《宣言》


下駄箱を開けると中から一通の封筒が出てきた。海堂はそれをチラッと見たが、すぐに手の中でくしゃっと丸めるとそのまま学生服のポケットにねじ込んだ。
それを見た高遠が
「なんだ? それ」と訊くと、海堂はつまらなそうに一言、
「ラブレター」
「うそっ」高遠は海堂の顔を凝視する。
海堂はにっと笑って
「うん。うそ」と答えた。
ここ都立和亀高校は男ばっかりの男子校。いや、男子校だから男ばかり。当然その下駄箱に入っている手紙は、校内の野郎から貰ったものに違いない。
高遠は心当たりがありすぎて、胸の中がざわついた。
(うそじゃ、ねぇな)
なにしろこの海堂龍之介、一ヶ月ほど前の和亀祭で、ダントツ一位で『ミス和高』に選ばれた美形。しかもその際、思わずその腕っぷしの強さまで披露してしまったものだから、以来上級生からも下級生からも羨望のまなざし(だけでなく当然妖しいまなざし含む)で見つめられている。校内でのかなりの時間を一緒に行動している高遠ヤマトはしばしばその視線を一緒に受けとめ落ち着かない思いをしているのだが、海堂のほうはいたって平然としたものである。
「今日うち寄らねぇか。トラノスケの新しい散歩コース見つけたんだ」
海堂が自分より15cm近くも背の高い高遠を見上げるようにして訊く。ちなみにトラノスケというのは海堂の飼っている豆柴のこと。
「ああ、いいぜ」
ラブレターのことをちょっと気にしつつ高遠が応える。
帰る方向が一緒の二人。海堂がトラノスケを飼い始めてから、高遠は、夕方の散歩に時々つき合っている。


「ここを真っ直ぐ行くと、放せそうな場所があるんだ」
海堂の家は中央線沿線の最近開発されてきた住宅街にある。このあたりは昔からの地主が多いところで、税金対策かどうか知らないが提供公園がたくさんあり、散歩コースには不自由しない。けれど『公園では犬を放さないで下さい』というのはお約束なので、海堂は公園よりも、野川沿いの原っぱやちょっとした空き地を見つけてはそこでトラノスケを走らせることを楽しんでいた。
「ずっとつながれてばっかじゃ、かわいそうだからな」
自分の前を、ピコピコ尻尾を振りながら歩くトラノスケを見ながら海堂は目を細めた。海堂にとってトラノスケはペットというより弟のようなものなのだ。
(メスだけど)
高遠はトラノスケを可愛がる海堂の表情を見るのが好きだ。なにしろ、ふだんは喧嘩っ早くてすぐにブチ切れる海堂。黙っていれば天使とも思える顔を持ちながら、目つきの悪さと口の悪さ、そして手の早さでしばしば高遠を始めとする周りの人間をビビらせる。そんな海堂が絶対に怖い顔を見せないのがトラノスケと一緒のときである。
高遠はこの二人での散歩をいつのまにか心待ちにしている自分に気づいていた。


* * *

とある日の昼休み。いつものように購買部はパンを買う生徒でにぎわっている。
「えっ。カレーパン売り切れてんの?」
海堂の不機嫌な声が響く。
「だーっ。高遠っ、お前がちんたら黒板消したりしてたからだぞっ」
上目遣いの三白眼で睨み上げるのに
「しょうがないだろ。日直だったんだから」
困ったように応える高遠。
「俺は今日、カレーパンを食おうと朝から考えてたんだっ」
海堂の綺麗な眉がますますつり上がる。
「焼きそばパン一個おごるから」許せよと言うのに
「焼きそばは、カレー味じゃねぇだろぉっ」
と、凶悪な顔になってむちゃを言う。
しかたない。高遠は伝家の宝刀を抜く。
「あー、焼きそばといえばトラノスケ、元気か?」
なにが『焼きそばといえば』なのか、高遠、自分でもあきれるが、海堂はのってくる。
「あ?トラノスケ?」
表情が変わる。思い出したようにニコッとすると
「そうそう、お前に言おうと思ってたんだ。アイツさ、歯が一本抜けたんだよ。昨日」
「へえ……焼きそばとソーセージパンでいいよな。あと牛乳っと」
「こう、タオルを引っぱりっこしてたら、タオルにくっついてきちゃってさぁ」
身振り手振りで説明する海堂に適当に相槌を打ちつつ、高遠はさっさと会計を済ませて海堂のぶんも持つと、いつもの場所に向かう。
さりげなく海堂の背中を押しながら。
海堂は豆柴トラノスケの乳歯が抜けた話に夢中。
そんな二人の様子を級友の三好常隆がおかしそうに見ている。
「まったくいいコンビになってきたな」
三好は海堂が転校して来るまでは、高遠のクラス2−Bの中で、高遠と一番仲が良かった男だ。一年のときから同じクラスの三好は、高遠のその大きな身体や硬派な顔だちに似合わない几帳面さや小心者かげんを結構気に入っている。最近ではその高遠が同じく外見とのギャップがはげしい美貌の転校生海堂とくっついている様子がかなりお気に入り。今もその身長差のある背中を見送り、面白そうに目を細めた。

「あー、もうっ。何でこんなに混んでるのようっ」
男にしては甲高い声。和亀高校のジルベール(ってだれ?)こと川原一美が取り巻きを引き連れ購買部に入ってきた。いつもなら「買ってきて」の一言で頼んで待っているだけなのだが、今日は何パンにするか決められず「見てから選ぶ」と言って直接来た。
和亀祭の『ミス和高』で二連覇を狙っていたのが海堂に敗れてしまってからずっと、川原の機嫌は良くない。購買部が混んでいると言っては八つ当たりし、パンの種類が無いといっては八つ当たりする。
「焼きそばパンならたくさん残ってますよ」
と取り巻きの一人が言うのに
「何でこの僕が、青海苔が歯につくようなパンを食べないといけないのよ」
と、眉間にしわを寄せる。
「どうしても、僕にそれを食べさせたいと言うのなら、青海苔を全部取ってからにしてちょうだいっ!」
腰に両手を当てて仁王立ちで叫ぶ。
そこまでして食べさせたい奴はきっといないぞ、川原。


高遠と海堂は屋上のいつもの場所に座ってパンを食べている。弁当があるときは教室で食べるが、購買のパンのときはそのまま階段を上って屋上で食べるようになった。
ここには一年から三年生までいろいろな生徒が集まってきているので、いつもの事ながら様々な視線が遠巻きに海堂に集まる。高遠としては落ち着かないが、海堂がここを気に入っているのだからしょうがない。その海堂に注がれる視線で高遠は先日のラブレターの件を思い出した。
(聞いてみようか)
そう思っても、なかなか口に出せない。なんていって切り出すんだ?
『この間の手紙だけどさぁ』『誰から貰ったんだ?』『よくあるのか?ああいうこと』
どれもだめだ。言おうとすると緊張して顔に血が上る。
「どうした?高遠」
声かけられてはっと顔を上げると、ブリックパックの牛乳のストローをくわえた海堂と目が合った。その不意打ちの可愛らしさに、思わず高遠は
「手紙」と口走ってしまった。
頭の中にあったものそのまま表現してしまうあたり。
「てがみ?」
海堂が高遠を見たまま不思議そうに首を傾ける。高遠、思い切って
「ああ、あの、この前下駄箱に入っていて、お前が丸めたヤツ。誰からだったのかなぁ、なんて……」思ったりして、としだいにゴニョゴニョうつむいてしまうのに
「ああ、あれね。木崎彰人から」
ストローをズズッと鳴らし、海堂はあっさり応えた。
「え?」
高遠は驚いて顔を上げた。


木崎彰人は多摩地区の高校生の間では名高い『三多摩青狼会』のヘッドである。川原に言わせるとダサくてチープなネーミングだが、活動範囲を三多摩に限っているなかなかアットホームな族だ。その木崎も川原同様、和亀祭以来機嫌が悪い。
実は木崎、ミス和高コンテストの会場で大立ち回りをした女装姿の海堂に惚れてしまった。それで調べさせたところ、海堂が男だったと聞いてショックで貧血を起こしたほどである。
「男の癖にあんなに綺麗なのは反則だぜ」
しかし、木崎の苛々の原因は海堂が実は男であったという事実ではなく、そのあとの自分からの申し出を一切無視されているところにあった。
「もう一度会いたい」
女だと思ったから惚れたのか、それとも男でもいいと思えるくらい惚れてしまったのか。木崎はもう一度会って直に確かめたかった。
ところが、舎弟に頼んで手紙を渡しても何の返事も無い。痺れを切らして先日二回目の手紙を頼んだがそれにも応えはなかった。
「おい、モン。お前、ちゃんと渡しているんだろうな」
黒いサングラスを通してもびんびん伝わる眼光の鋭さに、震えながら木崎の舎弟猿田が何度も頷く。どうでもいいが猿田の猿からとってモンキー略してモンがあだ名の由来。
「大丈夫です。おれのいとこが和亀に通ってて、そいつがちゃんと渡したって言ってますから」
モンが悲痛に言うのに、そのバカ仲間である広田(ヒロ)が気の毒そうに援護する。
「オレも聞いてますよ。ちゃんと下駄箱に入れて、手にとるところまで確認したってモンのいとこが言ってました」
二回目の手紙はすぐに丸めて捨てられたとは、モンのいとこも言っていない。手に取るとこまでは責任持ってやったのだ。
「だったらなんで、何にも言ってこねぇんだ」
木崎は右手のこぶしを左手で握ると指を鳴らす。可愛さあまって憎さ百倍。我慢も限界に近づいたというところ。



「木崎彰人ってあの青狼会の木崎だろ? なんて言ってきたんだ?」
「あー。よくわかんねぇ。よく読まなかったし」心配げに訊く高遠に、海堂はどうでもいいように応える。不良集団の頭からの手紙と訊いて、小心者の高遠はますます心配になる。
「果たし状とかじゃなかったのか?」
なにしろ、和亀祭では青狼会のメンバー四人を病院送りにしている海堂だ。
「それっぽかったな。場所とか、連絡先のアドレスとか書いてたし」
果たし状にアドレスはないだろう。
ともかく、木崎の手紙を軽く無視している海堂に、高遠が
「お前が強いのは知っているけど。むちゃ、すんなよ」
と、言うと、海堂は高遠の顔をじっと見返して、
「うん」
と、笑った。



三多摩青狼会のヒロ&モン。二人は今コソコソと下校中の海堂と高遠の後ろをついて歩いている。痺れを切らした木崎が海堂を「さらって来い」といったからであるが、人ひとりさらうと言うのは簡単なことではない。いや相手が海堂でなければ、取り囲んでなぐって車に押し込んで、という手もあるのだが、なにしろ海堂の怪物じみた強さを二人はその目で見ている。
「やっぱ、なんか考えねぇと無理じゃねぇか」
「だよな。来て下さいって頼んで、来てくれるとは思えんしな」
そのヒロの言葉に、モンが叫ぶ。
「それだ!」
「それって? なんだ?」
ヒロがそのニキビ面をゆがめて怪訝な顔をする。
「頼んでみようぜ。いっそのこと。ヘッドが会いたがっている、って言ってよぉ」
「ナニ言ってんだよ。それでノコノコついて来るんなら苦労しないぜ」と言いつつ、苦労が無いならそのほうがいいなと思うヒロ。モンは
「このままずっとついてまわってもしょうがねぇジャン。どうせ俺たちじゃいくら考えたっていい方法なんかみつかんねぇだろ」馬鹿なんだし、とすっかりその気で近づいていく。
「あ、オイ待てよ」と、ヒロが後を追う。

「嫌だ」
海堂の氷点下の一言。モンのアイディアは金槌でなぐられて粉々に砕けるバラの花のように散った。
「なんで、俺が木崎に会いに行かないといけないんだ」
天使の顔が凶悪な悪魔君に変わる。
「いや、ヘッドが会いたがっているから」
ヘドモド応えるモン。
「だぁから。なんでアイツが会いたがってるからって、俺がわざわざ出向かなきゃなんねぇんだよっ。ああぁっ?」
海堂が中学時代から鍛えたガンで、思いっきり凄むと、モンは
「う、うるせぇ。そうなったら腕づくで連れて行くしか」ねぇんだぜぇと語尾がかすれる。
ヒロは、やっぱり俺たち馬鹿なんだと実感した。
二分後、脚を引きずりながら支えあって去っていく青狼会の二人。それを見送りながら
「海堂、大丈夫か。お前、本当に目ぇつけられるぜ」
呆れた顔で言う高遠に、海堂は
「先に手を出したのはあっちだろ?」と、うそぶいた。
いいや、あっちは腕づくでって言っただけで、その次の瞬間、腕に物を言わせていたのはお前だ、海堂。と言ってみたいのだが、とりあえず
「気ぃつけろよ」と高遠は喧嘩っ早い友人に苦笑しながら、自分の肩の横にある頭をくしゃっとなぜた。海堂は下を向いてふふっと笑う。



* * *

日課の散歩。今日は土曜日なのでいつもより早い時間。高遠はトラノスケをつれた海堂の横をぶらぶらとついて歩く。特になんの話をしなくても、海堂はトラノスケを見ているだけで、高遠はその海堂の横顔を見ているだけで十分楽しい。
近所にある山裾のいつもの空き地に行ってトラノスケのリードを外す。放してもらえたトラノスケは嬉しそうに駆け出してあたりの草叢をクンクンと嗅ぎまわる。ピコピコと左右に動く尻尾も可愛い。二人してフェンスに寄りかかり目を細めていると、そこに偶然、自転車にのった三好が通りかかった。
「あれ、お二人さん」
「三好。どうしたんだ? お前んち、この近くだったっけ?」
意外な登場に驚く高遠。
海堂はひそかに眉を寄せる。
「いや、いとこの家がこの近くでさ。家庭教師してやってんだ。俺」
三好が応えると
「へぇ、家庭教師。さすが、三好。すげぇな」と、高遠が笑う。
「柄じゃねぇけど。たのまれちまってしょうがなくだ。ま、中学生くらいなら何とかね」
高遠の邪気のない賞賛に、それこそ柄にも無く照れたように三好が言うと
「よくいうぜ。お前、頭いいからな。いいよなぁ」
高遠がまた爽やかに笑って言った。
そんな二人のやり取りを、海堂はつまらなそうに見ている。
自分と高遠の二人の時間に、横から入ってきたのが三好だと言うのが、引っかかるのだ。自分が転校して来る前、高遠が一緒に昼を食べていたのはこの三好だ。頭もよく、やること全てそつがなく、同級生の中では大人びた印象を与える男。高遠が一見硬派な印象とすると、三好はどちらかというと軟派なルックスだが、長身の二人が並んで話す姿は妙に絵になる。高遠が三好と笑っている顔を見るたびになんだか胸の中がちりちりする。
(早く行けよ)
内心毒づいていたところ、遠くでトラノスケがキャンと鳴くのを聞いた。
高遠も海堂もあわてて泣き声の方を見る。三好もつられて見る。と、ヒロ&モンが駆け出す後ろ姿。トラノスケの姿が無い。
「トラノスケっ?!」

ヒロ&モンは海堂にボコボコにされた後も、機会を窺ってつけまわしていた。今日、犬の散歩をする海堂をみたとき、モンの小さいおつむがひらめいた。
『あの犬をさらって、海堂をよびだそう』
あとは隙を狙うばかりと隠れていたところ、チャンスが転がり込んできた。すわ、と小さい柴犬を抱えあげると一目散に逃げ出す。絶対に捕まるわけにはいかない。捕まったらまたボコボコという恐怖心に、二人、普段絶対見せない脚力の冴えを見せる。

「トラノスケが、さらわれた」
海堂が青ざめる。
「なんだ、あいつら。追うか?」
と、自転車のペダルに脚をかけた三好だが、二人の逃げた先が山を登っていく方向なので無理だと判断し、あらためて訊ねる。
「知ってるやつか?」
「青狼会のやつらだ。海堂に因縁つけてた」
言葉の出ない海堂に代わって高遠が応える。
「嫌がらせか? まずいな。相手が犬じゃ遠慮なしだ」
冷静な三好。人間なら最悪のことは無いかもしれないが犬じゃ殺したところで器物破損だ、と小さく呟くと、それを聞いた海堂が真っ青になって震え始めた。高遠が物凄い顔でどなる。
「三好ぃっ」
「悪りぃ。そんなつもりじゃなかった」
口を押さえて謝る三好。
「どうしよう……トラノスケ、殺されたら…どう……」
唇を震わせる海堂の目にじわりと涙が浮かんできた。
それを見た高遠は心臓がわしづかみにされたように痛んだ。
「大丈夫。さらったヤツは分かってんだから。取り返しにいくぞ」
と、海堂の肩をつかむ。
「よければ、俺の自転車貸すぜ」
「サンキュー」
通学用自転車だから荷台もある。高遠は自転車にまたがると後ろに海堂をのせ、大きく蹴って、スピードを上げた。
背中にしがみつく海堂が震えているのがわかる。あれだけ気が強く、喧嘩っ早い海堂だがトラノスケのことになると人が変わる。本当に大切なものだから。
高遠の腰に廻された海堂の腕が小刻みに震える。高遠は左手をその腕に重ね、海堂の手をぎゅっと握った。自転車をこぐ脚に力をこめる。
『絶対、見つけてやるから』
海堂は自分の手を握ってくれた高遠の大きな暖かい手から、少しずつ力が与えられてくるのを感じた。腕の震えがしだいに止まる。


さらったのは青狼会のやつらだから、色々探し回るより、直接そこに行ったほうがいい。
「あいつらのアジトっていえば」と、呟く高遠に
「確か、一番初めの手紙に板金工場の倉庫が書いてあった」
今や落ち着きを取り戻した海堂が言う。
「よし、まずはそこだな」
言われた場所に向けて自転車のハンドルを切る。

木崎は自分達の溜まり場の倉庫に飛び込んできた二人に驚いた。ヒロ&モンから話を聞いてこれから海堂を呼び出す算段をしようとしていた矢先。
「トラノスケはどこだっ」
海堂、すっかり自分を取り戻し、凶悪な顔で詰め寄る。
「会いたいと言うから来てやったんだ。さっさとトラノスケを返せ」
「ここにはいねぇよ」
木崎がニヤニヤと応える。海堂の顔にさっと血が上る。
「あせんなよ。ちゃんと大事に隠してんだ。お前が言うことをきくんなら、すぐに返してやるぜ」
短く切りそろえた金髪をボリボリ掻きながら言う木崎に
「なんだよ。てめえの言うことってのは」
ギリギリと唇をかみながら海堂が声を絞り出す。木崎はその顔をじっと見つめると、ふっと口の端を上げて下を向く。
「俺のスケになれ」
「なん、だとぉ?」
言葉の意味が一瞬わからなかった。
「気に入ったぜ。今日見るまではどっちか分からなかったが、俺はお前に惚れてるらしい。犬は返してやるから。俺のオンナになりな」
「ふざけんなっ。何で俺がっ」
「じゃあ、犬はお預けだな」
木崎の言葉に、海堂は息を呑んだ。
高遠はこの成り行きをただ見つめるばかり。勢いで青狼会のアジトまで来たのはいいが、小心者の高遠にしてみればここにいるというだけでも本当はやっと。海堂が侮辱されているのがわかっても、声も出ない。高遠はそんな自分がたまらなく情けなく、嫌になった。
「わかった」しばらくして海堂が応える。
「ただし、こっちにも条件がある」
「なんだ?」木崎が面白そうに聞く。
「俺とお前でタイマンはって、お前が勝ったら好きにしていい。ただし、俺が勝ったらこの話は無しだ。二度と俺にかまうな」
「こっちが切り札持ってんのに、ずいぶん虫のいい話じゃねぇか?」
「三多摩青狼会のヘッドともあろうもんが、犬を質にとってオンナをモノにしたって言うんじゃ、カッコつかないだろ。腕づくでやれよ。俺が負けたら絶対約束を守るって言うのが犬を返してもらう条件さ」
海堂は不敵に笑った。
木崎は目を細めると、海堂を上から下まで舐めるように眺め回し、
(これなら……)
と、思ったらしく、あっさり承諾した。
「なるほど、それもそうだな。おい、モン。犬の居場所おしえてやれ」

約束の日を決め、青狼会のアジトを出ると、二人はモンがトラノスケを隠したと言う山の上の社に向かった。
(あの大男と戦って勝てるのか)
高遠は、木崎と海堂の決闘の話に不安を隠せない。そんな高遠に海堂は
「心配すんな。なるようにしかならねぇさ。それより今はトラノスケだ」
そうだ。とにかく、全てはトラノスケが返ってからだ。
高遠もトラノスケが無事に戻るまでこの話は忘れることにした。

トラノスケは誰もいない社裏の木の上にいた。相当高いところの枝にのせられ、落ちないように紐でくくりつけられている。モン、猿だけあって木登りは得意らしい。
トラノスケは怖くてヒュンヒュン鳴いている。きっと始めはもっと激しく鳴いていたのだろうが、可哀相に今は恐ろしさと悲しさに諦めも混ざった、か弱い悲痛な鳴き声だ。
「トラノスケっ。今助けてやるからなっ」
海堂が木を登り始める。
「大丈夫か」と訊く高遠に
「うん。万一、トラノスケ落ちたりしたら絶対受けとめろよ」
と応えて、巧みに枝に足をかけて登っていく。
あと少しというところでトラノスケが大きく鳴き始めた。
「わかった。今助けるから。じっとしてろ」
バランスを崩すとトラノスケが落ちてしまう。なるべく落ち着かせて紐を外したいのだが、トラノスケは興奮している。繋がれていた紐を外すと同時にトラノスケが跳びついてきた。
「あぶないっ」
高遠の目の前でトラノスケを抱いた海堂が背中から下に落ちてくる。
ずしっ。ずん。
「っつ」
トラノスケが落ちてきたときの用心に下で構えていた高遠の胸腕の中に、海堂はすっぽりおさまった。高遠は勢い尻餅をついてしまったが、海堂とトラノスケは無事だ。腕の中の一人と一匹を見て、高遠は
「よかったぁ」
と、大きく息をつくと、無意識にその手に力をこめた。
海堂は、背中から抱きしめられた格好に、一瞬ピクンと反応する。
高遠は気づかず、これも無意識なのか、海堂の肩に自分の顎を乗せるようにして目を瞑り呟いた。
「本当に、よかった……海堂……トラノスケ……」
海堂は、耳元のその囁きと背中に感じる高遠の温かさ、そして手中の小さなトラノスケの温もりにこの上なく幸せな気持ちになり、
(高遠……)
目を閉じ、ゆっくりと、その身体を高遠の胸にあずけた。

しばらくたって我に返った高遠は、自分が海堂を膝の間に挟んで背中から抱きしめていることに気づいた。かぁっと顔に血が上りあわてて手を離すと、海堂は首だけで振り返った。
「どうした?」
その綺麗な顔が自分の息のかかる程のところにあるのを見ると高遠は余計に焦る。真っ赤になって言葉が出ない。
「いや、おれ、そ、ごめ……」
その様子にふっと笑った海堂が
「残念。せっかく気持ちよかったのにな」と、立ち上がる。
おりしも沈む夕日の逆光に浮かび上がる海堂の姿に、高遠はしばし見惚れる。
「どうした? 立てないのか?」
海堂が左手にトラノスケを抱え、右手を指しだす。
「立てるよ。バカ」
そう言いながらも、高遠はその手をつかんで引っ張り上げてもらう。
「重いな」と言う海堂に
「海堂は、軽かったな」
まだ少し熱っぽい高遠が、視線を合わせないように俯いたまま小さく呟く。
「うるせぇよ」
海堂は可愛らしく唇を尖らした。



* * *

約束の決闘日。
木崎と三多摩青狼会の面々は時間どおりにやってきた。場所は和亀高校の旧体育館。今では半分物置がわりになっているところ。へたに外でやって警察に通報されるよりいいだろうという三好の意見でそうなった。2−Bの級友たちも話を聞いて集まっている。海堂は嫌がったのだが、相手が一対一という約束を破ったときのために人数だけは大勢いたほうがいいだろうと、これまた三好の言葉でこうなった。
教師が来ないことを確認し扉を閉め、2−Bの生徒と三多摩青狼会のメンバーが向き合う。その中心に身長190cmの木崎と165cmの海堂がにらみ合う。木崎がグラサンを外して後ろに投げると、ヒロがあわてて受けとめた。
「いい顔だな。やっぱりお前が男でも、俺のスケにしたいよ」
「気持ち悪りぃこというんじゃねぇよ」
ヘッと笑って上目遣いで睨みつける海堂。
「俺が勝ったら俺の言うことをきくっていったのは、忘れてねぇだろうな」
「俺が勝ったら、もう二度と俺にかまわないと言うのもな」
ふたりは、にやりと笑うと同時に跳びかかった。
どっちも喧嘩慣れしている。体の小さい海堂は、すばしっこく動いて得意の右ストレートや回し蹴りを繰り出すが、木崎はギリギリで避けるか、ダメージの少ない腕で受け衝撃をかわしながら反撃に出る。
木崎の攻撃も、海堂は巧みに避けて、一進一退の攻防が続いた。
海堂の綺麗な顔に、汗が流れ落ちる。

そうこうしている内に、木崎の腕が海堂をつかんで押し倒した。
「海堂っ」
思わず大声が出る高遠。
組み伏せられると大人と子供。木崎は卑しい笑いを見せて海堂の首に片手をかけると、もう片方の手で海堂の胸を弄った。
汗ばんだ薄いシャツを通してわかる乳首の位置で擦りあげる。
「きたねぇ手で、さわんじゃ、ねぇっ」
海堂は懇親の力で、胸に置かれた手を掴むと、その指を反対方向にねじ上げる。
ボキッと指の骨の折れた音。
「おうっ」
叫んだ木崎が身を起こして左手を押さえるその隙に、海堂はするりと木崎の身体の下から抜け出て、体勢を立て直す。
「てめぇ。やってくれるじゃねぇか。遊びは終わりだな」
木崎は凄んで右手で拳を作る。
「ああ、俺も、終わらせたいぜ」
海堂もゆっくりと右手をかざすと拳を握り、黄金の右ストレートの体勢をつくる。
「しゃらくせぇえっ」
叫ぶ木崎。同時に二人の右手がうなる。

(おおっ。力石! ジョー! クロスカウンター!)
と、そこにいた全員が思った。
しかしながら、リーチがまったく違う。高遠は海堂が殴り飛ばされるところを想像し思わず目を伏せた。ところが
「うぉおおぉぉっつ」
木崎の悲鳴が聞こえる。苦しげに股間を押さえている。
「へっ、中途半端におっ勃てるから、痛さもひとしおだろ」
笑う海堂。

海堂はクロスカウンターと見せかけておいて身体を沈めると、得意の回し蹴りでガードガラ空きの股間を蹴りつけたのだった。
(か、海堂……お前って……)
高遠は相変わらずの海堂の外道ぶりに呆れながらも、心の底からホッとした。
「悪りぃが俺の勝ちだ。男なら約束、破るんじゃねぇぞ」
そう言って海堂は、木崎の首の後ろに手刀を落とす。
「うっ」
と唸ったきり木崎は気を失った。
事の成り行きを呆然と見ていた青狼会の連中が一斉に駆け寄り、抱き起こすと、その巨体を運んでいく。
その背中に向かって海堂は
「タマの痛みがわかんなくなるように気絶させてやったんだからありがたく思えよっ」
と叫び、ついでにこう勝利宣言した。


「俺の身体にさわっていいのは、高遠だけだぜ」


しーん。
2−B全員の視線が高遠に集まる。当の高遠は凍りついたように固まっている。(真っ白に燃え尽きてしまった)
静かな時がどれだけ流れたか、いきなりパチ、パチ、パチと手を打つ音がした。
三好だ。大仰に頷きながら拍手している。
伝染するように次々と拍手が起こり、最後は大きな拍手の渦につつまれ、やっと口がきけるようになった高遠が真っ赤になって叫ぶ。
「ばかやろぉっ。拍手なんか、すんじゃねぇぇえっ」                  



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