤと笑う三好。ちなみにそっちの作戦名は『ジャニーズ』だ。
「それは嫌だ!」作戦名も何となく気に入らんと反論する高遠。
そこにジルこと川原が階段を下りてきて、陰で話をしている二人に気づく。珍しく取り巻き連れず一人なのは一学年上の中村に宿題を押し付けてきた帰りのため。
(あれって、たしか海堂の……)ライバルの恋人のコソコソ話。聞くなというのが無理。

「やっぱさぁ、二人で一緒にいないようにするって言うのは無理があるぜ」と、今日半日を振り返って、苦しそうに言う高遠に
「じゃ、一緒にいればいいじゃねえか」言外に『それをきっちり写真に撮られちまえ』という意味を含ませ、三好が目で笑う。
「それが嫌だからこうしてるんだろ。なんとかしてくれよ」
高遠、三好の肩にすがる。
「しかし、やっぱ、今日の作戦は、かなり違和感あったねぇ」と、高遠と同じく今日の異様な集団行動に苦笑する三好。
「なんか俺、すっげぇ疲れたよ」と泣き言の入る高遠。

川原、この二人のやり取りを聞いて期待道理の勘違い。
(聞いちゃった。それってつまり、そういうことだよね)
小走りにその場を去ると、渡り廊下の石柱に身体を持たせかけた海堂の姿を発見。
海堂は、やっぱり一人で教室に戻る気にはなれず、高遠の戻りを待っていたところ。
ジルこと川原がよそ行きの声で話し掛ける。
「僕の永遠のライヴァル、海堂龍之介。今回はお気の毒様だったね」
「あぁ?」海堂、露骨に顔をしかめる。川原は自慢の髪を細い指でかきあげながら
「恋人宣言してから、こんなにあっという間に破局なんてね」と言ってしまって、それってちょっと葉月里緒菜でかっこいいかも(バカ)とか思っていたところ、海堂にいきなり胸倉をつかまれた。
「いやぁー。なにすんのよぉっ」びびるジル。
「てめぇこそ、ナニ言ってんだよ。俺は今日機嫌が悪りぃんだよっ」凶悪顔で睨みつける。
「わかった。ごめんなさい。フラれたからって八つ当たりしないでっ」お願い、顔だけはぶたないでぇっと泣き叫ぶ。
「フラれ……って何だよ」
海堂、殴ろうとした手が止まったのは、昨日からの不安のためか。
「三好君と高遠が話してるの、聞いちゃったんだもんっ」海堂の恋人は呼び捨て。
海堂はゆるゆる手を離し
「何て?」と低く静かに訊ねた。
自由になった首を押さえながらジル川原は
「だから、高遠があんたと一緒にいるのは嫌だとか、つらいとか。俺、疲れたとか、そんなことっ」似ているようでどこか違うぞ、川原。しかし、当人の耳にはそう聞こえたのだ。
それを聞いた海堂の目が大きく見開かれる。ほんの少し唇が震える。
「うそだ」
「嘘じゃないよ。三好君に、何とかしてくれって泣きついてたもんっ」勝ち誇ったように言う。その川原を突き飛ばして、海堂は駆け出した。


 階段の陰に隠れるように二人はいた。
学生ズボンのポケットに両手を入れて、どこかふてくされたように俯いている高遠。その肩に手をまわして、三好がちょっと笑いながら何事か囁いている。それを見た海堂の血がたぎった。
「高遠おおぉぉっ」叫び声に高遠が驚いて顔を上げる。
二人の間を裂くような海堂の強烈な右ストレート。間一髪で左右によけた高遠と三好の間を抜け、後ろの壁にぶち当たる。モルタルの壁が崩れ、ぱらぱらと散った。
高遠、三好とも、よけて転んだままその場にへたり込んで唖然と見上げている。
拳を壁に打ちつけたままの海堂が、憤怒の形相で二人を見下ろす。
ゆっくり向き直ると、絞り出すような声で訊く。
「高遠。お前、俺と一緒に居たくないって、本当か?」
高遠は声が出ない。
三好が『なんでこいつが知ってんの?』と片眉を器用にあげた顔で高遠を見やる。海堂は顔にかぁっと血を上らせて、つづけて訊く。
「お前、俺と二人で居ないようにするために、昨日から三好と、コソコソ、やってんのか?」
高遠、漸く落ち着いて
「ああ……」そのことだけど、と続けようとしたとたん、海堂が遮って
「わかった!なら、今日から、俺はお前とは絶交だっ」と叫び、くるりと踵を返すと全速力で駆け去っていった。本当に短気で血が熱いのだ。
呆然とする高遠。
駆けつけた新聞部副部長橘が、海堂が壁にあけた穴を鑑識よろしくパシャッパシャッと撮っている。
口のきけない高遠に代わって三好がつぶやく。
「橘、お前、本当にいいかげんにしとけよ。」


『海堂破局宣言!』またもや、この噂は瞬時に都立和亀高校を駆け巡った。その裏に橘が貢献しているのは言うまでも無い。
ミス和高コンテストでも辣腕を振るった『和亀高校トトカルチョ実行委員』たちに緊急招集がかかった。
生徒会室。和高一の秀才と誉れの高い、生徒会長本田秀一。和高名物トトカルチョの実行委員長も兼任している。その本田が黒板に正の字を書き。
「賛成9、反対2。よって今回の題目をトトカルチョの対象とすることを議決します」
振り向いてにっこり頷き、全員の顔を見渡す。
黒板には本田の綺麗な字体で《海堂&高遠が、ヨリを戻すか否か》と書かれている。
「委員長」委員のひとりが手を上げる。
「なんですか?坂本君」
「賭けの判定日ですが、休み明けの八月末では少し先すぎるとおもうのですが。登校日あたりはどうでしょうか」
「なるほど」本田が腕を組む。
「あと、すいません。判定確認ですが」別の委員が手を上げる。「判定は本人申告だけでは少し不明瞭ではないでしょうか」
「それは当然。本人たちの申告と同時に、客観的な事実確認はいつものように新聞部の協力をお願いします」
本田の視線の先に、新聞部の部長牧野とカメラを手にした副部長橘が揃っている。
「終業式まで日にちがありませんから、各人しっかりたのみます」本田の言葉に全員が大きくうなずいた。

「お前ら、人の不幸で遊ぶのはやめたほうがいいぞ」頬づえついた三好が呆れた顔をする。二年生のトトカルチョ実行委員坂本が持ってきた用紙を見て。
《都立和亀高校名物トトカルチョ夏休みスペシャル》
「まあ、夏休み前の最後のイベントでね。この分配後収益は、全額、秋の体育祭の予算に追加計上サレマス」と坂本はにやっと笑う。
「ふーん。で、今のとこどっちが多いんだ?」三好はあれ以来がっくりと落ち込んでいる友人の顔を思い浮かべながら訊いた。
「確かな現状分析と、世論の希望を強く反映して、《ヨリを戻さない》が、圧倒的に多数」
坂本の答えに「そーだろーな」と呟く三好。
あの絶交宣言から、本当に海堂は高遠を避けている。高遠が何度か話し掛けようと試みても物凄い形相で睨みつけ立ち去っていくのだ。いや、高遠に限らず、あれから海堂はほとんど誰とも口を利かない。もともと美形な海堂だけに、そうなると誰も近づけない迫力があり、教室でも孤高の人となっている。

そうこうしているうちに一学期の終業式がきて、夏休みに入ってしまった。

高遠は自分の部屋のベッドにその長身を投げ出して天井を見ている。
窓外の七月の空は快晴で、入道雲も輝いているけれど、ふさいだ高遠の心には何も映らない。高遠は唯一つのことだけをずっと繰り返し考えている。
「何で俺たち、こんなことになっちまったんだろう」
もともと、自分と海堂のことをそっとしておいて欲しくて色々馬鹿なことを考えていたのだけれど、何がそこまで海堂をおこらせたのかわからない。いや、わからない自分こそが海堂に嫌われてもしょうがないんじゃないかと最近では思える。
絶交宣言以来、高遠が何度話し掛けても、海堂は冷たく拒否した。それこそ全身全霊で否定されているような感覚に、もともと気の小さい高遠は次第に勇気を失っていった。
(やっぱり俺じゃ、あいつをつなぎとめられないのかな)

そのころ海堂は、愛犬トラノスケと一緒にいつもの空き地に散歩に来ていた。
今までなら高遠と二人で一緒に座ったブロックに、一人で腰をおろしてトラノスケの尻尾が動くのをぼんやり眺めている。さっきから思い出すのは高遠のこと。思えばトラノスケを飼える様になったのも高遠のおかげだった。さらわれたトラノスケを助けに行ったときも高遠がずっと付いていてくれた。思い出す広い背中、温かい胸、力強い手、そして優しく笑う顔。
なぜ今、自分の隣に高遠がいないんだろう。
なぜ、自分はひとりでここにいるんだろう。
鼻の奥がつんと痛くなる。
(トラノスケの散歩がこんなに辛いの、はじめてだ)
終業式の日、教室で話し掛けられた時も何であんな態度を取ってしまったのか。最後に見た高遠の困ったような寂しそうな顔が浮かぶ。自分の気の強さと意地っ張りな性格がほとほと嫌になる。
気がつけば日が高くなっていた。トラノスケのために涼しいうちに出てきたはずなのに。トラノスケが暑そうに舌を出して、海堂の足元でじっと待っている。
「ごめん。トラノスケ」
海堂はのろのろ立ち上がると、リードを持って、自宅に戻る道に足を向けた。


家の前に人影がある。その長身にまさか
(高遠?)
と、心臓が高鳴ったが、振り向いたその顔に、海堂は眉間にしわを寄せた。
「三好。何の用だ」
言葉にも不快感がにじみ出る。
「そんな怖い顔するなよ。話があってきたんだ。ちょっとだけ付き合ってくれよ」
「…………」
十分後、海堂と三好は近所の小さな公園にいた。トラノスケを家に入れてから、二人は真っ直ぐここに来た。
公園までの道のり、二人は視線を合わさず、一言も口をきいていない。
公園には、夏休みだというのに誰もいない。ちょうどお昼時なので子供たちも家に帰ったのだろうか。三好は木陰を捜して古い木のベンチに腰掛けると目で海堂を促したが、海堂は立ったまま。
「話ってなんだよ」
剣のある海堂の声に、三好はしばらくの間、言葉をさがした。
少し目を伏せ何か考えている三好の端正な横顔を、海堂はじっと睨みつける。
三好がようやく思い切ったように切り出す。
「俺、お前に礼を言おうかと思って」
「礼?」海堂の秀麗な額に不快なしわが刻まれる。
「お前が高遠と絶交してくれたおかげで、俺が、高遠をあきらめずにすみそうだからな」
そう言って、三好はあえて挑戦するように海堂を見上げ、口の端を上げて笑った。
海堂の目が見開かれ、三好を凝視する。唇はこれ以上無いというほど固く結ばれる。
三好はそんな海堂から視線をはずすと、ベンチに座った自分の爪先を見ながら話を続ける。
「お前が気づいていたかどうか知らねぇが、俺は前から高遠が好きだったんだ。お前が転校して来て、高遠とくっついたときは内心ショックだったぜ。でも、今回こうして別れてくれたんで」ちらっと海堂の表情を見て、ゆっくり顔を上げると
「俺が高遠、もらっていいよな」
突きつけるようにはっきりと言うと、真っ直ぐ海堂の目を見据えた。
「おまえが、高遠を?」海堂がつぶやく。
その瞬間、高遠の名前を口に出しただけで、自分が今までどれだけその名を恋うていたのか、海堂は全身の震えで知った。高遠の優しい顔、広い背中、温かくて大きな手。思い出すその全てを、自分がどれだけ必要としているか。それを三好が奪おうと言う。
海堂は唇を震わせて
「いやだ」と小さく呟く。
どこかでその答えを待っていたかのように三好は
「どうして? 高遠をふったのはお前だろう」と切り返す。
「ちがう。俺は……」と海堂が苦しげに声を震わす。
それを遮るように三好が声を荒げて
「お前が自分から高遠に絶交だって言ったんだよな。もうあいつの事は、何とも思ってないんだろ?だったら俺が」と、たたみ込んで言うのに
「ちがうっ。俺は、高遠がっ、あいつが俺を嫌だっていったからっ」
両手の拳をきつく握り締めた海堂が大声で叫び返した。
その剣幕にちょっとだけ押され、一呼吸おいた三好が
「それは、自分で聞いたか?」と静かに尋ねる。
「もうお前と一緒に居たくないって、別れたいって、高遠がお前にはっきり言ったのか?」
いつの間にか涙を流している海堂が、まるでその言葉が理解できないかのようにしばらくじっと考えて、ゆっくり静かに首をふる。
三好はベンチからそっと立ち上がると海堂を見つめて
「別れようとしたのはお前からで、あいつじゃない。あいつはまだ、お前が好きなんだぜ」と、寂しげに笑った。
「三好……」海堂が涙にぬれた目で見上げる。三好は、それに頷いて優しく言った。
「行けよ」
睫毛を伏せた海堂が、次の瞬間駆け出して行く。

 その背中を見送って姿が消えたのを確認すると、三好はベンチに再び座わり身体を折り曲げた。くぐもった笑いが起きる。
「うっくっっ、ぶっ、ぶふふふふふふふ……うーっ、腹、痛てぇっ。くっくくくっ」
腹を押さえて、涙を流さんばかりに笑う。そして、ようやく笑いが収まると
「一発くらい殴られるのは覚悟してたんだけどな。上手くいき過ぎだ」
少し長めの明るい色の髪をかき上げながら、七月の青空を見上げて呟いた。


* * *
 海堂は走った。高遠の家まで電車の駅でいうと二つ。それでも自分の足で、ただひたすら走る。 
(高遠っ、高遠っ)
心の中で名前を叫ぶと、また涙が出て来る。
こんなに好きなのに、どうして自分から絶交なんて言えたのか。自分で自分が憎くなる。
途中、何度かよろけて、膝もがくがくと震えたが、一秒でも早く高遠に会いたい。
真夏の日差しに汗も滝のように流れるが、拭いもせず、海堂は走った。


 高遠はぼんやりとした頭でまだ考えていた。海堂がどうしてあんなに怒ってるのか。やっぱりもう一度、最後に確かめたい。いや、確かめないといけない。
(会いに行こう)
ベッドから身を起こすと、脱ぎ散らかしていたジーパンに足を通す。そこに階下からチャイムの音がした。
激しく鳴り続ける玄関のチャイムに慌てて出ると、汗と涙でぐちょぐちょになった海堂が立っていた。
「かっ、海堂?!」驚きのあまり、固まる高遠。

「高遠っ」叫びながら、海堂は高遠の胸に飛び込み、そのままぎゅっと抱きついた。
「高遠。俺、ごめん。俺、やっぱ、高遠が好きだ。三好になんかに、やりたくねぇ」
身体を震わせ、泣きじゃくりながら言う。
(三好?)
 何故ここで三好の名前が出るのかわからない。けれど、高遠はただ黙って海堂を抱きしめた。この一見華奢な引き締まった身体、自分にしがみついている細いけれど力強い腕、日向の匂いのする髪も、すべてが懐かしく慕わしい海堂だという喜びに、何も考えられなくなって……。

腰に廻した手に力を込めて、顔を海堂の髪に埋める。
あの気の強い海堂がこんなになって泣いている。高遠は胸が苦しくなった。
「海堂……」
高遠は、唇を海堂の髪に口づけたまま
「俺こそ、ごめん。お前怒ってるの、俺のせいなのに、俺のほうから行かなくてごめん」
海堂は顔を胸に埋めたまま左右に首を振る。海堂の涙が、薄いTシャツから透けて高遠の胸に染みる。高遠は言葉を続けて
「俺、勇気なくて。小心者だから。自分から行けなかった。お前、こんな泣かせるまで、ほっといて……ごめんな」
海堂の頭を引き寄せ長身を折り曲げると、頬を重ねるようにして囁く。
「今度何かあったら、絶対、俺がお前のとこ、先に行くから」
海堂は顔を上げて大きく息を吸うと、掠れた甘え声で言った。
「トラノスケの散歩。明日から付き合え」
「夏休み中、毎日行くよ」
高遠が微笑む。海堂の大好きな優しいかおで。


 そして、《都立和亀高校名物トトカルチョ夏休みスペシャル》で三好が巨額を手にした、というのが二人の耳に入るのは少し後の話になる。




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