《スキー》


「あっ、あれ海堂君たちだよ。おーい、こっちー」
上田が大きく手を振る。それに気づいて、高遠と海堂が足早にやってきた。高遠は大きなカバンを肩から下げて、海堂は歩くたびに荷物をガラガラといわせている。
ここは、新宿駅西口のロータリー。スキー場に向かう大型バスが列をなしている。
「悪いな。急にバスになっちまって」
三好が言うと、高遠が首を振って
「しょうがないだろ。それより義隆さん大丈夫か」
「死なない程度にね。みんなに申し訳ないって謝っといてくれって」
「だから、いいって。それにしても、よくバスがとれたな」
「ネットのおかげだな」
高遠、海堂、三好、上田の四人は、本当なら三好の兄の車に乗って蔵王に行くはずだった。二泊三日のスキー旅行。冬休み最後の大イベント。
ところが、一昨日になって義隆がひどいインフルエンザにかかってしまい、とても運転できる状態でなくなったのだ。
残された高校生無免許組四人は、キャンセルするには宿代がもったいないということで、ダメもとであたってみた夜行スキーバスの、やはりキャンセル枠に滑り込んだのだった。
バスの下段に板やボードや大きな荷物を詰め込んで、座席に座ると三好は長い足を通路に伸ばして軽く伸びをして言った。
「でもやっぱバスはきついな。これで一晩っていうのはちょっと、いやかなり苦しいぜ」
隣で上田がちんまりと座って
「三好君と高遠君は大きいからね」
「俺だって、きついぞ」
海堂が後ろの席から口を出す。
「うそだよ」
と上田が伸び上がって振り向くと、セーターの重ね着の上にスキーウェアのジャケットを着た海堂がモコモコになっている。
「……確かにきつそう」
「海堂、バスの中はかなり暖房が効くから、そんなに着こむ必要ないんだよ」
高遠が、苦笑いする。
「バス降りたとき寒いから、今はセーター脱いどけよ」
「そうなのか?」
海堂は素直にジャケットのボタンをはずして、モコモコの手を引き抜く。座席でセーターを脱ごうとして、着膨れのあまりジタバタしている。
見かねた高遠が、海堂の両手をセーターから引き抜いて、首から脱がす。海堂はされるがまま。それを見ていた上田が笑った。
「高遠君、お母さんみたい」

高遠と海堂の通路を挟んで反対側の席には、女子大生らしい二人。その前に座っている二人からポッキーが廻ってきたところを見ると、こちらは女ばかりの四人組か。
後ろ窓側の座席の女の子が、甘ったるい声で隣の席に向かって言う。
「やだ、ヒトミったら。こんなとこまできてスポーツ新聞見ないで」
「いいじゃない。今日、枠順確定したんだから」
ヒトミと呼ばれたのは、ショートカットのなかなかの美人。手にしているのはサンスポ。
「有馬記念のかたきを討たないとね。『一年の計は金杯にあり』よ」
ご丁寧に赤ボールペンで新聞に書き込みをしている。
「ほんっと、ヒトミってオヤジ」
セミロングの髪をクルクルに巻いたその窓側の女の子は、わざとらしく溜息をついた。
「バスが動き始めたら、やめときなさいよ。細かい字を見ると酔っちゃうから」
前の座席の通路側に座っている女性が、ビールを差し出しながら言う。
「マキはビールで酔っちゃわないでね。あ、酔うわけないか。私、いらなぁい。太るから」
クルクルヘアが言うと
「モモコのは初めから無いわよ」
と、マキが笑った。クルクルヘアモモコはぷうっとふくれる。
ただ一人、前の窓側に座っている長いストレートヘアの上品そうな女性だけが、静かに車窓の景色を眺めていた。
前方のテレビでは、古い映画を流している。
大勢の若者を飲み込んだ夜行バスは、新宿のネオンの中を抜け、一路北に向かった。

暫く走ると、窓の外には雪が舞い始めた。
朴訥そうな訛りの混ざった声で、運転手がアナウンスする。
「えー、夜もふけて参りましたので、消灯いたします。安全灯はそのままです。お休みになる他のお客様のご迷惑にならないように、なるべくおしゃべりをご遠慮ください」
バスの中が暗くなった。

(やめろよ。海堂)
高遠が囁く。
毛布代わりに掛けたコートの下に隠れて、海堂の右手が高遠の太もものあたりをモゾモゾと動いている。
(やめろってば)
高遠がその右手を自分の左手で押さえ込んで、海堂のほうに押しやる。
海堂は恨めしげに見上げると、その手を握ったまま、今度は頭を高遠の胸に寄せる。
そのまま、そっと顔を上げて唇を高遠の顎から喉に這わせた。
瞬間、高遠の背中に痺れが走る。
(ばか、暗くっても見えるぞ)
高遠が目で訴えると、海堂も目で、反対側の座席を指す。
高遠はほんの少し振り返って、横目で見た。
さっきまでスポーツ新聞を読んでいた女子大生もその隣の子も、明るいと寝られないたちなのか、それともファッションのひとつなのか、顔が隠れるほどの大きな派手なアイマスクをして眠っている。
(ね。見られる心配ないって)
海堂が目で笑う。高遠は困ったように小さく溜息をついた。
指と指をきつくからめたまま、海堂の薄桃色の唇が近づく。
観念したように高遠の瞳が優しく細められ、唇がゆっくりとそれに応えた。


夜中に二度ほどトイレタイムの為にドライブインに停まり、翌朝、バスは蔵王に着いた。
うねうねと雪道を登りながら、バスが宿の前に停まるたびに、一人二人と降りていく。
三好兄が予約をしてくれていた宿は、ゲレンデにも程近いこじんまりしたペンションだ。海堂たち以外にも、隣の座席にいた女子大生四人組と社会人らしいカップルが同じ宿らしく、一緒にバスから降りてきた。外は粉雪が舞い、風に吹き上げられる雪のため、上からも下からも降っているかのよう。
「あー、身体痛てぇ」
三好がバスから降りるなり、大きく伸びをする。吐く息が白い。
取り出された荷物を受け取りながら、高遠も
「やっぱり、あのシートで寝るのはきつかったな」
「海堂君は大丈夫だった?」
上田が目をこすりながら聞くと、あくびをしながらジャケットを着つつ海堂は
「俺は良く寝れたぜ」
海堂は例によって、ちゃっかり高遠を敷布団か枕の代わりにしていた。
三好が、恨めしそうにそれを見て言う。
「俺はダメ。全然寝られなかった。 ……後ろの座席じゃ、イヤラシイことする奴いるし」
高遠がぎょっとして
「三好、見てたのか」
三好もぎょっとして
「え?ホントに何かやってたのか?バスの中で?」
しばし見つめ合う三好と高遠。
早朝の蔵王の、厳しく冷たい空気が、気まずい色に染まる。
海堂は気づかず、無邪気に高遠に身を寄せた。

ペンションのラウンジに荷物を置くと、そこのオーナーらしい人から、男女別に着替える部屋を案内された。まだチェックインできる時間じゃないので、とりあえずここで着替えて滑りに行って、夕方戻ってから部屋に入るという仕組みだ。
「スキーとスノボ、どっちやる?」
「明日も丸一日あるからな。今日は軽くスキーだけにして、明日徹底的にスノボをやるってのは、どうだ?」
四人ともスキーは得意だったが、スノーボードはまだまだ初心者だったので、練習が必要だった。
「だな、寝不足だし」
三好の提案に高遠もうなずく。海堂の布団になっていた高遠、正直、車中泊で身体が辛いのは三好以上だ。
「俺は高遠と一緒なら、どっちでもいいぜ」
海堂が着替えながら言う。その海堂を見て三好が
「どーでもいいけど、お前のウェア派手だな」
「麻里絵の趣味なんだよ」
口を尖らす海堂のウェアは、銀色に蛍光オレンジのライン模様。
「似合うよ、海堂君。ウルトラマンみたい」
と、上田が言うと三好が笑った。
「お前は、『ハットリくんリターン』って感じだな。東映まんが祭りか、お前ら」
「何それ?」
上田がちょっとむっとした。
「高遠っ、かっこいいぜ」
スキーウェアになった高遠に海堂がしがみつく。三好が容赦なく板を倒して
「じゃれてないで、板持てよ」

「とにかく、一回一番上まで上がって、それからガーッと滑って来ようぜ」
ゲレンデマップを見ながら海堂が指差す。
「相変わらず、高いところに行きたがるな、お前」
ゴーグルの奥の目でにやにや笑う三好を海堂が睨むのを、高遠が制して
「いいじゃん。確かにこのコースはコブもたくさんあって、面白いぜ」
「コブかぁ、じゃあ僕は、こっちの方廻ってここから合流しようかな」
と上田。
「よし、とにかくここまで上がっちまおう」
さんざんリフトを乗り継いで行き着いた先は、かなりの上級者コース。
「おーっ。いい感じ」
下を覗き込んで海堂が笑う。
「じゃ、ここのリフト乗り場が集合場所な。はぐれたら適当にやって、12時にここのレストハウスだ」
ゲレンデマップで場所を確認し合いながら、三好が腕時計を見る。
「オッケー」
「高遠、リフトは一緒に乗ろうな。待ってるぜっ」
そう言うと海堂は、思い切り地面を蹴った。身体を前に倒して、右に左にゴムまりのように跳ねながら凄い勢いで滑っていく。舞い上がる雪で、すぐに背中が見えなくなった。
三好がヒューと口笛を吹く。
高遠も、首から下げていたゴーグルを付け直すと嬉しそうに笑って
「負けられねぇな。行くぜ」
「おう。じゃ、上田、後でな」
「はーい」
それぞれが勝手に滑っていく。
寝不足もなんとやら、若さ溢れる高校男児は元気いっぱい。


「とはいえ、午後になると急に疲れるのよねぇ」
レストハウスで、三好がまったりと言う。ゴーグルもグローブもはずし、靴も緩めて襟元もあけて、すっかり『おくつろぎモード』。右手にはビールの大ジョッキ。
「気持ちわりぃから、おかま言葉よせ」
「お前、ビール飲みすぎなんだよ」
「お前はカツカレー食いすぎ」
「朝食ってねぇんだから、二杯くらい普通だろ」
三好、高遠、海堂の三人は昼食の後、それぞれもう三本ほど滑ったが、いつの間にかまたレストハウスに集まってしまっていた。
上田だけが、まだ地味に滑り続けている。
「上田が戻ってきたらどうする?ちょっと早いけど、宿かえって、温泉でも行かね?」
三好の提案。高遠が呆れて
「ビール飲んだら、温泉かよ。高校生らしいなあ」
「どうせ明日は朝から夜まで滑るんだぜ。三日目だってあるんだから。なっ、今日はゆっくり疲れを取ろうよ、だんな」
「どうする?海堂」
「どっちでもいいけど。温泉は一緒に入ろうな、高遠」
「う……」
「決まり決まり」
意外にまったり系だった三好のおかげで結局のところ四人は、一日目のスキーは早めに切り上げた。

「お帰りなさい。三好様ですね。どうぞ、お部屋にご案内します」
オーナーの奥さんらしい三十代後半くらいの女性が、二階へと先にたって歩く。笑顔が感じ良い人。やせていた頃はかなりの美人だったに違いない。
「こちらとこちらです」
二階の奥の突き当たり、ドアに8と書かれた部屋とその隣。
「お風呂と食堂は一階です。夕食後は、毎晩ラウンジで軽い宴会がありますから、よかったら参加してくださいね」
奥さんはニッコリ笑って、鍵を二つ三好に渡すと、階段を下りていった。
三好は、7と書かれたキーホルダーのついた方の鍵を海堂に渡して、すまして言った。
「じゃ、俺と高遠がこっちの部屋だから」
「えーっ!」
海堂が物凄い声で抗議する。
「つまんねぇ冗談なんだから、そんな本気に怒るなよ」
三好が肩を震わせる。
高遠は このやり取りを無視して、さっさと7号室に荷物を運んでいた。
部屋は全部で八部屋しかない。ちなみに隣の6号室は、三好兄義隆のドタキャンのせいで、このかき入れ時というのに空いていた。少し申し訳ないが、キャンセル料もばっちり取られているのだからよしとしよう。
「へえ、なんかかわいい部屋だな」
海堂がきょろきょろと部屋を眺める。
アンティーク調のスタンドライトを置いたサイドテーブルを挟んで、シングルベットが二つ並んでいる。ベッドカバーはフリルのついた赤とピンクの花柄。奥さんの趣味なのだろうか。いかにも女の子受けのしそうな装飾だ。
「あー、ベッドだ。おひさしぶり、って。 ……気持ちいい」
高遠がベッドカバーの上からごろんと横になる。几帳面な高遠にしては行儀が悪い。それだけ、バスのシートは辛かったのだ。
それを見て海堂の瞳が妖しく光る。ドアを後ろ手で閉めると鍵をかける。
「海堂?」
高遠が仰向けに寝転んだまま見上げると、海堂は嬉しそうにその上に覆い被さった。
「あ、おい、こら、重いって」
「なんか、ラブホテルみたいじゃねえか?」
海堂が高遠の唇にキスを落としながら言う。
「って、行ったことあるのかよ」
「ねえけど」
「ばか」
薄く笑う高遠の唇を割って、海堂の舌が高遠の舌に絡みつく。そのままお互いの口腔を貪り、角度を変えて何度もきつく吸い合うと二人の唾液が交じり合う。下になっている高遠が、海堂のセーターとシャツを一緒に捲り上げると、その手を胸に滑り込ませた。
「ひゃ」
海堂が両手をついて、身体を離す。
「冷てぇよ」
赤く濡れた唇を少し尖らせて高遠を睨む。さっきまでのキスで頬が上気して、長い睫毛の奥の瞳が潤んでいる。高遠は海堂を見上げて、その可愛らしい顔に酔った。
「しょーがねえだろ、寒いんだから」
高遠はがばっと起き上がると、わざとらしく指を広げ、海堂のセーターの下に手を入れる。
「ひゃっ、やめ、やめっ」
海堂がその冷たい手を逃れようと身じろぐ。でも、どこか本気でないのか、あっというまに高遠に抱きすくめられる。
「やーめーろー」
「やめない」
高遠は面白がってうなじから背中にも手を伸ばす。
「つめてぇえっ」
「あはははは」
どたばたと騒いでいるところで、ノックの音がした。
「お楽しみ中悪いけど、そろそろ飯食うぞ」
ドアの外からでもはっきりと聞こえる三好の声。
ペンションの防音は、あまり期待できないらしい。

「はぁあ、極楽極楽」
夕食後外湯めぐりに行くといった男子高校生らしからぬ温泉フリークぶりの三好様ご一行。タオルを首から下げてペンションに戻ってくると、ラウンジでは奥さんの言っていた宿泊客の宴会が催されていた。
「やあ、外湯を廻ってきたのかい」
缶ビールのケースを持ったペンションのオーナーが呼び止める。四十歳くらいの人のよさそうなおじさんだ。
「よかったら、君たちもおいでよ。ビールは実費。持ち込みも可だよ」
「はあ」
「ほら、あっちの女の子たちも四人だし、ちょうどいいんじゃないの」
視線の先では、バスで一緒だった女子大生四人が、社会人風カップル、大学生風カップルと楽しそうに飲んでいる。
オーナーの気遣いに、若干顔を引きつらせながらも、まあ、せっかくの旅行だからという三好に促されて(ビールが飲みたいだけだろうが)四人は宴の輪にはいった。

「へえ、ヒトミさん競馬やるんだ?」
大学生風カップルの男の方が聞くと、ヒトミではなくマキが代わりに応えた。
「もう、『やるんだぁ?』ってレベルじゃないの。オヤジなみ。今日だって昼間スキー場のレストハウスで競馬新聞見てたのよ」
「競馬新聞じゃないわよ。スポーツ新聞の競馬欄」
ヒトミが赤い顔で口を尖らす。けっこう酒が入っているようだ。
「同じようなもんじゃない」
髪の毛くるくるのモモコが突っ込む。
「だいたい、スキー場にいて馬券どうやって買うのよ」
「電話して買ってきてもらうの」
「だれに?」
「……兄貴よ。悪かったわね」
ヒトミは眉間にしわをよせて
「もうっ、私に男の話をしないでちょうだいっ」
どん、とビールのグラスをテーブルに叩きつけるように置く。
マキが何故かギョッとしたように
「誰も男の話なんかしてないじゃない」
「そうよぉ、ねっ、ユリ」
ユリと呼ばれた女性は少し困った風に頷いた。マキがモモコの頬をつねる。
「いいわよ、いいわよ。どうせ私は」
どうも、酒グセが悪いようだ。
「だれよぉ。ヒトミにこんなに飲ませたの」
モモコが言うと
「そんなに飲んでたかしら」
とユリがほんの少し笑って首を傾ける。真っ直ぐな髪が肩を滑り落ちて、清楚な顔を際立たせた。
「まっ、マキのペースで飲まされたら誰でもつぶれちゃうけどね」
「えー?わたし?私のせい??」
「マキさんはお酒強いの?」
「もう、『強いのぉ?』なんてレベルじゃなくて」
と、さっきのマキの台詞をまねてモモコが応える。
ドッと笑いがおきたところで、そこに来た新参の三好たち四人に視線が集まった。
「あっ、私今日この人たちゲレンデで見た。すっごいスキー上手いの。特にこの子」
モモコに『この子』呼ばわりされた海堂は、一瞬目が兇悪に光った。
はっとした高遠が、テーブルの陰でそっと海堂の右手に触れる。
(まさか、女相手に『黄金の右』は出さないだろうけど)
「私も見たわ。すごいわね。女の子なのに」
(なに?)
「いいなぁ、紅一点。うらやましい」
口々に言う女子大生の言葉に海堂の右手が震える。
高遠が、落ち着けよとギュッと握る。先に押さえておいてよかった。
「俺は、男だ」
可愛い顔に似つかわしくない低い声で海堂が吐き捨てるように言うと、一瞬の沈黙の後
「え――っ」
その場にいた全員が叫んだ。もちろん四人以外。
「うっそー、こんな可愛いのにぃ」
「ほんとに?」
「信じられない」
女子大生の好奇の視線が集中する。
海堂が怒って立ち上がりかけたとき、酔っ払ったヒトミがフラフラと近づいて
「なんだぁ、じゃあ彼の恋人じゃないんだ。ずっと一緒みたいだったけど」
ふふふと笑って高遠の首にしがみついた。
「私、この人タイプだわぁ。名前は?私、黒木ヒトミ。聞いたことあるでしょぉ」
しなだれかかるヒトミに高遠はかたまり、海堂は目をむいた。
「てめえ、高遠から離れろよ」
海堂が剣呑な顔で、ヒトミを睨んでその腕を引き剥がす。
「そうよヒトミ何してんの」
マキが慌ててヒトミを席に戻そうと立ち上がる。
「いいじゃない。だって、男ばっかりで来てるんなら彼女いないんでしょ。ねっ、私どお?」
しつこく抱きつくヒトミに、海堂がキレた。
「ばばぁ!きたねぇ手で高遠にさわんじゃねぇよっ」
「なんですってぇ」ヒトミも目が据わっている。「あんたの彼じゃないでしょっ」
ぱんと平手が海堂の頬を打った。
「ヒトミ!」友人たちが同時に叫んだ。
海堂は一瞬、女に叩かれたというショックに呆然としていたが
「俺のだよっ。このドブス!」
立ち上がって戦闘態勢に入る。高遠も慌てて立ち上がって海堂を押さえる。
「海堂、待て。相手は女性で、酔ってるんだから」
「うるせぇ」
「部屋戻ろう。ほら」
高遠が三好に目で合図すると三好はおかしそうに頷いた。上田もニコニコと見守っている。
「帰るぞ」
ずるずると海堂を引っ張って、高遠は二階に消えていった。
「なによう」
ヒトミは恨めしそうにその様子を見て、大人しく席に戻った。
「ねぇ、今『俺のだ』って、彼言わなかった?」
マキが不思議そうに三好に聞く。三好は飄々とビールを口に運びながら
「言ってましたねぇ」
席に戻るとヒトミはまたビールを煽って
「どうせ、どうせ私は二番目の女よ。結婚して名前変えない限り、一生二番目だわ」
「もう、いいかげんにしなさいよ」
「ユリはいいわね。いつでも一番だわ」
「ヒトミ、貴女ももう寝たほうがいいわ」
ヒトミは手にしていたビールを取り上げられると、自分で立ち上がり
「気持ち悪い。寝るわ」フラフラと階段に向かった。
「大丈夫?」同室のモモコが付いて行った。
「なあ、何で『黒木ヒトミ』だと一生二番目なんだ?」
三好が上田にささやく。
「ほら、あれじゃない。『失楽園』」
「ふっるー」


部屋に戻っても海堂は怒っていた。
「落ち着いて、機嫌直せよ」
拳を握り締めて立ったままの海堂の背中を、高遠がそっと撫でる。
「うるせぇ、女に抱きつかれて喜んでたくせに」
海堂がその手を払うと、高遠はため息をついて自分のベッドに腰掛けた。
唇を噛んでうつむいている海堂を困った顔で見つめて、つぶやくように言う。
「喜んでなんか、なかったろ」
海堂はゆっくりと伏せていた睫毛をあげると、自分を見つめる高遠の瞳をじっと見た。
「ごめん。言ってみただけ」
可愛い顔をくしゃっと歪めてつぶやく海堂に、高遠が微笑む。ベッドに座ったまま、両手を広げる。
「ほら」来いよと高遠の瞳が優しく誘う。
頬を染めた海堂が、その胸に飛び込んで、首に腕を絡めてしがみついた。
「高遠っ」
「うん」
高遠の肩口に額をぎゅっと押しつけて海堂がささやく。
「高遠、女に浮気すんなよ」
「しないよ」
「……男にもな」
「……しねえって」


暗闇の中で二つの熱い吐息がまざり、部屋の温度が、二、三度上昇するような―――
「あっ……」
高遠の舌が胸の突起を弄ると、海堂は耐え切れず高い声をあげた。
「声、大きい。隣に聞こえるだろ」
「だ、って」
繰り返される愛撫に海堂の息はあがって、頭の芯がぼうっとしている。声を出すなといわれても無理だ。
高遠の手が下半身に伸び、既に熱く昂ぶっているそれをやんわりと握ると
「やっ、あっ…んっ」
海堂は、我慢できず大きく仰け反って、甘い声をあげる。
「海堂」
高遠の唇が海堂のそれを塞ぐ。
海堂の声はたまらなくセクシーで本当はいくらでも鳴かせてみたいのだが、この薄い壁板一枚むこうのことを考えると、今日はそうも言っていられない。
(んっ……ん……)
激しい口づけに飲み込めない唾液が海堂の喉を伝って鎖骨へと滴る。
海堂は高遠の背中に廻した腕に力を込め、声をあげる代わりに爪を立てた。
自分達の音を消すのに必死だった二人は、その時、隣の部屋でのかすかな物音には全く気づかなかった。




「おはようございます」
ペンションの朝は早い。朝食はスキーヤーのために朝7時からという時間。希望があるときは、もっと早くすることもあるという。ペンションオーナーの睡眠時間はどうなっているのだろう。
白いクロスのかかった食堂のテーブルの上にはすでに、ミルクとトースト、サラダがセッティングされていた。
「コーヒーと紅茶どちらにしますか?」
「コーヒー」
「俺も」
「僕も」
「同じく」
奥さんはにこやかに微笑むと、四人分のコーヒーを取りに厨房へと向かった。
「今日はいよいよスノボだな」
よく眠れたらしい三好が機嫌よく伸びをする。
隣のテーブルでは、昨日の女子大生の一人が、手持ち無沙汰に後の三人を待っていた。

「ヒトミ、いないわ」
モモコが先にテーブルに座っているユリに近づいてきた。
「そうなの?どこに行ったのかしら」
「先に滑りに行った、なんてことは無いわよねぇ」
「食事もしないで?」
「そうね、変よね」
モモコが心配そうに頬に手を当て小首をかしげる。
そこにマキも、小走りにやって来て
「いない。ねえ、モモコ、あれからヒトミ部屋出て行ったの分からなかったの?」
「うん。私が戻ったときは間違いなく隣のベッドにいたんだけど……マキも見たでしょ?
あの後すぐ私も寝ちゃったから」
「あんた一度寝たら起きないもんねぇ。今だって私が起こしたくらいだしね」
「そんなことより、マキ、オーナーさんにも聞いて、もう一度一緒に探しましょう」
ユリも立ち上がった。
女子大生三人が、テーブルを離れる。クロスの上にはセッティングされた四人分のトーストが冷えかけていた。
「昨日、高遠君に絡んでいた人、いなくなっちゃったみたいだね」
上田が二枚目のトーストをほおばりながら言う。
「けっ、アイツ」
海堂の眉間にしわが寄り、目が宙を睨む。
「海堂」
コーヒーを飲みながら高遠が軽くたしなめる。
「相当、酔ってたから、夜中フラフラ外に出て遭難とかしてたりしてな」
三好が物騒なことを言う。
「天罰だな」
海堂がケケッと笑う。
「ヤメロよ、まったく」
高遠が呆れた声を出したとき、二階から物凄い叫び声が聞こえた。
「きゃあああぁ――――――――――――――っ」

「なんだあ?」
三好、高遠、海堂、上田が弾かれたように立ち上がって、お互いの顔を見た。
次の瞬間、一斉に叫び声のした二階へと駆け上がる。
海堂と高遠の部屋の左隣、つまり三好兄のキャンセルで空き部屋となっていた6号室のドアが開け放たれ、その入り口に女子大生三人が座り込んでいる。マキはまだ狂ったように叫んでいた。
モモコはそのマキにしがみついて、震えながら顔を埋めている。ユリは呆然と真っ青な顔で奥を見つめていた。
その視線の先、本来なら昨日義隆が使用するはずだったベッドに、ヒトミが寝ていた。
いや、布団の上から、包丁をつき立てられているのだから、これは寝ているのではなく、死んでいるのだ。
「な、んだ、これ」
階段二段飛ばしで真っ先に駆けつけた三好が、ドアの前で固まる。
その後ろから覗いた高遠が、海堂を思わず抱き寄せる。海堂も呆然と中を見た。
上田は、不謹慎にも頭の中に『名探偵コナン』のオープニングテーマソングを流してしまった。

ちゃららーらー♪ちゃら、ららららーら♪ちゃららららーら♪らーらーららーら
『犯人は、この中にいる』By高山みなみ



(まさか、和亀でこんな話とはおもわなかったでしょ?)









「宮城県警の浜崎です」
「同じく浦野です」
白髪の目立つ初老の男性と、大学を出て間もなさそうな若い男性が、二人して警察手帳をかざすのを見て
「テレビといっしょだぁ。いかにもって感じの二人組みだね」
上田が小さい声で隣の三好に囁いた。
「浜さんは定年間近の現場主義の古い刑事で、新米刑事(デカ)浦さんから『オヤジさん』とかよばれてるんだよな」
三好が一緒になって適当な話を作っている。
ペンションのオーナーの110番通報から30分足らずで、派手なサイレンを鳴らしてやってきた車から降りた二人の刑事は、現場を見るなりその場にいた人間一人残らずラウンジに入れて
「鑑識が終わるまで、申し訳ありませんが、皆さんこの部屋から出ないで下さい」
といった。
「そんなぁ。私たち何の関係も無いんですよ」
カップルの女性のほうが泣きそうな声を出す。男性のほうは黙ってその肩を抱いた。
「申し訳ありませんが」
渋い顔をした浜さん(三好が勝手につけた呼び名)が有無を言わさぬ口調で言うと、全員素直に従った。なにしろ、人一人死んでいるのだ。スノボに行きたいなどと不謹慎なことを言える雰囲気ではない。
「大変なことになったな」
高遠が呟く。
「僕たちもアリバイとか聞かれるのかな」
上田はどうも興奮しているようだ。



* * *

「で、昨日の夜12時から後は、皆さんどうしていましたか?」
新米(に違いない)刑事、浦野がメモを取り出して聞く。
「寝てました」
「俺も」
「僕も」
「同じく」
三好たち四人の回答に
「だよねー」と浦野刑事はメモしながら小さく呟いて、一瞬しまったという顔をして
「それを証明できる人はいますか?」
と、わざと眉間にしわを寄せて真面目な顔で聞いた。
三好が負けずに真面目な顔で
「だって、みんな寝ていたんですよ」
というと、浦野はちょっと照れたように
「だよね」
と笑った。後ろで、浜さんが大きく咳払いする。
はっとして振り向く浦野。浜さんは
「ここは任せるから、たのんだぞ」
小さく言って、若干心配そうに去っていった。
「はいっ」
改めて浦野刑事も小さく咳払いをし、厳しい顔を作って
「えー、関係者の証言では、昨夜、君は被害者とちょっとした口論をしているようですが」
と海堂に向かって言った。
「俺?」
海堂が驚いた顔で浦野を見上げる。
海堂の顔を真正面から見て、浦野は少しうろたえた。
(たぶん、美少年ぶりに動揺したんだな)
三好は冷静に判断した。
「それって、海堂が疑われているってことですか?」
高遠がムッとして浦野に詰め寄る。
「俺がぁ?うそだろ」
海堂が顔に似合わない素っ頓狂な声で叫ぶと
「海堂君がそんなことするわけないじゃない」
両手の拳を胸元で握りしめて上田が言う。
「海堂が、包丁で人を殺すなんて、まずありえませんね」
腕組みをした三好が『包丁で』を強調して言うのに、高遠がついつられて
「カッとして殴り殺すことはあるとしても……」
「わざわざ包丁を準備してなんて」
三好がいやはやと首を振る。上田がケロリと
「だいたいその気になれば、片手で首の骨くらい折っちゃうもんねー。海堂君」
「……おまえら、その庇い方、なんか間違ってるぞ」
右手を震わせながら海堂が唸った。


「ええ、まあ形式上ですけどね。証言があったので一応、昨日の夜のことを」
浦野刑事が気を取り直して、海堂に質問する。
「だから、寝てたよ」
「夜中に部屋を出たりは?」
「してねぇよ」
海堂がムッとしながら答える。あんまりムッとするのも刑事の心証を悪くするのでは、と心配した高遠が
「僕も同室で寝ていましたけど、彼は一度もベッドから出ていませんよ」
と丁寧な口調で言った。
「でも、寝ていたんなら、彼がそっと抜け出したとしてもわからないでしょう?」
と、浦野がちょっと疑わしそうに上目遣いで高遠に向かって言うと
「わかりますよ」
と、高遠はむきになった。
「いーや、わからないね」
「わかります」
海堂が疑われているという事実が高遠を熱くしている。
「なんで!?」
「一緒に寝てましたから!」
「え―――――っ」
叫んだのは上田だった。高遠がハッと気づいて赤くなる。
「いっしょ、一緒に寝てたって、それって」顔を真っ赤にした上田が大声で「それって、まさかセッ……」
瞬間、海堂が上田の口をふさぎ、後ろから首を羽交い絞めにして
「それ以上言うと、次は、てめぇを殺すぞ」
「海堂、それシャレにならんぞ」
三好が呆れた声で突っ込む。


そこに鑑識の男性がやって来て、浦野刑事に耳打ちをした。
眉をひそめた浦野は、頷いて
「ちょっと待っててくださいね」
しっかり海堂たちに念を押して、足早に二階に上がっていった。その後ろ姿を眺めつつ
「ちょっと口論したくらいで初対面の人間殺すかっつーの」
三好がバカにしたように呟く。
「あたりまえだっ」
海堂がふくれる。
上田は、海堂と高遠の顔を交互に見ながら
「仲がいいのは知ってたけど……」
「その話は忘れろ……たのむから」
高遠が赤い顔を片手で隠しながらうつむく。

「ま、整理してみようぜ」
三好がラウンジの端のソファにゆったりと座り直して三人を見る。
三人も、それぞれ腰掛けた。三好が人差し指をたててわざとらしく声を顰める。
「まず、殺された時間は、さっきの刑事の質問から考えると昨夜の12時から明け方にかけて」
「何故か6号室で殺されている」
上田もこういう話になるとノリノリだ。
「誰が呼び出したのか?」
「知り合いじゃないと行かないよね」
「じゃあ、あの三人の中の誰かだろ」
海堂がちらりとラウンジの反対側を見る。
殺されたヒトミの友人三人が、肩を寄せ合って泣いている。その少しはなれたところでは、二組のカップルが互いの災難を慰め合うようにひそひそと話しをしている。
「それを言っちゃミもフタも無いな」三好が肩をすくめる。
「そうだよ。それじゃつまんないよ。もっと意外な人物じゃないと」
上田が言うと
「たとえば?」
高遠が訊き返す。
「だから、すっごい意外な……この場にいないような……」
上田が声を低くして言うと、海堂が
「わかった!三好の兄ちゃん」
「海堂君……ばか」
「つまんねぇぞ」
上田と三好に罵られ、またもや海堂はふくれた。ソファに両足をのせて座って膝を抱える。それを見て高遠が海堂の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
三好は、ソファで脚を組み替えると
「でも、実のところ最初に海堂が言ったとおり、あの三人の中の誰かとしか考えられないんだけどね。その『誰か』がわからないだろ?」
「寝ている間に抜け出したんなら、だれだって機会はあるもんね」
「おまえら、本当に何にも聞かなかったか?」
三好が改めて尋ねると、高遠と海堂はお互いの顔を見合わせて赤くなった。昨日の夜を思い出して。それを上田がジト目で見る。
「……わるかった」
三好が謝ったところで、浦野刑事が戻ってきた。
「君たちのうち、8号室に泊まっていたのは誰だ?」
唐突な質問に、三好と上田が手をあげる。
すると、浦野はちょっと意外そうな顔をした。
「8号室がどうかしたんですか?」
三好が聞くと、浦野は気まずそうに「いや」とモゴモゴいいながら、宿泊名簿らしい紙を拡げて
「えー、じゃ三好君と上田君が8号室と」
名簿に数字を書き込んだ。
「あれ」
浦野の目が見開かれた。
「この三好義隆って……」
「うちの兄です。でもインフルエンザで、ドタキャンしてここには来ていませんよ」
海堂によると怪しいらしいですが、とシャレで付け加えようとして止めといた。
すると浦野が叫んだ。
「ひょっとして、K大法学部、興津ゼミだった三好義隆か?」
「え、ええ、そうでした、けど?」
三好が、らしくもなく驚いて浦野の顔を見つめる。
「義隆の弟か?」
浦野はいきなり三好の肩をガシッと掴んだ。
「え?」
「いや、わからなかったなぁ。俺、君に会ってるよ。義隆の家に行ったとき」
「ええ?」
三好が眉をひそめて、しげしげと浦野の顔を見る。
「君は中学入ったばっかりじゃなかったかな。ゼミのレジュメを作るのに、みんなで何度か君のうちに集まったんだよ」
「ああ」
言われてみれば、大学に入ったばかりの頃の義隆はゼミの先輩をよく家に連れてきていた。
「あっ」三好の記憶がよみがえった。
「ひょっとして、兄貴の一年先輩だった」
「そうそう」
浦野が嬉しそうにうなずく。
「クロベェさん!」
「ひぃー、何もそんなあだ名を」
三好の一言に、浦野が明らかに動揺した。
「クロベェ?」
高遠たちが顔を見合わせて首をひねる。
「いや、それはいいから。それより懐かしいなぁ。義隆元気か?」
「いえ、インフルエンザで」
「あ、今そう聞いたな」
浦野はワハハと笑った。明らかにフレンドリーになっている。
ちなみに浦野のあだ名『クロベェ』の名前の由来は、当時ドジで間抜けだった浦野は先輩たちから常に『浦』、『浦』と呼び捨てにされては可愛がられて(?)いたのだが、ひどいときになると『うら、うら、うらぁ』と連呼され、その挙句が『ウラウラウラウラウラ、ベッカンコー』のジャングルクロベェと結びついてしまったのだ。
若い高遠たちがそんな古いアニメをわかるはずもないが、三好は兄から詳しく聞いていた。
(でも、言わないでやったほうが良さそうだな)

「義隆には後輩だけどずい分世話になったんだよ。いい奴でさぁ本当に。こんな田舎に帰ってもあいつの弟に会うなんてなぁ。縁があるんだなぁ。俺は今、猛烈に感動しているよ」
クロベェ、じゃない、浦野がしみじみと言う。三好はニコニコと
「兄も聞いたら猛烈に感動しますよ」
「そうか?」
浦野の目が輝く。
「で、8号室がどうかしたんですか」
三好がすかさず訊く。
「う」
浦野がひるんだ。
「8号室の俺たちは聞く権利があるんじゃぁないですか」
三好がじわっと詰め寄ると、浦野は小さな声でひそひそと答える。
「権利はどうだか知らないけどな。まあ、ここだけの話、8って言うのがね」
「8?」
「ダイニング、いやダイイングメッセージっての?ガイ者がシーツに血で残していたんだよ。数字の8……」
刑事の守秘義務はどうした浦野。だからお前はクロベェだ。と三好は内心突っ込みつつ、目をきらりと光らせた。
「へえ、8ねぇ」
「で、8号室にあの海堂君が泊まっていたりしたら、昨夜のこともあるしちょっと関連付けちゃおうかと思ったんだけど」
「そりゃ、安易な推理ですね」
「やっぱ、そうかな」
ひそひそと内緒話を続ける二人に上田が痺れを切らす。
「もう、何ふたりで話しているんだよぅ」

「わかりました。クロ、じゃなくて浦野さん」
三好がにっこりと微笑む。
「ここは俺たちも協力しましょう。そのダイイングメッセージの謎解きをね」
「ちょ、ちょっと、何言ってるんだ。君たちはまだ、カンペキに容疑から外れたわけじゃないんだぞ」
「浦野さんこそ、何言ってんですか。俺たちが犯人のわけ無いでしょう?それより、そのダイイングメッセージがあの三人のうちの誰を指すのか解いた方が、断然話が早いですよ」
三好が、ラウンジの端でずっと泣きじゃくっているヒトミの友人たちを目で示す。
「そ、それは」
「それに、ここで協力させてくれなかったら、刑事がダイイングメッセージのことをぺらぺらとしゃべったって、言っちゃおうかな、みんなに」
「それはっ ……困る」
浦野は自分の口を両手で押さえると情けなさそうな顔でブツブツとつぶやいた。
「ちくしょう、ダイイングメッセージなんて刑事になって初めてだったから、つい興奮してしゃべっちまったよ」
「三好義隆の弟を信じなさい」
「ううっ」
どうも浦野は、その言葉にも弱いようだ。(いったい、どういう関係だったのか?)
「ほら、ちょうどオヤジさんもいないことだし」
「ああ、浜崎さんならガイ者の家族に……って、なんだよそのオヤジさんって?」
「まあまあまあ」
あくまでも調子の良い三好に、浦野は諦めたように大きなため息をつくと
「わかった。でも、俺が質問するようにして小さな声で話しするから、君らも絶対、大声をだすなよ」
「オーライ」

ラウンジの角の、ソファがL字型になったところに三好たち四人をかためて座らせると、浦野はフットレストを持ってきて、向かい合う真ん中に腰掛けた。
しゃべっている顔がヒトミの友人たちはじめ他の人たちに見えないように、当然声も聞こえないように、うつむいて話し始めた。
「ガイ者の死亡推定時刻は昨夜の1時から2時。だけどこれだけ寒いから、冷蔵庫状態でね、ずれているかも知れない。でも、どっちにしろ皆、12時過ぎは寝ていたと言うんだからあまり問題は無いね」
「だれでも、部屋を抜け出して6号室に行ければ犯行は可能、か。確かに12時が3時でも同じといえば同じだな」
三好が小声で口を挟む。上田も小声で
「被害者が部屋に帰るとき、同室の子が送っていったでしょ?あのとき6号室に連れて行って殺したっていうのは」
「いや、俺が覚えている限り、彼女は送っていってすぐに戻ってる。5分も経ってなかったよ。仮に6号室に連れて行ったんだとしても、犯行はその時じゃないな。無理がある」
「ああ、それにね、ラウンジに戻ってきた彼女、相田桃子は最後まで居て…三好君と上田君も居たんだよね?」
浦野の確認に三好が肯く。
「ええ、それが12時前でしたね」
「そう、その宴会がおひらきになって寝るときに、隣の部屋の大島真紀子って子が相田とガイ者の部屋によって、貸していた化粧品を返してもらっているらしいんだけど、そのときガイ者はベッドにいたって言うんだな」
「って、ことはやっぱり夜中に呼び出されて殺されたのか」
「じゃあ、誰が呼び出したの?」
「それがわかりゃ、解決してんだろ」
上田の疑問に、それまで黙って聞いていた海堂が口を挟む。三好が小さく噴出す。
「そりゃそうだ。じゃあ、アリバイ考えても仕方ないから人間関係について教えてくださいよ、浦野さん」
「ああ、まず同室の相田桃子な。彼女はガイ者とは高校時代からの親友らしい。後の二人はS女子大に入ってからの友人だがね。まあ、見た目でも判るように正反対のタイプだけにかえって惹かれるのかもしれないな。仲はとても良かったようだよ。あとの二人もそう証言している」
「仲が良すぎて、痴情のもつれとかは?」
上田が言う。
「痴情、って、女同士だよ」と浦野が眉を顰めると、上田はちらっと海堂と高遠を見て
「だって」
と小さく呟いた。海堂の顔が凶悪になるのを、高遠が肩に手を置いてそっと押さえる。
「あ、いや」浦野が慌てて「後で話すが、あの二人にそういう関係は無いよ。どっちも彼はいるようだしね。いや、ガイ者の場合『いた』っていうのが正しいか」
「いた?」
「そう、そこなんだよ。ガイ者との人間関係というと実は微妙なのが、大島真紀子と同室の白川百合子」
「ああ、あの、お嬢様っぽい子」三好が頷く。
「名前もお嬢様だな」
と、高遠が呟くと、海堂が唇を尖らせて軽く睨んだ。
「その、白川が今付き合っている彼というのが、実は半年前まで黒木ヒトミと付き合っていた男なんだな」
「ひぇっ」
上田の小さい悲鳴。三好が上田の脚を軽く蹴って咎めると、上田は慌てて口を押さえた。
「ガイ者が彼を友人たちに紹介したところ、彼のほうが一発で白川にメロメロになっちまったらしい。何しろ、白川百合子はS女子大のマドンナリリー、名前をもじって『白百合の君』とか呼ばれているらしい」
「あやしーい」
「まあな」
上田の言う妖しいと、浦野のうなずいた怪しいは、微妙にニュアンスが違ったが。
「今回のスキー旅行は、それで険悪になった二人をなんとか仲直りさせようと、相田と大島で企画したらしい」
「彼氏を取った、取られた、って言うのなら、そりゃ仲は良くなかっただろうな」
三好は昨夜の宴会でのヒトミの荒れようを思い出した。

『もうっ、私に男の話をしないでちょうだい』
『どうせ、どうせ私は二番目の女よ――ユリはいいわね――』

そのとき、三好の中で何か引っかかるものがあったのだが、すぐに上田の声に思考を遮られた。
「わかった!8の意味」
「えっ?」
全員がギョッと上田を見つめる。
「8は蜂で、蜂と言えば花、花は白百合、白川百合子を指しているんじゃないかなぁ」
「おおっ、すげぇぞ上田」海堂が興奮して(それでも小声で)言うと
「ちょっとうがち過ぎじゃねぇか」高遠が言う。「わざわざそんな判りにくいメッセージにするかな」
「じゃあ、高遠君はどう考えたの」ちょっと不満げに、上田が口を尖らす。
「いや、べつに俺は、これと言って」高遠が口篭もると、上田が嬉しそうにニヤッとして
「何にも考えつかないんだー」
「うるさい。たとえばだな、もっとシンプルに……えーと、ほら、あの人競馬好きだったろ、たとえばその競馬の」
と、高遠が思いつきでそこまで言うと
「それだっ!」
顔を見合わせた浦野と三好がラウンジに置いてある新聞に手を伸ばす。
「彼女が見ていたのは?」浦野がバサバサとめくって、スポーツ欄を開く。
「中山金杯」三好が指差す。全員がガバッと覗き込む。
中山金杯、8番の馬は!
『ウーウマンボ』
(うっ)
驚きかシャレかはともかく、五人全員、間違いなく心の中で『ウッ』と叫んだ。
「馬の名前じゃ、無さそうだね」
「騎手は?」
「橘。って、関係無さそうだね」
「でも、五番人気だ」
「だから?」
「いや、こんな名前なのに、意外と人気あるなって」
なんとなく、一瞬気持ちが盛り上がっただけに、肩を落としてしまう五人。
その時三好が、呆然と馬柱を眺めていた目をゆっくり見開いた。
新聞を手に取ってじっと見る。
「すいません、浦野さん。さっきの宿泊名簿、見せてください」
「あ、ああ」
渡された宿泊名簿を見て、三好が唇の端を上げて薄く微笑んだ。
「ああ、そういうことか……わかりましたよ浦野さん」
「ほ、ほんとか!」
「ええ、その前に少しだけ確認したいことがありますけど。でも、誰が犯人かだけはわかりましたよ」
おおっ、と三人が驚きと賞賛の眼差しを三好に送る。
「……あの被害者のお友達をここに呼んで下さい」
「いいのか」
「ええ、聞きたいこともあるんです」
何故だか急に重々しいデスマス口調で語る三好。ちょっぴり自分に酔ってしまったか。
瞳をきらりと輝かすと、何かに挑むような微笑で、宙を見つめて言った。
「謎は、全て解けた!」
「じっちゃんに、なりかけてっ?」
上田が胸に手を当てて叫ぶ。
「成ってどうする、ジジイによっ!ああ?」
三好が思い切り上田を足蹴にした。
「ごめ、名に……名にかけて、てっ」

* * * 

三好の願いで、ラウンジには自分達四人と殺されたヒトミの友人たち三人、そして浦野刑事だけが残った。後の人たちは、それぞれ部屋に戻された。
「俺の話をする前に、少しだけ伺いたいんですけど、いいですか大島さん」
「えっ、は、はい」
名前を呼ばれたマキがビクッと肩を震わせる。三人の女子大生は、それぞれ誰が犯人と言ってもいいくらい青褪めていた。
「あの夜、宴会が終わって部屋に戻る前に、黒木さんと相田さんの部屋に寄りましたよね。そのときのことを話してください」
「あ、あの時は、お風呂でモモコに洗顔フォームを貸していて、朝使うから返してもらいにいったんです」
「部屋の電気はついていましたか」
「いえ、『ヒトミが寝てるからごめんね』って、モモコが」
「暗かったんですね。そのヒトミさんの顔は見えましたか」
「それは……布団をかぶっていましたから」
「変じゃありませんでしたか」
「ええ、でも、ヒトミもモモコも明るいと寝れないたちだし」
「でも、部屋が暗かったんならべつに布団を頭までかぶる必要は無いわけだ」
「どういうことですか、それって」
マキの声が震える。
「いえ、どうでもいいんですけど。殺された黒木さんが、夜中に6号室に連れて行かれたのか、初めから6号室で寝かされていて殺されたのかを知りたかっただけです」
うつむいていたモモコの顔がゆっくり上がって三好を見る。三好がその目に応えるように
「黒木さんは、貴女と二階に上がったときから6号室で寝かされていたんですね」
全員が声にならない叫びを胸に、モモコの顔を見つめた。

「それでは、私が犯人だと言うんですか?」静かな声だった。「何故、私がヒトミを殺さないといけないの?」本当に不思議そうに首をかしげる。
そんなモモコを見つめ、三好は無表情に続けた。
「さあ、それは判りません。それは貴女に教えていただかないと。俺に判ったのは、殺されたヒトミさんが残したダイイングメッセージから、貴女が犯人だと言うことだけです。でも、貴女が犯人だというところから遡ると、これはとても簡単な、シンプルとさえ言える犯行でした」
モモコも、何の表情も見せずに、三好の声を聞いている。
「貴女は、『なんらかの理由で』ヒトミさんを殺そうと計画し、このスキー旅行を企画した。包丁も準備してね。スキー場では手袋をしているのは自然だから、指紋の心配は無かったでしょう。できれば、雪山でとか狙ってたんでしょうが、このリゾートシーズンだ。とても、二人きりになるチャンスが無い。とはいえ二人きりの部屋の中で殺すわけにはいかない。自分しか犯行可能な人間がいないんじゃあね。だから、偶然、自分達の隣の部屋が空き部屋だということがわかった時、そこで殺すことを考えた」
「ひゅっ」と小さく息をのんだのは、モモコではなくマキだった。三好はチラリと目をやって、ほんの少し眉をひそめたが、そのまま続けた。
「あの夜、ヒトミさんはかなり酔っていました。よほどたくさん飲まされたのか、ひょっとしたらお酒に目薬でも入っていたかもしれませんね。とにかく酔った彼女を、モモコさん、貴女は6号室に連れて行った。ペンションの造りなんてどこも一緒だから、酔った彼女にわかるわけが無い。そうして貴女は自分たちの部屋の、奥側のベッドにスキーバックか何かをつめて、いかにもヒトミさんが寝ているように見せかけた。貴女以外の、誰にでも犯行が可能だという状況を作るためです」
海堂も高遠も、確かめるようにモモコの顔を見たが、相変わらず無表情のままだった。
三好がゆっくりと一言一言区切るように尋ねた。
「どうして、ヒトミさんを、殺したんですか?」
「ちがいます。と言ったら?」
モモコは質問に、質問で答えた。誰とも目を合わせず厳しい顔で前を見つめ、背筋を伸ばして膝の上で両手をきつく握りしめた姿は、急に大人びて見えた。
「さっき言いましたね。私が犯人だと言う、ヒトミの残したメッセージ。私の名前でも書いてあったんでしょうか?」
「いいえ、名前ではありません。けれど、彼女は実に彼女らしいやり方で、あなたを示していました」
「どういうことです」
「数字の8、それが彼女の残したダイイングメッセージでした」
「8?」
モモコが眉間にしわを寄せる。
「ええ、実は俺は、昨夜のヒトミさんの言葉がけっこう引っかかっていたんです」

『どうせ、どうせ私は二番目の女よ。結婚して名前変えない限り、一生二番目だわ』
『ユリはいいわね。いつでも一番だわ』

「事情を知っている人は、白川百合子さんに彼氏をとられた彼女の悪態だと思ったでしょう。でも、何も知らない俺なんかは、変な印象を持った。何故、彼女の名前が二番目なのか……黒木という姓が変わらない限り」
そう言うと、三好はさっき見た新聞の馬柱を拡げた。
「答えはこの中にありました。ヒトミさんの大好きだった競馬です」
浦野も判らず、新聞を覗き込んだ後、問い掛けるように三好を見上げた。
「こっちのほうが判りやすいですね」
三好は、近くにあったスポーツ新聞の一面を差し出した。今日の15:35から行われる『中山金杯』の出馬表がオールカラーで派手派手しく書かれていた。
「あっ!」
高遠と浦野が同時に声を出した。三好はうなずく。
「そう、競馬には決まった色があるんですよ。決して変わらない順番。1枠は白、2枠は黒、これが、黒木さんの言っていた二番目だ。白川の白は一番目」
赤、青、黄、緑、橙、全員の目が、最後にある一点に集中した。
「8枠は、桃。相田桃子さん、貴女の色です」

弾かれたようにモモコが顔をあげた。さっきまで血の気の無かった顔が赤く染まり、瞳は涙に潤んでいる。
「八番目!バカみたい。なにそれ、一番でも二番でもなくて、最後なのね、私」
宙を見つめて泣き笑いで笑う。ひどいわ、ヒトミ、と小さくブツブツ呟いている。
「モモコ、あなた本当に……」ユリが震える唇を開くと、モモコはキッと睨んで叫んだ。
「そうよ」
「どうして?」マキが悲鳴のように言った。
「ヒトミが、真治を私から盗ったからよ」
「真治って、西条君?」マキが呆然とつぶやく。
「そうよ。ヒトミはユリに竹本君を盗られて、その腹いせに今度は逆に私から真治を奪ったのよっ。私、知ってたの……二人とも、私に隠れてコソコソして……知らないと思ってたんだろうけど、私、知ってたんだからあ――――っ」
モモコは床にうつぶせて、悲痛な声で叫んだ。
肩を震わせて嗚咽するモモコの声がラウンジに響く。しばらくの間、だれも動けなかったが、マキがやっとのように口を開いた。
「違うよ。モモコ」
三好が、浦野が、そしてみんなが、マキを見る。
「西条君は、一番にモモコを愛していたよ。私、聞いてる。西条君から」
モモコの嗚咽が小さくなった。
「西条君、確かに浮気したって、つい。でも、一番愛してるのモモコだから、どうしたらいいかって、相談された」マキが訥々と話す。
「相手がヒトミだなんて知らなかった。西条君、相手は私の知らない人だって言ったから。
……モモコは知ってるのって聞いたら、知らないって、だから、私、知らないなら、モモコには黙って、そして、相手の人にはっきり言って別れてくれって……」
いつの間にか、モモコの嗚咽が止んでいた。
「西条君、ちゃんと別れたって、ちゃんと言ったからって、クリスマスの前に言ってたよ」

『どうせ、どうせ私は二番目の女よ――― 一生二番目だわ―――』

「いや―――――っ」
マキの声にモモコの悲鳴がかぶさる。モモコが半狂乱になって暴れた。立ち上がって、止める浦野の手を振り切って、裸足で外に飛び出した。
「海堂っ」
「おう」
三好の呼びかけに間髪いれず飛び出した海堂が、モモコを捕まえると、暴れる前に首の後ろに手刀を落とした。一瞬で気を失ったモモコがぐったりと海堂の腕の中に倒れこんだ。


* * *

「さすが義隆の弟だな。ありがとう。兄弟揃って世話になったよ。俺、三好家に足を向けて寝られないな」
「北枕ですからね」
あははと浦野と三好が乾いた声で笑う。
ペンションはまだ事件の影響でたて込んでいたが、犯人が逮捕されたということで、他の宿泊客たちは解放された。三好たちはそのペンションでもう一泊の予定だったのを、浦野の手配(というよりも宮城県警の手配)で、とりあえず別のホテルを準備してもらい、予定通り次の日のバスで帰ることになった。
「すごい立派なホテルでありがとうございます」
「いやいや、感謝状代わりだよ」
浦野が胸を張ると、浜崎刑事が後ろから
「じゃ、ホテル代は全部お前の給料から差っ引いとくぞ」
「ひぇー、それはっ」
蔵王の大空に、お約束の大団円の笑いが拡がる。
「じゃあ、荷物置いたら、これからでも予定通りスノボやるか」
三好の提案に、一同にっこりうなずいた。

銀色の弾丸が滑り落ちてきて、人工のコブの上で大きくジャンプした。
空を抱くように両手を広げてふわりと一回転すると、銀色の肢体が、川面に跳ねる魚の背のように光をはじいた。
「おおーっ」
その場のスノーボーダー全員の視線と賞賛を一身に集めた海堂。
その姿に高遠は目を細めて
「まったく、海堂の運動神経は半端じゃねえな」
「ああ、あと図太い神経もね」
三好と高遠は顔を見合わせて苦笑いした。
二人とも、正直言って初めて見た殺人現場のショックが拭いきれていない。特に気の小さい高遠は。だからといって、それをスノボ不調のせいにはしたくなかったが。
「え?わっ、あぶない」
高遠が気づくと、周囲の視線を浴びたままの海堂が、コースをはずれて真っすぐ自分に向かって突っ込んでくる。
「海堂っ!」
海堂は乗っていたボードを人のいない真横に飛ばすと、そのまま高遠の胸に飛び込む。
「うわっ」
当然支えきれず、高遠はその場にしりもちを着いてそのまま押し倒された。
「高遠、俺様の雄姿を見ないで、なあに三好と見つめ合ってんだよ」
乗っかったまま海堂が、可愛い顔を意地悪そうにゆがませる。
「み、見てたよ。ちゃんと」
ひゅーひゅーと周囲から激しい冷やかしの口笛とやじが飛んでくる。
三好はいつの間にか、その場から消えていた。
「海堂、重いからどいて」
「やだ」
(ああ、ゴーグルをつけていて顔が見られないのが、せめてもの救いだ)
高遠は内心でそう呟くと、押し倒されたまま横を向いて恥ずかしさに火照った頬を、ゴーグルごと雪に押し付けた。
「こっち、ガラ空き」
海堂が、目の前にさし出された高遠の左の頬にキスをする。
                                  
《エピローグ》

レストハウス15:30。
例によって、三好がまったりとビールを飲んでいる。
同じテーブルの三人はコーヒーで三好に付き合っている。
そこに、大学生らしい集団が、どやどやと入ってきた。
「あ、ありましたよ。安さん。テレビ」
「おうっ、間に合ったな」
ひげ面の大男が、ガシャガシャとうるさくスキーブーツの音を立てて、レストハウスのテレビの前に座る。
(イェティって感じだな)
三好が心の中で小さく呟く。
「おばちゃん、ちょっと音出してもいい?」
ラーメン皿を運んで、厨房にはいろうとしている白い割烹着の女性に聞くと
「はいはい」とボリュームが上げられて、それまでビジュアル系ロックバンドの歌が流れていたレストハウス内に、若い男性のアナウンスが流れはじめた。
『……の計は金杯にあり。今年一年の勝負を占う新年最初の重賞レース。さあ、初夢を運んでくるのはどの馬か。ゲート入りは順調です』
金杯と言う言葉に、三好たち四人の目もテレビに向いた。
『最後に大外のスノウハピネスが収まって、スタート! ……ポーンと揃って出ました。ハナに立つのはやはりスカーフェイス』
『バラバラとばらけて、たてながの展開、このへんで先頭から見てみましょう……』
アナウンサーが馬の名前を羅列する中、画面に写る騎手たちの鮮やかな帽子の色が目にとまる。
黒、白、赤、青、黄、緑、橙、そして桃。
桃色の帽子を見たとき、不意に三好は、自分を見つめた相田桃子の瞳を思い出して、少し苦しい、切ないような気持ちになった。
それを飲み下すようにビールのグラスを空ける。

『さあ、先頭が直線に入った!橘の手が動いてウーウマンボが上がっていった。ウーウマンボが、大外から来た。中山の直線は短いぞ。届くか、届くか』
四人がテレビを凝視する。
『ウーウマンボだ。これは強い!これは強い!ウーウマンボが弾けるリズムに乗って、今差しきって、ゴ――――ル、イン!』
『中山金杯、征したのは、8番ウーウマンボでした。二着はミヤノピュアハート』
「おおおっ、とったぜ!」
「さすが安さん!神様っ」
「こいつぁ、春から縁起がいいですねぇ」
「ごちそうさまあー」
大騒ぎの大学生集団をそよに、高校生の四人組は呆然としていた。
「偶然だよな」高遠がつぶやく。
「そうだよ。まさか」海堂が飲みかけのコーヒーにミルクを意味無く追加する。
「でも、もし」上田が言いかけると
「いうな」三好が遮る。

――――でも、もし、あの8が本当に『中山金杯』の勝ち馬予想だったら?




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